第3話 クラルヴァイン辺境伯
エルーシアが自身の結婚の理由を知るのは案外すぐのことだった。
「言ったはずだ。お前の『死の祝福』の為だと。お前のその呪われた力で、瘴気を沈め亡霊を眠らせるのだ」
ついに嫁入り当日になって、誰の見送りのないままエルーシアは馬車で運ばれることになったのだが、出発直前になって国王が姿を現した。
思い切って結婚の理由を聞いてみれば、返ってかたのは苛立ったような声色の返事だった。
「ですが、わたしにそんなことはできません……!」
「分かっておる。それを承知で辺境伯側から申し出があったのだ」
そんな話は初めて聞いた。
エルーシアの『死の祝福』に、浄化のような力なんて無い。
むしろそれはミレイユの方ではないか。
辺境伯はなにか重大な勘違いをしているのではないかと、エルーシアは内心大慌てだ。
藁にも縋らないといけないほど深刻なの!?
そんなところにわたしが行ったらかえって状況が悪化しませんか!?
後から話が違うって返却されませんか!?
色々言いたいことは山ほど頭の中に湧いてくるが、この父王にそんなこと聞けるわけが無い。
エルーシアは怖くて黙ってしまったが、顔色のせいでなぜか王と睨み合っていると周囲は勘違いをしている。
「陛下がお怒りに……!」
周囲からざわめきが聞こえてくる。
恐ろしい、とても親子の間で交わすような視線ではないと皆が震え上がっていた。
(怒らせるつもりはなかったのに……)
むしろ、それでも結婚を承諾してくれたことに感謝したいぐらいだ。
今更エルーシアが感謝の言葉を述べたところで、大嫌いな娘の話など陛下は聞きたくないかもしれない。
エルーシアはしょんぼりと落ち込んだまま馬車に乗り込んだ。
そうして、塔を離れて念願だった辺境伯領へとたどり着いたが。
「ここが、辺境伯様のお城なのね……」
辺境伯家が所有する荘厳な造りの古城。
この先は魔獣のうろつく瘴気の濃い森で、隔てるように建てられた高い城壁が強固な守りとなっている。
この城はある種の要塞のようなものだとも言われている。
何百年も前に建てられたと言われているように、黒壁の建物は歴史を感じさせるようでエルーシアにはとても魅力的に映ったのだが。
「こんなみすぼらしい城のどこが良いんです?ああ、王女様は知性も気品もないですから目利きなんてできませんものね。お可哀想に」
馬車から欠伸をしながら出てきた侍女が鼻で笑う。
てっきり一人で行くのだと思っていたが、エルーシアは無知だからとミレイユが侍女を付けてくれたのだ。
だが彼女はこの仕事が気に入らないようで、馬車の中でもずっと苛立っていた。
「や、やめてください、そんな言い方は……」
「あなたの為にわざわざ私がこんなところまでついてきて上げたんですよ!?本当ならこんな薄汚れた城じゃなくて、綺麗な王城でミレイユ様のお世話ができたはずなのに!こんな仕事、私には釣り合わないわ!」
「そ、それは……ごめんなさい」
エルーシアはこの城をみすぼらしいと言わないで欲しかったのだが、彼女には自分の悪口に対してエルーシアが反論したと受け取られてしまったらしい。
彼女は眉を釣りあげて、恐ろしい剣幕でまくし立ててきた。
皆が愛するミレイユの下で働けると喜んでいたのに、第六王女の嫁入りに付き添わされるなんて屈辱的だと感じているのだろう。
「申し訳ないと思うなら誠意を見せてください。長旅とあなたの面倒を見ることで疲れてしまいましたから、早く豪華な食事と綺麗なベッドで寝たいですわ。ここにそんなものあるか知りませんけど、辺境伯様に交渉してください」
「えっと、あなたに上等な扱いをするようにと?」
「ええそうです。王族たるもの、下の者に慈悲を与えて当然ですよね?」
「まあ……」
なんてことだ。
彼女は大きな勘違いをしている。
エルーシアが皆から馬鹿にされている王女だからとなめてかかっているんだろう。
まるで自分が尊大ななにかにでもなったかのようにふんぞり返っている。
(ミレイユ王女はとてもよく働いてくれる子だと言っていたけれど、まさかこんなことになるなんて……)
やっぱりミレイユの下で働けないのが嫌で仕方ないのだろうか。
こんな自分のせいで、彼女に不当な職が与えられることになって申し訳ない。
これではどちらが主なのか周りに示しがつかないが、エルーシアは彼女に言われた通り誠意を見せなければいけないと悩んでしまう。
だがその時だった。
「いや、その必要はない」
まるでタイミングを見計らったかのように、扉が開け放たれて家臣たちを引き連れた辺境伯、ヴィンフリート・クラルヴァインがこちらへ向かってきた。
少し跳ねた黒い髪に、同じく黒の立派な衣装。
エルーシアよりもうんと背が高く、剣を携えて歩くその姿は堂々たるものだ。
