ウミガメの贈り物

つくも せんぺい

流れ着いたメッセージ

 この夏、僕が海で拾った瓶の話だ。


 


 僕が住むこの海辺の町では、流れ着くものを総じてそう呼ぶ。

 ばぁちゃんが管理人として住み込んでいる寺で一緒に生活しながら、夏休みには遊泳地の砂浜のゴミ拾いをするのだけれど……。



 ――……ケテ。



 流れ着いていた瓶に触れた瞬間だった。

 誰かに呼ばれた気がして振り向くけど、誰も居ない。そのまま波音に吸い寄せられるように海を見ると、点々と浮かぶ島の一つに視線が釘付けになる。


 我に返って瓶を確認すると、中に一枚のメモ用紙くらいの紙、……違う、木の皮が入っていた。蓋はなく、よく沈まなかったなと思う。

 中身を取り出すと、紙きれのような木の皮には文字が書いてあった。


 ミツケテ。





「捨ててきな」


 開口一番。外で掃き掃除をしていたばぁちゃんは、僕の手にある物を見るなりそう言った。まだただいまだって言ってない。


「ばぁちゃん、コレ見て」

「もう見たよ」

「ウミガメの贈り物の瓶に、メッセージが入ってた。見つけてって」

「いいかい? もう一回言うよ。それは、ゴミだ。捨ててきな。裏の置き場でいいから」


 嘆息しながら、ばぁちゃんは掃く手を止めて僕に体を向け、あからさまに不快そうににらんだ。彼女は小柄だが目つきが鋭く、怒ると威圧感がある。普段はカラッとした性格で友だちみたいに話せるから、こういう時は言葉に詰まってしまう。

 それでも僕は、眉間にしわを寄せるその目をグッと見つめ返した。


「何回目だい。贈り物なんて言われてるが、ウミガメに人の良し悪しなんてモノは関係ない。だから運ばれた物が何であっても気にせず、触れず、燃やし、砕き、埋めるのが正解なんだよ。言って聞かせてきただろう?」

「でも、触った時に声が聞こえたんだ」


 ゴミにした方が良い。

 ばぁちゃんが言っていることは正しい。今回のようなことは初めてじゃない。この夏休みの間でも、既に二回はメッセージめいた物を拾っていた。


 一つは電話番号の入った瓶。正体は優しい声のロマンス詐欺。しかも、もう存在しない番号の。何度も電話して、めちゃくちゃ怒られた。


 もう一つは手のように見える流木で、なぜか持ち帰った僕が寺の敷居を跨げずにいると、木から首を絞められ、寺の居候から助けられた。その後めちゃくちゃ怒られた。


 この二つは今年だけの話で、僕は毎年夏には何かしらこの町に流れ着くウミガメの贈り物でトラブルにあっている。


 ばあちゃんが言うには、僕は見えない意志や観念に引っ張られやすい体質らしい。気づいたらその状況になっていて、そのことに疑問を感じない。居候が言うには、自衛する気がない甘ちゃん。言い返すことはできないけど……。

