死神王女に初恋を!
雪嶺さとり
第1話 死神の嫁入り
「死神のような娘だ」
王女が七歳の時、彼女が持つ『祝福』の中身を知った父王はそう言った。
冷たく、忌むように、蔑むように。
それが、彼女の運命を捻じ曲げる、始まりの一言だった。
明かりの灯されていない、薄暗い謁見の間。
外は昨夜からの雨が降り続き、遠くから雷鳴が聞こえる。
この場にいるのは二人。
ノインライト王国国王と、第六王女エルーシアだ。
「エルーシア。喜べ、お前の結婚が決まった」
淡々とした抑揚のない声。
頭を垂れていたエルーシアは驚きのままに顔を上げる。
こちらを見下ろす瞳には特別な色はなく、とても娘の結婚を祝福する父親には見えなかった。
「まあ。わたしが、結婚?」
エルーシアが父の顔を見るのは、実に一年ぶりだった。
突然呼び出され、一体なんの用で叱られるのかと思っていたのだが、結婚とは。
「相手はクラルヴァイン辺境伯だ。お前には城を出て辺境伯家に嫁入りしてもらう」
「わたしが……お嫁に……」
エルーシアは俯く。
視界に入るのは、伸びきった紫色の髪と、装飾の少ない暗い色の質素なドレス。両手の手袋は使い古されていて、貴婦人が付けるレースのアクセサリーのようなものとはかけ離れていた。
とても一国の王女とは思えない格好なのに、王女として結婚する。
お相手は由緒正しい家系の貴族の方。
そう。
結婚。
自分が。
(……わたしがお嫁に!?)
エルーシアが事態を飲み込むのに、数秒間が必要だった。
わあすごい。そんな日が来るなんて思わなかった。
わたしは一生あの塔の中で閉じ込められて世界のことを何も見ることの出来ないまま暮らすのだと思っていた。
やったあ。すごいなあ。
陛下がこんな素敵な贈り物をくれる日が来るなんて、夢でも見ているみたい。
緊張でぴくりとも表情が動かないままだが、エルーシアの頭の中は怒涛の勢いで喜びの感情が流れていく。
だが、そのせいで国王にはエルーシアが結婚を嫌がっているように見えてしまったようだ。
「悪いが、お前の不満は聞いてやれない。この結婚はお前の『祝福』の為であり、お前の義務なのだ」
「不満だなんてとんでもないです!わたし、とても嬉しくて……」
エルーシアの言葉を最後まで聞かずに、王はため息混じりのまま出ていってしまう。
エルーシアは本当に嬉しかったのに、それが父に伝わることはなかった。
もっと大袈裟に振舞ってみれば良かったかな、と両頬を引っ張ってぐにぐにと回してみる。
そんなことで上手に笑えたりはしないと分かっているけれど、やらずにはいられなかった。
塔の中にこもっていると、誰とも会話ができないので笑うことも泣くことも、すっかりやり方を忘れてしまったのかもしれない。
嫁入りする日までにはちゃんと笑えるようになりたいな。
そんなことを考えながら、居心地が悪くて静かな廊下を足早に歩くが。
「久しぶりね、エルーシア。せっかく外に出てきたのに、こんなに天気が悪いなんて残念だわ」
まるでエルーシアが廊下へ向かってくるのを待っていたかのように姿を現したのは、エルーシアの異母姉だった。
「ミレイユ様。お久しぶりです」
慌てて礼をする。
ミレイユと顔を合わせたのもずいぶんと久しぶりのことだった。
彼女は今日も宝石のアクセサリーに華やかなドレス姿で、地味な格好のエルーシアとは大違いの美しさだ。
可憐なミレイユを前にすると、エルーシアは内心ではみすぼらしい自分が恥ずかしくてたまらなくなる。
「かしこまらなくていいのよ。私たちは姉妹なんだもの。ねぇ、あなた結婚するんでしょう?」
「はい。今しがた陛下からそのお話を……」
憧れの存在のようなミレイユが結婚を知っていてくれたとは思いもよらなかった。
しかし、ミレイユの表情は決して良いものとは言えない。
「あなたは世間知らずだから私が教えてあげるけど、クラルヴァイン辺境伯領がどこにあるのか知ってる?知らないでしょう。辺境伯領はね、国の北西部に領地を構えているのよ」
ミレイユはエルーシアに詰め寄ってまくし立てる。
もちろん、触れないようにだが。
「土地一帯が瘴気に覆われて、七百年前の戦争の呪いが深く残っている恐ろしい場所なのよ。それだけじゃないわ。冬の寒さは王都とは比べ物にならない程だし、魔獣の群れはいくつもあって、常に危険と隣り合わせよ」
まるでエルーシアがこれから死地に行くかのような悲惨さだ。
いや、実際そうなのだから仕方ない。
塔の中だけがエルーシアの生きる世界だが、自分の生まれた国のことぐらい知っていた。
七百年前の魔族との戦争による瘴気が深く漂い、世間では呪われた土地と称されている。
ミレイユが今話したことぐらいは頭に入っていた。
歴史書以外でも外から聞こえてくるメイドたちの噂話や、たまにだけ読める新聞などからいくつか情報だけは得ていたのだ。
「あなたは引きこもってばかりでお友達もいないもの。社交界の繋がりで貢献もできなければ、魔獣狩りに参加できるわけでもない。くれぐれも、『死の祝福』で不用意に辺境伯家の人々を傷つけるようなことがあってはいけないわ。あなたは何の役に立てない人だという自覚を持って行動するのよ。いい?」