その後ろではメイドと騎士たちが背筋を伸ばし礼儀正しく並んでいる。
「辺境伯様……!」
一瞬彼の顔に見とれていたのだろう。
頬を染めてうっとりしていた彼女は、慌てて頭を垂れようとするも今までのやり取りは全て見られていた。
「王都では使用人が主人に無礼な態度を取るのが常識なのか?知らなかったな。勉強になった」
「ち、違います!これには理由が……!」
顔を真っ赤にして言い訳をしようとするが、辺境伯や騎士たちから向けられる視線は冷たいものであった。
「そんなに俺の城が嫌なら、今すぐ帰ってもらおう」
先程彼女は、みすぼらしい城だと酷く罵っていた。
そんなことを言われていい気分になる領主などどこにもいない。
「皆!お客様がお帰りだ!丁重に見送りなさい」
ヴィンフリートの言葉を合図に、騎士たちが数名歩み出てきて侍女を馬車の方へ連れていく。
こんなふうに連行されてつまみ出されるとは思っていなかったのだろう。
侍女はじたばたと見苦しく暴れて言い訳を並べようとする。
「ちょ、ちょっと何するんです!私は王女様の侍女なんですよ!?辺境伯様!」
「悪いが、礼儀のなっていない使用人に与える豪華な食事と部屋は用意していないんだ」
「お待ちください!私は下級貴族の娘ですが王女より辺境伯様のお役に立てますわ!自慢じゃありませんけど、社交界では美人だと評判で」
バタン。
馬車の中に押し込められたことで、彼女の言葉は途中で終わってしまった。
先程までの騒がしさが嘘のように静かになる。
「あんなに頭の悪そうな娘を侍女に付けさせるなんて、ミレイユ王女は人を見る目が本当に無いな」
ヴィンフリートは小さくため息をついた後、困ったように苦笑いをした。
あっという間に解決してしまい、エルーシアは呆気に取られてしまいそうになる。
「初めまして。わたしは、ノインライト王国第六王女エルーシア・ノインライトと申します。騒ぎを起こしてしまい、大変申し訳ありません」
エルーシアは辺境伯に迷惑をかけてしまったと、急いで頭を下げる。
着いて早々にこんな騒ぎを起こすなんて、さすが嫌われ者の王女だと呆れられてもおかしくない。
しかし、彼はエルーシアに蔑みの視線を向けなかった。
「なぜあなたが謝る?あなたは何も悪くないだろう」
「ですが……」
「顔を上げるんだ。君はもうクラルヴァイン辺境伯夫人なのだから」
ヴィンフリートから暖かく手を差し伸べられる。
その手を取って良いのか分からない。
『死の祝福』を恐れるあまり、エルーシアに触れたがるものは誰もいなかったからだ。
動けないエルーシアに彼はそっと微笑むと、自らエルーシアの手を取った。
そしてそのまま手の甲に、騎士のように恭しくそっと口付けをする。
「ようこそ我が家へ。歓迎しよう、小さな女神様」
「えっ……!」
「君の名前は戦女神エルーシアが由来だと聞いているから小さな女神と称させて貰ったが、本当に女神のような愛らしい人だ」
「ええっ……!」
「クラルヴァイン領は宮殿と違って冷えるだろう。君がいつ到着してもいいように暖かい部屋を準備しておいたんだ。さあ、行こう」
「えええっ……!」
歓迎の言葉に、暖かい部屋まで。
エルーシアは予想外の連続に困惑しっぱなしだ。
自分に触れることを嫌がる人ばかりなのに、口づけなんて、そんな、なんてことだ。
くらくらと目が回るような感覚がしてきた。
「ちょっとちょっと、旦那様!初対面でそんなに距離を詰めたら、王女殿下が困ってしまいますよ」
表情を硬くして目を回すエルーシアに、メイドが一人駆け寄って助けてくれた。
ヴィンフリートはぱっと手を離して姿勢を戻す。
「おっと、それもそうだな。すまない、君に会うのが楽しみで気持ちが急いてしまったようだ」
この家は主人と使用人が仲良しなのか、注意されたことに彼はいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
周りの人々も、旦那様はしょうがないお人だなぁ、なんて言ってすっかり雰囲気は和やかになっていた。
会うのが楽しみで、なんてこれも初めて言われたことだ。
会うのが恐ろしくて、ならまだしも。
「まずはゆっくり休むといい。今日からここは君の家だ。自由に過ごして良いし、欲しいものや食べたいものがあったらいつでも言ってくれ」
輝くような眩しい笑顔に、エルーシアはもしやこれは夢で自分はまだ馬車の中で居眠りしているだけなんじゃないかと思わされる。
(な、なに……?これは一体、なにがどうなっているの……?)
だがこれは、エルーシアにとってほんの始まりの一ページにしか過ぎなかった。
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