第6話 枯れた花

あくる日、いつものようにヴィンフリートの私室ではクローゼットの前でいつもと同じ光景が繰り広げられていた。


「なあフィデリオ。今の俺、大丈夫か?ちゃんとかっこいいか?」


「いつも通りですよ。全く、変に気取って格好つけなくても奥様に嫌われたりしませんと何度も言っているじゃないですか」


「それでもだ。好きな人に好きになってもらう為に、出来ることはなんだってしないと」


何度も衣装をチェックしては同じ質問を繰り返すヴィンフリートに、側近のフィデリオはすっかり呆れた顔をしている。

幼い頃から共に育ってきた二人は兄弟同然の中であったが、フィデリオは自身の主が結婚によりこんなにも腑抜けた姿になるとは思ってもいなかった。


「はぁ……やっぱり最初から真実を告げるべきだったのに。どっかの臆病者の誰かさんのせいで、下手したら俺はエルーシアからの信頼を失うかもしれないんだぞ」


「文句なら私ではなくあの方に仰ってください」


「それができるならそうしてるさ。でもどっちにしろ今更エルーシアに言えるわけないだろ。俺が頼まれて結婚したんだ、なんてこと」


ヴィンフリートの深いため息だけが部屋に響く。

エルーシアと親しくなればなるほど、その問題はヴィンフリートの心に重くのしかかっていた。




同じ頃、エルーシアも自分の部屋でベッドに横になりながら考え事をしていた。


(ヴィンフリートは、わたしの能力は『結婚の為の口実』だったと言っていた。それは、なんの為に?)


それは、この数日間ずっとエルーシアの頭の中にあった疑問だ。

辺境伯家では暖かく受け入れられ、街の人々からも歓迎され、まるで何もかもが順調な今の状況。

順調すぎて、なにかがおかしい気がしてならない。


考えてみれば、まだ顔も合わせていないのに、ヴィンフリートはエルーシアとの結婚を望んだのだ。

見返りも、ヴィンフリートの得になることも無いのに、彼はエルーシアと結婚したいと考えた。

それは、何故?

そもそも、どこで彼は自分のことを知ったのな?


彼らが自分に優しいのは、辺境伯家を偏見の目で見なかったからだという話をしていた。

ヴィンフリートにとってそれは顔を合わせてから分かったことで、お互い会うまではエルーシアがどんな人間なのか分からなかったということにもなる。


理由なくヴィンフリートが悪評高い王女と結婚したがるだろうか。

それも、相手は若くして辺境伯家当主となり日々領民を守るために自ら剣を持ち戦うような人物だ。


(分からない……分からないわ……)


「奥様、少しよろしいですか?」


コンコン、というノックの音と共にトリシャの声が聞こえてきた。

慌てて起き上がり姿勢を正す。


「どうしました」


ガチャっと扉を開けて顔を覗かせたトリシャは、エルーシアを見てにっこり笑う。


「もしよろしければ、ちょっとしたお出かけをしませんか?なにかお悩みのようですが、部屋にこもってばかりでは気分も晴れませんよ」


「そうですね……」


トリシャには気づかれていたようだ。

彼女の言うことも一理あるだろう。

このままベッドの上にいたってヴィンフリートの心は見えてこない。

エルーシアはトリシャの誘いに乗り、侍女たちと共に城の近くでピクニックをすることになった。

庭園でのティータイムも良いが、今回は少し趣向を変えて城付近にある見晴らしの良い小高い丘でゆっくりしようというトリシャからの計らいだった。


「風が気持ちいいですね……!」


奥様のために用意したんですよ、とお手製のお菓子の詰められたバスケットを嬉しそうに抱えている。

ここからだと城下の景色がよく見える。

城壁の向こう側は瘴気の漂う地帯だそうだが、街は今日も賑やかな様子がうかがえて、とても悲しみに溢れた呪われた土地には思えない。

それに何より、ここは宮廷よりもずっとずっと空気が澄んでいて心地よい。


「あらっ、子兎だわ」


一人の侍女が声を上げた。

なにか白い小さな塊のようなものが、高速で駆け抜けていくのが見える。


「こんなところから一匹で飛び出してくるなんて珍しいわね。追いかけなくても……まあ、きっと帰れるでしょう」


遠くなっていく小さな後ろ姿に、皆が不思議そうに首を傾げた。

小動物は森の中で見かけることがあっても、一匹のみで駆けてくることはあまりない。

群れからはぐれたような様子、というよりも。


(なにかから、逃げている……?)


