もどきのきもち ~成長と変化~


 なんだアレ……


 ピンク、黄色、青と、忙しなく色を変え、よく見れば、それは星やハートの形をしている。


 思わず手から、シーツとカバーを落としてしまった。


「ぐふふっ、やっぱり聞こえた! 坊やなら儂の声が聞こえる気がしたのよ。嬉しいなあ、嬉しいなあ、人間と会話出来るなんて……ぐふっ」


「あんた……誰?」

「よくぞ聞いてくれました! 泣く子も黙る! その名も……パ・モ・ラ・ウ・ス」

「ぱもらうす……なんか聞いたことあるな」

「えーっ、えーっ、まさか坊や、儂のこと知らんの? いっちばん偉い神様なのに……ショックう」

「ああ、そういえば神話で勉強した……けど、お前が?」

「そうだよ~正真正銘の最高神パモラウスだよ! すっごく偉いんだけど、坊やは特別にパモちゃんって呼んでいいからね。儂ら波長が合うみたいだし、親友ならぬ神友になれそうっ!」



 ……怪しい。怪しすぎるだろ。


 俺は窓をそっと覗き、外に人が居ないことを確認した。誰かが外から喋っている訳ではなさそうだ。

 次に神官像の元へ行き、指を二本立て、カラフルに光り続ける目に突っ込んでみる。


「ぎゃっ、痛いよお! 乱暴はやめてっ」


 両目から涙の様な水が流れ、ギョッと後ずさる。

 すると水はカラフルな花吹雪に変わり、ひらひらとベッドの上に落ちた。


「冗談だよん。痛くないから安心してねっ。どう? 儂の手品。いつもより余計に降らせておりまーす」


 ひらひらひらひら、更に華やかに彩られていくベッド。

 ……誰が片付けるんだコレ。


「……俺に何の用だ?」

「そんなに警戒しないでよ。ただ人間と話したいだけなんだからさっ。神様の世界はもう退屈で退屈で。儂があまりにも偉いもんだから、みんなどっか遠慮しちゃってつまらないの」



『レオも大きくなっちゃって。最近あんまし構ってくれないから、父ちゃんつまらないの』


 なんか……うちの父ちゃんとノリが似てるな。

 これのどこが偉いんだ? 本当に最高神か?


 とりあえず聖女に報告を……と足をドアに向けるも、思い止まる。今日は月一恒例の聖なる日。早朝から神殿で一人、特別な祈りを捧げている最中だからだ。


「あっ、聖女ちゃんには内緒にしてね。内緒にしてくれたら、坊やにとっていいコトを教えてあげられるかもよ」

「いいコト……?」

「おう! 神様しか知らない、世界のアレコレとか」

「……別に。そんな興味ないけど」

「ええっ! 神官なのに!?」

「好きでなった訳じゃないし。……家族を助けられればいいかなって」

「そうそう! それ! 儂とお喋りしたら、家族の元へ帰れるタイミングなんかも教えてあげられちゃうかもしれないよん」

「家族の元へ……帰れるのか?」

「うん! 意外と早くね」


 家に帰れる。嬉しい筈なのに、何故か浮かぶのは聖女の顔だった。


「いつ帰れるんだ?」

「それはねえ……まだ教えてあーげないっ。もう少し大人になったらねん」


 もう少しっていつだろう。とりあえず……


「当分は帰れないってことか?」

「坊や、なかなか賢いのう! そう、神様にしたらほんの一瞬だけど、人間したら結構長い時間なのかな。一年……二年……三年……ぐふふ。儂とお喋りしたり一緒に遊んでくれたら、いつか教えてあげるよん」


 待つのはいいけど、喋ったり遊ばないといけないのか……この変なおっさんと。そもそも本当に最高神なのか?