「もちろんです。ミレイユ様」
「本当はこんな厳しいことは言いたくないけれど、事実だもの。あなたの為よ、私を許してねエルーシア」
ミレイユはエルーシアが何も知らないと思っていたようだが、そう思われても仕方がない。
先程の言葉通り、宮廷内でエルーシアは何の役にも立てないお荷物だからだ。
他の王女のように他国に嫁ぎ外交面で貢献することもできない。
ミレイユのように存在するだけで国益になることも、エルーシアにはできない。
そもそも、この二人は生まれた時から天と地よりも大きな差があった。
ノインライト王国第五王女ミレイユ、それは誰しもが慕い敬うこの国の麗しき姫だ。
王族のみが天から与えられる能力、『祝福』。魔法とはまた少し違う天からの御物であり、歴代の王族はその力で国を守ってきた。
その中で彼女は『豊穣の祝福』を持ち、この国の作物を豊かに実らせ、彼女が歩いた後は花々が美しく咲き誇るとまで言われる程の才能の持ち主だ。
ミレイユは美しく可憐な少女で、知性があり、常に国の人々のことを考えて行動する賢い姫君である。
彼女は国を愛し、国民もまた彼女を愛していた。
だが、同年に生まれた異母妹である第六王女はミレイユと対極のような存在だった。
彼女は、恐ろしい力を持つ呪われた王女だ。
それはこの国の人間なら誰もが知る話だった。
触れた植物を枯らし、愛らしい小動物でも触れただけで命を奪い、彼女が通った後にはひとひらの花弁さえも残らない。
大地を殺し命を吸い尽くす、恐ろしい『死の祝福』を持つ。
それが、第六王女エルーシアだ。
母親は身分は低くとも、何事も技量が良く、宮廷の薔薇園の管理をを自ら進んで見事にこなし、歴代の誰よりも美しく薔薇園を仕上げたことから社交界で注目され、それがきっかけで王にも深く愛された側妃であったが、エルーシアを産んだ際に亡くなってしまい国中が悲しみに暮れた。
さらにエルーシアが母にまるで似ていないことから、王はエルーシアに見向きもしなくなる。
母は花を愛し育てる可憐な精霊のような人で、その娘は花弁に触れることさえ出来ないおぞましい力を持つ。なんと嘆かわしいことか、と。
側妃に嫉妬していた王妃の「王女には静かなところで落ち着いた暮らしを」、という表向きはエルーシアを気遣ったようでその実隅に追いやっているだけの進言もあり、エルーシアは宮廷の最北端にある塔の中で幽閉生活を送ることになる。
だがそれは、エルーシアの長い不幸の始まりとなるほんの一行目だった。
エルーシアが生まれてすぐ、隣国から攻め入られて戦争が始まった。
なんとかノインライト王国の勝利に終わったが、戦争による被害は計り知れない。
その後もこれまでにないような天候の変動に見舞われ、様々な天災により作物の不作や水害などに襲われることは何度もあった。
その度にミレイユの『豊穣の祝福』が国を救ってきたが、それはエルーシアにとって彼女の無能さを際立たせるものであり、貴族や国民はミレイユと比較し、エルーシアの悪評は増えるばかり。
そればかりか、エルーシアの住まう塔では何度か死人が出るような事件が起こったのだ。
病で突然亡くなるメイドや、横領事件の末に殺傷事件までに発展したりと、何かと醜聞になるようなことばかり。
実際はそのほとんどが、持病が悪化して亡くなっただけだったり、不慮の事故や痴情のもつれを職場にまで持ち込んできたり、と幼いエルーシアには一切関係の無いものがほとんどだ。
しかし、人々はエルーシアの住む塔へ行けば不幸に見舞われると思い込むようになり、皆がエルーシアを恐れるようになってしまう。
エルーシアの誕生によって、宮廷はすっかり以前の賑やかさを失った。
側妃を思うあまり抜け殻のようになってしまった国王と、そんな国王に腹を立てる王妃の対立は未だに全て解決したわけではない。
王妃はエルーシアの母をひどく嫌っていた。
彼女に出会ってから、国王の心は完全に王妃から離れてしまったからだ。
死してなお国王の心に居座り続ける悪女だと今でさえいつもエルーシアの母を罵っている。
もちろん塔に幽閉することを進言したことからも、娘のエルーシアも憎悪の対象であった。
宮廷にはいつもどこか重苦しい空気が漂っている。
それはミレイユのような麗しき姫の存在でさえ完全にかき消すことはできなかった。
『エルーシアは王家に不幸をもたらす、死神のような呪われた娘である』
エルーシアが生まれて以来、国やエルーシアに仕える人々は幾度となく不幸に見舞われてきた。
それはエルーシアのせいではなくとも、人々は自然とエルーシアが不幸を運んでいるのでは無いかと指を指すようになった。
上も下も関係ない。
皆に好かれるミレイユ王女との対比もあり、この国の第六王女ことは皆が死神王女として忌み嫌っていた。
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