第3話 二人だけの秘密


「……どうしたの?」


 私を見上げたレオの瞳は、オパール色の涙で揺れている。一瞬う~っと声を震わせた後、目を擦りながら言い捨てた。


「目がっ……痒いっ……! 痒くって……眠っれない!」


 しゃくり上げ、ひたすらごしごし擦り続けている。


 ふうん……

 ニマッと笑いが込み上げる口元を手で隠すと、出来るだけ女の子っぽい、か細い声色で言ってみる。


「レオ……私、女神像が怖くて眠れないの。良かったら、一緒に寝てくれない?」


 レオはヒックと喉を鳴らしながら、丸い目を向けた。


「おっ前……怖っいの?」

「怖いの、すごく。あんたが起きててくれて良かったわ。ねえお願い、一緒に寝てよ」

「……仕方っねえな。寝てっ……やる」


 レオは胸を張りすっくと立つも、ぷるぷる震えながら私の元へやって来る。ふふっ、可愛いなあ。



 私のベッドに入れ布団を掛けてあげると、何も言わないのに手を握ってきた。


「手っ……繋いでやる」

「ありがとう。レオが居てくれて本当に良かった。一人だったら眠れなかったもん」

「明日もっ、一緒にっ……寝てやるよ」

「本当!? 嬉しいわ」

「ずっとっ、一緒にっ……寝てやる」

「本当!? ありがとう」


 もう……なんて可愛いの、この子。

 しばらくして、やっとしゃっくりが治まったけど、時折頭上の視線を感じては、ビクッと震えている。


「ねえ、上を向くと怖いから、レオの顔を見ていてもいい?」

「いいよ。俺もお前の顔、見ててやる」


 身体を寄せ合い、互いを向いて眠る。そういえば昔、お祖母様の古いお屋敷に泊まった時、弟が怖がって泣いちゃってね。こんな風にして一緒に眠ったっけ。

 男の子って、素直じゃないのに素直なんだから。


 手を回し、トントンと背中を叩けば、その内すやすやと規則正しい寝息が聞こえてきた。

 ……眠れたみたいね。良かった。

 レオの寝息を子守唄代わりに、私もいつの間にか夢の国へ落ちていった。



 朝になれば、「俺のおかげで眠れただろ、ありがたく思え」なんて、すっかり生意気なレオに戻っていた。

 でもまた夜が来ると、ぷるぷる震えながら私と手を繋ぐの。もう可笑しいやら可愛いやらで!


 女神像が見下ろす私のベッドには、いつも枕が二つ並ぶ様になっていた。



 レオはなかなか賢い子で、語学も算術もあっという間に理解し吸収していった。学校に行っていたら、きっと優等生だったに違いない!

 その割に言葉遣いや偉そうな態度は直らないけど。でも最初よりは、大分私に心を開いてくれていると思う。


 何せ時間はたっぷりあるんだから。なるべくレオが退屈しない様にと、勉強以外にも色々なことを一緒にやった。

 お菓子作り、チェス、庭でボール投げ、写生。好奇心旺盛で、何でも積極的に取り組んでくれるから、私もすっごく楽しいの。

 大家族の中で育っているから、家事も本当によくやってくれてね。私よりずっと気が利くし。


 でもそれが、とんでもない事件を引き起こしてしまうなんて────




 今日は、レオの10歳の誕生日。

 前日に配達してもらった材料で、スポンジケーキを焼いている。うーん、慣れないオーブンだから、焼き加減が難しいなあ。見張ってないと。


 ここで出たのが私の悪い癖。一つのことに集中すると、周りが見えなくなっちゃう。

 突然暗くなった窓の景色にも、ポツポツ降り出した雨音にも、全く気付かなかった。


 よしっ、今だ! とケーキを取り出すと同時に、ザアッと激しい雨音が耳に届いた。

 ……大変! 洗濯物!


