第2話 小さな女神
「結婚……楽しみだなぁ」
塔に戻ってから、簡素なベッドの上で転がってはしゃぐ。
十八歳がするには幼稚な行為かもしれないが、誰も見ていないのだから構いはしない。
「本は何冊ぐらい持っていけるかしら。それから、あの方にお別れのお手紙を書かないと」
「王女殿下!シュトルツ子爵家からの贈り物ですよ!」
「ご、ごめんなさい。今行きます……」
外から怒号が飛んできて慌てて返事をした。
驚いた。誰かが上がってくるのに気が付かないぐらい舞い上がっていたらしい。
足音が部屋の前から去っていくのを確認して、ゆっくり扉を開く。
いつも通り丁寧に梱包された箱は扉の前に無造作に置かれていた。
階段を降りていく侍女たちの声が廊下から聞こえる。
「まったく、いつまで王女はあんな低俗なものを読むのかしらね」
「贈ってくる子爵家も頭がおかしいわよ。いくら娘が可愛かったとしても、あんな孫に気を使う必要無いじゃない」
エルーシアはそれを聞きながら箱を拾い上げ、また部屋に戻った。
(その通りよ……。でもあと少しで出ていくのだから、もうちょっとだけ許してね)
これは、エルーシアの叔父に当たる人物が定期的に新聞を贈ってくれているのだ。
名前はアル・シュトルツ。会ったことは無いが、長年手紙でやり取りしていて、エルーシアは彼を兄のように慕っている。
彼はエルーシアに優しいという稀有な人物で、なにか欲しいものはないのかと聞かれた際、新聞をリクエストしたら以降何も言わずとも贈ってくれるようになった。
一年のほとんどを塔の中で過ごすエルーシアにとって、新聞は足を運ばずとも世間を教えてくれる重要なアイテムである。
いくら嫌われているとはいえ一応は王族なので、歴史書や語学の教科書など様々な書籍は与えられているものの、それだけでは世間の最新の情報を知ることはできないからだ。
まあ、侍女たちには王女が読むにはあまりに低俗だと非難されているが、これしか手段が無いので仕方がない。
というより、この塔にいる使用人は全体的にエルーシアに対して態度が悪く批判的なのだ。
国を不幸に陥れながら、未だ王女の地位にしがみつく恐ろしい死神。
楯突けば殺されるかもしれないそんな相手に、誰が仕えたいと思うのか。
エルーシアのところに配属されたメイドたちは、他の場所で失敗をしたり勤務態度が不真面目な人物であったりと、皆が嫌がる職場を罰として与えられたような人ばかりだった。
恨みを買わないようにか、ちゃんと食事は出されるものの彼らは予算を横領しているので、エルーシアが口にするのは質素な料理がほとんどだ。
具のないスープだけの日だってあった。
それでも誰もこのことを問題視しないし、むしろ、王女は感謝の念が足りないわがままな娘だと言われることもある。
つまりはエルーシアにとって、彼女たちの相手をするには、事を荒立てず大人しく受け入れることが一番平和に過ごせる方法だった。
「お別れのお手紙、なんて書こうかしら」
もうこれからは、アルに頼まなくても自分の足で新聞を買いに行けるかもしれない。
宮廷の嫌われ者のエルーシアにとって、それは夢のような話だった。
エルーシアはゆっくりと箱を開封していく。
予想に反して中には二つの包みがあり、見慣れない小さな方を手に取ってみる。
「わあっ……!」
出てきたのは真紅の宝石があしらわれた可愛らしい髪飾りだった。
エルーシアは瞳を輝かせてそれを眺める。
繊細な造りで、光を受けてきらきらと反射するそれは心躍るようだった。
アルとやり取りができるようになったきっかけはエルーシアの乳母だった。
乳母はエルーシアの母をよく知っており、彼女がアルと連絡を取れるように計らってくれたのがきっかけだった。
その乳母はエルーシアに優しいことから王妃に嫌われ不当に解雇されてしまったが、その後はシュトルツ子爵家にいると聞いている。
アルはエルーシアのことを蔑むどころか、実の家族として大切に扱ってくれ、誰も祝わないエルーシアの誕生日も毎年祝ってくれていた。
「アル兄様……。そうだ、結婚してここを出ていけば、いつかこれをつけてアル兄様に会いに行けるかもしれない」
クラルヴァイン領から王都までは遠いが、会いに行けないことはない。
それに気づいた途端、エルーシアは胸が高鳴った。
一緒に送られてきた手紙をいそいそと開封し、文面を読む。
『拝啓、小さな女神へ。エルーシア、十七歳の誕生日おめでとう。君がもう大人になってしまったなんて、僕はまだ信じられないよ』
小さな女神というのは、エレクシアの名前がノインライト王国の伝説に登場する戦女神エルーシアと同じであることからだ。
元々ノインライト王国ではエルーシアにまつわる名付けは人気だったが、第六王女エルーシアが生まれてからというもの名付ける人はうんと減ったと聞く。
だがアルは皆が死神と呼ぶエルーシアのことを、ずっと小さな女神という愛称で呼んでくれていた。
『今年は偶然良い宝石が手に入ってね。知り合いのところでアクセサリーに加工してもらったんだ。きっと君に良く似合うと思うよ』
顔を合わせたことはないのに、エルーシアのことを思って作ってくれたのだ。
彼の優しさが胸に沁みるようだった。
その後も長い文面は続き、アルの近況やこの頃起きた出来事などなど。
彼は変わらず元気でいるようで、ここ最近は特に仕事が上手くいっていると綴られていた。
『少し間は空くかもしれないけれど、またすぐに連絡しよう。君の一年が幸せであることを、僕は祈っているよ』
その言葉で手紙は締めくくられた。
エルーシアは瞳を少し潤ませながら、手紙をそっと抱きしめた。
「ありがとう、アル兄様……」
彼にも返事を書かなければ。
エルーシアが結婚することになったなんて、アルはきっと、飛び上がるほど驚いてくれるだろう。
(小さな女神、か……)
ノインライト王国に残る伝説の女神、エルーシア。
悪しき神と戦いこの地を守ったとされる美しき戦女神と同じ名を持って生まれた王女なのに、エルーシアは女神にはなれず、死神と呼ばれるようになってしまった。
(こんな王女は嫌われて当然なのに、どうして辺境伯はわたしを受け入れてくれるのだろう……)
結婚についての報告をしようと思ったが、改めて考えてみるとなぜこの結婚が成立したのか不思議で仕方がない。
不幸をもたらす死神を嫁にしたところで、喜ぶ人はどこにもおるまい。
王妃からは疎まれ、異母兄姉たちからは気味悪がられ、挙句実父である国王からは存在ごと否定されたような王女だ。
とことん嫌われている王女を迎え入れたところで、厄介になるのは目に見えている。
国王は義務だと言っていたが、エルーシアの年齢を考えても結婚を名目に追い出すのなら不自然じゃない。
王家との繋がりを強めるためでも、エルーシアなどという王家のはみ出しものを差し出す必要は無いはず。
王家の血筋を持つ貴族やエルーシアの変わりもしく上等な花嫁は他にもいる。
それなのに、あえて呪われた第六王女を選ぶのだからそこに特別な理由が無いわけがない。
「やっぱり呪われた土地が理由なのかな」
ぽつりと呟いた声に返事はない。
呪われた王女と呪われた土地。
案外お似合いだったりして。
エルーシアはいつもと変わらない暗い表情だが、内心はそんな冗談を思えるぐらいには穏やかだった。
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