第39話 ラグナロック

 ユグドラ大陸を統一したユンリイ王は、大王と呼ばれるようになっていた。

 ヨナーク大公国帰順後しばらく経って、隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングが、王都アスガルドを表敬訪問している。このとき、ヨナーク大公国に帰された軍師ホーコンや、宰相ブラジ・スキルド元帥が国許で、天寿を全うしたことを伝えた。それからさらに時が流れた。


 ヴァナン王国ユンリイ王の二三年(ヴァナン大公即位から三一年)――

 第三次中津洲ミッツガル戦争から二十年後のヴァナン王国王都アスガルドだ。

 広大な王宮庭園には、大陸中から珍しい動植物が集められていた。鳥獣では象、孔雀、鰐、植物では各種香木、蘭の花も植えられている。さらに旧都ヴァナンにあるユンリイ王お気に入りの場所・菩提樹宮を再現した場所もあった。

 菩提樹の木陰に置いた藤椅子にもたれたユンリイ大王は、花園を眺めていた。王姉グルベーグ、王妃ノルンと王子、宰相ウル・ヴァン、内務卿エギル、侍従長ドルズ、騎士団長レリル……。そして執政シグルズが集まっていた。

 別れの席でユンリイ大王は親しい人々の一人ずつに声をかけ、最後に宰相を呼んだ。囁くような声しか出せないので、耳打ちする。

「宰相ウル・ヴァン、兄上、貴男の功績は数えきれない。それだというのに領地も黄金も辞退ばかりして来た。望むならば、わが亡き後の王座を進呈するが?」

「何も要りません。『兄上』と呼んで戴けたことが最大の報酬でございます」

 ユンリイは微笑した。

 〈大鳥〉とも〈太陽〉とも形容されるヴァナン王朝の太祖、ユンリイ大王が双眸を閉じると、廷臣達は皆、嗚咽した。ユンリイ大王亡き後は、ノルン王妃との間にできた王子が、後を襲うことになる。

 大王に続いて、サピエンス族の血が濃い者達から、一人、また一人とシグルズの前から姿を消して行く。


 まず定命百年であるサピエンス族では、ユンリイ大王の王姉グルベーグや、宰相ウル・ヴァン夫妻、内務卿エギルや侍従長ドルズ、騎士団長レリル。ムスペル大公国のフレイヤ女大公、女弓手レイベル、ヨナークの隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスング、旧アスガルド王族のバルドル、レオノイズ公国のヘレモデ公、宰相エイリミといった知己達がこの世を去った。

 次に定命三百年であるエルフ族では、ヴァナンの太后になったノルン、エルヘイムのヒョルディス女大公、上ムスペル王国のギューキー王、女神官グズルン、工匠ヴェルンドがこの世を去った。

 同じく定命が三百年であるドワーフ族の大鍛冶職人・鉄腕ソルハルや、ノアトゥン辺境伯領で差配をしていたドバリン、ドヴェルグ大公国の大公ヤラルといった知己もこの世を去った。


 さらに五百年の時が経った。

 ユグドラ大陸全土に鉄器が行き渡り、青銅器や石器・貝器に取って代わる。結果、大いに開発が進み、五百万の人口が五千万に跳ね上がった。

 四十歳前後の外見を保ったままのシグルズは、健在だった。そのため奴が、かつて亜神だったというアース=ヴァン氏族の、先祖返りであることが証明されたわけだ。

 押しかけ女房の小妖精ピグシーが、

「もう、私達だけでありんすね」

 今や、シグルズの傍にいる昔馴染みは、小妖精ブリュンヒルドと灰色猫の俺・ヨルムンガンドだけになってしまった。


               *


 王都アスガルド郊外の川港だ。

 アスガルドは壮麗であることには変わりないが、宮中庭園の樹木・花畑は枯れ果て、池に放たれた魚はことごとく死んで浮いている。荒廃は王都近郊の田園地帯、さらには田園地帯を取り巻く森林にも及んでいた。