 慌てて庭へ飛び出せば、レオが花台を足置きに、背伸びをしながら物干し竿へ手を伸ばしていた。

 雷鳴と共に、嫌な予感が身体を駆け巡る。


「レオ!」


 叫び走り出したその時だった。バキリと鈍い音がして、木製の花台が割れる。

 当たり前だ。幾らレオが小柄だとは言え、人の体重を支える様には出来ていないんだもの。

 なんて思いながら、バランスを崩すレオへ飛び込み、必死に受け止めた。



 …………間に……合った?

 自分の身体の上に、温かいものが乗っていることを確認し、とりあえずホッとする。


 長い腕で良かった……デカい身体で良かった……

 産んでくれた両親に感謝をしながら、レオの頭を撫でていたけど……徐々に違和感を覚え始める。

 何だろう……背中が熱い。やたらと熱い。


 ゆっくりと顔を上げたレオが、私の上からぴょんと飛び降りる。うんうん、元気そうね。

「大丈夫? 怪我はない?」

「……お前は?」

「多分大丈夫よ。なんか背中が熱いけど。風邪を引くから、早く中に入りなさい。洗濯物はやっておくから」


 背中は燃えているのに、何故口はペラペラ勝手に動くのだろう。違和感が続くも、気付かない振りをする。


 レオが私の腕を引っ張り、起こそうとしてくれるも、上手く力が入らない。

「あれ……おかしいなあ。ちょっと待っててね」

 このまま雨に濡れていたら、二人して風邪を引いちゃう。渾身の力を振り絞って、身体を横に向けた時……

 今まで熱いとしか感じなかった背中に、激痛が走った。


「ふう……うっ……」

 呼吸もままならず、脂汗がどっと吹き出す。叫びたいのに……痛みを逃せたらいいのに……何も言葉を発せない。ついさっきまで、あんなに喋れたのが嘘みたい。


「お前っ……血……背中……血……!」


 レオが何か叫んでいる。


「……ち?」

「背中に、木が刺さってる!!」


 ……ああ、もしかして!

 レオを受け止めて倒れた拍子に、割れた花台が背中に刺さったのかしら。なーんてね!

 …………どうしよう。


 目線だけ動かしてレオを見上げれば、銀髪もシャツもびしょびしょに濡れて肌に張り付いている。

 早く中に入れと言ってあげたいのに、言葉が出ないのがもどかしい。私が動かなかったら、いつまでもこの子は……


 そのまま身体を傾けパタンとうつ伏せになると、部屋へ向かい、草の上をノロノロと這い出す。亀みたいに遅くて情けないけど……いつかは辿り着く筈よ。

 こんな状態で動けるなんて、まさしく人体の神秘! これぞ火事場の馬鹿力ってヤツね。

 するとレオがさっと私の前へ回り込み、小さな身体で懸命に私の腕を引っ張ってくれる。


 ありがとう……あんたって、本当に気が利くのね。


 何とか部屋に入ることに成功するも、レオは銀髪から雫を垂らし、どうしようどうしようと床の上を歩き回っている。

 ああ、あんなに唇が青くなっちゃって……可哀想に。ふわふわのタオルで拭いてあげたい。温かいお風呂に入れてあげたい……

 朦朧とし始める意識が、レオの次の一言で覚醒する。


「そうだ……! 鐘っ……鐘を鳴らす!」


 か……ね?


 今にも駆け出そうとするレオに、私は全身全霊で叫んだ。


「駄目!!!」


 細い足がピタリと止まる。大声を出したことで、背中がビリッと裂けたんじゃないかと思ったけど、今はそれどころじゃない。

「駄目……鐘……ぜっっったいに、駄目……!」



『鐘』



 それは、神殿の屋根にある鐘で、聖女の異変を外へ知らせる手段だ。怪我、病気……医師を必要とする緊急時には、すぐに鳴らす様言われている。


 聖女の身体は女神も同じ。もし何かあれば、それは国の災いを暗示しているとも……

 こんな大怪我をしたとなれば、国中が大騒ぎだ。しかも、本来は聖女を護るべき神官を護ったせいだなんて知られたら……!


