第32話

 桃太達の母親は、亭主の言うことをすぐに理解して車に乗り込んだ。しかし、瓜子の母は違った。

「どうして村を捨てて逃げ出さないといけないんですか? それに私、あの人が娘を殺そうとしただなんて、信じられません」

「でも実際殺そうとしたんだよ」

 瓜子は母親に向けて両手を合わせ、付いて来てくれるよう懇願する。

「もう少しで村に海神がやって来ちゃうの。だからお母さん、一緒に逃げて」

 説得には苦心したが、血まみれの瓜子や王一郎の愛刀である『首狩泡影』の血に濡れた姿を見て、王一郎が娘に手を掛けようとしたことは理解したようだ。よって瓜子の母親は「これが本当に正しいことだと納得した訳ではありませんからね」としつつも、桃太や瓜子と共に後部座席に乗り込んだ。

「人魚がないと娘は鬼になってしまうんですね」

「その通りだご婦人」

 瓜子の母の疑問に、文明は言う。

「でもその為に村を見捨てるだなんて……」

「では村と娘とどちらが大切かね? あなたの旦那様は村を選んだようだが、ならばこそ女親の方だけでも娘を選んでやらないと、あまりにも哀れだとは思わないかね? 夫婦というのは、バランスを取る為に二人いるのだ」

 その言葉に瓜子の母は黙り込み俯いた。大きな葛藤を抱えながら顔を覆って身を震わせた。そして「あなた……どうしてっ」と絞り出すような声を放った。

「お母さん、大丈夫?」

 瓜子が心配げに声をかけると、母親は泣き笑いを浮かべながら「大丈夫よ」と言って頷いた。

 とにかく瓜子の母親を連れ出すことに成功した後、自動車は村の外へと走り始める。時刻は既に午前六時を回り、今は冬とは言えそろそろ夜が明けようという時間だった。

「……間に合うかしら」

 一つ目の山を越える途中、桃太の母が助手席で心配そうに呟いた。

 車の外では既に雨が降り始めていた。昨日の天気予報では雨が降るという報せはなかったことから、それは海神が嵐を起こす前兆であると読み取ることが出来た。時刻は七時に近付き夜が明け始めている。人魚を連れて来るという約束に背いた桃太達に怒り、風雨を従えた海神が村へとやって来ていることが伺えた。

 風がびゅうびゅうと強く吹き始め、しとしとと垂れ落ちる雨は勢いを増した。その風の一筋が、雨の一粒が、早く人魚を連れて来いと急かす海神からのメッセージのようだった。

「……人魚を連れて来るか、できなかったのなら謝りに祠に来い、って海神は言いたいんだね」

 後部座席の中央に座った瓜子が、窓を見ながらそう呟いた。

「だと思う。このまま行くとどうなるのかな?」

 桃太が答える。

「きっと嵐になるね。村がそれに飲み込まれる。早く逃げなきゃ」

 この真冬の季節の中でも、雨は雨のまま地上へ降り注ぎ続けた。濡れそぼった山道をなめらかなハンドル裁きで進んで行く。どんどん悪くなる視界の中で、ワイパーがせわしなく動いて水を弾き続けていた。

 そんな時だった。

 前方から一つの人影が現れて、夜叉の身のこなしで、自動車へと飛び付いた。

 それはあまりに一瞬の出来事だった為、桃太には何が何だか分からなかった。人影は自動車の正面へと飛びつくなり、信じがたい程のバカ力でフロントガラスを殴打した。たちまちひび割れるガラス。

「きゃあ!」

 桃太の母の悲鳴。自動車のフロントガラスというのはちょっとやそっとの衝撃に耐えられるようにできている。それを既による殴打で砕いてしまうなど、人間には不可能であるに違いなかった。

