もどきのきもち ~出逢いと約束~


 偉そうな女達に通されたのは、うちの家が何軒も入りそうな、広い部屋だった。

 ソファーにもカーテンにも穴が空いていないし、繕った跡もない。立派な暖炉には薪が用意されているし、どこもかしこも清潔で良い木の匂いがする。


 父ちゃんが言っていた通りだ……こんな豪邸に住んで、祈るだけで家族を助けられるなんて。


 ふと見上げた壁には、白い服を着た女の絵が飾ってある。……これが女神か?

 そういえば、俺の召し使いの聖女とやらはどんなヤツだろう。変な女じゃないといいけど。



 ……デカっ!!


 俺の前にそびえ立ったのは、炎みたいな赤い髪の巨人だった。両手を広げて、不気味な笑みを浮かべながらこちらへ向かってくる。……今にも食われそうだ。

 この部屋に来たってことは、この女が聖女なんだろうけど。不審者の可能性もあるし、一応確認しとくか。


「なんだ、デカいババアだな。お前、本当に聖女か?」


 ……聖女で間違いないらしい。

 どうしよう。変な女だった。


 歳を訊いて、更に耳を疑った。

 16歳? 嘘だろ? うちの姉ちゃんと同い年?


「……老けてるな」


 女は細い目を見開いて、聖女は召し使いじゃない、逆だと火山みたいに怒った。

 嘘だろ……俺がこの生意気な女の召し使いなんて。



 でもまあ、俺のスープも美味いと言って食べていたし、夜は凄いご馳走を作ってくれた。噴火さえしなければ、案外悪いヤツじゃないかもしれない。

(ニタニタ笑うと気持ち悪いけど)


 だけど名前は教えてくれなかった。きっと、よっぽど変な名前なんだろう。ウン◯リーヌとか。





 一人で寝るのなんて初めてだ。生まれた時から、家にはいつも誰かが居て、狭い部屋でギュウギュウに寝ていたから。


 枕元には変な顔だけの像があって、横になった自分を見下ろしている。目がギラリと光った気がして、ひっと叫びそうになるも、静かなパーテーションを見て必死で堪える。

 聖女に舐められてたまるか。目を逸らして……布団を被っちまえばこんなもん……

 そう思えば思う程、恐怖に身体が強ばり動けなくなる。


 ううっ……いま、今、目が動いた!

 絶対に動いた!


 全身の神経に動けと命じ、何とか跳ね起きると、部屋の隅に丸まった。

 母ちゃんに叱られた時も、兄弟と喧嘩した時も、狭い家の中では此処が避難場所だった。こうしているといつも誰かが頭を撫でてくれたけど……今はもう、誰も居ない。

 一人ぼっちだ。


 男なのに……もうすぐ10歳になるのに……涙が止まらない。


「……どうしたの?」


 顔を上げると、聖女が立っていた。

 まだ起きてたのか! どうしよう……泣いてたなんてバレたら、舐められてパシリにされる!


「目がっ……痒いっ……! 痒くって……眠っれない!」


 こうやって、ごしごし擦り続けていればバレないだろう。

 ……ところが聖女は意外にも、女神像が怖いから一緒に寝て欲しいなどと言い出した。

 怖いものなんて何もなさそうなのに……コイツも一応女なんだな。


「……仕方っねえな。寝てっ……やる」


 どうやら、男の面目は保てた様だ。



 家族以外と一緒に寝たことなんてない。だけど……炎みたいな髪の毛は、思ったよりもいい匂いがするし、ふわふわで温かい。

 ホッとしたのも束の間、こっちのベッドでも変な顔に見下ろされていることに気付き、恐怖が込み上げる。思わずデカい手を握ってしまい、苦し紛れの声を絞り出した。


「手っ……繋いでやる」

「ありがとう。レオが居てくれて本当に良かった。一人だったら眠れなかったもん」


 礼を言われた……


「明日もっ、一緒にっ……寝てやるよ」

「本当!? 嬉しいわ」

「ずっとっ、一緒にっ……寝てやる」

「本当!? ありがとう」


 よしっ、これなら優位に立てるぞ!

 おまけに、怖いから俺の顔を見ていてもいいかなんて言い出した。ふん……いい歳して、本当に怖いんだな。


「いいよ。俺もお前の顔、見ててやる」


 ありがたく思えよ。


 しばらくすると、トントンと背中を叩かれていることに気付く。

 俺は赤ん坊じゃない!