 きっとこの子は嘘なんか吐けないで、バカ正直に本当のことを話してしまう。責任を問われて、どんな恐ろしい罰を受けるか。

 鞭打ち? 食事抜き? はたまた投獄?

 まだ10歳なのに……年齢なんて、絶対に考慮してはくれないだろう。


 でも……このまま医師に見てもらえなかったら、私はどうなってしまうのかしら。もし死んでしまったら、事態は発覚してしまうでしょうし、そうしたら結局この子を護れない。


 どうしよう……どうしたら……


 息も絶え絶えに考えを巡らせていると、腰の辺りにどんと重みを感じた。

 レオ……? 座っている?

 次の瞬間、鼓膜にめりめりと何かの音が響く。今までとは比べ物にならない熱と痛みに襲われ、視界がくらりと歪む。

 な……に…………

 そのまま私は、意識を失った────





 あれ……此処はどこ?


 ランプの灯りが照らす薄暗い室内。…………夜?

 足だけが何だかスースーするけど、他は柔らかくて温かい。……ああ、足だけ布団からはみ出しているのか。いつも寝ている内にこうなっちゃうのよね。

 それにしても、やたらと身体が凝り固まっているなあ。


 うーんと両手を伸ばし、背中をバキバキ動かす。

 ……ん? せなか……?


 声にならない悲鳴を上げ、ガバッと跳ね起きる。身体が硬過ぎて難しいけど、手で届く限りの背中を、何とか探ってみた。


 ……痛くない!


 着ていたブラウスを慌てて脱げば、背中部分が無惨に破れ、血のシミがベッタリ付いている。


 ……夢じゃない!

 じゃあ……なんで?


「うーん」


 可愛い声を見下ろせば、床に丸まっている毛布から、銀髪がピョンとはみ出していた。

「レオ!」

 飛び降り、毛布の中に手を突っ込んで髪や服に触る。

 ちゃんと乾いているし、おでこも熱くないし……良かった、風邪は引いてないみたいね。


 目が覚めてしまったらしいレオが、もぞもぞと起き上がる。あら、私が触りまくったせいだわ……ごめんなさい。

 パチッと目が合い、しばらく視線を交わすと……耳が割れんばかりの大声で叫ばれた。


「お前……! 生きてるか!? 痛くないか!?」

「……生きてるわ。痛くもないわ。何でか分からないけど。あんたは? 喉が痛いとか、寒気がするとかない?」

「ない! 何もないっ!」

「そう、良かった。自分で拭いて着替えたの? 偉かったわね」


 銀髪をわしわし撫でていると、小さな手でパシッと叩き落とされた。


「……るさい。赤ん坊じゃないんだから、当然だろ!」

「そうね、もう10歳だもんね」


 10歳……お誕生日!!

 慌てて見た時計の針は、既に12時を回っていた。


「ごめんレオ! お誕生日のお祝いが……折角美味しいケーキを作ろうと思ったのに」


 時計から、再びレオへ目を移した私はギクリとする。

 大粒の涙を流し、小さな身体を震わせていたからだ。

「レオ……ごめんね。明日……あれっ、もう今日か。とにかく朝になったらケーキ作ってあげるから、ねっ」


 それでも涙は抑まらない。そりゃそうよね。誕生日が台無しになった上に、あんなに血だらけの怖いものを見させられて…………血…………やだ、忘れてた!


「レオ! 私、どうして傷が治っているの? あんた、何か知ってる?」

「……治癒魔法」


 ん?