 ロングシップは河川や運河でも操ることができ、水路が途切れても人数さえそろえば、コロを使っての移動が可能だから便利だ。

 舳先にがんの飾りがついた百フーサ(三十メートル)の細長いロングシップ戦闘艦が船溜まりに浮かんでいる。艦隊は同型艦が全五隻と、他にクノル輸送艦二隻からなっている。

 小妖精ブリュンヒルドを肩に乗せたシグルズ、一門食客達、そして俺が船に乗り込もうとしていた。

 出航しようとする艦隊を見送りに来たのは、意外な人物だった。

「新大陸《ヴィンランド》行きの艦隊は、これが最後ですかな?」

 声の主は、白狼フェンリルの背に乗った〈黒衣の貴紳〉ロキだった。マントを羽織っていない奴の背中には大鷲のような翼があった。――俺達はこれまで、何度も遭遇してきたが、奴がマントの下の背中にそれを隠していたことに初めて気づいた。


 桟橋の渡し板を渡ろうとしていたシグルズが振り返り、長剣の柄に手を当てる。

「シグルズ卿、別に邪魔はしませんよ。――すべては、こうなるように私が導いたのですから」

「神殺し《ラグナロック》で、大地を焼き払ったのは、おまえか? 五千万もいた人間は今や五千もいない」

「まさか、そこまでの力はありませんよ。私がやったのは、ムスペル島でブリュンヒルド様に協力したこと。毒竜ファフニールをけしかけて、ドヴェルグやニーザを襲わせたこと。そして、ヴァナンの宰相ミミルと執政ホグニの兄弟をそそのかし、謀反を起こさせたことくらいです」

「なぜ、そのようなことを?」

「《神殺し》と呼ばれる、近年起きた天変地異は、数万年前に爆発した太陽と同種の星に起因する。太陽もどきの星が爆発したことで生じた有害光線が、我らの大地に降り注ぎ、地上にいた動植物の大半を死滅させた。――このような出来事は過去に何度もあったことです。――私は運命を知っていた」


 〈黒衣の貴紳〉によると、地球における生物の大量絶滅は新星爆発によるものばかりではなかったそうだ。

 酸素を吐き出す微生物の大量発生で、酸素が有毒となるそれまでの微生物が消えたり、地軸の傾きから全球凍結となったり、あるいは火山活動で二酸化炭素が増えたりしたことで逆に地表が温暖化して、地上の生物を干からびさせたこともあれば、さらには、小惑星が落ちて来たことさえあった。

 ユグドラ大陸の穀倉地帯であった中津洲は巨大な隕石孔で、これを囲む城壁山脈スラッツスモアは外輪山なのだそうだ。


 褐色の偉丈夫が遠方にある城壁山脈に目を遣り、

「なるほど、ムスペル島や海賊島、エルヘイム公国の森にある古代エルフ文明・フェンサ帝国時代の遺跡は、星の爆発の影響で滅んだ都市の残骸であったか! アスガルド王宮玉座の間にある翼の生えた人骨化石は、エルフ以前に栄えて滅んだ、ハーピーともヴァルキューレとも呼ばれる、知的生命体ではないのか?」

 〈黒衣の貴紳〉はうなずくと、話しを続けた。

「――そして王国摂政となった貴男は、私の期待に応えてくれた。数次に渡る探検艦隊をユグドラ大陸から、地球の反対側に送って、新大陸を発見。有害光線による照射を免れたそこに、生き残った人間のすべてを移民させるに至る」

 逃れられない人類の運命を知ってシグルズを導いた〈黒衣の貴紳〉は、神官達が言うような邪神ではなく、逆に、救いの神だったとでもいうのか?

「じゃあ、行こうか、坊ちゃん」

 俺が先に行くと、ブリュンヒルドを肩に乗せたシグルズが、渡し板を上って乗船した。魔道人形ピグマリオンが続く。やがて、船溜まりにいた艦隊が帆を張った。

 俺達は船縁から船着き場を望んだ。〈黒衣の貴紳〉と白狼の姿はもうなかったものの、シグルズには念話で、こんなメッセージがあったそうだ。


 ――地球の化身・ヨルムンガンドから奪った叡知の記憶を、地球に祝福されし英雄シグルズのために、全てを返そう。そして船出のたむけに、私は順風を送りたい。


 艦隊は、ケルムト河を下って、大海ニョルズを目指している。


               了



王国志:設定書(人物・地図)

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049


主要登場人物イラスト:集合図

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966


主要登場人物イラスト:英雄シグルズ

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093077669654056

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王国志 五色泉《ごしき・いずみ》 @IZUMI777

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