終幕

二十、七つ穴から覗くなら、見つめ返されると心せよ

 集落から民宿「ほくと屋」に戻って、ヒョウがまず行ったのは祖母の安否確認だった。病院で付き添っているという叔母から容態を聞き、へなへなと崩れ落ちる。


「……ばっちゃん、安定しとるて」

「そっか」


 スプレーするタイプの喉薬を使いつつ、りんは相づちを打った。


「寿命だいぶ削ってもうたから、怒られるやろなあ」

「……ぶっちゃけ、どんぐらいだ?」

「たぶん五年ぐらい」


 思わずりんは目眩を覚えた。ぎゅるっと額に刺さって、頭痛になるタイプの。

 ヒョウは今十三歳だ。十八までには連れて行かれるとされていたが、そこから五年も短縮されているとなると、今にも死にかねない。


「嘘。三年ぐらいかも」

「心臓に悪いだろうが! マジ手ェ打たなきゃどうしようもねえぞ」

「黙って連れて行かれる気はあらへんよ」


 たった十三歳の少女が、たかだか自動書記の能力程度で、その人生を理不尽に絶たれる。一度は腕を落として逃れようとしたが、無駄だった。

 ヒョウの背負う運命は、籠ノ目宵路とはまた別の過酷なものだ。何とかしてやりたい。かつてそう誓った仲間である紫藤しどう恵生めぐみは、もういないけれど。


「たぶん、みすら菩薩は、鬼頭観音より強い」

「使えるもんは、なんでも使うしかねえよな」


 友人をうしない、異界に引きずり込まれ、生死の瀬戸際に立たされながら、黒鳥りんの闘志は衰える所がない。それがヒョウには頼もしくもあり、恐ろしくもある。

 世が世なら、英傑の星に生まれていた女だろう。



 隻眼になった宵路が高山市内で入院していると、宇蛇うだ亜紀奈あきな山縣やまがた時郎じろうが見舞いに来た。亜紀奈はほし集落の分校で二つ下、時郎は一つ下だった同郷の仲間だ。


 ちょうど、夏休みで里帰りしている所だったと言う。二人を通して、宵路はかつて校長を務めていた今永康一の死を改めて知った。

 彼は首吊りではなく、以前から疾患を抱えていた心臓の発作で亡くなったらしい。


「そういえば、昔は私のこと、見鬼って呼んでいた……よね?」


 恐る恐る切り出すと、幼なじみたちの反応は意外と軽かった。


「あったあった! そういえば見鬼くんって呼んでた時、助けてくれたよね。変なオバケがいて、なんか、悪夢みたいな変な感じだったけど」

「おれはカッパだったなー。なんか随分ヤバかったことだけ覚えてら。寺の坊さんが、川におにぎり投げ込んだりしてさ」


 宵路はさっぱり思い出せないが、二人はハッキリ記憶しているらしい。


「えっとー……そんなこと、したっけ……?」

「覚えてないんだ」

「まあ、見鬼呼ばわりをめちゃくちゃ嫌がっていた時期、あったもんなあ」


 あれやこれやと話している内、宵路にも記憶がよみがえってきた。亜紀奈のぬいぐるみを奪って、入りこんだ悪霊を追い出したこと。

 カッパに眼をつけられた時郎を、連れて行かれないよう四苦八苦した時のこと。


 星集落はどうも、鬼頭観音の存在で魑魅魍魎を引きつける傾向にあったようだ。

 あのころはなぜかだか、「気づいた人が対処する」精神で、色んなオバケと人間のことを解決していた気がする。それがいつしか、嫌になってしまった。


――ひいおじいちゃんにも、よろしく。


 普通の子供になりたいと願って、自分を守護してくれている存在のことまで、忘れ去って。もう会えない死者を求める気持ちは、今でも変えられないけれど、いつの間にか、周りに合わせて生きることばかり考えて、大切なことを見落としていた。


 雨太郎との約束も、見鬼という立場であった時のことも、籠ノ目宵路という人間を構成する大事な軸だったのに。

 自らそれを手放したから、こんなにも生きづらくなってしまった。



「オメーの呪いってさ、つまり白血球だったんじゃねえかな。体の中に入ってきた異物を攻撃するけど、免疫がないから自分も無害な物も、見境なくぶっ殺す。自己破壊だ。免疫は疫神を免れる力、って言うならさ、方相氏とも合う」


 夏休みが明け、学食で再会した黒鳥りんは、うどんをすすりながら自説を開陳した。それがどこまで信用に値するかはともかく、やることはいくらでもある。


「別に金輪際、怪異と関わらない人生送ってもいいんだぜ。ヨミチ」

「私が鬼頭観音を連れてきたから、あの子は近いうちに死んでしまうんだろ。今さら、見て見ぬ振りなんてできないじゃないか」


 りんはニヤリと笑って、カレーライスをおごってくれた。


「ところで、邪眼って四つあるんだよ? 方相氏はそうだったろ」

「そうだね」


 魌頭きとう観音に関する来歴は、ヒョウの自動書記がおよそ暴いていた。そこから分かるのは、邪眼の持ち主は、籠ノ目宵路とは別にもう一人いる、ということだ。


「オメーで今一つ、もう一人が二つ。全部そろえばアイツは完全復活ってワケだ。嫌な予感しかしねえだろ」


 どうでもいい、という気持ちと、何かしなくてはという思いが、それぞに宵路の中で乱立する。やはり死んでしまった方が楽だろう、と。

 だが、命を絶つことを選んだその先で、本当に会いたい人たちと会える保証はないのだ。死とは常に未知の世界なのだから。


 生きてあがくしかない。それが神の企みでも、仏の手に載せられているのでも、実際にこの体を通じて見て、話して、触れて、歩みを進めるのは己だけなのだから。

 出生も、その後の人生も、籠ノ目宵路には最初から穴が開いていて、どうしようもなく足を引っ張る。その上穴からは神々が覗き込んでいて。


 それでも。

 それでも!

 今はただ一人の親友、蕃雨太郎のためにも、怯むわけにはいかない。


「星集落のことは、私がいつか蹴りをつけるさ」


 今までにない力強さで、籠ノ目宵路は断言した。


【終】

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【完結】よって、方相のごとし 雨藤フラシ @Ankhlore

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