第9話 本当の『祝福』

城下の街にほど近い林の中。

報告通り、そこには点々と黒い焦げたような痕が残されていた。

一目で分かる。あの時と同じだ。


「悪いが、エルーシアはここまでだ」


ヴィンフリートはエルーシアを馬から下ろす。

わざわざ馬車を用意して走っていては無駄な時間を使ってしまうと、後ろに乗せてもらったのだ。


「はい。連れてきて下さり、ありがとうございます」


ヴィンフリートはエルーシアの元へ護衛を数人付けた後、魔獣の討伐へ向かわなければならない。

いくら頼んだって、そこまでついて行くことはできないのはエルーシアも分かっている。

彼らは領地を守るために命を懸けて戦っている。

これ以上介入して、いたずらに邪魔をすることなど許されない。


「あの、わたしが心配するまでもないかもしれませんが、気をつけてください。放っておいたら、わたしの『祝福』が良くないことを起こすかもしれません」


「どうだろうか。もしかすると……いや、今はいい。とにかく、少しでも危険だと感じたらすぐに撤退してもらうよ。それだけは約束して」


ヴィンフリートは馬を走らせ、その姿は遠くなっていく。

どうか怪我をしないように。

見送りながらそう祈る。


「よし……」


枯れていく命を眠らせ、そこからまた新たな生命が生まれるように祈りを捧げる。

オルクスから聞いた話の通りになるかは分からないが、エルーシアはそっと屈んで地面に手を伸ばした。

温度は無い。痛みは無い。

ただ、静けさだけを感じる。


『助けて』


ふと、耳元を小さな囁きが掠めていった。

これは、誰の声?

風に乗るように流れていった、ささやかな声。

追いかけようとしても、どこへ向かっているのか分からない。

じっと目を閉じて探ろうとするが、ふと目を開けた時、エルーシアはあっと声を上げた。


枯れた土が元に戻っている。

あの時とそっくりそのまま同じように。

いや、それ以上かもしれない。

エルーシアはゆっくりと点々と散らばる枯れた土の上を歩いていく。


「奥様は一体何をなさっているんだ……!?」


護衛たちが驚きの声を上げている、

エルーシアが踏んだそばから、新しく草花が生えてきた。

まるで、彼女の為のカーペットが敷かれていくかのように広がっていく。

エルーシアは真っ直ぐ歩いていき、護衛の騎士たちは困ったように追いかけてくる。

その果てには、予想通りヴィンフリートたちの姿があった。


「黒魔法の一つ、死霊術か。魔獣に対して使うなんて初めて見たが、厄介なことには変わりない。こいつをぶちのめしてから魔導師を引きずり出してやる」


すらりと剣を抜く彼は、いつもより言葉遣いが荒い。

彼らが対峙する先にいるのは、狼のような姿をした魔獣だった。

しかし、その大きさはヴィンフリートの背丈よりも高く、鋭い牙は今にも人間を噛み砕いてしまいそうな恐ろしさを感じさせる。

いや、それよりももっと恐ろしいことにエルーシアは気づく。


(この魔獣、息をしていない……?)


全身に傷を負っても平然としているように見えるが、この魔獣からは呼吸をする仕草が見られなかった。

もっと言えば、大きな目の焦点も定まっていない。

ヴィンフリートを見ているようで見ておらず、まるで演劇の大道具に使う人形が壊れたかのような佇まいだった。


『助けて』


また声が聞こえる。

今度ははっきりと聞き取れた。

幼い子供のような高い声だが、弱々しく力が無い。

呪いや黒魔法により本来あるべきでは無い死を迎える命。

オルクスの言っていたことはこれだったのかとようやくエルーシアは理解する。


「ヴィンフリート!」


「エルーシア!?なぜこっちへ来た!」


オルクスの言うことが本当なら、エルーシアの能力は黒魔法に対しても有効なはずだ。

驚くヴィンフリートに対して、エルーシアは迷わず進んでいく。


「その魔獣に触れさせてください!」


「何を言っているんだ!?」


しかし運悪くエルーシアが現れたと同時に魔獣も動き出した。

護衛の騎士たちに引っ張られ、エルーシアはヴィンフリートから遠ざけられる。


「暴れだしたぞ!構えろ!怯むな!」


騎士たちが剣を振りかざし、一直線に振り下ろす。

だが、その刃が魔獣を切り裂くことは無かった。


「なにっ……!」


キィッ​──────!、と鋭い金属音を立てて、剣はなにかに弾かれた。

勢い余って彼らの剣は手元から離れ飛んでいく。

まるで魔獣との間に見えない透明な障壁でもあるかのようだった。


「落ち着け。相手は黒魔法だ。物理で押し通すなら、無闇に攻撃してりゃあいいってものじゃないぞ!」


ヴィンフリートは冷静に魔獣からの攻撃を剣で弾き返している。

大きく尖った爪と剣がぶつかり合い、激しい音を立てた。

魔獣とヴィンフリートの攻防に入る隙はなく、エルーシアは固唾を飲んで見守る。


(何か、わたしにできることは……!)