純粋にエルーシアはそう思った。

狩人に追いかけられたのか、とも思ったがどう考えてもここは狩りに適した場では無い。

エルーシアは慎重に、兎が走ってきた方へ歩いていく。


「奥様?」


森の方へ進んでいき、茂みを超えて先へ向かう。

理由は分からないが、そうしなければならないような気がしてならなかった。

そんなはずはないのに、まるで誰かが自分を呼んでいるような、待っているような気がして。


「これは……」


エルーシアは思わず息を飲んだ。

植物が枯れている。

不自然に、草木や花が何かに塗りつぶされたように、周囲は正常なまま一箇所だけが枯れている。

枯れている、というより黒く染められたかのような、自然界のものとは思えない色だった。


「奥様!触れてはなりません!」


トリシャが鋭い声で制止する。

思わず伸ばしかけていた手を止めた。


「ヴィンフリート様をお呼びして!急ぐのよ!」


「はい!」


指示を受けた侍女は冷静にすぐさま走っていく。

一体何が起こっているのだろうか。


「瘴気の影響……?そんなはずないわ、今までこんなことはなかったもの。これはどう見ても人為的なものよ」


トリシャの表情が険しい。

エルーシアはとんでもないものを発見してしまったようだ。

あの時、予感のようなものを感じたわけではないが、自然と足が惹かれるようにこちらへ向かっていた。


(もしかして、これはわたしのせい……?)


死神と呼ばれ忌み嫌われた王女が来た途端に、こんな騒動が起こったのだ。

関連性が無いわけない。

以前、王妃から贈られた花を『死の祝福』で枯らしたことがあった。

今目の前の土も、何らかの人為的な力により枯れたように見える。

能力が暴走して土地に影響を及ぼしているのか。

もしそうだったら、自分は辺境伯家に恩を仇で返すようなことをしていることなる。

そう考えると、目の前が急に真っ暗になるようだった。


「奥様、大丈夫ですよ。すぐに旦那様が来てくださいますから、あちらで休みましょう」


エルーシアがこの光景を見てショックを受けていると思ったのだろう。

トリシャはエルーシアを気遣い、この場から離れようとするが、エルーシアは動かなかった。


「トリシャ、ごめんなさい」


エルーシアは手袋を外し、枯れて黒くなった花に手を伸ばす。

以前の時は、枯らした本人のエルーシアが枯れた花に触れてもなんの影響もなかったが、それ以外の人は素手で触れると火傷をしてしまいそうな程の熱さだったようで、幸いにも怪我をした人はいなかったが、大変に恐れられていたのだ。

しかしその経験により、能力を使役したエルーシアには害が無いのではという仮説は、ずっとエルーシアの頭の中にあった。


(もし考えがあっていれば、きっと……)


どうか、焼けるような熱さであって欲しい。

どんなに酷い火傷をしても構わないと思えるほどに、どうしても確かめたかった。


「奥様!」


「あれ……?」


触れた先に熱は無く、代わりになにか一瞬白い光のようなものが見えた。

何が起きたのかを考える間もなく、花は灰になってしまったかのようにぱらぱらと黒い粉を散らしながら形を崩していく。

それどころか、灰は積もることなく地面に消えていき、そこから元の緑色が広がっていく。


「なに、これ……」


夢でも見ているのかと思った。

エルーシアが触った花が咲いていた箇所だけ、元に戻っている。


「奥様、今のは……」


「ご、ごめんなさい!」


エルーシアは反射的に謝り、ぎゅっと目をつぶった。

勝手に触れたばかりか、事態を余計にややこしくしてしまったのだ。

叱られて当然だと身構えたが、トリシャは縮こまるエルーシアの背をそっと優しく摩るだけだった。


「怒っているわけじゃありませんよ。とにかく、旦那様を待ちましょう。ほら、もう来てくださったようですよ」


顔を上げれば、遠くの方から馬に跨ったヴィンフリートがこちらへ向かってくるのが見える。

この時間は執務をしていたはずだが、話を聞いて慌てて駆けつけてくれたのだろう。

エルーシアはこれをどう説明すべきか考えたが、どうにもならないことは明白だった。

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