「……おい、最高神は何でも知ってるのか?」

「知ってるよん。何でも訊いてごらん」

「じゃあ、俺の背は大人になったら伸びる?」

「うーん、遺伝的に難しいかも。坊やの両親は小さいでしょ? そのまた両親も。お兄ちゃん二人とお姉ちゃんも小さいんじゃない?」


 確かにうちは、みんな小柄だ。両親や兄ちゃん達だけじゃなく、ずっと前に死んだじいちゃんとばあちゃんのことまで。コイツは本当に……


「最高神なら、俺の背も伸ばせるのか?」

「もちろん! でもそういうのって、ズルみたいで神様としてはあまり気が進まないんだよね。一応自然の摂理ってものがあるじゃない?」

「……ふん。やっぱ出来ねえんじゃん。どうせ偽物だろ」

「ひどいっ! よおしっ、見ててよっ!」


 次の瞬間、細い足だけが急にぐいんと伸びて、天井にゴンと頭をぶつけた。


「……いってえ!」

「どう? どう? 儂、スゴい!?」

「こんなん……! 俺は背を伸ばせって言ったんだ! 足だけ伸ばせなんて言ってない! 元に戻せ!」

「えーっ、もう! ワガママだなあ。じゃあ最高神って信じてくれる?」

「信じるから……信じるから元に戻せ!」

「おっけー」


 しゅるしゅると足が縮み、もとの長さに戻るとホッとした。


「ほらね、自然の摂理に逆らうと、何事も今みたいにアンバランスになっちゃうんだよん」

「……少しずつなら? 少しずつなら、足だけじゃなくて、ちゃんと背を伸ばせるか?」

「そうね。そんじょそこらの神様には難しいけど、最高神の儂なら出来ちゃう!」

「……よし。じゃあ俺、お前と毎日喋って、遊んでやるよ。その代わり、毎日少しずつ俺の背を伸ばせ」

「うーん、自然の摂理が……まあいっか。儂と毎日一回ゲームして、もし坊やが勝ったら背を伸ばしてあげちゃう」

「いいよ。最高神だからって、ズルはナシだぜ」

「おっけー! 楽しみっ。でも坊や、何でそんなに大きくなりたいの?」


 何でだろう……自分でもよく分からないけど……とにかく……


「悔しいから。聖女より小さいのが悔しいから」

「聖女ちゃんより?」

「うん、女に護られるのなんて、もう絶対にイヤだ」

「何それっ! 儂、キュンとしちゃう! でも……」


 カタンと物音がして、振り向けば聖女が立っていた。


「レオ、さっきから何一人でペラペラ喋っているの?」


 ハッと神官像を見れば、目の光は消えている。


「やだあ! 何この花びら、すっごく綺麗! レオが集めたの?」

「……うん」

「ねえ、コレ、ベッドじゃなくてお風呂に入れてもいい? きっといい香りよ」

「……うん」

「ありがとう! さっ、一緒にお洗濯しちゃいましょ。きっと今日は、よく乾くわ」


 床に置きっぱなしだったシーツとカバーを拾い、部屋を出ていく聖女。慌ててその後に続き、チラッと振り返れば、神官像がパチリとウインクをしていた。





 次の日から、俺は神官像のベッドに、チェスやカードゲームを持ち込んだ。


「何で坊や、子供のくせにそんなに強いの! ねえねえ、ハンデちょうだい! “神の眼”使っていい?」

「神様がズルしていいのかよ。自然の摂理とやらに反するんだろ? ……チェックメイト。ほら、背え伸ばせ」

「くーっ、悔しい! 明日は絶対に負けないぞっ!」


 昨日と今日じゃ分からないけど、一週間、一ヶ月、一年と経つ内に、確実に俺の背は伸びていった。このペースでいけば、かなりの高身長になるだろう。

 背が伸びるにつれ、あんなにデカかった聖女が、少しずつ小さくなっていくのが不思議だった。




 13歳になって高い声が低く変わった頃、何故か聖女と触れるのがくすぐったくなって。


「もう大きいし、神官像も怖くないでしょ? ベッドも狭くなってきたし、別々に寝ましょうよ」


 何度もそう言われたけど、まだ夜は怖いと嘘を吐いては、女神像のベッドに潜った。どうしても……温かいこの場所から離れたくなくて。

 出来るだけくっつかないように、落ちそうな程端っこで、背中を向けて寝る夜が続いた。でも朝になれば結局くっついていて、くすぐったくて、聖女に気付かれる前に慌てて離れた。


