第4話 淡い想い


「……誕生日おめでとう、レオ」


 自分の顔に触れている長い銀髪を手で掬い、そっと彼の耳に掛ける。

 ……いつの間にこんなに大きくなっちゃって。

 そうか、もう今日で18歳だもんね。


 初めて会った日の小さな背中を思い出すと、胸がじんとする。


 白いきめ細やかな肌はそのままに、愛らしい少年から、青年の美貌へと変化したレオ。

 ずっと私が切ってあげていた銀髪は、13歳になったある時から、面倒臭いからほっとけと言われ伸ばしっぱなしで。天使の輪を描きながら、腰の辺りまで流れている。

 男性らしく少し面長になった輪郭には、魅力を増したパーツが輝いている。鼻は更に高く、唇は更に艶やかに。くっきりと目尻の上がったオパール色の瞳には、知性と妖艶さまで加わっていた。


 毎日見ても、うっとりする程綺麗……

 天使が大人になる成長過程を間近で見られたなんて、私は幸せ者だわ。



 ぼんやりしていると、白くて長い指が、私の赤毛を弄び始める。レオはこのもじゃもじゃが好きで、毎朝こうしてくんくんとにおいを嗅いでは、唇を寄せるの。

 前に理由を訊いたら、デカい犬みたいで落ち着くからって言われたわ。よく分からないし、ちっとも嬉しくない! まあ……こんなんで落ち着くなら好きにしていいけど。


 髪の毛には神経が通っていない筈なのに、こうして触られると、何故だか温かくて心地好い。ああ……また眠くなってきたわ……でも…………

 白い指から赤毛を取り戻し、えいっ! と勢いよく上半身を起こす。


「ほら、早く支度しないと! 今日は忙しいのよ」


 急にもじゃもじゃを取り上げられたレオは、唇を尖らせ、不服そうな目で私を見上げている。

 ……そんな顔も可愛くて、ついつい甘やかしたくなっちゃうんだけど。ここは聖女としてピシッと命令しなきゃ。


「……面倒臭い。やりたくない」

「駄目よ、お仕事なんだから。神官様が傍で護ってくれないと、聖女が安心して祈れないわ」

「二人で休もう。折角の誕生日なんだから、ゆっくりしたい」

「駄目よ、さっ早く……きゃあ!」


 ぐいとお腹に腕を回されたかと思えば、あっという間に枕に引き戻され、抱きすくめられていた。赤毛の波に綺麗な顔をぽふっと埋め、鼻をくんくん動かし続けている。


 もう! あんたの方がよっぽど犬じゃないの!


 ほどいて逃れようとお腹の腕に触れるも、自分とは全く違う固い筋肉に触れた瞬間、無理だということを理解した。

 びくともしないわ……なんという力なの。でも、どうにかして逃げないと……だってこのままじゃ……ほら来た!

 耳朶に柔らかくて熱いものを感じ、私はピクリと震える。

 コレ、弱いんだってば……


「フィオナ……あと5分だけ」


 熱い吐息に耳を刺激されれば、魔法にかかった様に全身が痺れ、身動きが取れなくなってしまう。

 普段の威勢のいい声も出せなくなり、ひょろひょろと情けない返事をした。


「5分だけよ……」


 的確に弱点を攻めて来るなんて、ズル過ぎる……

 やっぱりこの子は、天使もどきだわ。





 サラサラの銀髪にブラシを当て、天使の輪が一層輝いたのに満足すると、黒く細いリボンで一つに結ぶ。


「はい、出来たわよ」


 詰襟部分に、神殿の紋章が刺繍されている白いシャツを着たレオ。神官用の黒いローブを渡そうとするも、着せろという風に両手を広げている。

 全く……仕方ないわね……

 子供の頃は、「赤ん坊じゃない!」なんて言って、何でも自分でやろうとしていたのに。逆に大人になった今の方が、甘えて何もやらなくなってしまうなんて。


 ……身体はこんなに大きくなったくせにね。

 食べさせ過ぎたせいか、今では15cmも身長差があるから、爪先で立たないと上手く着せてあげられない。私と背丈が並んだ14歳の時の、あの生意気なドヤ顔は忘れられないわ。


 ローブを羽織った彼は、何処からどう見ても、最高に美しく立派な神官だ。完璧! それに比べて私は……

 姿見に映った全身は、世間一般の聖女のイメージからは、あまりにもかけ離れている。


 もじゃもじゃ赤毛は、レオと同じく一つに結わいているのに、ちっとも落ち着かず、ボン! と噴火している。梳かせば梳かす程膨らむって、どういうことよ!