 桃太は鬼の形相でガラスを砕いている人影を見詰めた。

 それは王一郎だった。王一郎は再度拳を振り上げると、ひび割れたフロントガラスへ叩き付ける。その鋼の拳はたちまちガラスを貫通し文明の鼻先、その寸前まで突き刺さった。

「この……化け物がっ!」

 文明が悪態を吐いた。三度目の殴打によって完全に粉砕されたフロントガラスから、王一郎が車内へとなだれ込んで来る。そして血走った目で文明の首筋に手刀を叩きこむ。

 悲鳴を上げる暇もなかった。目を剥いて泡を吹いた文明の制御外に置かれた自動車は、扇を描きながら山道をスリップして進んで行く。

「あなた……やめてっ!」

 瓜子の母が悲鳴を上げた。王一郎は文明を押しのけるように正面から運転座席へと侵入すると、体勢を整える間も惜しんでブレーキペダルを手で押した。

 それによって辛うじて交通事故は避けられた。王一郎は戦慄する桃太達を見回すと、「降りろ」と告げて顎をしゃくった。

 いう通りにするしかない。

 気絶している文明を残し、一同は王一郎と共に山道へ降りた。

 足元は既に靴の中が濡れる程の水でぬかるんでいて、吹き荒ぶ風が木々を揺らして不気味な音を立てていた。そんな嵐の中央で、頭髪そして衣類を靡かせながら立つ王一郎は、どんな妖怪よりも恐ろしい妖怪に見えた。

「それはなんだ、桃太」

 王一郎は桃太が携帯している『首狩泡影』を指さして言った。

「あなたの刀だ」

 桃太は答える。

「返してくれようというのか?」

「まさか」

「ふん……っ。我とて娘を手に掛けた刀など持ってはいたくない。それより……」

 王一郎は目を細め、複雑な感情を称えた視線を瓜子に送った。

「生きていたのか」

「うん。人魚の涙のお陰」

「油断したな」

「して良かったと思わないの?」

「思わない。おまえを浚って人魚の涙の効力が消えた後改めて殺害する。父を憎むなら憎んでも構わない。どんな悪罵も甘んじて受けよう」

「何故娘の為に村を見捨てようとは思わないんだ」

 桃太は言った。彼には王一郎が理解できなかった。王一郎の行いが公正であり、冷徹に見えたとしても、確かな信念に支えられた一つの正義であることは理解している。対する桃太の想いが子供ならではの未熟な我が儘の類であることも。だとしても、桃太の心は真っすぐに王一郎と対立していた。

「……あなたは父親失格だ。瓜子を悲しませた。瓜子を殺そうとした。ぼくはあなたを許さないぞ」

「子供だからと言って純粋さが全てではないぞ。だがあえて言わせておこう。我が父親としての資格を投げ打ったことは、他でもない我が一番理解している」

「お父さんをお父さんじゃないなんて思わないよ」

 瓜子は言った。

「全部許すよ。だからさ、今からでも元のお父さんに戻って。討魔師の身分なんて捨てたって良いじゃない。村のことなんて捨てたって良いじゃない。人魚と一緒に都会へ逃げて、そこで一緒に仲良く生きようよ」

 それは瓜子の嘘偽りない本心だった。ほんの数時間前に殺されそうになっておいて、瓜子は父親のことを何一つ憎んではいなかった。心の深いところに大きな傷を負いながら、それでも彼女は王一郎を許す勇気を持っていた。

「ならぬ。村は救わねばならぬ」

「あなた。瓜子を殺すのは考え直して」

 妻が王一郎に呼び掛けた。王一郎は「ならぬ」と切り捨てて。

「貴様も討魔師の妻なら相応の覚悟を持て」

「あなたの妻である以前に、わたしはこの子の母親よ。子供を見捨てる覚悟なんて持ちたくない」

「……良き母だな。惚れた甲斐がある。が……例え貴様がなんと言おうと、討魔師として我は絶対に退く訳にはいかんのだ!」

 王一郎は咆哮を上げた。

「人魚と瓜子を渡してもらうぞ! 人魚を海神に返し、鬼の娘の首を跳ねるのだ!」

「嫌だっ!」

 桃太は刀を構えて王一郎の前に立ちはだかった。

「何のつもりだ!」

「あなたと戦う!」

「刀を捨てた丸腰の我になら勝てるとでも思っているのか?」

 王一郎は微かな優しさすら込めた視線を桃太の方に注いだ。

 桃太はそれを睨み返した。不利は百も承知だった。例えどのような悪条件に王一郎を追い込もうとも、桃太がどれほどの凶器を所有しようとも、二人の力の差が埋まることはないはずだった。

