第10話 手を取り合って
「どうりでおかしいと思ったんだ。貴様のことは追い返してやったはずなのに、あの日以降検問を通過した記録がないのだからな」
ヴィンフリートは冷淡な声で吐き捨てるようにそう言った。
騒動が収まりわずか一日も経たないうちにあの侍女は全てを告白したそうで、取り調べといったことはほとんど時間がかからなかった。
そもそも、最初からヴィンフリートたちは彼女の不審な動きに気づいており注視していたそう。
あんなに毛嫌いしていたのだから、これ以上領内に留まる理由は無い。
どこかの宿に泊まっているわけでもなく、街中にさえ姿を現さない。
行方をくらませるとは良からぬ事情でもあるのかと疑っていたのだ。
『これが黒魔法だなんて知らなかったのよ!嘘じゃないわ!私は何も悪くないわよ!あんなのころで魔獣に喰い殺されて死ぬなんて絶対に嫌だもの!』
ヴィンフリートに追い返された後、なんと彼女は御者と言い争った末に馬車から引きずり出され置き去りにされたのだと。
思えば彼女は、エルーシアのみでなく馬車を動かす御者に対しても態度が悪かった。
彼女は本来連れて帰る予定など無かったのだから帰って来なくても不審に思われない。
報酬も貰い、エルーシアを送り届ける仕事もきっちりこなしたのだから、これ以上彼女の面倒を見る気はないということらしかった。
そんな考え方をするような御者を雇っていたことにエルーシアは少しゾッとした。
いくら彼女自身が招いた結果だとしても、そんな人相手ではもしかすると何かが違えばエルーシアも森の中で共に捨てられていたかもしれないからだ。
馬車を雇う金ぐらいは持っていたが、その後彼女は街に戻る前に偶然魔獣の死体に遭遇したのだと。
それが死霊術で操られていた魔獣だ。
近くに仕留めた狩人がいるのではと探そうとしたが、その時、突然黒魔法が発動したという。
「あの魔獣は、他の種族との争いにより傷を負ったようだ。群れから離れて静かに眠りについたところをあの女に見つかり、魔導具の死霊術が発動した。だが本来黒魔法など魔導師でもなんでもない人間が手に負えるものでない」
「こんなもの、どうして彼女が手に入れたのでしょうか……」
押収した魔導具はもう何百年も前から禁じられているはずの黒魔法に関するものだった。
見た目はペンダントトップにダイアモンドが嵌め込まれた綺麗なネックレス。
だが、ヴィンフリートたちの調べによれば現在使われている魔導具とは全く異なるもので、誰かが細工をしたのか使役者に魔力がなくても機械的に発動するよう設計されているそう。
エルーシアはそういったものに詳しくはなく、本で少し記述されていた箇所を覚えているぐらい。
一般の人間にはその程度の認識であるものだから、彼女もこれが危険なものであると気がつかなかったのだ。
その後は死霊術で目覚めさせた魔獣を制御することも出来ず、辺境伯家に助けを求めようにも一度追い返された手前、彼女のプライドが邪魔をして頼るに頼れないまま。
そうしているうちに次第に魔導具も暴走をはじめ、至る所に痕跡を残すような愚かな結果になった、と。
「知人からお守りと称して貰ったらしい。オーダーメイドだそうで、既製品が出回っている可能性は無さそうだが油断はできないな」
「そうですか……。何も無いと良いですけれど……」
「まあ、君がそう気に病むことはないさ。それに、この事件が解決したのは君のおかげなんだ。本当にありがとう、エルーシア」
ヴィンフリートはエルーシアを落ち着かせるように優しく笑う。
黒魔法などという禁術を目の当たりにしたことでエルーシアが精神的に傷を負っていないかと心配してくれているのだろう。
確かにあれからエルーシアはあまり元気がなかった。
だがそれは黒魔法のことではなく、自身の『祝福』についてのことが気がかりだったからだ。
「……どうして急に私の力が目覚めたのでしょうか。宮廷にいた頃はこんなこと有り得ませんでした。皆が私の『祝福』を恐れて、誰からも遠ざけられて生きてきたのに、どうして今になって急にこんなことに」
自分自身のことなのに、何一つ知らない。
そんな現状を悔しく思うと同時に、これまで閉じこもって世界のことを何も知らないままだった自分から変わらなければならないと強く思うのだ。
「そもそも『祝福とは』、この国の神が与えたものなんだ。国の土を踏み、空気を浴びて生きることでこの土地の神力を取り込むのに、エルーシアはそれがまともにできなかったんだ。能力の発現が歪んでもおかしくはない……。いや、むしろ作為的にそうされたんだ」
「それは、誰が……」
「決まってる。王妃だ」
はっきりと、ヴィンフリートはそう言った。
今の発言をもし部外者に聞かれていては罪に問われかねないというのに、ヴィンフリートは迷うことなく言い切ったのだ。
「考えてみてくれ。エルーシアが強い力を手にしたとなると、誰が一番困ると思う?」
エルーシアは答えられなかった。
それでもヴィンフリートは言葉を濁すようなことはしなかった。
「第五王女だよ。彼女は君を比較対象としてより己の『祝福』を印象付けられている。王妃の子は皆王女で王子は結局生まれなかった。王女たちはそれぞれ嫁いでいき、今宮廷にいるのはミレイユとエルーシア、そして王太子だけだ」
