第4話 恋というものは

初日は城中から歓迎され、暖かな食事にお風呂に、最後はふかふかのベッドに寝かされた。

全てエルーシアにとっては想定外の出来事で、本当にこの優しさを素直に甘受してよいのか悩んでしまう。


(クラルヴァイン辺境伯様って、噂と全然違うお方だわ……)


戦と魔獣狩りに長けた有能な領主ではあるが、性格は荒々しく野蛮な人物で実に暴力的。

領地のあちこちでは魔獣が現れ、住民は常に危険と隣り合わせ。

クラルヴァイン辺境伯はほとんど社交界に姿を現さないので、エルーシアが集められた情報はそれぐらいだった。

だが、実際対面してみるとどうだ。

彼のどこが野蛮なのだろうか。

城も賑やかで使用人たちも活気に溢れている。

宮廷の何倍も暖かい雰囲気で、あの鬱屈とした空気感はまるで無い。

辺境伯家にまつわる噂はどれも嘘ばかりで、聞くに値しないものだと考えなくとも分かる。


「奥様、お茶が入りましたよ」


コンコン、とノックの音に返事をすれば扉が開く。

入ってきたのは、初日に目を回していたところを助けてくれたメイドだ。


「そんな、わざわざやっていただかなくても自分でできますよ」


「まあ。奥様のお手を煩わせるわけにはいきませんわ。私たちはそのためにいるんですから、奥様は座ってゆっくりしてください」


彼女はてきぱきとお茶の用意をし、頼んでもいないのに美味しそうなクッキーまで持ってきてくれた。

焼きたてなのか、ふんわりとバターの良い香りを漂わせている。

お菓子を食べられる機会なんて、これまでのエルーシアには滅多にないものだった。


(どうしよう……食べたいけど、本当に食べていいのかな)


お茶のマナーを試されているのかと言うわけでもなさそうだ。

おろおろするエルーシアを彼女は優しく見守っていて、それでエルーシアはますます不安になる。

恐る恐る、一口手を伸ばそうとすると。


「王女殿下、失礼する!」


力強い足音と声が聞こえてくる。

エルーシアは驚いてびくっと飛び上がった。

この声はヴィンフリートのものだ。

後ろから追いかけるようにバタバタと急いだ足音と、ヴィンフリートを止めようとする声が聞こえる。


「お待ちください!ドアを開けるのは返事が聞こえてからですよって、ああ開けちゃった……」


「すっ、すまない。俺としたことがうっかりしていたようだな。……いや、違うんだ……驚かせるつもりじゃなくて……ええと、その……」


遅かったようだ。

ヴィンフリートは満面の笑みで部屋に入ってきたが、ティーカップ片手にぽかんとするエルーシアを見て冷静になったらしい。

急に顔を赤くして後ろを向いては、もだもだとなにか言っている。


「……辺境伯様?」


エルーシアがこわごわと声をかけると、彼は先程の失態を隠すかのように昨日のような堂々とした自信満々な表情でこちらに向き直る。


「これを君に受け取って欲しいんだ。君はちゃんとした防寒具を持ってこなかっただろう?宮廷はもう暖かくなる頃だが、こちらはまだ少し時間がかかる。だから少しの間、それを使ってくれ」


追いかけてきたヴィンフリートの従者が持ってきたのは梱包された箱だ。

開けてみると、分厚い生地で造られたファー付きの白いコートだった。

平均の少女より少し小さいエルーシアにはちょうど良いサイズで、もしや、わざわざ合うものを探してくれたのではないかと気づく。


「あらあら、旦那様は奥様がプレゼントを気に入ってくださるか心配で緊張していたのねぇ」


メイドや従者は微笑ましそうに笑っているが、エルーシアは笑えそうになかった。

上等でとっても暖かそうなコート。

防寒具のひとつも持たされなかったぐらい、軽んじられている王女なのだ。

そんな王女のために辺境伯が気をつかう必要なんてどこにもないのに、それだけ彼はエルーシアの『祝福』に期待をしているのか。


「だめ……だめよ、わたし、受け取れないわ」


「奥様!?」


エルーシアの頭の中は後悔でいっぱいになる。

なぜ最初に、自分には何も出来ないと正直に言わなかったのか。

そうすれば、無駄な期待をさせてしまうことも無かったのに、自分の保身のために騙すなんて。


「だって……だってこんなの……わたしには、ふさわしくないもの」


真っ青な顔で俯くエルーシアに、ヴィンフリートは静かに歩み寄る。


「なにが気に入らなかった?色か。形か。それとも、コートはいらなかったか」


「ちが、違います!コートはとっても素敵で……」


贈り物が嬉しくなかったわけじゃない。

ヴィンフリートの声色に咎めるような強さはなかったが、エルーシアは必死で弁明しようとする。


「なら、どうして君は泣いている」


そう言われてエルーシアは初めて気がついた。

塔の中に閉じ込められるようになってからは毎晩泣いていた。

それが、いつの間にか泣くことさえ虚しくなり、涙を流すことを忘れるようになったはずなのに。


「気に入らないのは、私自身です。私にはこんなに素敵な衣装を着る資格はありません」


エルーシアは袖で涙を乱暴に拭うと、ヴィンフリートに頭を下げる。


「辺境伯様。ごめんなさい。わたしはあなたを騙していました。わたしの『祝福』には、この土地を助ける力などありません。ごめんなさい、わたしはただの何も出来ない役たたずなんです」


