第5話 雷の夜


 ……うそつき?

 私、レオに嘘なんて吐いたかしら。


 首を捻るも、思い当たることがない。

 とりあえず彼を泣かせる程のことをしてしまったのは間違いないわ。ここはストレートに訊いてみよう。


「ごめんなさい……全然思い当たらないんだけど、私、どんな嘘を吐いたの?」

「初めて一緒に寝た日……嬉しいって、ありがとうって言ったくせに」


 初めて寝た日……


 風呂上がりの火照った脳みそに、遠い記憶を手繰り寄せる。



『手っ……繋いでやる』

『ありがとう。レオが居てくれて本当に良かった。一人だったら眠れなかったもん』

『明日もっ、一緒にっ……寝てやるよ』

『本当!? 嬉しいわ』

『ずっとっ、一緒にっ……寝てやる』

『本当!? ありがとう』



「ああ!」

 ポンと手を叩く。

 分かったわ! スッキリ!


「あれはレオが怖がっていたから。私は怖くなんかなかったけど、男の子のプライドを守る為にそう言ってあげたのよ。まあ嘘って言えば嘘だけど」


 目の前の立派な青年が、幼い子供みたいに拗ねているものだから、可笑しくなってしまう。

 あの時の小さなレオと重ね、とうとうフフッと声を漏らすと、それが気に入らなかったのか、彼は声を荒らげた。


「違う! そっちの嘘じゃない! ずっと一緒に寝てやるって言ったら、ありがとうって答えただろ? なのに別々に寝るだなんて、嘘つきじゃないか!」

「それは……! まさかこんな歳になっても、一緒に寝るだなんて、思わなかったから。その内あんたから離れていくものと」

「離れない……ずっと離れない!」


 どうしよう……やっぱりこの子は、内面がすごく幼いのだわ。このまま私に依存していたら、駄目になってしまう。ここは、心を鬼にしないと!


「大人になったんだから、もう怖くないでしょう? それに本来は、それぞれのベッドで寝なきゃいけない決まりなのよ! ほら、あんたはこっちの神官像とお目めを合わせて寝る! 私は女神像と! 言うことを聞かないなら、他の神官様に言いつけるからね」


 一気に捲し立て、息を吐いたと同時に、凄まじい雷鳴が轟いた。


「……ひっ!」


 一瞬情けない声を出してしまったが、慌てて咳払いで誤魔化す。

 バレて……ないわよね? ずっと隠してきたのに。


「ふっ……ふふ……ふふふ」


 なっ、何……?


 急に低い声で、唸る様に笑い始めるレオ。

 スッと立ち上がると、長い足一歩で私の前へ立ち、腰を引き寄せられた。

 ちょっと……さっきまでしくしく泣いていた坊やは何処? まさか、演技!?

 思わぬ事態に固まっていると、今までに聞いたことのない、狂気を孕んだ声が頭上から降ってくる。


「ああ……そうだな。俺はもう怖くない。だけど……」


 腰を曲げ、寄せられた唇が、耳元に囁く。

「フィオナは怖いんだろう? ……か・み・な・り」


 バレた……!

 熱い吐息に、全身がビリっと痺れる。咄嗟に耳を塞ごうとするも、ガシッと手首を掴まれた。


「寝てやるよ……一緒に」


 そのまま神官のベッドまで引きずられると、背中の柔らかい感触と共に、ぐるりと視界が変わる。

 神官像と目が合ったのも束の間、レオのオパール色の視線と、リボンからはぐれたサラサラの銀髪が一房、顔に落ちてきた。


 自分の身に、一体何が起こっているのか……起ころうとしているのか……


「なっ……何言ってるの! 聖女様に怖いものなんて、ある訳ないでしょっ」

「……じゃあ何で、普段は煩いのに雷の日は静かなんだよ」


 静か……だった? てか、普段は煩いってどういう……!

 反論しようと開きかけた口を、何か弾力のあるもので塞がれた。


 肉厚で、ぷるぷるしていて……とにかく熱い。

 さっき耳元で感じた温度に似ている……ということは……! これはレオの……唇?

 戸惑う隙に、更に深い場所に侵入され着火する。熱くて甘くて熱くて……口の中が、火傷してしまいそうだ。


 どうしよう……苦しい……死んじゃう……えっと……小説には何て書いてあった?

 そう、鼻で! 鼻で呼吸いきするの!

