第29話
王一郎は刀を構え、鬼達と対峙する。
殺気立って王一郎に突進する鬼達の様子に桃太は恐怖を覚えた。しかしそれはあくまでも生理的な恐怖に過ぎなかった。戦いがどう展開しても王一郎が殺されるとは露程も思っておらず、腹をくくって見守ってさえいれば、どちらが倒れ伏すことになるのかは明らかに思えた。
実際王一郎の身のこなしは凄まじかった。鬼が伸ばした鋼の爪を帯びた手を王一郎は容易く掻い潜り、鬼の側面に回ってはあっけなく首を跳ね飛ばした。迸る血潮が地下室の天井を濡らし、付着した血液がぽたぽたと床へと垂れ落ちた。
仲間の一人が絶命したことで鬼達ははっきりと動揺した。それを見て取った王一郎が次なる獲物に狙いを定め飛び掛かる。それをしっかりと迎え撃ったのは流石は戦鬼と言ったところだったが、しかし鬼が殴りかかろうと手を振り上げる頃には、その胴体を王一郎の刃が両断していた。
「雑魚めが」
王一郎は鼻を鳴らして刀を構え直した。残ったのは一つ目の鬼だけだった。その最後の一匹は既に王一郎に恐れを成しており、震えあがりながら一歩ずつ後退りをするだけだった。王一郎は油断なく一歩ずつ距離を詰め、確実に首を跳ねようと間合いを伺っていた。
「待ってください」
鈴鹿の声がした。
「もう決着はつきました。降参です。これ以上同胞を殺さないでください」
「悪鬼にかける情けなどあるものか!」
王一郎は吠え、鈴鹿を睨み付けた。
「討魔師殿! 戦意を失い、両手を挙げた相手を切り飛ばすのが正義か! 」
輝彦が口を挟む。「黙れ黙れ!」と王一郎は首を横に振り。
「そもそもこれは掲げ合う目的を折衝する為の戦いではない! 討魔師による鬼の駆除だ! そこに投了の有無、命乞いの有無など関係がない! 殺す為に殺すのみなのだ!」
王一郎は怯える鬼に向けて刃を突き付ける。
「投了したというのなら首を差し出せ! せめて苦しませずにあの世に送ってやる!」
鬼は怯えてすくみ上るばかりでその場を動けそうにない。無敵のように思えた巨躯の鬼が、戦意を失って恐怖にむせび泣くその様に桃太は戦慄した。王一郎の強さは知っていたが、改めて戦う姿を目の当たりにすると全身が震えるものがある。
王一郎は一瞬にして三匹の鬼を制圧してのけた。本当にこの人は強い、強すぎるのだ。
「……もういいんじゃない? お父さん」
そこで瓜子が口を出した。
「降参したんだったら山に返してあげたら良いでしょ? そりゃ先に殺しに来たのは向こうだけどさ。命を取る意味ってそんなないでしょ?」
そう言われ、王一郎は全身にみなぎっていた鬼よりも鬼のような闘気を微かに緩める。
「しかし娘よ。殺しに来ておいて、叶わぬと見たら『手を引かせてくれ』は、都合が良いというものではないか? それに鬼を一匹でも殺しておくことは、今後村が自由を勝ち取る為に有益なことだ。ここで情けを掛けたばかりに、助けた鬼が村人を殺めるということもあり得る」
「でも」
「娘よ。分かってくれ。これも討魔師の宿命なのだ」
竦み上がる鬼に向けて王一郎は刀を持って一歩を踏み出す。その時だった。
「春雨!」
鈴鹿が叫ぶと突き付けた指先から桜の花びらのような破片を飛ばした。それはまさに魔法としか言いようのない現象であり、桃色の花びらは意思を持ったかのように王一郎に向けて飛び掛かって行く。
「妖術を使うか! 流石は頭領鬼だな!」
王一郎は身を翻すと、鬼の一撃共々それらを回避する。桜の花びらは見えない風に吹かれているかのように、滑らかな動きで王一郎を追尾して向かっていく。
「カミソリの切れ味を持つ花弁の群れ! とくと味わいなさい」
言いながら、鈴鹿は激しい咳をしてその場に蹲った。術を使って消耗したのかもしれない。輝彦がそこに駆け寄って肩を抱き、崩れ落ちそうになる身を支える。『人間病』とやらにかかり明らかに他の鬼よりも背の低い鈴鹿には、本来こうした術を使う体力は残されていないのかもしれなかった。