せめて、魔獣の動きさえ止まってくれれば。

慈悲を与え祈る。

聖職者のようなことはエルーシアにできないが、オルクスの話を思いながらひたすら願う。


「散れ!」


無数の氷の刃が生み出され、目にも止まらぬ速さで飛散していく。

氷は魔獣の体を貫き、地面に縫い付けるかのように深く突き刺さっている。


『お願い』


また、子供のような声だ。

エルーシアを呼んでいる。


エルーシアにはこれが誰の声なのかもう分かっていた。

足は自然と魔獣の方へ向かう。

エルーシアを抑えていた騎士たちも、エルーシアの普段とまるで違うただならぬ様子に気圧されたのか手を出すことはできなかった。


「遅くなってごめんなさい。もう、大丈夫ですよ」


エルーシアは地面にしゃがみ、地に伏した魔獣へ穏やかに語りかける。

この声は魔獣のものだったのだ。

呪われた力で、瘴気を沈め亡霊を眠らせる。

国王からその話を聞いた時はそんな力など存在しないとひどく困惑させられたが、まさかそれが本当になる日が来るとは思いもよらなかったり

ヴィンフリートがこちらへ駆け寄ろうとするが、エルーシアの方が一歩早かった。


『祝福』が目を覚ます。


エルーシアが魔獣に伸ばしたてのひらから、眩い光が放たれる。

それは激しい閃光ではなく、暖かな春の日差しのような、包み込むような優しい光だった。

真っ白な光が消えた後、魔獣はもう動き出すことはなく、最初から動かぬものであったかのように力なく横たわっていた。

もう、声はどこからも聞こえない。


「奥様は、やはり女神だったんだ……」


一人の騎士がぽつりと呟く。

あんなにおどおどして怯えてばかりだったはずなのに、今のエルーシアからは神々しささえ感じられるようだった。


「私の『死の祝福』に、亡霊の魂を眠らせる力があると国王に進言したのはあなたなんですよね。ずっと信じられませんでしたが、どうやら、本当だったみたいです」


最初から国王の話していたことは間違いなかったのだ。

辺境伯家がどのようにしてこの力の真相を見つけたのかは知らないが、慧眼というべきかなんというか。


「それが君の本来の姿なんだ。恐るべき『死の祝福』など、最初から無かったんだよ」


「ヴィンフリート。あなたの知っていることを、全てわたしに話してください。あなたには聞かなくてはならないことがたくさんあるようです」


エルーシアがきっぱりとした口調で迫れば、さすがにヴィンフリートも観念したようだ。


「……分かった。帰ったら全部話すよ。これ以上隠す必要も無いからね。ただその前に、俺の仕事をさせてもらおうかな」


ヴィンフリートの表情が先程のような冷徹な顔に変わる。

彼が見ているのは、エルーシアの背後だ。

その先に何がいるのか。

ただならぬ雰囲気を感じてエルーシアは、黙って横に退く。

後ろに続くのは広大な森林だ。


​───────カサリ。


誰かが葉を踏んだ音が、微かに聞こえてきた。


「待て!」


次の瞬間、ヴィンフリートが鋭い声とともに剣を投げる。

まるで弓のような扱いだが、その切先は確実に仕留めたようだ。

茂みの向こうから、女性の呻き声のようなものが聞こえてくる。

騎士たちが一斉に駆け寄り、そこにいる人物を捕縛しようとする。

そこにいたのは、ヴィンフリートの剣に衣服を貫かれ、地面に這いつくばって震えている女性だった。


「魔導師です!確保しました!」


「違う!私は悪くないわ!魔導師なんかじゃないの!離しなさいよ!」


逃げようと暴れるが力でかなうわけがなく、彼女はきゃあきゃあと喚いている。

縄で縛られ連行されようとしている女性に、エルーシアはゆっくりと近づいていく。


「あなたは、ミレイユ様の侍女だった……」


彼女はエルーシアの方を向き、キッと睨みつける。

まさかこんな所で再会することになるとは思わなかった。

クラルヴァイン領に来た初日に、無礼な態度を取ったことでヴィンフリートに追い返しされていたあの侍女だ。

もうとっくに王都へ帰ったものだとばかり思っていたので予想外としか言いようが無い。


「どうしてこんなことを……」


「……どうして?ふざけないでよこの死神!ミレイユ様の足元にも及ばないような屑が!こんなことになったのは全部あんたのせいよ!処刑されるべきはあんたなのにどうして私が!」


「黙れ。続きは牢の中で聞かせてもらう。連れて行け」


ヴィンフリートに凄まれてようやく侍女は黙る。


なぜ彼女がこのような騒動を起こしたのか。

エルーシアがそれを知るのはすぐのことだった。

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