第7話

 帰宅した桃太はポケットの中から数枚の皿の破片を取り出して、自身の勉強机の上に置く。何度見てもそれは先ほど河童の遺体から持ち去った時と比べて面積を減じていた。

 河童の破片を持ち帰ったのは、いざとなればこれを差し出して「自分が河童を殺した」と嘘を吐く為だった。桃太は依然として瓜子の身代わりに裁かれるという考えを捨てていなかった。河童の裁判は勝手な印象と状況証拠により判決が決まるとのことなので、これを見せてしまえば瓜子が何かを言いだす前に自分が有罪になる可能性は高かった。

 無論それはできる限り避けたい結末だったが桃太は覚悟が出来ていた。救われた命は救ってくれた相手に差し出すものだという価値観は、桃太にとって強固なものだった。皿の破片はそれを完遂する為の大切な道具だったが、どこで数を減らしたのかすぐには分からなかった。

「……満作の部屋で転んだ時かな?」

 少し考えて桃太はそう呟いた。あの時確かに破片が割れる感覚があった。その際にポケットから破片の一部が飛び出して満作の部屋に落ちた蓋然性は極めて高かった。

 それが致命的な失敗になり得るかを桃太は考える。失われた破片はほんの少量であり、もとより散らかり抜いていた満作の部屋においてそれが発見される心配は少なそうだった。仮にそれが見付かり河童の皿の破片だと気付いたとしても、それが自分に繋がる手掛かりになることは考えづらかった。

「どちらにせよ。……なるようになるに任せるしかないか」

 呟いた桃太は机について勉強を開始した。それは家での桃太の普段の姿であり、両親に怪しまれない為にはそうしているのが一番良かった。しかし一か八かの状況を迎えている緊張感故か勉強は捗らず、鉛筆を持つ手は絶えず震え続けていた。

 それから数時間が経過し外が暗くなった頃、父に声を掛けられた。

「桃太。外ですごいことが起きているぞ」

 父は興奮した様子だった。

「どうしたの? 父さん」

「この近くに工具屋があるだろう? あそこに村の要人が集まっていて……しかも河童が何匹も押しかけている」

 桃太は己の狙い通りの展開になっていることに気付いて胸を高鳴らせる。しかしそれを悟らせないよう平常心を装って父に向き直った。

「なんでそんなことになっているのさ?」

「そこの子供が河童を殺した疑いを掛けられているらしい。とにかく、見に行こうじゃないか」

 村へ来たばかりの父にとって河童など妖怪というのは珍しいものだった。増してそれが裁判を行い子供を一人処刑するとなると大変な見せ物だった。

 満作の家の前には同じ考えの野次馬が殺到し人だかりができている。その人だかりの中央では顔を青ざめさせた満作とその両親が数人の河童に取り囲まれていた。満作ら一家と河童たちの間には身なりの良い人間が三人ほど立っており、一目でそれが村の有力者達だと分かった。

「あっ! 桃太だ。おーいっ」

 瓜子の声がした。桃太が視線を向けると、白いワンピースを着たいつもの姿で瓜子が立っていた。

「お友達か?」

 父が言った。桃太が頷いて「会って来て良い?」と尋ねると、父は静かに頷いて桃太を送り出した。

 瓜子のところへと歩み寄ると、傍らには物々しい黒い衣装を身に着けた、四十代程の男が立っていた。それは一目見て分かる程異様な人物だった。

 その男は腰に長い日本刀を帯びていた。戦前ならいざ知らず、今の時代にこんなものを持ち運べば銃刀法違反でしょっ引かれることは確実である。黒い衣装は教科書などの資料で見る軍服、それも将校等の要人が着る者に酷似していた。顔立ちは精悍そのもので鷹のような光を宿す切れ長の目と高い鼻筋はどこか東洋人離れしている。背は百八十センチを確実に上回り肩幅は広く胴から腰に掛けては引き締まっていて、まるでスポーツの選手のように理想的な体格だった。

