第2話 生意気な少年神官


 老けてる……


 またしても頭がフリーズする私に、天使もどきは淡々と続ける。


「お前、歳誤魔化してんじゃないのか? 16になんか見えないぞ」


 そこで漸く何かがプツリと切れた私は、細い目をくわっと開き叫んだ。


「見えなくたってデカくたって、16なんだから仕方ないでしょう!? ほら、言ったんだから、あんたもさっさと歳を答えなさいよ!」

「9歳」


 ……9歳?

 いや、ちょっと待って。確か神官になる条件も……


「10歳からよね?」

「“ガイトウシャ”がいなかったから、特別だって。誕生日まであと一ヶ月だし。文句あるか?」


 該当者がいなかった……

 そう、確か神官になる条件は、聖女よりも厳しくて。

 10歳以上の健康な男性であることと、オパール色の瞳を持っていること。ちなみにこの瞳は男性に多いから、探すのは女性よりも全然難しくない。

 じゃあ何で厳しいのって? それは……その……


 小さい身体をチラチラ眺めていると、またクソ生……おっと。生意気な声が飛んで来た。


「おい、腹減った。何か作れ」


 ……はい?


「何で私が」

「お前、俺の召し使いだろ?」


 ……はい?


「私、聖女なんだけど」

「聖女は神官の召し使いだろ? こき使い放題だって言われたから来てやったんだ」


 ふっ、ふふふふふ……

 突然笑い始めた私を、天使もどきは不気味そうに見上げている。……よし、お灸を据えてやるわ。


「あのねえ、逆よ、ぎゃーく。神官が聖女様の召し使いなの。考えてごらんなさいよ。聖女は女神の化身なのに、神官ごときのパシリになる訳ないでしょうが」


 今度は天使もどきが目を見開き、必死に反論する。


「うっ……嘘だ! 父ちゃんにそう言われたのに……!」

「可哀想に……あんた騙されたのよ」

「そんな……」


 がっくり肩を落とす姿が、子供らしくて可愛い。

 あら、意外と素直かも?

 というか、もしかしたらこの調子だと……


「ねえ、あんた、神官になる条件をちゃんと理解して此処へ来たの?」


 天使もどきは、んっと偉そうな態度で、一通の書類を突き出す。


「聖女に渡せって言われた」

「聖女“様”ね」


 小さな手から受け取ったそれは、ざっくり言うと、神官の身上書の様な物だった。出身地、家族構成、身分、魔力の有無、それに……赤ちゃんの頃珍しい熱病を患い、その……男性の機能が一切失われてしまったということも、医師の診断書付きで記入されている。


 そう、純潔の聖女と同居するのだから、神官に男性の諸々の機能などあってはならない。この条件のせいで、該当者がなかなかいないのよ。

 遥か昔は、神官にする為に故意に生殖器を傷付けたりもしたそうだけど、さすがに今はそんな非人道的なことは行われない。だから選ばれるのは、この子の様に事情のある男性か、よっぽどのお年寄りか。


 この子がどこまで理解しているかは分からないけど……とにかく、きちんと条件をクリアして来たなら良かったわ。

 家族構成を見る限り……失礼だけど、とても裕福とは思えない家庭。平民だし、父親は不安定な上に賃金の安い職業に就いている。おまけに10人兄弟の三男!?

 聖女程ではないけど、神官の生家にも、それなりの支度金が支払われる。まだ10歳にも満たないこの子が此処に送り込まれたのは、きっと経済的な事情があったのでしょうね。


 そういえば……!

 慌てて後ろを振り向くと、いつの間にか入って来た扉は閉められ、女性神官様の姿も消えている。


 良かった……この子の暴言、聞かれなかったわよね。聖女にあんな口の利き方をしたのがもしバレたら、とんでもない罰を受けるかもしれないもの。



 ふと見れば、天使もどきはお腹を擦りながら下を向いている。そういえばこの子、もうすぐ10歳のくせに、何だか痩せているわね。そんな風にしょんぼりされたら、小さい身体が余計に小さく見えるし。可愛い顔も余計に可愛く見えるし。……また抱き締めたくなっちゃうじゃないの!


 はあ……仕方ないわね。


 居住スペースの間取り図を広げて、ある場所を探す。ええと……あった!