 一番くすぐったいのが、聖女に髪を切ってもらう時。髪を掬う手が顔や項に触れたり、細い目で額を覗き込まれたりするその度に、顔が熱くなる。前は全然平気だったのに……

 そんな自分に気付かれたくなくて、こう言った。


「面倒臭いからほっとけ」


 耐えきれなくなった俺は、髪を伸ばす決意をした。




 そして14歳で、やっと聖女の背に並んだ。これでもう見下ろされることはないと、細い目を真っ直ぐに見つめる。聖女は悔しがりながらも、「もう貴方も立派な神官様になったからいいわね」と、名前を教えてくれた。


『フィオナ』


 ……なんだ。いい名前じゃないか。

 笑わないでよなんて何度も念を押すものだから、どんな変な名前かと期待したのに。


「全然おかしくないじゃん。可愛い」


 そう言うと、聖女……フィオナの顔がボンと赤くなった。

 面白いな。髪の色と同じだ。

 もじゃもじゃの赤毛を指で弄べば、もっと赤くなる。何となく大人に近付いた気がして……彼女に認めてもらえた気がして、俺は嬉しかった。




 居住スペースの大掃除をしていた15歳のある日、座り込んで何かをじっと見つめるフィオナに気付いた。


「何してるんだ?」

「ああ、レオ。ちょっとね、昔の写真を見ていたの」


 隣に座った俺に見せてくれたのは、自分より少し若い……12~3歳位の子供が、三人で並ぶ写真だった。

 目の垂れたニタッとした男と、金髪の小さな女、そして……頭一つ、いや二つ分飛び出したデカい子供に、ふっと笑みがこぼれる。


 細い目、リボンを着けたもじゃもじゃの火山頭。でも、その表情はどことなく寂しげだった。


「ほんとはね、ジェフの隣で撮りたかったんだけど。写真屋さんが、いつもミナリーを真ん中にしちゃうの。こんなに可愛いんだから、仕方ないって分かってるんだけど……この日は私も折角お洒落したから、ちょっとだけ悲しくて。せめてもう少し背が低ければ、真ん中で撮れたかなって。色々考えてたら、上手く笑えなくなっちゃった」


「……なんで?」

「え?」

「お前の方が可愛いのに」

「えっ?」

「デカくて、もじゃもじゃして、一番可愛いだろ。俺ならお前を真ん中にする」

「……もうっ! 何それ! からかってるでしょ」


 鼻息を荒くしながらも、フィオナの赤い顔はどことなく嬉しそうで。ほら、やっぱり可愛いじゃん。


「それよりさ、ジェフってコイツ?」

「そうよ。幼なじみでね。……ずっと好きだったの。でも、ジェフは私の従妹のミナリーが好きで。二人は婚約しちゃった」


 他に誰も居ないのに、小声になるフィオナ。細い目は潤み、頬はほんのり赤く染まる。今までに見たことのない切なげな表情かおに、ドクリと心臓が跳ねた。

 と同時に、フィオナにそんな表情かおをさせるこのジェフとやらに、猛烈な怒りが沸いた。


「……変な顔」

「え?」

「このジェフってヤツ。ニタニタして変な顔。お前、趣味悪」

「こらっ! 何てこと言うの! この笑顔が素敵だったんだから」


 ジェフを庇う言葉にますます苛つく。俺はフィオナの頬を両手で掴むと、ずいと顔を近付けた。


「……俺より? 俺の顔よりも、このニタニタの方が“素敵”?」


 驚いたのか、細い目を丸くするフィオナ。微妙な笑みの中で、薄い唇が微かに開いた。


「レオも、素敵よ。すごく」


 ……さっきの切ない表情かおとは全然違う。

 俺は苛立ちのままに、フィオナの頬をむにっとつねり顔を離す。そして写真のニタニタ顔を、指でピンと乱暴に弾き、言い捨てた。


「俺、コイツ嫌い。大嫌い」


 大股で部屋を後にした。



 何であんな男が好きだったのか。……どうして自分よりもあんな男が“素敵”なのか。

 ずっともやもやした気持ちは消えなかった。


 月一恒例の聖なる日。フィオナの留守を見計らって、俺は彼女の本棚を開いた。

 ……あった、これだ。

 紫色の背表紙をくいと引っ張る。

 これを読んでいた時のフィオナの表情かおは、何処となく切なくて、ジェフの話をしていた時と似ていたから。これを読めば、“素敵”の答えが分かる気がした。


 ……別に、いいよな?