しかしその最後の力を振り絞った妖術も、王一郎は容易く対応して見せた。カミソリの切れ味を持つという桜の花弁を、一枚一枚丁寧に、そして目にも止まらぬ速さで切り裂き、粉々にして床へと舞わせた。
こうなると、最早一つ目の鬼を守る者など何もない。
とうとう背を向けてその場を逃げ出した鬼にも、王一郎は容赦をしなかった。一瞬にしてその背後まで距離を詰めると、ただの一撃であっけなく首を落とした。弾き飛ばされた首は壁へ床へと跳弾し、最後には桃太の足元へと鈍い音を立てながら転がった。
鬼の虚ろな、それでいて怖気を振うような形相が、まだ生きているかのように桃太の方へと向けられる。桃太は恐怖して思わず目を反らした。
しかし目を反らした先にあったのは鬼の亡骸とそこから夥しく流れる血液だった。既に地下室の床は血の海と化しており、赤く染まっていない場所を探す方が難しかった。新鮮な血と臓物の臭いからは生命力のようなものも感じさせられたが、しかしそれらが生きた生物が発さない物であることも事実だった。
その血の海の中央で、それを作り出した殺戮の王者が哄笑をあげていた。全身が返り血に塗れながら、身体を動かして爽快だとばかりの顔で高笑いを続けるその姿に、桃太はどこか相容れないものを感じさせられる。
神妙な顔で黙りこくっているのならもちろん理解できるし、殺しの愉悦に屈折した興奮を放っているのでも、もしかしたら理解できるかもしれない。だが王一郎のその姿はあくまでもいつも通りで、いつも通りに狂っていた。
「……化け物め」
鈴鹿を支えながら、輝彦が忌まわし気な表情で言った。
「それは貴様が抱いているその女の方だ」
王一郎は上手いこと言ってやったとばかりの笑みを浮かべながら、刀を構えつつ一歩ずつ鈴鹿に近付いていく。
「やめろ」
輝彦が王一郎の前に立ちはだかる。
「どけ」
「嫌だ。鈴鹿を殺すなら、まず私を殺してからにしろ」
「そうしてやっても良いのだぞ?」
王一郎は刀を輝彦に向けた。
「討魔師は人間を殺さない。しかしその職務を妨害しようとするなら例外もある。何よりも、貴様は村民を率いる身分でありながら鬼に魂を売った。万死に値してもおかしくはない」
脅しをかけるように告げる王一郎に、輝彦は一歩も引かなかった。両手を広げ、歯を食いしばりながら、王一郎の進軍を妨げている。武器一つ、戦う術一つ持たないまま。
しばし沈黙の時が流れた。額に汗を流し鈴鹿を守る為に立ちはだかる輝彦の覚悟には、流石の王一郎も手を焼くらしかった。人間を殺したくないというのは偽らざる本心なのだろう。人情と職責の間で葛藤している様が見て取れる。
「……輝彦くん」
口を開いたのは桃太の父、文明だった。
「やめておけ。その男は鬼よりも鬼だ。いよいよ痺れを切らしたら、相手が誰であろうと容赦はしない。そうやって民間人を手に掛ける姿を、俺は戦場で何度も目にして来た」
「鬼久保先生……しかし」
「この男はすべてを明らかにするだろう。破滅だ。恋人だって失う。しかし、君はまだ若く能力もある。命を繋げば今後成し遂げられることもあるだろう。恋人だってそれを望むはずだ」
「しかし」
「春雨」
鈴鹿は手を伸ばし、指を突き付けて呟くように口にする。
しかし、その指先からは最早何も出てこなかった。
「……は、無駄でしょうね。あなたは既にそれを完全に見切ってしまっている」
「潔いな。鬼の頭領よ」
王一郎は油断なく刀を構えながら言った。
「私が首を差し出せば、輝彦殿は傷付けませんか?」
「そのつもりでいる。社会的な罰則はあるだろうが、それに関しては我の関知するところではない」
「海神の怒りには触れませんか?」
「人魚さえ戻るなら咎めはしないと言っていた。討魔師として、約束は守らせて見せよう」
「ならば首を跳ねてください」
鈴鹿は立ち上がり、王一郎に首を差し出した。