「お父さんお父さん。この子が前に話した桃太くん」

 瓜子はそう言って桃太のことを男に紹介する。

「ど、どうも」

 桃太は恐る恐るそう言って頭を下げた。

「鬼久保桃太です。瓜子さんの友達です。……どうか、よろしく」

「貴様か……」

 瓜子の父であるらしき異様な男は、異様な程鋭い視線を頭一つ小さな桃太に容赦なく注いだ。

「我が聖姫を誑かす忌まわしき獣め……。幼き童の皮を被っているが、その実態が欲に塗れた外道の獣であることは、我が邪眼が既に看破していると知れ。愚物が……」

 異様な男は異様な表情で異様なこと宣った。その異常ぶりに桃太は心底恐怖し思わず後退りそうになった。

「あー。お父さんちょっと変わってるけど良い人だから。テキトウに相手してね」

 瓜子がそう言って父をフォローしたが桃太の恐怖は消えなかった。そもそも瓜子のような危篤な人格の持ち主がフォローに回るというだけでこの男の異常さは明らかだった。

「聖姫よ……。このような邪悪なる小鬼を庇おうとは何たる慈しみであろうか……。しかし愚物よ、我が貴様を許すことはない! 我が聖姫を誑かす者は何人たりとも地獄の業火に焼かれよう! これ以上瓜子に近寄るようならこの妖刀『首狩泡影』の錆となると覚悟せよ!」

「すいません。ちょっと何言ってるのか……」

「お父さん、ちょっとわたしのこと溺愛しちゃってて。なんか桃太くんがわたしにちょっかいかけてる悪い男の子みたいに言ってるっぽい」

「……この独特な喋り方はなんとかならない?」

「無理。お母さんが言うには、お父さんは『中二病』ってのにかかってるんだって」

 医者の息子である桃太だが『中二病』なる言葉に聞き覚えはなかった。そもそもそのような言葉はこの国この時代に存在していないに違いなかった。

「その中二病っていうのは何?」

「お母さんが作った言葉。なんか昔ゲリラに拷問された後遺症で、精神が今でいう中学二年生の時くらいまで遡って固定されちゃったんだって。ずっと中学二年生みたいになる病気ってことで、『中二病』なんだって」

 その造語のセンスは桃太には理解できなかったが、とにかくこの喋り方はどうにもならないらしいことは理解が出来た。

「今日はじゃあ、そのお父さんと一緒に河童の裁判を見に来たんだ」

「ううん違う。お父さんは見に来たんじゃなくて、仕事しに来た。わたしはその見学」

「仕事?」

「うん。お父さん、討魔師だから」

 そう言うと、瓜子の父は「くくく……っ」と得意げな表情で腕を組んだ。

「我が名は因王一郎(ちなみおういちろう)。天地に蔓延る悪鬼悪霊を滅殺し人の世に平和を齎すことが我が使命……。崇高なるその役割と我が秘めたる無限の力、そして鮮やかなる剣技は大いなる富と尊敬をもこの身に集めよう……」

「悪い妖怪をやっつけるのが僕の仕事です。僕はすごく強いので収入も多いし慕われてます。……だってさ」

「本来、我が邪悪なる力は封じられて然るべきものだ。しかし無常なるは人の世の闇。現れし妖魔の影が無辜なる童に忍び寄りし時、その邪眼は解き放たれ業火を持って影を焼き尽くすのみ」

「本来僕のような職業の人間はあまり仕事がない方が良いのですが、世の中は大変だから時には罪のない子供が妖怪によって酷い目にあわされます。そんな時僕は妖怪と戦うんです……だってさ」

「水の妖魔は同胞を失い憤怒を持って人里に降りたようだ。疑われしは赤き槌を操り悪童の長。童が真の罪人であれば泣いてその身を差し出そう。しかしそれが否である時、我は水の妖魔の手から童を救う為、禁じられし力を振い妖魔を切り裂くのだ」

「河童は仲間を殺されて村にやって来ました。満作が疑われてるようです。本当に満作が殺したんだったら死刑で良いけど、違ったら僕が守ります。……だってさ」

 複雑怪奇な父の言葉をその場で翻訳していく瓜子。桃太は表情を引き攣らせそうになりながらそれを聞き終えた。

 因王一郎(ちなみおういちろう)と名乗る瓜子の父は村の有力者らしく、刀を腰にぶら下げることが許されるのも討魔師なる特殊な職業故の特権のようだった。王一郎を見る周囲の人々の目は畏怖の念が込められており、娘の瓜子はそんな父の傍らに立ちどこか得意気だった。