やっと言えた。

ヴィンフリートはエルーシアに失望し、王宮に追い返すだろう。

これでエルーシアは自由になるチャンスを失ったが、これ以上ヴィンフリートを騙すことも無い。

と、全てを終わらせた気でエルーシアはヴィンフリートからの怒りの言葉を待ったのだが。


「……どうやら、俺と国王の間には認識の齟齬があったようだな」


ヴィンフリートが怒ることはなく、代わりに彼はエルーシアの頬を伝う涙を優しく拭った。

突然のことに、エルーシアは咄嗟に反応ができないかった。


「俺は君を利用しようだなんて思ったりしてない。君の『祝福』の力のことは俺も知っている。この土地の瘴気を鎮めるというのは、もしかするとの仮定の話であり、それを全て君に期待して結婚したわけじゃない」


「え……?」


「謝るのは俺の方だ。君の『祝福』のことを、君を娶る口実に利用したんだから」


つまり、エルーシアの能力は単に王を納得させるためのものであり、それを目当てに結婚したということではないという話だった。

だからヴィンフリートにとってエルーシアの『死の祝福』がこの土地の瘴気を鎮められるかどうかは重要なことではないのだと。

てっきり自分は役割を期待されて嫁ぐのだとばかり思い込んでいたエルーシアには簡単に信じられない話だったが、ヴィンフリートが語ったことが全てだと、メイドや従者も一緒になって弁明しようとするので、最後は信じる他は無くなった。


「君にとって、結婚するのに利害関係は必要なのかな?」


「……わかりません」


「そんなもの、無くていいんだ。少なくとも俺と君の間には、ね」


だがそれなら、ますますエルーシアには理解不能の結婚になる。


「じゃあ、どうしてあなたはそんなにわたしに優しいのですか」


「え?いや、だから……」


ヴィンフリートは狼狽える。

彼が今語った利害のない関係とはつまり、ヴィンフリートはエルーシアのことが人として好きだから結婚したかった、ということだ。

最初からヴィンフリートはエルーシアの『祝福』はどうでもよくて、エルーシア個人のことしかみていない。

しかし、それは社会経験のないエルーシアに伝わる言い回しではなかった。


「わたしは死神と呼ばれ嫌われている王女です。表に姿を現すことは滅多にありません。あなたがわたしと結婚して、得られるものは無いはずでしょう」


そう。

なぜならエルーシアは『恋』という概念を理解していなかった。

人と人が損得を関係なしに築く恋愛関係を、エルーシアは知らないのだ。


「そんなことない。君はクラルヴァイン領の瘴気のことを知っていながら、一度も『呪われた土地』だなんて口にしていないじゃないか」


ヴィンフリートはエルーシアと目を合わせ、真摯な眼差しで語る。


「俺のこともそうだ。戦ばかりの粗暴な男だと嫌ったりしなかった。君は世間の噂に惑わされず、自分の目で俺たちを見てくれただろう。それだけで十分だ」


クラルヴァイン辺境伯家にまつわる様々な噂話は、当然のように世間に出回っている。

それにより、この家の人々がどんな思いをさせられてきたのか、どれほどの苦痛を抱えてきたのか、エルーシアに分からないはずがなかった。


(そうか……この人も、わたしと同じ……)


クラルヴァイン領を漂う瘴気は、七百年前の戦争の爪痕であり、今を生きるクラルヴァイン辺境伯家の人々は何も悪くない。

領地と国を守るために瘴気やそれらにより生まれる魔獣と戦っているのに、ありもしない悪評を立てられ、今なお責任を背負わされている。

若き当主ヴィンフリートも表面上は明るく気さくに振舞っているだけで、その内側にどれほどの苦しみが秘められているのだろうか。

生まれも育ちもなにもかも違う彼に自分と同じだという認識を押し付けたいわけではないが、彼の苦しみに察しがつかないほどエルーシアは愚かではない。


「昨日も言っただろう。ここはもう君の家だ。自分の心を傷つけて閉じこもる必要はない」


「……はい」


ようやくエルーシアは、辺境伯家に来て初めて笑うことができた。

それはほんのささやかな笑顔だけれど、エルーシアにとっては、もうずっと止まっていた壊れた時計が再び動き出したような、そんな感覚だった。

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