閑話 裏方の『お兄様』

王太子クロードアルト。

今は亡き前王妃の子息であり、この国唯一の王子だ。

権力を欲する現王妃には目の敵にされ様々な苦労を重ねてきたが、王族としての誇りは高く国民には常に誠実である。


というのが公に知られている王太子のプロフィールである。


「今や王妃と対等にやり合える立場のお前が、妹に対してはこんなに臆病だなんて誰も想像すらしてないだろうよ。な、アル兄様?」


からかうように言ってやれば、彼は恥ずかしがるでもなく軽くあしらわれた。


「黙れ。お前がその名で私を呼ぶな」


深夜、ヴィンフリートの執務室にて。

変装のため黒の外套を身にまとった彼は、目元まで深く被っていたフードをようやく下ろす。

彼が慎重すぎるのは昔から変わらず、妹に関することでもそれは言えるだろう。


「まったく、深夜にいきなり人の家にズカズカ入り込んでくる王太子なんてどこの国にいるんだよ」


「この国にいるが」


そう言いながら、クロードアルトは堂々とソファに座り足を組む。

この時間帯は誰もここまで来ることは無い。

王太子が転移魔法で城内に侵入してきたなんて、新入りの若い兵士は考えたりもしていないだろう。


「はいはいそうだね。で、そっちはどうなってるんだ?」


「予想通りだ。やはり例の魔導具を与えたのはミレイユで間違いないだろうが、表向きに使える証拠が無い。もし失敗してもいつでも切り捨てられる存在だっただろうから期待はしなかったが、やはり使い捨てるつもりだったようだ」


やはり当初は侍女に黒魔法の魔導具を持たせることでエルーシアに罪をなすり付ける計画だったのだろう。

黒魔法が発動したとして、それは傍から見ればエルーシアの『死の祝福』によるものだと思われてしまう。

侍女ならば常にエルーシアの隣にいるだろうから尚更だ。

やはり呪われた王女なのだとクラルヴァイン辺境伯家に再認識させるため、王宮から出ていったところで決して自由になどはさせないというつもりなのだろう。

どこまでも酷いことをする連中だ。

これのどこが美しい王女殿下の所業なのだろうかと、ため息しかでない。

ただ、ミレイユは大きな誤算をしていた。

これら全てはヴィンフリートがエルーシアを愛することがないという前提によるものだ。

ヴィンフリートが裏で王太子と手を組み、エルーシアを王宮から連れ出すつもりだったなど考えてもいないだろう。

そもそも、表向きでは王太子とエルーシアは仲が悪いことになっている。

何度か顔を合わせたことがある程度で、会話は特になく、王太子の眼中にすら無い。

皆からはそう思われている。

実際のことは、王太子の極わずかな側近しか知らなかった。


「あんな粗暴な侍女をつけるとはな……。本当なら私が用意してやりたかったが、下手に動くとエルーシアに危険が及びかねない。ああ、我が妹よ。不甲斐ない兄を許しておくれ……」


「俺にじゃなくて本人に言えよ。エルーシア、今日もあんたに手紙を書くんだって楽しそうにしてたぞ。もういい加減正体を明かしてもいいんじゃないのか。王妃の手から離れて、エルーシアも自由になったんだ」


「駄目だ。今はまだその時ではないと何度も言っているだろう。まだ油断はできない。あの者がそう易々と我が妹を手放すはずがなかろう。今回の件はほんの序章に過ぎず、重要なのはここからだ」


共に王妃に疎まれ、それぞれが違った苦しみを与えられ続けてきた。

クロードアルトは出征を逆手に取りクラルヴァイン辺境伯家をはじめとした様々な人物を味方につけ、逆境から這い上がってきた。

だがエルーシアは、他者との関わりさえ断絶されてきた。

クロードアルトのような清廉な心を持つ人物が、そんな彼女を不憫に思わないはずがない。

王妃に目をつけられないよう、エルーシアの親族である田舎の貴族の名を借りて今日までずっとこっそり支援を続けてきた。

それが、『アル・シュトルツ』の正体だ。


「エルーシアの能力が知られれば、クラルヴァイン領で守りきることは難しくなる。本当なら目覚めさせるつもりはなかったのだが、あの侍女にしてやられたな。王妃派の連中に嗅ぎつけられないよう、目を光らせなければ」


「守ってみせるさ。そういう約束だろ」


エルーシアと結婚する代わりに、クラルヴァイン辺境伯家でエルーシアを守る。

最初は、難航する婚約者探しも解決し、その上相手は見知った相手の妹だから気が楽だという、自分にとって都合が良いから承諾した約束だった。

『祝福』でエルーシアが苦しめられてきたのと同様に、ヴィンフリートも七百年前の瘴気によりありもしない悪評を立てられ長年苦しんできた。

確かに、未だ土地の瘴気は消えず、ヴィンフリートは魔獣や亡霊といった人外の存在と日々戦わなければならない。

それでもこの街の人々は、嘆くことなく力強く生きている。

ヴィンフリートは自らが治めるこの土地を何よりも大切にしていた。

だからこそ、クラルヴァイン領を悪し様に言うような貴族令嬢などと結婚などするつもりは微塵もなく、しかしそうは言っても跡継ぎが無いまま戦場に立ち続けるわけにもいかない。