 それでも、僕は呼び声に応えたかった。


「今までのよく分かんない何かとは違う気がするんだ。見つけてあげたいんだよ」


 その言葉にしばらく僕を睨み、ばあちゃんはまた深々とため息を吐いた。


「まったく……それがもう呼ばれているっていうんだ。まぁ、黙って行かれたらなお迷惑か」


 しぶしぶといった様子だが、彼女は行くことを認めてくれたようだった。瓶を受け取り、中を確認する。


「このメッセージがのかい。いいかい? 誰が瓶を流したかなんて分かりゃしない。手遅れだとしても、それでも行くのかい?」

「行く。手遅れでも、帰りたがっているかも知れないでしょう?」

「……そうだね。、聞いてるんだろう? また仕事だよ」


 ばぁちゃんは相変わらず不機嫌そうに、居候の名を呼んだ。





ぼうりないな。何回目だ拾い物。本当に道の草でも食べるんじゃないのか?」

「こしあんしか食べない偏食家に言われたくないね」


 。寺にお供えされる、こしあんおはぎだけを狙って盗み食いすることからその名が付いた、きつねみたいなふわっとした妖怪だ。

 ばぁちゃんが捕まえて、報酬のおはぎをエサに、便利に使われてる居候となったらしい。本人曰く、カミサマ。僕は信じていないけど。


 でも、ただのきつねではないのは確かだ。人の言葉を話し、今はボートに変化し、島まで僕を乗せてくれている。小さな分離体が船頭を務め、つまらなそうに尾を振っていた。


「いつもありがとな、相棒」

「相棒は不本意だが、供物のためだ。しかし、今回はあの鬼ババの言う通り、ワシも恐らくもう終わっていると思うぞ?」

「だからこそ、帰りを待っている家族だっているかもしれない」

「ふん」


 甘ちゃんめ。口には出さなかったけど、そう言いたいのは鼻息で伝わった。偉ぶっているが、ミニチュアになっている今は声が可愛らしいのは言わないでおく。


「死人に口なしだ。坊が係わる必要はない。ウミガメの混沌とした黒いまなこは、モノに宿る観念を拾うだけ。善悪はおろか人かどうかも関係なく、自分たちのナワバリの、先々の産卵の邪魔になるものをどかしてるだけだ」


 ならなんで贈り物なんていうんだ。

 ゲンナリとした気分で説教じみた解説を聞きながら、ウミガメの贈り物という名づけのセンスを疑うのは毎回のこと。


「……客が来たぞ坊、目的を見失うなよ」

 

 こしあんの忠告とほぼ同時に波しぶきが跳ね、手にかかる。その凍るような冷たさにハッとして見回すと、さっきまで青かった空が、かすみがかった灰色に変わっていて、海の色もヘドロのような緑になっていた。


 ――オイデ。

 ――コッチ、コッチ。

 ――タスケテ? タスケテ? タスケテ?

 ――キタ、キテ。コナイノ? コッチ、コッチ。


 海面から伸びてきたのは、無数の手。手招きするような、もがき伸ばすような、大人の手も子どもの手も、様々ある。墨のように黒い手、指の間が裂けた手、ふじつぼが付いた手、そのどれもが一様にこちらに手のひらを向けていた。

 ボートも進めない数。海上一面に広がる光景に、唇が震えて口が乾き、それでも自分を落ち着かせようと震える息を吐く。


 目をそらしてはいけない。

 目的を見失うな。


 ばぁちゃんとこしあんから、こういうことがあった時にいつも言われていることだ。視線を固定したまま、ズボンのポケットからあめを取り出す。出る時にばぁちゃんから渡された飴。味は日によって違うが、何かあったらくわえとけといつも持たされる。ツンとした香りが鼻を抜け、一気に唾液が口内を満たした。


「――すっぱ! 梅味じゃん」

「味わう余裕があるじゃないか。ならよく見ろ、目的を見失うな」

「わかってる」


 ――キテ、ハヤク。

 ――コッチダヨ。


 手招きの声。楽しそうにも苦しそうにも聞こえる。

 僕はメッセージの主が居るか目を凝らし、舌で飴を遊ばせながら、瓶に触れた時に聞こえた声を探す。


「こしあん、ここじゃない。僕が求められたのはだ」

「そうか。ならワシがやる」


 船頭は宙に浮き上がって、甲高い警笛にも似た声を上げた。きつねみたいな見た目のわりに、コンとは鳴かない。


「聞け。ワシたちの目的がここにないのは分かっている。たばかるなら容赦ようしゃはせんぞ。世に迷い、消えることを救いと望むなら消してやるから来るがよい」


 手招きの群れは、こしあんの口上に応えることなく、ぴたりと呼びかけを止めた。群れが半分に割れ、海上に道ができ、その先には一つの島がある。その反応に、こしあんはつまらなさそうにしながらまたボートを進ませた。

 

「ありがとう。……あの手も、ここで亡くなった霊だったのかな?」

「違う。アレは、残滓ざんしだ。生死は関係ない。ここに焼き付いた念が、魂に反応して入り込もうとしているだけだ。意思を持った抜け殻。消すことしかできんが、それを拒んだだろう? 知恵だけはある」