 そう言いたいのに、規則正しいリズムが心地好くて……いつの間にか夢の国へ落ちていった。





 聖女はなかなか面白い女で、退屈しなかった。

 神殿ここに来るまでは、家の仕事や兄弟の世話で、慌ただしく過ぎていた日々。そんな自分が経験したことのない、色々なことを教えてくれた。


 文字を知ると本を読める。本を読めると知識が広がる。新しいドアが次々と開いていく感覚が楽しかった。

 勉強以外にも、向かい合って真剣にゲームをしたり、庭で思い切り身体を動かしたり、砂糖や果物をたっぷり使った贅沢な菓子を作ったり。


 楽しかったけど、聖女は俺よりもっと楽しそうだった。初めてでもないくせに、何にでも目を輝かせ、全力で取り組み、よく笑う。

 窮屈で閉鎖的な空間の筈なのに、神殿ここはどこよりも自由に感じた。





 ────あれは、10歳の誕生日のこと。


 ポツポツ降り出した雨に慌ててキッチンを覗くも、聖女はオーブンと真剣に睨み合っている。自分がやるしかないと庭へ飛んで行き、近くの花台を高い物干し竿の下へ置いた瞬間、ザアッと本降りになった。急いでその上に足を乗せる。


 もう少しで……届きそうだ……

 指先に洗濯物が触れた時、雷鳴が轟いた。


「レオ!」


 叫び声と共に、バキリと鈍い音がして、バランスを崩す。痛みを覚悟したが、そのまま、何か柔らかいものに受け止められた。



 ……頭を撫でているのは、聖女のデカい手だ。


 ぴょんと飛び降りると、怪我はないかと尋ねられる。寝たままペラペラ喋り続ける姿に違和感を覚え、腕を引っ張ってみるも、全然動かない。

 ふうっと横を向いたデカい背中には……木の破片が刺さり、ブラウスに血が滲んでいた。


「お前っ……血……背中……血……!」

「……ち?」

「背中に、木が刺さってる!!」


 地面を見ると、さっきまで花台だった物が木の破片となり、雨に激しく打ち付けられていた。


 どうしよう……どうしよう……


 考えている間にも、草の上をノロノロと這い出す聖女。咄嗟に前へ回り込み、力を振り絞り、重い腕を引っ張った。


 何とか部屋に入ることに成功し、鐘を鳴らそうとしたが、聖女に絶対に駄目だと止められた。


 そんなこと言ったって……このままじゃ!

 どうしよう……どうしたら…………


 つむじから爪先までを急激に何かが突き抜け、全身がカッと熱くなる。手を見ると、今までとは比べものにならない、目映いオパール色の光が浮かんでいた。

 出来る……かもしれない。直感でそう思う。


 聖女の腰に座ると、渾身の力で破片を引き抜き、血の溢れる傷口へ手をかざした。



 ……その後のことはよく覚えていないけど。

 確か、破れたブラウスの隙間から傷口が塞がっていることを確認すると、家中のタオルを引っ張り出して、火山頭や巨大な身体を服ごと拭いた。風呂上がりの弟や妹を拭くのには慣れているが、こんなデカいのは初めてだ。最近読んだばかりの、小人が巨人を縄で縛る物語を思い出し、ちょっとだけおかしくなる。


 ベッドまで連れて行くのは無理だ……

 近くのソファーへ何とか引き上げると、枕と布団を寝室からありったけ運び、聖女の上へドサリと乗せた。


 安心すると同時に、ぶるっと寒気に襲われる。慌てて自分も着替えると、床に寝っ転がり毛布にくるまった。




 ……くすぐったいな。

 リチャードか? それともヴィクトリアか?


 徐々に意識が覚醒し、自分のおでこや身体に触れるのが、弟でも妹でもないデカい手だということに気付く。


 起き上がり、ふと顔を上げれば、自分を覗き込む細いオパール色の目にパチッとぶつかる。

 なんだ、やっぱりこいつか。…………ん?