「ねぇ、桃太は誰と来たの?」

「ぼく? ぼくも父さんと一緒さ。と言っても、こっちはただの見学だけどね」

「ふん……。愚物たる童の父は所詮愚物……その力量たるやたかが知れている。凡俗なる非力な小獣が身を寄せ合い僅かな安逸を手にする涙ぐましさよ。激流の中無力にもその身を焼かれ続け、やがて朽ち果て死んで行くのだ。とは言えそれも一興、一つの幸福であると言えよう」

 王一郎はそう言って不敵に微笑んだ。桃太が解説を求めると、瓜子は。

「なんか桃太のお父さんの悪口言ってる」

 と言った。

「……どうしてあなたに父さんの悪口を言われなくちゃいけないんだ」

 桃太は王一郎に不満げな視線を向けた。

「父を侮辱され怒るか……。くくく……愚物にもなけなしの矜持があるとは面白い。しかし甘いぞ! 矜持とは自ら守り抜く者! 屈辱に耐え奮起する力が貴様の血となり肉となり、やがて真に聖姫を争うその日に貴様を守る鎧となるのだ! ならば我は喜んでその礎となるべく、あえて貴様の家長を貶めよう! やーいおまえの父ちゃんでーべー……」

「桃太は俺の息子だが?」

「軍医殿失礼致しました!」

 桃太にも意味が分かる程の幼稚な罵倒を中断した王一郎は、突如としてその場で直立して敬礼を始めた。見ると桃太の父が王一郎を睨みつけながら背後に立っていた。

「……いったい誰がでべそなのだ? 応えて見よ因准尉よ」

「はっ! でべそとはこの私めのことでございます! 桃太君が軍医殿のご子息とは知らず、失礼を致しました!」

 王一郎の突然の変わりように桃太は驚愕し父の顔を見た。父の表情は十数年前軍医をしていた頃の顔立ちに戻っていた。どうやら二人は顔なじみのようだった。

「ナムールの『首狩り』が今はこんな山奥の討魔師か……。もしや連隊長殿の口聞きか?」

「はっ! 仰る通り、自分は天野連隊長大佐より誘われこの村の討魔師となったであります!」

「それはいつのことだ?」

「十五年前であります! 元より我が因家は討魔師の家系。天野大佐が村長をお勤めになる村で討魔師をやるのは本望であり喜んでお誘いを受けました。今では器量の良い妻と最愛の娘を得て幸福な暮らしを送っております!」

「そうとは知らなかった。しかし大切な裁判であるというのに、連隊長殿はお見えになっておられないな。挨拶に来たつもりだったのだが……」

「はっ! どうやら天野大佐はここのところめっきり耄碌しているらしく、碌に村長の仕事をできていないとのことであります! よって代わりに優秀なご子息である輝彦殿が裁判を取り仕切るようであります!」

「貴様連隊長殿に何を言うとるのだ」

「申し訳ありません! しかしながらどれほどの無礼を働いたところで、相手は耄碌しておられるのだから問題ないかと思われます。いかがでしょうか」

「問題大ありだバカモン。とにかく、桃太が貴様の娘と仲が良いのなら、貴様もよろしくしてやってくれ」

「了解いたしました鬼久保軍医少佐殿!」

 そう言うと王一郎は気持ちが悪い程の媚びた笑顔を桃太に向け、揉み手をしながら気色の悪い声で話しかけて来た。

「桃太君よ……よく見ると精悍な顔つきをしておるではないか。どれ、小遣いをくれてやろうではないか! 児戯には相応しき魔具が必要であろう。幼き日魔具を弄した経験こそがその繊細なる指先に宿り遠き日にて浮世を渡りし為の奥義へと昇華するのだ! 駄菓子屋でオモチャでも買いなさい!」