 相変わらず地黒で地味だし、目はほっそいし……ああっ、やだっ、これ小じわじゃない!? 目が細いと小じわが出来にくいなんて言ったの誰よ!(お母様だ……嘘つきっ)

 もう私も24だしね……お肌の曲がり角かも。美味しい物ばかり食べているから、何だか太った気もするし。

 今度はお高級化粧水と、話題の痩身食品を注文しよう。


 聖女用の白いドレスの上からお腹を触っていると、背後から長い腕がニュッと伸びて、抱き締められた。


「鏡見て何ぶつぶつ言ってるんだよ」


 悪魔みたいな顔で笑いながら、私の腹の贅肉をぷにぷにと摘まむ。く~っ、なんと屈辱的な!

 くすぐったいやら変な気持ちになるやらで、必死に身を捩るも、やっぱり強い腕からは逃れられない。


「……私、聖女らしくないなって思ってたのっ」

「なんで、どこが」

「決まってるじゃない。全部よ、全部! 聖女って言ったら、もっと美しくて……清らかで、儚げで……ほら、従姉妹のミナリー! 前に写真を見せたでしょ? あのみたいならイメージにピッタリだったんだけど」


 鏡の中で、レオは私の肩に顎を置きながら、首を傾げている。

「さあ……どんな顔だったか覚えてない」

「嘘! あんなに可愛い、普通一度見たら忘れないでしょう!」

「……お前が強烈すぎて、他は印象ない」


 強烈……女性に向かってなんという暴言!

 でも確かに、この見た目は強烈かも。火山頭なんて、一度見たら忘れられなそうだし。


「準備が出来たなら、早く行こうぜ。とっとと済ませて、早く二人きりになりたい」

「いつも二人きりじゃないの。たまには他の刺激も味わわないと、退屈でしょう? 私はともかく、あんたはまだ若いんだし」

「……フィオナが居ればいい。強烈だから、退屈なんかしない」


 また強烈……まったく。

 さすがに文句を言おうかと口を開きかけるも、ぎゅっと腕に力を込められ、肩や首すじにスリスリされたら何も言葉が出なくなってしまった。

 生意気なのに可愛いのは相変わらずなんだから。


「はいはい。きちんとお仕事したら、美味しいケーキを焼いてあげるわ。今夜は二人で、一緒にお祝いしましょうね、神官様」



 今日は神殿で豊穣を祈る儀式が行われる。此処に来た時は年に数回だったのに、今では週一ペースで何らかの儀式に駆り出されているんだから、詐欺もいいところよ!(散々贅沢してきたから仕方ないけど)


 その理由はね……



 女神像を押し、扉から神殿に出た瞬間、参拝客の視線が一気に集まる。…………レオに。


 貴族のご令嬢や商家のマダム。とにかく金をわんさか持っていそうな女性達が、参拝には派手過ぎる煌びやかなドレスで、いつもレオを待ち構えているの。

 この間なんかね、愛読しているゴシップ雑誌に、『聖女様付きの神官は千年に一人の超絶美形』って記事が肖像画付き(写真は神殿によりNG)で載ってたんだから!


 実物を一目見よう、一目見たらもう一度って、参拝希望者が後を絶たなくてね。神殿側もその対策として、儀式を増やすことにしたの。まあその分沢山献金をもらえるし、不純な動機とはいえ祈るのは良いことだし。国が潤って平和になるならいいわよね。


 聖女がメインの筈なのに、私なんか誰も見向きもしないわ。たまに視線を感じたかと思えば、熱烈なレオファンからの敵意だったりして。(聖女様に向かって、何たる罰当たりめがっ)


 あ……でも一人だけ、いつも温かな目で私を見てくれる男性の参拝客がいるの。多分聖女マニアなのね。私の見た目じゃなく、『聖女』そのものが好きな人。

 理由はともあれ、数少ない私のファンだもの。サービスしておかなくちゃ! と微笑みかければ、嬉しそうに顔を赤らめてくれる。私も嬉しいわ、応援ありがとう!


 調子に乗って笑みを振り撒き続ける私を、レオが険しい目で見ていたことなんて、この時は気が付かなかった。



 儀式が終わって女神像の向こうへ戻ろうとした時、レオが何故か、つかつかとその男性の元へ近付いた。

 遠いから何を喋っているのか聞こえないけど……手を出して、男性から何かを受け取ってる?