「お前……! 生きてるか!? 痛くないか!?」

「……生きてるわ。痛くもないわ。何でか分からないけど。あんたは? 喉が痛いとか、寒気がするとかない?」

「ない! 何もないっ!」

「そう、良かった。自分で拭いて着替えたの? 偉かったわね」


 また赤ん坊扱いしやがって! 俺がお前の世話をしてやったんだぞ! 人の気も知らないで……

 頭をわしわし撫でる手を、パシッと叩き落とした。


「……るさい。赤ん坊じゃないんだから、当然だろ!」

「そうね、もう10歳だもんね…………ごめんレオ!」


 誕生日やら、ケーキがどうのこうの言う聖女の声はよく聞こえない。何故か勝手に涙が溢れて、ひっくひっくと止まらないからだ。


 本当に……本当に人の気も知らないで。



「レオ! 私、どうして傷が治っているの? あんた、何か知ってる?」

「……治癒魔法。治癒魔法、使った」

「魔力……無いって、嘘を吐いていたの?」

「違う! 擦り傷を治すとか、ちょっとは使えたけど……こんなには使えなかった! ちょっとなら使えないのも同じだから、黙っとけって父ちゃんが」


 咄嗟に口を塞がれる。辺りをキョロキョロと見回しながら、にじり寄る聖女。


「駄目よ……言っては駄目、使っても駄目。絶対に絶対に駄目。あんたは魔力なんて何も持ってないの。空っぽの、すっからかんの、ただの神官よ。いいわね?」


 鬼気迫る青い顔に、普段は細いオパール色がくわっと見開き鋭い眼光を放っている。ちょうど昨日読んだ本の、小人を脅す魔女の挿し絵にそっくりだ。小人は結局、魔女との約束を破り、秘密を漏らした為に……

 ゾゾッと駆け上った悪寒に、恐ろしさのあまり、こくこくと頷く。聖女はやっと俺の口から手を離すと、それを肩に置き、厳しい口調で念を押した。


「このことは二人だけの秘密。いいわね?」

「……はい」


 魔力を持っていることは絶対に秘密にしなければならない。……約束を破れば、大切なものが壊れてしまう。そう思った。



 聖女は長くてデカい足を伸ばすと、床にペタンと座り込んだ。

 いつも俺に行儀悪いって叱るくせに、自分はいいのかよ。

 文句を言おうとしたが、先に問われる。


「……あんたが寝かせてくれたの?」


 聖女の目線の先には、布団が山盛りのソファー。

 今頃気付いたか。当たり前だろ? 神殿ここに、他に誰が居るんだ。


「うん」

「ソファーまで引き上げてくれたの? 重かったでしょう?」

「クソ重かった。服濡れてたけど、着替えさせられないから、とりあえず拭いて布団沢山かけといた。文句あるか?」


 もし、自分の身体が聖女よりもデカかったら。

 あんな風に濡れた草の上を引きずらず、ひょいと抱き上げて部屋に入れただろうか。あんな風に濡れた服の上から拭くんじゃなくて、ちゃんと着替えさせてやれただろうか。……そもそもあんな風に花台になんか乗らなかったし、乗らなければ危険な目に遭わせることもなかっただろう。

 そう考えたら何だか、この頼りない身体が無性に悔しくなった。


「ううん、文句どころかお礼を言わなきゃ。私を助けてくれて……護ってくれてありがとう、神官様」


 ふふっと笑う聖女は、絵の女神よりもずっと輝いて見えて。カッと熱くなった顔を気付かれたくなくて、横を向き「別に」とだけ答えた。


 助けてなんかいない。護ってなんかいない。

 むしろ……


「……助けてくれて、ありがとう」


 せっかく礼を言ってやったのに聞こえなかったのか?

 聖女は何も言わず、ニタニタと気味の悪い笑顔で自分を眺めている。

 さっきのあれは……キラキラして、つい綺麗だなんて思ってしまったのは……やっぱり目の錯覚だったのかも。





 事件があったその日以来、互いに怪我や病気に気を付けながら、平穏な毎日を過ごしていた。


 寝ている時、たまに聖女の背中をつんとつついてみるも、特に痛がる様子もなくホッとする。


 治せてよかった……




 ある朝、シーツと枕カバーを洗濯しようと、一人で寝室に入った。

 パーテーションを挟み、それぞれのベッドを見下ろす二体の像。夜は怖いが、こんなに明るい太陽の中なら平気だ……と自分に言い聞かせながら、二人で使っている女神像のベッドのシーツだけを剥がしていく。

 像を見ないように、さっさと…………よし。任務完了。


 シーツと枕カバーを腕に抱え、部屋を出ようとした時だった。


「おーい」


 何処かから、まったりとしたおっさんの声が聞こえる。

 ……気のせいか?


「おーい、そこの子供。こっちだよ、こっち。こっわくないからみってごらん♪」


 ……気のせいじゃない。

 恐る恐る声の方を向けば、神官像の目がカラフルに光っていた。

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