「桃太は小遣いは足りとる」

 桃太の父は低い声で言った。

「あっ。お父さん、お小遣いならわたしにちょうだい。マシュマロとかチョコとか買いたい」

 瓜子がそう言っておねだりをした。「母さんには内緒だぞ……」と言いながら小銭を手渡しているその様子を横目に、桃太は父に連れられて王一郎達から距離を取った。

「あんな馬鹿と一緒にいるとおまえの教育に悪い」

「……でも瓜子は良い子なんだ」

「稀に見る器量良しではあるな。東洋人離れしている。因准尉は僅かだが外国の血が混ざっているから、その影響かもしれん。……まあ、友達は大事にしなさい」

「もちろんだよ。ところで父さんは瓜子の父さん……王一郎さんとは知り合いなの?」

「昔同じ連隊にいた。だがどうも昔からあの男は好かん」

「そうなの?」

「あの男のかつての通り名は『首狩り』だ。おまえももう十二歳だから、戦争の時の話をしても問題ないな」

「うん。怖がったりしないよ」

 語りだす父の目は遠かった。

 かつて父の所属した隊はナムールにおり抗日ゲリラと日々戦っていた。その中で古株の将校たちの間では、捕まえて来たゲリラの首を若い将校や下士官に切らせる遊びが流行していた。

 ゲリラの処刑自体は正当なる軍事行動であり、必ず行われなければならないことだったが、しかし若い軍人にこれをやらせると難儀するのが常だった。ゲリラとて死にたくない訳だから、縛り付けられていても首を切られそうになると全力で身を捩り抵抗する。急所を狙い撃つのは簡単ではなかった。何より相手の命を奪うという行為は大きな緊張を必要とし、とても平常心で挑めるものではなかった。そこで若手の将校や下士官にあえてそれをやらせ、その度胸を見定めると共に、あたふたするところを見て嘲り笑うのが古株将校たちの楽しみだったのだ。

 若手の軍人の振う刀はなかなかゲリラの首に命中せず肩や腕を穿つばかりで、上手く首に命中しても一撃で切り落とすのには至らなかった。脂汗に塗れながら五回や十回は刀を振るい、ようやく首を切り落とすに至るその過程は無様であり古株たちの良い笑いものだった。結局最後まで処刑を完了させられず叱責を受ける者も少なくなかった。しかし当時新任の下士官だった因王一郎伍長だけは違っていた。

 王一郎は刀を構えると夕食の席に向かうかのような自然な足取りでゲリラの傍へと向かい、そして一撃でその首を刈り取った。それはまさに電光石火の早業であり見事と言う他はなかった。どんなベテランの将校達であってもあれほど鮮やかに首を刈り取れる者はいなかった。

 その日以来、王一郎が行うゲリラの処刑は連隊の名物となった。何度処刑を命じられても王一郎は顔色一つ変えなかった。そして常に一撃でゲリラの首を跳ねた。それを面白がったある将校が、縛り付けたゲリラを二人並べて『一太刀で二人の首を跳ねて見よ』と命じても、王一郎は涼しい顔色でそれを完遂してのけた。まさに達人の妙技と言う他なかった。

 何故そこまで刀剣に熟達しているのか。理由を訊けば王一郎は『討魔師』なる奇怪な家系の生まれであり、幼い頃から刀剣の修行を重ねているとのことだった。実際ゲリラとの戦いにおける王一郎の強さは目を見張るものがあり、戦場に出れば必ず大量の敵の首を跳ねて戻って来た。その活躍ぶりは凄まじく王一郎は異例の特進を繰り返し、ゲリラの拷問により精神を病んで除隊する頃には、准尉にまで昇進していた。

「俺は医者だ。命を救うのが仕事だ」

 父は忌々し気な表情で、娘と語らっている王一郎の後姿を見詰めた。

「だがあの男は死を振りまく。あの男が振りまく死は残虐かつ無慈悲でありとても見るに堪えるものではない。いくら軍隊と言えども実際には敵兵を殺した経験のある者の方が少なく、また殺人を経験した軍人は当分の間精神を病むのが常だ。しかしあの『首狩り』は何人を殺した後もずっと涼しい顔をして美味そうに飯を食い大いびきをかいて眠った。軍隊においてそれは美徳と言うことになっていたが、俺は嫌っていたよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る