 しかしだとしても桃太は戦わなければならなかった。このまま安々と瓜子を失う訳には行かなかった。最早状況は進退窮まり、有利だとか不利だとか勝ち目があるだとかないだとか、そんなことは考えるだけ無駄だった。

「…………たわいもないな」

 だが王一郎は慈しみすら感じさせる表情を桃太に向けるだけだった。

「だが容赦はせぬぞ! 我は我の目的の為、今ここで弟子を粉砕し滅殺する! 戦地すら知らぬ小僧が相手とて一切の容赦はないと思え!」

 そう言って、王一郎は桃太へと飛び掛かって来た。

 桃太はそれを横っ飛びに交わすのではなく、むしろ踏み込んで刀を横に振って迎撃した。桃太の踏み込みと斬撃は王一郎により鍛え抜かれており、王一郎の肉体が人間のそれである以上、回避せぬ限り両断は免れない。

 それを察知し、王一郎は垂直方向に刀より高く飛び上がるという超人技を見せた後、桃太から少し離れたところに着地した。そして一瞬の暇も置かずに再び飛び掛かって来る。

「人魚を渡せ! 今降参するなら命は取らぬ!」

 王一郎は威嚇するように吠えた。

「嫌だ!」

 桃太は王一郎に懐に入られないよう素早く的確に刀を振った。リーチの長さを活かして、丸腰の王一郎が容易には踏み込めない自分の領域を構築しようとした。それは成功した。王一郎は慎重に間合いを取ることを余技なくされ、桃太の剣技の成長ぶりに目を細めつつも口を開いた。

「このままでは現実に村は滅びる。貴様らが人魚を浚うことによってだ。貴様は本当にそのことを現実に肌で感じられているのか?」

「……滅びれば良い」

 桃太は言った。

「この村は死に行く村だ。……既に死んだ村かもしれない。誰もが便利な家電を持ち自動車に乗って、煌びやかなネオンを纏った店を利用しながら快適に過ごす街の様子は、最早発展した都会だけのものじゃない。どこだってそうなるんだ。そしてそこには妖怪の影なんてもちろんない! そこから取り残されたこんな古い村……いつかなくなって消えるだけだ。早いか遅いかの違いしかない!」

「身勝手な! それは貴様が決めることではない! この村を営み、この村の日々を必死に生きる村人達が、長い年月をかけて決断するものだ! 滅びに抗う村人達の権利を踏みにじる権利は貴様のような童にはない!」

「ここの村人達がどれほどまともに抵抗をしているものか! ただ死んだような村で死んだような毎日を、惰性でただ生きているだけじゃないか!」

「だから! それを追わらせる権利は貴様にはないと言っているのだ! 確かに村人達は愚かで脆弱だ。しかし自分の為家族の為、明日の為に、少しでも村を続けようと必死にもがいて生きているのだ!」

「薄汚い田舎者共の薄汚い生や明日に価値なんてない」

 桃太は自分でも驚く程冷ややかな声で言ってのけた。

 王一郎は思わずと言った様子で絶句するが、桃太は自分が失言をしたのだとはどうしても思えなかった。

 桃太はこの村に来てから味わったいくつもの不便や迫害を思い出していた。

 自動車から降りて来た桃太を寄って集っていじめた満作ら村の子供。その満作を不当な裁判で処刑する河童共と、それを何もできずただ見ていた愚かな民衆。自分達の仄かな安寧と保身の為に、綾香に迎合して寄って集って瓜子を迫害する女子達。海神に子供を奪われ続けながら抵抗の意思すら見せず、滅びゆく村の劣悪な暮らしを、怠惰のままただ続けていた腐った田舎共達。

 そこにあったのは深く強い閉塞感と、不便さと居心地の悪さだった。子供には何の権利もないから耐えるしかなかった。だが大人達はどうしてこの村を出て行かない? この村を捨てない? この村を救う気もなければ良くするつもりもない癖に、この村の外に行こうともせずただ生きる。そんな彼らのこの村での暮らしにどれほどの価値があるというのか!