 ふがっと出てしまった変な音に、レオはスッと唇を離し妖艶に笑った。


「……色気ないな」

「いろっけって……あっ……あんた……子供のくせに!」


 余裕たっぷりのレオに対し、息も絶え絶えの自分が情けない。


「子供じゃなくて……もう大人の男女なんだろ?」


 濡れた唇をペロリと舐め、銀髪を後ろに掻き上げる。

 そう……ね、その色気はもう子供じゃないわ。

 だったら、女性に対する今の乱暴な振る舞いを、きちんと叱らなければいけない。

 いきなり唇を奪うなんて! 初めてだったのに、あんな苦しいの……小説だったらひっぱたかれているわよ、あんた!


 だけど……可愛いレオを叩くなんて出来ないし。とりあえず身体を起こさなくちゃと身を捩るも、ビクともしない。

 全身にぐっと体重をかけられ、押さえつけられたその時……レオの身体のある変化に気付いた。


 これは……


 雑誌や恋愛小説から得た知識が、頭をぐちゃぐちゃに掻き回し、心臓をどくどく叩く。

 違って欲しい。どうか、どうかと願いながら、震える口を開いた。


「あんた……あんた、まさか……」


。……魔力で」


 ああ、どうしよう……雷よりも、ずっと怖い……

 頭に鳴り響くけたたましい警報が、窓のすぐ傍で轟く雷鳴さえ掻き消した。





 ────情けなくて涙が出る。こんなことになってしまって、これからどうしたらいいの?


 意識を取り戻し、最初に見たのは、眩しい朝日の中でギラリと光る神官像の目だった。

 怒って……る? そりゃそうだ……


 うっうっと声を押し殺しながら泣いていると、夕べ散々自分を弄んだレオの大きな手が、火山頭を優しく撫でてくれた。


「大丈夫? 辛い?」

「……辛いに決まってるでしょ」

「このこと、言いつける?」


 銀色の睫毛を、しゅんと伏せるレオ。


「言いつける訳ないでしょ!」


 だから辛いんじゃない!

 とうとう感情が高まり、布団の中でわあっと号泣してしまう。

 魔法を使ってしまって、おまけに男女として結ばれてしまった。つまり魔力で聖女を穢したのだ。事が発覚すれば、レオは間違いなく極刑だろう。


 何より辛いのは……自分の気持ちに気が付いてしまったこと。


 彼の肌に触れ、熱い波に飲まれていく内に、ずっと抱いていた母性みたいなものは、遠い彼方に消え去ってしまった。酷く怖いのに、服従されることが心地好くて……


 そう、彼を拒絶するどころか、求めてしまっていたのだ。

 逞しいと思っていた自分は、あの広い胸の中では、ただの非力な女で。その非力な女を、爪の先まで丁寧に慈しむ彼の行為は、身体だけでなく心の隅々まで潤してくれた。


 依存なのかもしれない。

 だけど私達の間には、確かに男女の愛が存在していた。


 とにかく守らなきゃ……彼を守らなきゃ。


 たとえ愛があったって、この関係は、過ちには変わりないんだから。


「……レオなんか嫌いよ。大嫌い」

「フィオナ」

「もう私の可愛いレオじゃない。仕事の時以外は近寄らないで、話しかけないで」

「嘘つき。可愛くなくたって、好きなんだろ? 俺のこと」

「嘘なんか吐いてない。“男”のあんたは大嫌い」


 泣き顔を見られぬ様にと握りしめていた布団を、呆気なくレオに剥がされる。無理やり仰向けにされ、真っ直ぐなオパール色が注がれた。


「……俺は好きだ。デカくて頼もしかった時のフィオナも、小さくて頼りなくなった今のフィオナも」


 胸が……射抜かれる。

 痛くて、切なくて、何も言えなくなってしまう。


 私、こんな見た目だから……いっそ男として生まれた方が良かったかなって思ったこともあった。

 でも、夕べ思ったの。女として生まれてきたのは、もしかしたら、男のレオと結ばれる為だったのかもって。

 そう考えたら、自分という存在が心から愛しく思えた。


 だけど……


 ごしっと涙を拭い、負けじとオパール色を返す。


「好きとか嫌いは関係ない。私は聖女で貴方は神官。聖女は女神。神官は女神の遣い。それ以上でも、それ以下でもないわ」

「……だから? 俺と距離を置くって?」

「そうよ。こんなことしたら……国に災いが起きるかもしれないわよ」

「災いねえ」


 レオは綺麗な瞳を細め、ふふっと笑い出す。でも、夕べの妖しさや狂気は一切感じない。ただ愉快そうな笑みだ。

 私、何か可笑しいこと言ったかしら?