「ほら、一緒に来なさい」


 女性神官様から渡された篭を脇に抱え、小さな手を掴むと、引きずるようにして廊下へ出た。




 キッチンへ辿り着くと、篭の中から食料を取り出す。うおお……何この宝石みたいなフルーツ! 何この煌びやかな魚! パンもふわっふわで、上等な小麦の香りが堪らない。貴族の自分でも、滅多にお目にかかれない高級食材ばかり。何でも一日一回、祭壇の上に新鮮な食材を届けてくれるんですって。食材以外にも、何か欲しい物があれば、紙に書いて祭壇に置いといてって。ありがたや~


 ええと、行列で買えないらしい首都の人気店のタルトと、王室御用達のお高級チョコレートと……とにかく甘い物たっくさん! あっ、絶版の本なんかも探して届けてくれるのかな? いつ生贄になって死んじゃうか分からないんだもん。ここはお言葉に甘えて贅沢させてもらっちゃおう。


 ニヤニヤ笑う私が気持ち悪いのか、天使もどきがこっそり離れていく。


「さっ、食事を作りましょうか? 何が食べたい?」

「……いい。自分で作る」

「作れるの?」

「当たり前だろ。赤ん坊じゃあるまいし」


 く~っ、やっぱり可愛くないっ!


 天使もどき……もう面倒だからもどきでいいわ! もどきは手際よく火をおこし、同時進行で人参と玉ねぎを刻んでいく。

 へえ……上手なのね。

 鍋に放り込むと、調味料を両手に首を傾げている。


「どうしたの?」

「これは何だ?」

「塩ね。こっちは砂糖。……って、瓶に書いてあるじゃない」

「文字読めないから」


 ……え?


「家は一番上の兄ちゃんしか文字読めない。他はみんな学校行ってないから」


 そんなことってあるの? もうすぐ10歳なのに、こんな簡単な字も読めないなんて。家も財政難だの何だのってピーピー騒いでたけど、そんなレベルじゃない。生きていくのに必要最低限の教育を、この子は受けられなかったんだ。


 これはどうやら……シッターに加えて、家庭教師もしなくてはならないみたいね。お祈りだけしていればいいと思っていたけど、なかなか忙しくなりそうだわ。

 ああ、こんなことなら、もっと支度金を弾んでもらえば良かった! それをこの子の家に送れたら、もっと良かった!


 とりあえず、子供用の語学の本も配達してもらわなきゃ。あっ、算術もかしら……と、火山頭をわしゃわしゃ掻いている内に、あっという間にスープらしきものが出来上がっていた。

 当たり前の様に皿を二枚用意し、さっさとよそってテーブルに置くもどき。


「もしかして……私にもくれるの?」

「いらないならいいけど」

「いるに決まっているじゃない! こんな美味しそうなスープ! てかあんた、9歳のくせにすごいのね。私が同じ位の時は、まだ一人でこんなに出来なかったわ」

「……別に。母ちゃんも忙しかったから、兄弟で交代で作ってた。お前はどうせお貴族様なんだろ?」

「あら、なんで分かるの?」

「なんとなく。“俺らとは毛並みが違う”って、よく父ちゃんが言ってた」


 へえ……毛並みねえ。もじゃもじゃの赤毛を引っ張り、もどきのサラサラ銀髪と見比べる。


「黙っていれば、あんたの方がよっぽどお貴族様に見えそうだけど。品のある可愛い顔してるし」

「可愛い……?」

「うん。最っ高に可愛い!」


 するともどきが、私の赤毛に負けない位、顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「ふっ……ふざけるな! 俺は男だ! 可愛いとか言うな!」

「ああ、ごめんなさい。可愛いんじゃなくてカッコいいわ。カッ・コ・い・い」


 もどきは、ふん!と鼻息を荒くしながら、わしっとスプーンを掴む。

 何よ、褒めたのに。子供って面倒臭いのね。


 口に広がるスープは、チャッチャと作ったとは思えない程、優しくて繊細な味がした。美味しい……でもスープだけじゃ足りなそうね、とパンとフルーツをもどきへ差し出す。ぱあっと目を輝かせながら手に取り、ガツガツ食べる姿が微笑ましい。よっぽどお腹が空いていたのね。

 だけど……何故かどれも中途半端に皿に残し、手を止めてしまった。


「どうしたの? もう食べないの?」


 もどきは辺りを見回すと、あっと言いながら再びスプーンを手に取り、全てを平らげた。

 何かしら。変なの。


「ご馳走さまでした! すごく美味しかったわ。お礼に、夜は私が作るわね」

「聖女が作っていいのか? それにお貴族様だろ?」

「聖女が作りたいって言っているんだからいいのよ。私は料理が趣味のお貴族様だから、心配しないで」


 そう……私は料理やお菓子作りが大好きだ。それだけじゃなく、刺繍とか、お花を生けたりとか、女の子らしいことは全般的に好き。だけど……ほら、この見た目に合わないでしょう。ミナリーと二人で布に針を刺していると、ジェフに「お前は剣の特訓だ!」なんて言われて、木の棒を渡されたりもしたっけ。