「これから村には嵐が来る! 洪水で村は沈む。そうなったら村人は皆止むを得ず村の外に出るだろう。そして発展した世界を間近に目の当たりにして、彼らはようやく目覚めるんだ。自分達が腐りきったカスみたいな暮らしを送っていたことに気付くんだ! 今は高度経済成長の時代で、いくら村人達が能無しだって何かの仕事にはありつける! そうやってまともな街でまともに暮らすことが、村人達にとって一番幸せなことなんだ!」

「話にならぬ!」

 王一郎は憤怒の声を上げた。

「その為に何人が嵐で死ぬと思っている? 腐っているのは貴様の方だ! 何も分からぬ童が! 子賢しいばかりの青瓢箪が! 裕福な都会の暮らしは、貴様をそこまで傲慢にさせていたのか!」

「うるさい!」

 確かに桃太にはある種の傲慢さがあるかもしれなかった。都会での暮らしは何不自由なかった。何より桃太は桃太自身に何不自由のなさを感じていた。勉強も運動も良くできる勤勉な努力家で容姿にも家の経済力にも恵まれ、何一つ満たされないもののない中で、どうして皆が自分のようではないのかと首を傾げて生きて来た。

 そこへ来てのこの田舎暮らしだ。この村に生きる者達は大人も子供も、桃太には信じがたい程みじめだった。住む場所や暮らしがみじめなだけではない。土色の目をして貧困や不自由を噛みしめながら、何一つ前に進もうとせず苦しみを受け入れ続けるだけの彼らの、その在り方が何よりもみじめだった。

 綺麗に見えたのは瓜子だけだ。誰よりも優れた容姿を持ち、周囲に迎合せず自らの意思を貫き通したが為に迫害され、それでも笑顔を絶やさず前向きに生きる彼女は高潔に見えた。彼女は明白に間違いを犯していたがそんなことは些細なことだった。美しく高潔な瓜子がこのようなクソ田舎に埋もれていることが桃太には耐えられなかった。

「ぼくが傲慢なんじゃない。この村の人達が卑小なんだよ」

 戦闘の興奮の中、桃太の心の奥底に閉じ込められた、どろどろとした屈折が止めどなく口からあふれ出す。それは桃太自身も認識していない、無意識の心の闇の発露だった。

「こんな腐ったクソ田舎を滅ぼして、ぼくは瓜子と都会に向かう。そこでぼく達は便利に、豊かに、清潔に暮らすんだ。あなたみたいなオヤジに、それは絶対にジャマさせない」

「この…………クソガキめがぁああああっ!」

 王一郎は怒りに身を任せて飛び掛かって来る。桃太は、刀を正面に構え、極限まで集中してそれを迎撃しようとした。

 神経を戦いに向けて集中させることで、桃太には周囲の景色がスローモーションになったように感じられた。垂れ落ちる雨粒の一つ一つは愚か、本来は目視出来ないはずの吹き荒ぶ風の流れすら、今の桃太には感じ取れるような気がした。

 それはまさに極限の領域であり、そこに至れることは桃太の戦士としての才能の発露でもあった。類稀なる才気に恵まれた桃太が王一郎という最高の師を得て覚醒したその感覚は、迫り来る王一郎の動きを的確に捕らえる。桃太はその脳天目掛けて、過不足のない完璧な動きで刃を振り下ろした。