「そうだな……フィオナの言う通りだ。こんなことをしていたら、近々災いが起きるかもしれない」


 近々……具体的なその言葉に、ゾッとする。


「いいよ、そうしよう。仕事以外は近寄らない、会話は必要最低限。それで文句ないか? どうせ俺も、当分フィオナには触れる気なかったし」

「うっ……うん……」


 何急に聞き分けがよくなってんの。何だか表情も急に大人びちゃってるし。

 それよりも……“触れる気なかった”って、どういうこと? 私の身体、なんか駄目だった?


 いや、そりゃあね、小説に出てくる華奢なヒロインとは程遠いデカさですよ。あっ、でもね、胸だけは少し自信があるの。張りがあるし、形も割と綺麗……これで地黒じゃなければなあ。

 後はもう、何が良くて駄目なのか分からない……だって初めてだし、必死だったし。


 レオだって初めてなんだから、他のと比べようがないはずなのに……そんなの関係ない位、私に不都合があったのかな。

 ……あっ! におい? 私、臭かった!?

 一応お風呂上がりだったんだけどな。

 ん? むしろレオの方が入ってなかったじゃない! すっごくいい香りだったけど。


「何してるんだ?」


 無意識に身体をくんくん嗅いでいた自分に気付き、コホンと咳払いをする。


「なっ、何でもないわ……」

「ふーん、じゃあ意見は一致ってことで」


 レオはベッドから降りると、私をひょいと抱き上げ、パーテーションの向こうまで歩き、女神像のベッドへ優しく寝かせてくれた。


「あっちのシーツ、洗濯するから此処で寝てろ。朝食も作って持ってくるから」


 シーツ……

 カアッと身体が熱くなる。

 駄目よ……首から下にとどめなさい。顔に出しちゃ駄目。


 レオはそんな私を見て、ぼそっと一言呟いた。

「やっぱ強烈だな」



 しゅるっとシーツを剥がす音の後、ドアが閉まる。

 一人きりになった室内で、ああっと叫び出したい気持ちを抑え、派手に髪を掻きむしった。


 強烈……また強烈……営み中も、何かが強烈だったから触れたくないのだろうか。

 他にもっと考えなくてはいけないことが沢山あるのに、そればかり考えてしまう。


 チラリと頭上の女神像を見れば、何だか微笑んでいる気すらして……

 逆に気味が悪くて、布団を被り一心に祈りを捧げた。


 もう同じ過ちは起こしません。だからどうか、レオのことはお助けください。最悪私を生贄にしていただいても構いませんので…………



 私はまだ知らなかった。

 まさかこの祈りが、本当に女神様に届いてしまうなんて……






 レオはちゃんと約束を守ってくれた。

 前みたいに、むやみやたらと私に触れることはなく、会話も日常生活に必要な最低限のみ。

 もちろん互いにあの夜のことに触れることはなく……


 これが本来の、聖女と神官の健全な生活なのかもしれない。レオの命が守れるなら……とホッとしつつも、どうしても寂しさは拭えなかった。



「おやすみ」とだけ挨拶を交わすと、今夜もそれぞれのベッドに向かう。一人だと、布団が温まるまでにこんなに時間がかかったっけ……と寒さに震える。

 もう一度雷が鳴ったら、一緒に寝てくれるのかな……寝てくれないかな。そんな愚かなことまで考えてしまう。


 なかなか寝付けない私を置き去りに、レオはパーテーションの向こうで、あっという間に寝息を立ててしまう。

 声を上げずにホロホロと涙を流せば、疲れた瞼が、意識を夢の中へ引きずり込んでくれる。そんな情けない夜が続いていた。


 こうして眠りについた後、レオが私の腹部に手をかざし、不敵な笑みを浮かべていたなんて、知る由もなく……




 そんな生活が続いた約二ヶ月後、静かな神殿とは反対に、国は混乱の中にあった。

 辺境の地で発生した原因不明の伝染病が、次々に他の地へと広まり、猛威を振るい始めていたからだ。

 これといった治療法、特効薬もまだ見つかっておらず、致死率も高い未知の病に皆怯えている。

 とうとう首都でも感染者が出てしまった為、皆家に引きこもり、神に祈りを捧げる日々が続いている。


 ────という話を、神殿を訪れた数人の女性神官様から淡々と聞かされた。


「災いを鎮める為に、聖女様には一週間後の聖還せいかんの儀式にて、女神様の元へお還りいただきます」


 聖還せいかんの儀式……お還りいただく……

 つまりは、『生贄』になるってことよね。

 くじ運が悪いクセに、大当たりを引いてしまったわ。それとも、生贄にして欲しいなんて祈ったから?


 自分にとっては残酷な言葉も、その神官様にとっては仕事の一貫として無情に放たれる。

 聖女という恐ろしい立場を、今、初めて思い知らされていた。

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