 その内何となく恥ずかしくなって、女の子らしいアレコレが趣味とは、人に言えなくなってしまった。


 でも此処には私ともどきしか居ないもん。似合わなくたって何だって、好きなだけ好きなことをしてやろうっと。あっ、そうなれば、お菓子作りや刺繍の道具も配達してもらわなきゃ。……さすがに祭壇から溢れそうだから、小分けに注文しよう。




 その夜、私の作った料理を見て、もどきは「すげえ!」と興奮する。魚にクリームソースをかけた物、チキンと野菜の彩りサラダ、予め仕込んでおいた、フルーツのコンポートも。


「こんなの食ったことない!」と言いながら、昼より凄まじい勢いで、ガツガツと掻き込むもどき。ふふっ、こんなに美味しそうに食べてくれるなら、お貴族様も作り甲斐があるってもんよ。

 だけどまた……中途半端に皿に残したまま、もどきの手が止まる。


「ねえ、昼も思ったけど、どうして少し残すの?」


 さすがに気になって尋ねてみると、もどきは皿を見ながらポツリと呟いた。


「弟達に分けてたから」


 ……そうか。そうだったのか……

 この子はこうして、自分が食べたいのを我慢して、いつも下の子達にあげていたんだ。

 温かいものやら苦しいものやらで、胸が一杯になる。


「……此処にはあんたより小さい子は居ないから。好きなだけ食べなさい」


 もどきは素直に頷くと、全てを綺麗に平らげた。そして空になった皿を見ながら、また呟いた。


「俺が一人居なくなったから、あいつらの食べる分が増えてるかな。増えてたらいいんだけど」


 ……自分の為に此処へ来た私と違い、この子はきっと家族の為に此処へ来た。まだ小さいのに、親兄弟と離れて一人きりで。

 たかが失恋ごときで……自分が恥ずかしい。自分よりも、この子の方がずっと立派で、そして優しい。


「さっきは、“騙されたのよ”なんて言って、ごめんね」


 何のことだ? という風に首を傾げる仕草があどけなく、涙が出そうになった。

 鼻をずずっと吸って誤魔化すと、改めてもどきに向かい合う。


「ねえ、あんたのこと、レオって呼んでいい? 名前、レオナルドでしょ?」

「いいよ。みんなそう呼んでたし」

「素敵な名前ね。偉そうだし、あんたにピッタリよ」

「名前ぐらいは王様みたいにって、父ちゃんが付けてくれたんだ。お前の名前は?」

「私は……」


 私は自分の名前が好きじゃない。いや、名前自体はとても素敵なんだけど……可愛すぎて自分には合わないの。それに今はまだ……


「私のことは、聖女様と呼びなさい」

「ええ~めんどくせえな」

「その乱暴な口の利き方が直って、字も読める様になって……立派な神官様になったら、名前を教えてあげる」


 もし名前を教えて、誰かの前で呼び捨てなんかにしたら大変な目に合うわ。この子の……レオの為にも、きちんと教養を身に付けさせてからにしないと。


 この小さくて生意気な神官を護るのが、私の使命なのかもしれない。本当は聖女が護られる側なんだけど……まあいいか。場所は変われど、きっと騎士ナイトになるべくしてなる人生なんだわ!


「これからよろしくね、レオ」


 本当に女の子? とよく二度見される大きな手を差し出せば、おずおずと伸びた小さな手が、キュッと優しく握ってくれた。





 ◇


 夜に見ると一層不気味ね……


 枕元に浮かぶ女神像を見上げて思う。

 木製のパーテーションで仕切られている二人の寝室は、他の部屋と同様カントリー調で温かみがあるのだが……

 何故か枕元の壁に、リアルな女神像が掛けられており、仰向けに寝れば、目が合う仕様になっている。


 そういえば……

『寝ている間に魂が女神様から離れない様に、女神様と目を合わせてお休み下さい』

 って説明されたな。それがこれか。

 レオの方にも神官像らしきものがあるみたいだけど、怖くないのかしら。

 静かなパーテーションをチラリと見る。


 まあ、その内慣れるでしょう!

 …………ほら、もう眠たくなってきた。何処でも眠れる便利な体質に感謝! ではでは皆さん、おやすみなさい……



 ……ひっ……くすん……ひっ……ぐす……



 泣き声……? 夢の国に入りかけてた意識が引き戻される。

 身体を起こし、パーテーションの向こうを覗けば、部屋の隅でレオが縮こまり震えていた。

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