「他の人が来たら危ないんじゃないの?」

「放っておいてもウミガメが散らすだろう。アイツらのナワバリだ」

「ふーん」


 自称カミサマは説明が好きだ。けれど、詳しい話になると僕にはさっぱり頭に入ってこない。幽霊じゃないは了解。


「興味がないなら聞くな。有難い教えだ、供物を増やせよ」

「へーい」


 緊張感のない会話を交わしつつ、こしあんのボートでたどり着いた島は、木々に覆われてはいるが小さかった。



 島は端から端までの距離は大してなさそうだ。


「くまなく探すのが正解かな」

「狭く見えるだけかも知れんがな」


 これからの方針を僕が口にすると、きつねの姿に戻ったこしあんが水をふるい落としながら忠告する。


「なら何か考えが?」

「身の危険がなければ多少は痛い目をみて、坊はりた方が良い。鬼ババさえいなければ手伝いもせんわ」

「あのおはぎ僕が作ってるんだけど」

「……」


 口では勝ったけど、代替えの案が出てくるわけじゃない。出発しようとした時、遠吠えが聞こえた。

 さっきのこしあんのような、甲高いものじゃない。太い、獣の声。

 一定の間隔で、何回もそれは響いた。


「野犬か?」

「違うと思う」


 こしあんの疑問を僕は否定する。

 あの遠吠えはだ。また瓶に入れて持ってきたメッセージが、バチバチと音を立てて内側から叩いている。呼ばれていると、今までの経験が告げる。


「行こう。メッセージの主だよ」

「どう聞いても人間ではないぞ?」


 僕の言葉に今度はこしあんが否定的だけど、構わずに遠吠えが聞こえる方向へ進んだ。木々が屋根になってますます暗いけど、足元は問題なく見える。飴を口にしておけという忠告に、二つ目の飴を口にすると次はハッカで、目に染みるほどカライ。ばぁちゃんの怒りを感じるが、浮かんだ涙が消えると、暗かった視界がクリアになった。


「毎回思うけど、この飴どうなってるんだろうね」

「鬼ババはワシにも得体が知れん。先祖が人間ではないのかも知れんな」

「なら僕もじゃん」

「合点がいくだろう?」


 視界が良いお陰で、軽口を叩く余裕ができるくらい道のりが楽になった。毎年の夏の拾い物に、嫌々言いながらおはぎにつられてついてくるカミサマは、ヒマでしゃべり足りていないのかも知れない。


「……いた」


 巨大なうろがある木。その洞の中で、座った姿勢で一人分の骨が壁にもたれかかっていた。その太股あたりに、大きな獣が横たわっていた。よく見ると犬だと分かるが、汚れて元の毛の色も分からない。犬もまた、ぴくりとも動かなかった。


 洞の内側には、無数の文字が書かれている。


 ――タスケテ、タスケテ、タスケテ。


 びっしりと、それだけ。ちょうど子どもの身長で届く高さの壁は、離れると文字で真っ黒に見える。

 人骨の手元には、日数を数えたのか印のようなものも書かれていて、後に書かれたと思われるところは、ヤケになったのかぐちゃぐちゃに潰されていた。骨は、手の指の数が欠けていて、残っている部分が極端に短い。敷き詰められた文字のくすんだ黒は、きっと指を削りながら書いたものだ。


「……気がふれたのだろう。報道もなかった。幽世かくりよに迷い込んだか、捨てられたか、だろうな」

「小さい……子どもだよね。間に合わなくて、ごめんね」


 僕は片膝をついて、手を合わせた。一つだけ残っていた飴の包みを開けて、その子の手のひらに置く。せめて安らかにと祈ることしかできない。


「呼んだのは、キミだね」


 かたわらに眠る犬に視線を移す。犬の少し上の壁だけ、ぎ取られたような跡が残っていた。瓶の中の木の皮の形と同じだ。最初に聞こえたのは、血文字に遺った子どもの残滓ざんし。メッセージは、この犬からだ。


「飼い犬だったのかな? この子を見つけてほしくて、この子が書いた壁を剥がして流したのか……」

「四つ足の獣が? いささか美談が過ぎるんじゃないか? 字だってたまたま爪で削れてに読めただけだろう」

「それでもこの子はここに居る。ここに着くまでに、海では襲われたけど、この島は静かだ。壁中に助けを求めるくらい辛いはずだったのに」


 そっと傍らに眠る犬を撫でると、指先が触れたところから、犬は砂のように崩れ、入ってくる風に流されていった。


「あの犬が生きたままここに辿り着いたかは、僕には分からない。けどこの子の心は、間違いなく駆けつけてくれたアイツのお陰で救われたんだよ」

「……甘ちゃんだな。ウミガメ共のナワバリの邪魔になるから、体よくぼうを呼んだだけだ」

「それでも、無視して捨てるより良かったでしょう?」

「甘ちゃんが」

「それ、さっき聞いたよ」


 それから僕とこしあんは、子どもの骨を丁寧に拾って、寺へ持ち帰って供養することにした。警察への連絡なんかは、ばぁちゃんの方が慣れているから任せる。


 帰りの海で、一匹のウミガメが隣を泳ぎ、じっと僕たちを見つめて離れていった。

 感情の見えない黒い瞳に、なぜ僕を呼んだのか、その答えは映すことはない。







 


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