『ねえ、何してるの!?』って呼び掛けたいけど、祈る時と聖職者以外には、決して声を出しちゃいけないのが聖女の決まり。我慢してジリジリと待つ。


 しばらくすると、女性の参拝客がきゃあきゃあ色めき立つ中を、ムスッとした表情かおで戻って来た。

 何あれ、思いっきり素じゃない。神官の仮面は何処に行ったのよ!

 他の神官様達に咎められる前にと、さっさと背を押し女神像の向こうへ押し込んだ。



 ソファーにドカッと座り、長い足を組むレオ。そっぽを向いている為よく見えないが、明らかに機嫌が悪い。


「レオ、どうしたの? あの人と何を話していたの?」


 すると、んっと偉そうな態度で、指でつまんでいる何かを私へ見せた。

 …………ん?

 よく目を凝らせば、赤くてうねうねした一本の髪の毛が揺れている。……私の?


「あいつ、フィオナの髪を持って帰ろうとしやがった。気持ち悪い」


 ああ、何だそんなことか。


「落ちたものなんだから、別にいいじゃない。タダだし。……それよりあんた! あの人に乱暴な口を利かなかったでしょうね!?」

「『聖女様の御身体は神聖なものです。たとえ一部でも外部に持ち出すことはご遠慮下さい』って営業スマイルで言ってやった。上等だろ? 文句あるか」


 ……それが本当ならね。


 仏頂面で、髪の毛をぐるぐると指に巻き付けるレオ。

 ……よし、宥めてみるか。

 そっと近付き彼の前へしゃがむと、優しく肩を撫で、ローブを引っ張る。

「機嫌を直して、早く着替えてらっしゃい。ケーキを作ってあげるから」


 まだふてくされている顔を私の胸へぽすっと預け、レオは泣きそうな声で言う。

「フィオナは全部俺のものだ。髪の毛一本も渡したくない。誰にも見せたくない」



 ……出会った頃のあの幼い子供だったら。溢れる想いのままに、きっと彼を抱き締めていた。

 可愛い、愛しい……嬉しい。

 けれど今はそれよりも、彼を可哀想だと思ってしまう。


 こんなに綺麗で、こんなに賢くて、それに……優しい。

 もし神殿の外で暮らしていたら、良い仕事に就いて、友達を沢山作って、恋愛して……きっと素敵なと結婚出来たのに。

 私は16歳までは自由に過ごせたから、それなりに青春も謳歌したけど(苦い失恋もね)、レオは一番素晴らしい時期をこの狭い空間に閉じ込められてしまった。


 私に依存し、私と離れることに怯えている。

 最近ではそんな風に感じることが増えてきた。


 ……どうせ二人きり、これからもずっと一緒に居るのだから、それでもいいじゃない。

 一方で、そんなことを考えてしまう自分も居る。いつまでも私だけの、小さなレオで居て欲しい……なんてね。


 だけど今日で、レオも立派な成人だ。強く言えずにズルズル来てしまったことに、きちんと向かい合ってケジメをつけよう。お互いに、その方がいい。





 嬉しそうにケーキを頬張る青年の姿に、初めて一緒に祝った、10歳の小さなあの子を重ねる。

 苺とブルーベリーがたっぷり載ったこのデコレーションケーキは、レオの大好物。

「俺、次の誕生日もこれがいい! ずっと同じのを作れ!」

 なんて嬉しいことを言ってくれてね。似合わなくてずっと恥ずかしかったけど、お菓子づくりが趣味で良かったって、あの時心からそう思えたの。


 ……あらあら。長年の特訓の成果で、食べ方も綺麗になったのに。このケーキを食べる時はいつも、鼻の頭や口の周りに、クリームをベッタリ付けるんだから。

 拭いてあげようと顔に触れれば、ハンカチ越しにも男性の逞しい骨格を感じ、驚いてしまう。その少し下には、白い滑らかな皮膚に包まれた、立派な喉仏だってある。

 目を閉じ、んっと偉そうに顔を突き出す仕草は、まだ幼い子供みたいなのに……


 慣れ親しんだレオと、見知らぬレオが同居している青年を前に、ハンカチを持つ手が固まってしまう。


 待っていてもいつまでも拭いてくれないことを不思議に思ったのか、レオは銀色の睫毛を瞬かせ、首を傾げる。

 咄嗟にハンカチをレオの手に握らせると、さっき注いだばかりのカップに、溢れる寸前まで紅茶を注ぎ足した。