「鈴鹿! やめろ!」
「良いのです。輝彦殿、あなたには今まで本当に良くしていただきました」
鈴鹿は口元にはかなげな笑みを作る。瞳を覆い隠す包帯の隙間から、涙があふれ出していた。
「人間病にかかって弱くなった私が土蜘蛛にケガを負わされた時、あなたは私を屋敷に連れて行き介抱してくれた。そこであなたの優しさに触れ、心通じ合っていく時間は幸せでした。私の人間病を治す為、村をあげて人魚を見付け出してくださった時は本当に嬉しかった」
「なるほど。それで鬼久保軍医殿を巻き込んで人間病の治療薬など作ろうとした訳か」
王一郎は言う。
「ええ。集落には私の力がまだ必要でしたから。人間に戻る訳には行かなかったのです」
「だろうな。統率力のある貴様さえいなくなれば、鬼の集落を滅する難度は格段に落ちる」
「あなたは集落を滅ぼすつもりなのですか?」
「討魔師ならば当然のことだ」
「容赦はしないのですね」
「悪鬼にかける情けなどない」
「そう。でも、皮肉なことね」
鈴鹿はそこで嘲るような笑みを浮かべた。
「そんな鬼に容赦のない討魔師の一人娘が、鬼になろうとしているのだから」
その言葉に、皆の視線が鈴鹿の方から瓜子の方へと一斉に動く。
瓜子はあくまでも澄ました顔をしていた。無表情のまま皆の視線を受け止めて、そして小首を傾げて見せる。
「なんか意味の分かんないこと言ってる」
「ごめんなさいね。瓜子さんと言ったのかしら? あなたも鬼の仲間に加えてあげたかった。でもそれ以上に、私はこの討魔師が憎いのよ。少しでも苦しめてからあの世に逝きたい」
「……戯言を」
そう吐き捨てて、王一郎は刀を構えた。
「ならばこちらも冥土の土産をくれてやる。貴様らは人魚の涙を用いて人間病の薬を作ろうとしたが、しかし貴様ら鬼にとって人間に戻ることは病ではない。鬼化こそが人の病だからだ。つまり貴様は集落での暮らしに満足して憑き物が落ち、鬼化という病が治っていたというだけだ。万病を治す人魚の涙と言えども、これはどうしようもない」
そう言い終えた後、鈴鹿の表情が捻じ曲がるのを待ってから、王一郎はその首を跳ね飛ばす。
あっけなかった。吹き飛んでそこらに転がった鈴鹿の首に、輝彦が縋り付いて泣きじゃくり始めた。
その王一郎の行いは常軌を逸していた。相手の嫌がる事実を殺す前にわざわざ聞かせ、それに相手が絶望したのを見届けた後に首を跳ね飛ばす。情け容赦がないだけではない、死にゆく相手を明確に憎んでいなければしない行いだった。
それほどまでに、瓜子を鬼と呼ばわった鈴鹿のことが、王一郎の気に障ったのだろう。娘を溺愛し、妖魔を憎む王一郎にとって、それが逆鱗に触れることだったのは間違いはない。
「さて瓜子。鈴鹿の戯言を確認しておこう」
言いながら、王一郎は瓜子の方へ近づいていく。
「アタマを見せなさい」
「なんで?」
「鬼になりかけているのなら、角が生えかけているのなら、目視で確認できる。見せるのだ」
「鬼の言うことを信じるの?」
「信じていない。死者の戯言を笑い飛ばす為にそうするだけだ」
「やなんだけど」
「何故だ?」
「なんか恥ずかしいし」
「我慢せよ。これは確認だ」
「だからやだって」
「くどい!」
王一郎は強く一喝した。
娘にはとにかく甘い王一郎に、それは珍しい行いだった。瓜子も驚いたのだろう。目を見開いて硬直し、父の方をぱちくりと見詰めることしかできないでいた。
王一郎はそんな瓜子の頭に手を伸ばす。瓜子は嫌がって両手で頭を覆ったが、王一郎のバカ力はそれを強引に開かせてしまう。
「やめて! お父さんのエッチ!」
王一郎は容赦をしない。瓜子の長い黒髪をかき上げ、持ち上げ、その頭皮を衆目に晒す。
そこには小さな……しかしはっきりとした二本の角が生えていた。
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