 知識を得る為に、本は何でも読めって言われたし。ええと……


『冷徹皇太子と腹黒騎士に溺愛されて』


 後ろめたさを感じつつも、パラッと捲った目次にギョッとする。


 1 初めてを奪われて

 2 笑顔の裏には野獣が潜む

 3 夜会の情事

 4 お前は俺のもの

 5 夜と朝の境界線

 6 嫉妬の檻

 7 どっちか選べよ

 8 どっちも選べない


 ……なんだこりゃ。とりあえず1から読むか。



 フィオナが神殿から戻る迄に、5まで読んだ。

 顔を合わす前に手洗いへ走り、鍵をかけて座り込む。……あの本に描かれていたのは、想像したことのない男女の刺激的な世界。顔が沸騰し、鼓動はバクバクと胸を突き破りそうだった。だけど……

 自分の身体を確認するが、どんなに興奮しても、冷徹皇太子や腹黒騎士のようにはならない。

 だから神殿ここに……聖女の傍に居られるのだと、よく理解した。


 ぽっと手に浮かぶ、目映いオパール色の光。

 ……きっと治せるだろう。治したら、ジェフやあの本を開く時のような切ない表情かおで、俺を見てくれるかもしれない。手をかざしかけるも、いつかのフィオナの声が響く。


『駄目よ……言っては駄目、使っても駄目。絶対に絶対に駄目。あんたは魔力なんて何も持ってないの。空っぽの、すっからかんの、ただの神官よ。いいわね?』


 ……治したところで、フィオナの傍に居られなくなったら、元も子もない。

 我に返り、震える手を引っ込めた。




「坊や、最近どうしたの? 元気ないじゃん」

「別に……」

「儂、分かるよ! ズバリ、恋患いだなっ」

「恋患い?」

「おう! 聖女ちゃんのことが、好きで好きでたまらんのよ! ぐふふっ」

「そんなこと……! まあ……いいヤツだし、好きは好きだけど」

「その好きじゃないのっ、男女の好き。ラヴの方だよん。本当は分かってるくせに」

「……分からない。けど、俺にもあの表情かおを向けて欲しいって。そう思う」

「それそれ! それがラヴよ! いいなあ、若いっていいなあ!」

「どうしたらいい? 神官は聖女を好きになったら駄目なんだろ?」

「そうだねえ。聖女ちゃんを好きになってもどうせ……まあまだいいや。それよりも今は、今の気持ちを大事にしてごらん?」

「今の……?」


「うほっ、チェックメイト! やったあ! 儂、初めて坊やに勝ったあ!」


 初めてパモに負けた……


 神官像から降り注ぐ大量の花びらに、チェス盤が埋もれた。



 その夜、ベッドに入ると、いつもは端に寄せる身体を真ん中に置いてみた。

 成長した為、自然と密着してしまう身体。薄い寝巻き越しに肩が触れ、互いにピクリと緊張する。


 俺は、今の気持ちのままに、彼女をギュッと抱き締めてみた。するとそこには……くすぐったさの中に、甘い温もりがあった。幼い頃に感じていたのとは、全く違う幸せがそこに。

 もっと早く、勇気を出して、こうして抱き締めていればよかったな。




 フィオナが神殿ここに来た時と同じ16の歳には、俺はもう、彼女より12㎝も背が高くなっていた。

 腹黒騎士の体型を目標に、庭で筋トレに励んだ甲斐があり、少年から青年の逞しい身体つきに変わってきたと思う。


 フィオナはとにかく耳が弱い。すぐに逃げようとする身体を捕まえて、耳元に唇を寄せれば簡単に大人しくなるから。今夜もこうして、もじゃもじゃの赤毛に顔を埋め、思う存分、甘い香りを楽しむことが出来る。

 赤毛の巨人は今や自分にとって、か弱い赤毛の小人だった。


 だけどもう、彼女に『可愛い』とは言わない。言ったところで冗談だと躱されてしまうし。だから『強烈』という言葉に置き換えてみた。もちろん『好き』だなんて、とても言えやしない。彼女にとっていつまでも、俺は幼い子供のままだったから。




 17歳を迎えてから数日後、俺はパモから、衝撃の事実を告げられた。

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