王太子クロードアルトは今は亡き前王妃の子である。
エルーシアと同様に王妃は彼のことを疎んでおり、一時期は戦争に出征させられていたりもしたが、彼は着実に政権を握る基盤を築き上げている。
世間で言われていることはそれで、エルーシアが知っているのもこれだけだ。
結局彼と顔を合わせたことは数回しかなく、会話などほとんどしなかった。
「王妃としてはなんとしてでも王太子を廃したかったがそれは上手くいかなかった。だがミレイユには『豊穣の祝福』という素晴らしい能力が与えられた。国民は皆彼女を讃え愛するだろう。しかしそこにもう一人、女神のような力を持った王女が現れればどうなるだろうか」
ミレイユの立ち位置を取って代わるような存在があるとしたら。
「『豊穣』は実りを生み出すが、それだけだ。生命を慈しみ、弔い、悪しき力を払い除け清き魂を守る力。それは、戦女神エルーシアを象徴する力だろう」
女神エルーシアは戦と共にある神であったが、その心は常に平和を求めている。
人々を守るために盾と槍を手に、心は人々の悲しみや苦しみが救われるよう祈り、生命を何よりも慈しんできた。
「わたしは女神にはなれませんよ」
自嘲するようにエルーシアは俯きながら言う。
そんな力があるなんて実感はなく、まだ心は迷いもある。
「ならなくていい。君は君だよ。どんな『祝福』を持っていたとしても、君というたった一人の存在は変わったりしない」
エルーシアははっと顔を上げた。
「でももし、その力が抱えきれなくなった時は俺の手を貸すよ。俺たちは夫婦なんだから、二人で手を取り合っていこうじゃないか」
「……はい!」
手を取り合って、支え合って。
夫婦というものはまだ難しくて、よく分からないこともたくさんある。
けれど、ヴィンフリートと共に並んで前を向けることはエルーシアにとって、とても素敵なことに思えた。
「さて、堅苦しい話はここで終わりだ!それより俺は君ともっと楽しいことがしたい。ここ数日は働き詰めだったし、疲れてるんだ。君に癒されたい」
「癒されたい、ですか?それはどのような……」
「そうだなぁ。まず、もう少し俺に慣れて欲しいかな。こうやって触れ合ったりして」
ヴィンフリートはおもむろにエルーシアの手を取り、手袋を外してしまう。
「……!」
何をするのかと思ったら、彼はエルーシアと手のひらを合わせた。
今まで誰にも触れないようにしてきたのだから、エルーシアは反射的に手を離そうとするが、ヴィンフリートの指が絡められ離せない。
ぴたりと密着する。
触れた手が焼けることは無い。
怪我をすることも無く、ただお互いの体温が伝わってくる。
あたたかい、温もりだ。
エルーシアはもう長いことこの温度を忘れていた気がする。
「どうかな。この手袋も、たまには外すのもいいんじゃない」
エルーシアが気にしているのを分かっていたのだろう。
敢えて直接的に口に出すことは無いが、突然こんなことをしてきたのはエルーシアの為だ。
(なんだかちょっと不思議な気分……)
あたたかくて、心地が良い。
自分のものとは違い、骨張ってちょっとごつごつしている大きな手。傷も彼が剣士であることの象徴だ。
エルーシアよりも温度が高くて、熱くて……。
「あなたの体温が、とても高い気がします」
いくら自分とは違うとはいえ、これは熱すぎる。
よくみれば彼の頬も赤く染まっているではないか。
「そ、そうかな?」
わざとらしくヴィンフリートは目を逸らしている。
慣れないなりに必死にアプローチをした結果の照れなのだが、エルーシアはそんなもの知る由もない。
「お疲れなんですよね。疲労がたたって熱があったりするのではないでしょうか」
「熱は無い気がするけど……じゃあ、少し横になろうかな。膝枕、とかしてもらえると早く治るかも」
「今すぐベッドに行きましょう!大丈夫です。眠れるまでわたしが子守唄を歌ってあげますからね」
「おっとそう来たか」
ちょっと調子に乗ったてみれば斜め上の解答が来たとヴィンフリートは少し笑う。
エルーシアが大真面目な顔をしているのだから、ますます面白い。
「ちゃんと休まないと、風邪をひいてしまいますよ」
「分かった。じゃあ今日はもう休もうかな。眠るまで、傍にいてくれるんだろう?」
「もちろんです。ずっとお傍におりますから」
あんなに触れることを恐れていた彼女が、今はぐいぐいと手を引っ張って寝室のベッドに連れていこうとしているのだから、ヴィンフリートはおかしいやら嬉しいやらで笑いが止まらなかった。
ヴィンフリートの持つ感情と、エルーシアの持つ感情では明確に違いがある。
孤独に過ごしてきた彼女には恋愛感情の前に手に入れるべきものはやまほどあるだろう。
ヴィンフリートが抱える初恋をエルーシアが気づく日は遠い未来かもしれない。
でもいつの日かエルーシアが初恋を手に入れたら、その時自分は彼女になんと声をかけるだろうか。
ヴィンフリートは自分のことを必死に引っ張っていこうとするエルーシアの横顔を眺めて、そんなことを考える。
やっぱり彼女は偉大なる戦女神でも恐るべき死神でもなんでもない、ただの小さな女神でいいんだと、そう思った。
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