「治癒魔法、使った」


 彼はサラッと言っているが、実はこれはとんでもないことだ。


 ……説明するわね。

 我が国の主神、女神パメラは自然を愛し司る神だ。この世に起こる何事も、自然の法則に従い流れていく。これに逆らわず、手を加えず、共存していくことで、人々は加護を受ける。ざっくり言うと、確かこんな教えだ。


 それと真逆の位置に存在するのが魔法である。魔法は自然の法則を歪めるものであり、むやみに使えば神々の怒りを買うともされていて。

 魔力を授かった者は、私利私欲の為に使えば厳罰に処されるのは当然、力の種類や強さによっては封印されることもある。国の為に正当な理由で使う場合にも、辛い修行を経て神の許可を得なければならない。それくらい厳重に管理されているの。

(そもそも我が国は魔力保持者が少ないから、要注意人物ってワケ)


 さて、ご想像通り……そんな魔力を持つ者が、聖女付きの神官になることなど本来は御法度。その為に、身上書に魔力の有無を書き込む欄があるのに。この子……確か無しになってたわよね。


「魔力……無いって、嘘を吐いていたの?」


 単刀直入に訊いてみると、レオは首をぶんぶん振る。


「違う! 擦り傷を治すとか、ちょっとは使えたけど……こんなには使えなかった! ちょっとなら使えないのも同じだから、黙っとけって父ちゃんが」


 また父ちゃん……うう、頭が痛くなってきた。

 つまり、整理するとこういうことだろう。元々微弱な治癒魔法は使えたが、それを隠して此処へやって来た。運良く(悪く?)チェックもクリアしてしまった。それが何故か突然、あんな大怪我も治せる程の魔力が、発動してしまった。

 ……これは大問題だ。神殿を欺いたことになるのだから。バレたらこの子だけじゃなく、この子の家族まで処罰を受けるだろう。最悪、死……


 悪寒がゾゾッと全身を駆け上る。


 レオの口を咄嗟に塞ぎ、辺りをキョロキョロと見回しながら、にじり寄った。

「駄目よ……言っては駄目、使っても駄目。絶対に絶対に駄目。あんたは魔力なんて何も持ってないの。空っぽの、すっからかんの、ただの神官よ。いいわね?」


 私の顔が余程恐ろしかったのか、レオは真剣な顔でこくこくと頷く。口から手を離すと、そのまま小さな肩に置き、厳しい声で念を押した。


「このことは二人だけの秘密。いいわね?」

「……はい」


 レオの真剣な態度に、何となく大丈夫だと感じた途端、身体から一気に力が抜けていく。お行儀悪く足を伸ばして、床にペタンと座り込んだ。


 自分が寝かされていたらしいソファーを改めて見れば、枕やら布団やらが沢山積まれている。


「……あんたが寝かせてくれたの?」

「うん」

「ソファーまで引き上げてくれたの? 重かったでしょう?」

「クソ重かった。服濡れてたけど、着替えさせられないから、とりあえず拭いて布団沢山かけといた。文句あるか?」


 クソ生意気な神官に愛しさが込み上げ、ふふっと笑ってしまう。


「ううん、文句どころかお礼を言わなきゃ。私を助けてくれて……護ってくれてありがとう、神官様」


 レオの白い顔が、真っ赤に染まっていく。ふいと横を向き、小声で「別に……」と呟く姿に、胸を撃ち抜かれる。

 んもう~照れちゃって! 可愛いんだから!

 何かをごにょごにょ言っていたけど、後の言葉はよく聞き取れなかった。



 血の付いたブラウスや、背中に刺さっていた木片(レオが抜いてくれたんだって)は、証拠隠滅の為全て丁寧に燃やし……

 二度とレオが魔力を使うことがない様に、怪我や病気に充分気を付けながら、平穏な日々は過ぎて行った。




 ◇◇◇


 八年後────



 鳥のさえずり、陽の温もり……

 ああ、朝。今日も無事に、朝を迎えられたのね。


 顔に触れているくすぐったいのは、きっとあの子のサラサラの銀髪。

 身体に絡み付いているのは、間違いなくあの子の長い手足。

 ゆっくり瞼を開ければ、長い睫毛に縁取られたオパール色の瞳が、自分を見つめていた。

 天使もどきの艶やかな唇が、微笑みを湛えながら優しく開く。


「……おはよう、フィオナ」

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