「遅い」

 刃は粉々に砕かれた。

 この時桃太は通常の感覚へと回帰した。そして愕然とした。王一郎に向けて振り下ろしていたはずの刀は哀れにも粉砕され、刀身の半分以上は雨のぬかるみの中に沈んでいた。

 一瞬のタイムラグの後、桃太は王一郎の絶技を辛うじてでも理解することが出来た。王一郎は振り下ろされる桃太の刃の側面を、握った拳で正確に叩いたのだ。刀身の急所を適格に捕らえたその一撃は、丈夫な金属の刃をあっけなく粉砕せしめ、桃太の攻撃を消し去った。真剣白刃取りにも勝るそれは、まさに奥義中の奥義であった。

「愛刀よ。これまでの貴様の働きに感謝する」

 王一郎はそう言った後、愕然とする桃太の手から、折れた刃を叩き落とした。

「素晴らしい面打ちだった。貴様は最良の弟子だ。悪かったのは相手だけだな」

「こ……このっ」

 桃太は王一郎に掴みかかった。刀を失ったが戦えなくなった訳ではなかった。最早引き返せぬところに来ている桃太は、どんなに勝ち目が薄くとも王一郎に立ち向かうよりどうしようもなかった。

 しかし対等な条件での格闘での勝敗は、火を見るよりも明らかだった。

 桃太はたちまちの内に王一郎に組み伏せられた。水浸しの山道に組み伏せられた桃太はずぶ濡れのままもがいたが、王一郎の力は強すぎてどうにもならなかった。

「降参しろ。首の骨を折るのは容易いが、我にも慈悲はある」

「……離せっ。クソっ。離せっ」

 桃太にはもがき続けることしかできなかった。王一郎はそんな桃太に憐れむような視線を注いだ後、腕を振り上げて目を閉じた。

「許せ。桃太」

 王一郎はその鋼の拳を桃太の首筋へ向けて振り下ろそうとする。

 その時だった。

 雨音に混ざって、柔らかいものを貫くような音が響いた。

 王一郎の腕が止まった。どころか、その背中を伝って桃太の頬へ、温かい血が滲み出していくのが分かった。

 思わず目を閉じていた桃太が目を開けると、背後では砕けた刃の先端を握り、王一郎の背中を刺し貫いた瓜子が、その手を血塗れにしながら唇を結んで立っていた。

「桃太をいじめるな」

 瓜子は刀の破片、その切っ先のある部分を拾い上げ、王一郎の背中心臓部へと差し込んだのだ。雨音があったとは言え王一郎がそれに気付かなかったのは、それだけ桃太との闘いに神経を傾けていたからこそだろう。

 彼にとっても、桃太は周囲に気を配りながら戦える程の弱者ではなかった。王一郎の全神経を自分に集中させ得たということ、それこそが桃太の実力であり、瓜子の不意打ちへの突破口を開くに足る確かな貢献だった。

「娘よ……良くやったな」

 心臓を貫かれ、口から血を破棄ながら、王一郎は目を細めながら娘の顔を見ようとした。

「貴様は貴様の生を掴んだ……。この父を殺すことによって。貴様らの勝ちだ」

「……お父さん」

「生きよ。娘よ。子供達よ。おまえ達は我を制した。戦いを制したのだ。ならばおまえ達は何にも憚ることはない。大手を振って堂々と生き、成長して大人になり、幸福を掴め」

「お父さん!」

 瓜子の目から涙があふれ出した。刃の破片を握りしめたその手は負傷して血塗れだったが、それすらも人魚の涙はすぐに癒してのけるだろう。しかし父親を失い、父親を手に掛けた心の傷は、そう簡単に癒えない物だろうと思われた。

「泣くな娘よ。我は喜んでいる。これでおまえを殺さずに済んだのだから。我はここで村と共に沈む。死体は捨て置いておけ。それが良い」

 そう言い残すと、王一郎は息を失って絶命した。

 瓜子は高く泣き声をあげた。それは桃太がこれまでに見て来た瓜子の哀しみの中で最大の哀しみだった。雨粒に晒されながらの長い慟哭は、いつまでも鳴り止むことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る