第5話 美しい国を捨てた二人

「あれ」


 てっきり死んだとばかり思っていたのに、私はあっさりと目を覚ました。実は撃たれてなかったのだろうか。そう思って胸の辺りに触れてみると、撃たれた痕跡はあった。服に小さな穴が空いている。


 びっくりしたのはそれだけではない。


 私の顔を覗き込んでいるトーマス様の姿だ。


 元に戻っている。

 人間の――それも、『世界一美しかった』という、あの時の姿にだ。


「トーマス様、そのお姿は。呪いは」

「解けた」

「解けた、ということは」


 つまり、トーマス様のことを愛してらっしゃる方とキスをしたということなのだろう。そう考えて目の前が真っ暗になる。そんな方が現れたということは、もうおそばにいられないかもしれない。

 がくがくと膝が震えてきて、それを止めようと起き上がり、手を伸ばす。そこで気が付いた。


 私も、姿に戻っているのである。

 元の、真っ白な姿に。


 わたわたと袖をまくって確認するが、やはりどこもかしこも真っ白だ。


「あ、あれ。私、ちゃんと――」

「ちゃんと、かい?」


 言おうとしていたことを先回りされ、ぎくり、と身体を強張らせる。


「トーマス様、御存知だったんですか。私が純白種だって」

「もちろん」

「でも、私、最初にお会いした時は薄汚れてて、真っ黒で」

「そうだね」

「その時に声をかけていただいたから、斑種がお好きなのかと思って」

「それは否定しないけど」


 でもね、と私の手を取る。しっとりとした、すべすべの手だ。枯れ枝のようにかさついて苔まみれの手ではない。


「僕は、君を一目見た時から、とても素敵な子だと思っていたよ。身体の模様なんて関係ない。種族も何もかもね」

「そう言ってくださるのは嬉しいのですが」


 ぼろ、と目から涙がこぼれる。


 だけどもう、トーマス様にはお相手がいらっしゃるのでしょう? 呪いを解いた方が。


 ぼたぼたと落ちる涙が服に染みを作っていく。

 それをさっと撫でて乾かし、私の頬を滑る涙も指で優しく掬い取る。


「呪いを解いたのは君だよ、ルラベル」

「え」

「まぁちょっと緊急事態でね」

「あの、どういう」

 

 つまりだね、とトーマス様が説明してくれたことによると、だ。


 やはり私は王に撃たれたらしい。

 不意を突かれて一瞬出遅れてしまったトーマス様だが、弾が私の胸を貫く前――服を裂き、皮膚に到達したところでそれを止めた。私は死んだのではなく、ショックで気絶していただけ、というわけである。動かなくなった私を見て、彼は思わず口づけをした。何、人工呼吸のつもりでね、とトーマス様は笑っていたが、珍しく額に汗をかいているから、恐らくは、万が一のことを考えて焦っていたのだろう。


 それで、回復のための魔法を使ったと。


 呪いはその際に解けたらしい。

 つまり、私の、トーマス様への想いが有効だったというわけだ。そりゃあ、そんなことをちらりと考えたりもした。私だってトーマス様のことを愛しているのだと。けれど私は異種族で、対外的には斑種ということになっている、汚れ者だ。そんな私がどうして思いを告げられよう。


 ただちょっと加減を間違えたみたいで、せっかく君が頑張って染めてた毛皮も元通りになっちゃってさ、と気まずそうに笑う。


「でもさ、僕はずーっと待ってたんだよ」

「待ってた?」

「ルラベルの方から仕掛けてこないかな、って。だって君、僕のことが大好きだろう?」

「それはもちろん。お慕い申し上げてます」

「いや、そういうオシタイがどうのこうのじゃなくてさ。どう? 僕って、良い男だと思わない?」

「それはもう」

「とっても紳士だしさ」

「もちろんです」

「時に少年のようだし?」

「それもありますね」

「いまなんてほら、とびきりの美男だ」

「私は、『化け物魔道士様』の方も好きでしたけど」

「そうなの? あちゃー、戻らない方が良かったのかなぁ」

「どっちでも良いです。どっちでもトーマス様ですから」

「そっか、そうだよね。だからさ、もっとルラベルからぐいぐい来てくれても良かったのに、って」

「今後はそうさせていただきます」

「ほんと、なら良かった」


 よし、これでハッピーエンドだ。じゃあ帰ろう、とトーマス様は笑顔で立ち上がった。


 のだが。

 

 視界の隅にある玉座の上に、何やら、うごうごとした汚物の塊のようなものがある。うめき声のようなものがぽつぽつと聞こえて気味が悪い。


「トーマス様、あれは」

「――え? あぁ、あれね。国王だよ」

「それがどうしてあんな姿に?」

「いや、呪いが解けた時にさ、なんか勢い余って飛んでっちゃって」

「何が」

「呪いが」

「えぇ」

「ほら、僕だからあの程度だったけど、アイツ、権力があるってだけの人間だからね。強すぎたんじゃないかな」

「成る程。でも、ということは、愛する方とキス出来れば」

「解けるよ、もちろんね」


 大きく頷いて、その、うごうごと緩慢に動く元国王に向かって「聞こえたか? 大丈夫、愛する者とのキスで戻るよ。僕を見たろ? 実証済みだ。安心したまえ」と声をかける。


「というわけで、万事解決だ。人間の問題は人間がどうにかすれば良い。自分達が散らかしたものは自分達でどうにかすれば良いんだ。平和の大祭とやらは来年なんだろう? 間に合う間に合う。それまでに君の奥さんでも愛人でも娘でも良いからさ、キスしてもらいなよ。最も、その醜い姿を受け入れてくれれば、だが」


 では僕は、僕の大事なパートナーと共に隠居生活に入らせていただこう。


 高らかにそう宣言して、トーマス様は私を抱え、飛び上がった。


「さらばだ、美しい国」


 そうしてその国から、魔道士は消えた。

 

 あの美しい国から、祭りを知らせる文はまだ届かない。

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化け物魔道士様と斑の私 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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