 言わなきゃ……今日こそ言わなきゃ。


「ねえ、レオ。貴方に話があります」


 改まって言う私に、レオは怪訝な顔でこちらを見る。

「……何だよ」

「今日で、貴方は成人になったわ。つまりね、私達、もう二人とも大人なの」

「……だから?」

「今夜から別々に寝ましょう。血の繋がりのない大人の男女が、同じベッドでくっついて寝るなんて、よくないわ」

「何がよくないんだよ」

「それは……世間一般的に。大人なんだから、もう分かるでしょう?」

「全っ然分かんねえ!」


 レオは急に声を荒げ、ハンカチをテーブルにバンと置いた。


「此処は世間一般とはかけ離れた世界だろ。俺とフィオナの二人きり。誰も居ない、誰も見ていない。何を気にする必要があるんだよ、馬鹿馬鹿しい」


 馬鹿馬鹿しい?

 ……勇気を出して、真剣に話したのに!


 私も負けじと、両手をバンと置く。


「誰も居なくても、誰も見ていなくても、私が気にするの! いい? 幾らデカくたって老けてたって強烈だって、私は一応女性なのよ? あんたは大型犬を触っている感覚でしかないんだろうけど、何の血の繋がりもない若い男にくっつかれる身にもなってよ! 少しは気を遣いなさい!」


 しんと静まる部屋。

 あ……言い過ぎた……かな?


 レオは何とも複雑そうな顔でこちらを見ている。

 ……ほら、まだ顎の下にクリーム付いているわよ。ちゃんと拭きなさいってば。なんて考えていたら、艶々の唇から、予想外に素直な言葉が呟かれた。


「……分かった」


 ん?


「分かったよ。別々に寝る。それでいいんだろ」


 そうよ、それでいいのよ。

 なのに何でこんな肩透かしを食らった気分になるのかしら。


「もう寝る」


 レオは立ち上がり、皿も下げずに大股で歩いて行く。いつもは何も言わなくても、お皿洗いやテーブルの片付けまでやってくれるのに。こんなことは初めてだ。


「……ねえ、お風呂は!?」


 呼び掛けても振り向かず、スタスタ遠ざかる。

 ……やっぱり言い過ぎちゃったかな。子育てって、難しい。




 お風呂から上がり、濡れた火山頭をわしわし拭くと、鏡に向かいガサガサの顔にお高級化粧水を塗り込む。朝注文したら、もう夕方の便で祭壇まで届けてくれるなんて! 本当に仕事が早いわ。

 レオはこんなの塗らなくても、いつもお肌がつるつるなんだから。全く、神様は不公平ね。……でも綺麗なお肌の下は、意外と骨張っていて、逞しくて。もう子供じゃなくて、男の人なんだよなあ……男の……


 やだっ、何やらしいこと考えているの私。経験もないくせに、恋愛小説や雑誌ばっか見漁っているからよ。ほらほら、どっちが髪か分からない位、顔が真っ赤じゃないの! 聖女のくせにはしたない!


 化粧水の瓶を振りながら悶えていると、窓の外からゴロゴロと雷鳴が聞こえ、ひっと固まる。

 雷……あの日から苦手なのよね。

 背中を怪我したあの出来事がトラウマになっているのか、この音を聞くと背筋がゾクゾクする。


 そうか……今夜は一人で寝なきゃいけないんだ。いつもはレオが手を繋いでくれるから、怖くないのに。

 背だけじゃなく、立場まで逆転しちゃって……情けないったらありゃしない! てか、どっちこそ依存しているのよ。やっぱりケジメをつけて正解だったわ。


 これからずっと一緒に暮らすとしても……もし私に何かが起きて離れるとしても。距離は置いた方がいいに決まっている。

 今は拗ねているかもしれないけど、レオもいつか、これで良かったと分かってくれるわ。




 本当にお風呂入らないのかしら。まだお湯が温かいのに勿体ないわと開けた寝室の隅────


 目に飛び込んだものにギョッとした。初めて一緒に寝たあの夜の様に、大きな身体が縮こまっていたからだ。


「……どうしたの?」


 私を見上げたその瞳は、オパール色の涙で揺れている。一瞬ぐすんと鼻を啜った後、流れるものをそのままに、低い声で言い捨てた。


「嘘つき……」

「え?」


「フィオナの嘘つき」

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