はっきり言えば自分の都合でエルーシアを選んだのだ。

約束ごとで結婚を勝手に決めたなんてエルーシアが知ったら失望されるだろう。

こんなに彼女を好きになるとは思っていなかったものだから、自分の不誠実さに後悔するばかりだ。


「しかし、お前があの子を本気で好きになるとはな。兄としては複雑な気分だ」


「ああそうだよ。俺はエルーシアを世界で一番愛しているよ。あの子に俺を好きになって貰えるなら、どんな努力も惜しまないさ」


いつの日か本当のことを打ち明けて、それでも彼女が隣にいてくれると言うのなら。

なんて願うのは、我儘だろうか。


「……ふん。せいぜい愛想を尽かされないようにように頑張ることだな」


ヴィンフリートの胸の内を知ってか知らずか、クロードアルトはただそう言った。


「ところで、我が妹は首なしの騎士と仲が良いそうなんだがそいつはどこにいるんだ」


空気を変えるようにクロードアルトはオルクスについて聞いてきた。

確かエルーシアが『アル兄様にお友達を紹介したい』と言っていた。

普通の人に首のない騎士の幽霊と仲良くなったなんて言ったら仰天されるだろう。


「あー……まあ、夜中に城中を探せばそのうち見つかると思う」


「なんだ本当にいたのか。懐かしいな、幼い頃のお前がよく怖がっていた」


「あんたまでその話をするのかよ。もう散々からかわれたんだ、よしてくれ」


かつてクロードアルトはクラルヴァイン城に預けられていた時期があった。

王妃により魔獣討伐に参加刺せられることになったのだが、そのおかげでクロードアルトはクラルヴァイン辺境伯家で厳しく鍛え上げられ以前にも増して魔法も剣も強く成長した。

妨害してやるつもりが裏目に出るとは王妃も思わなかっただろう。

あんなに細かった少年が宮廷騎士団も泣かせるような筋力と剣の腕を手に入れて帰ってきたのだから。

その当時からも首なし騎士の怪談はあったのだが、トリシャやフィデリオに引き続きクロードアルトにまで言われるとは。

ヴィンフリートは抗議するが、次の瞬間、クロードアルトは目の前から姿を消した。

それと同時に、ノックの音がして扉が開く。


「エルーシア?こんな時間にどうしたんだい」


「いえ、オルクスとお散歩をしていたのですが、あなたのお部屋の灯りが付いていることに気づきまして、まだお仕事をされているのかと心配になったのです」


まさかこんな時間に起きているとは思いもよらず驚いたが、またオルクスと会っていたようだ。


「そうだったのか。ありがとう、エルーシア」


気遣ってくれるのは嬉しいが、自分より親密な相手がエルーシアにいるのはちょっと悔しい。

相手は死者だし顔もないとはいえ、だ。


「あら……誰かいらしたんですか?」


何かを感じ取ったように、エルーシアは首を傾げている。

あの一瞬でクロードアルトはエルーシアの接近に気付き転移魔法を使ったようだが、バルコニーでそっとこちらの様子を伺っているのは気配で分かる。


「いいや。なんでもないよ、ちょっと思い出に浸ってただけさ」


これ以上エルーシアに探されては見つかった時面倒なことになるだろうと、ヴィンフリートは早々にエルーシアを部屋から連れ出そうとするとする。

それに、思い出に浸っていたのは事実だ。

あの頃はお互いの将来がどうなるかなんて考える余裕もなかったし、こんなに可愛いお嫁さんが来てくれることも想像すらしていなかった。


「俺の心配をしてくれるのは嬉しいが、もう夜遅いんだ。君も寝ないと。寝室まで送っていくよ」


「あの、よろしければ一緒に寝ませんか?」


「え……え!?」


想定外の誘いにヴィンフリートは思い切りたじろぐ。

兄がすぐそこで聞いているというのになんということだ。

窓の向こうからヴィンフリートの方へ思い切り殺気が飛ばされている。

もちろんそんなことを知らないエルーシアは、慌てふためくヴィンフリートを見て不思議そうな顔をした。


「トリシャから聞いたのです。仲良しのお友達同士で夜通しベッドの上でお喋りをする素敵な催しがあると」


「ああ〜、そういうこと……」


「ダメ、ですか?」


エルーシアの純新無垢な顔を見ていると、一瞬でふざけたことを考えた自分が恥ずかしくなる。

だがそれは盗み聞きをしているクロードアルトも同じことで、大の男二人が揃って彼女の発言に振り回されているのが馬鹿らしくなってくる。


「いいよ、今夜は朝までお喋りしよう!あははっ、君って本当に面白いよ!」


「な、なぜ笑うのですか……!」


肩の力が抜けたと大笑いしながら、ヴィンフリートはエルーシアの手を取り執務室を出ていく。

これから先、エルーシアには様々な困難が待ち受けているだろう。

それでもきっと、この二人なら心配はいらない。


兄の出る幕はないだろうと、クロードアルトはそっと静かに去っていく。

呪われた土地と称されるこの地でみる星は、今宵も変わらず美しかった。

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死神王女に初恋を! 雪嶺さとり @mikiponnu

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