第38話 敗者の処遇
ユグドラ大陸北部を東進するケルムト河下流南岸に、ヴァナン王国軍は陣城を設けた。ユンリイ王の幕舎に諸将が集い、大机に広げられた大陸地図に注目していた。
「皆の者、レオノイズを落とせば、ヴァナン王国がユグドラ大陸の覇権を握るのは、確実なものとなろう」
旧アスガルド王国の亡命政府を擁し、後ろ盾となって〈北の覇者〉を称していたヨナーク大公国は敗れた。同大公国に臣従していたレオノイズ公国は、中津洲で分断孤立している。陥落するのは時間の問題だ。
このため〈第三次中津洲戦争〉を静観していた、北西のベルハイム、東のニーザ、南東のドヴェルグ、西のエルヘイム、南海のムスペルといった周辺大公国が急に、密使を派遣して続々と臣従の旨を伝えるべく、ユンリイ王の幕舎を訪れた。
シグルズ執政が、
「レオノイズは中津洲に取り残されました。ニグヴィでの会戦に出撃したエイリミ将軍は、覇者の実を失ったヨナーク大公国が、救援に来る余力がないということを十分に承知しておりましょう。都城を包囲しつつ、自分を降伏勧告の全権大使として派遣なさいませ」
「シグルズよ、それでは卿の生命が危険に晒される」
「自分はいままで死んだことがありません」
「それもそうだな」ユンリイ王が快活に笑った。
シグルズは、幕舎の隅に、王妃ノルンとともに慎ましく立っている王姉グルベーグを見た。――絶体絶命にあったユンリイ王を何度も救った王姉だが、御前会議では一度も口を挟むことはなかった。
美麗な王は、偉丈夫の執政の案をよしとした。心なしか姉が微笑んでいるようにも思える。
そうして一万の軍勢が陣払いをして、三十マイルズ強(五十キロ)先にあるレオノイズに迫った。――途中、唯一兵力を温存してきたドヴェルグ大公国から一千の援軍がやって来て、ヴァナン王国に合流した。
長い物語が終ろうとしていた。
*
中津洲中央部を横断する〈王者の道〉を東に進み、レオノイズへあと一日でたどり着くというところに陣城を構える。――ユンリイ王は予定通り、シグルズ執政を全権大使に出して、降伏勧告交渉に当たらせた。使節には、錬金術師の
使節とは言っても、褐色の偉丈夫と小妖精、そして猫の俺だけで、三者が並んで市門をくぐる。
街並みは商業都市らしく、常設市が城内に設けられている。碁盤の目のような市井は、市壁ほどではないが、低い土塁で仕切られ、街路の要所には門があり、小隊が守っている。
「ねえ、シグルズ、《草》の話しだと、まだ兵員四千が残っているのだときいてやす。意外と士気が高いみたいでありんすね。まともに攻城戦とかしたら、勝ちはしても、味方の半分くらいの犠牲が出るかもしれんせん」
「その事態を避けるために自分が来ている」
レオノイズの住民は、ヴァナン大公国からの全権大使一行を、閉じた家の窓から不安げに、のぞき見ていた。
出迎えた公国宰相は驚き呆れ、
「シグルズ卿、小妖精と猫の二者のみを供に付け、敵地に乗り込んでくるとは豪胆なことですね」
レオノイズ公国の宮殿である。
広間に王国側の従者達が、ユグドラ大陸の地図を床に広げた。
レオノイズ公ヘレモデの弟で、宰相と将軍を兼務するエイリミが、使節との交渉を一任されており、大公は奥の椅子に座って口を出さない。
地図に描かれた大公国・公国の大半が、ヴァナン大公国の支配下に入っている。ぽつんとケルムトの大河の北側と、中津洲の東にあるヨナーク大公国と、レオノイズ公国が、島状に取り残されている状態だった。
シグルズが単刀直入に言う。
「この期に及んで勝てるとでも?」
「無理なようですね――」
シグルズはいったん、仔細を王に報告するため、ヴァナン王国軍の陣城に戻った。
レオノイズ公ヘレモデが、
「エイリミよ、王国を信じてよいのか?」
「兄上、シグルズ卿は約束を違えたことはありません」
宰相が笑みを浮かべた。
*
降伏の儀式は、ヴァナン大公国陣城とレオノイズ都城中間地点の席で執り行われた。
小妖精ブリュンヒルドが操る魔道人形の肩に、灰色猫の俺・ヨルムンガンドも例のごとく同乗し、式典に参加した。
レオノズ公ヘレモデと弟のエイリミ宰相兼将軍、以下上級貴族とその家族全員が囚人の装いをして、ユンリイ王の前に現れた。「臣民の生命を保障する代わりに、自分達の生命を差し出しても良い」という意思表示だ。
出迎えた美麗な王が、麾下の将領達が反対するのも振り切って、一行のところまで歩いて行き、ひざまずいたレオノイズ公の手を取って、
「これよりレオノイズは盟友だ。――椅子を用意してある。座って話しをしよう」
――これがユンリイ王なのだな!
レオノイズ公と弟のエイリミ将軍が顔を見合わせた。
ひざまずいていた大公一門の列から、少年が歩み寄り、持っていた蘭の花一輪をユンリイ王に献じた。
今度は、ヴァナン大公国側の人々が互いに顔を見合わせる。王姉グルベーグ、王妃ノルン、エルヘイム女王ヒョルディス。碧眼の宰相ウル・ヴァン、騎士団長レリル。内務卿ドルズ……。
そこで執政のシグルズが、
「この少年はアトリ、エイリミ将軍の御子息です」
微笑んだユンリイ王が少年を片手で抱き上げる。――ヴァナン大公国側、レオノイズ公国側の双方に歓声が上がった。
ヴァナン王国側が出した講和条件は、レオノイズが支配する七つの城邑のうち、二城を割譲するというもので、戦場で王国側に甚大な被害を与えたことを考えれば破格の扱いだった。
会談後、小妖精ブリュウヒルドが俺に、
「ねえ、ヨルムンガンドさん、ユンリイ王はレオノズ公国に一城を残し、六城を割譲させても良うござりんしたんじゃありんせん?」
「今のレオノイズならば、その条件でも
「あっ、なるほど」
ブリュンヒルドが相槌した。
*
レオノイズでの会談の後、ユンリイ王麾下の軍勢は、若干の守備兵を残し、王国軍、属国軍、同盟国軍を解散させた。
ユンリイ王が王都アスガルドに戻ると、後回しにしていたイエータ事変で渦中の人となった先君を弑逆したエアルド伯爵と、イドイン伯爵夫人の処断を行った。二人は、王姉グルベーグが治める副都・ヴァナンに幽閉されたままだ。
ユンリイ王は、
「理由はどうあれ、首謀者のエアルド伯爵は釈放できないが、伯爵夫人の非を咎めるのは酷であろう」
終身刑となった伯爵は、夫人を憐れに思ってか離縁し、二年後に亡くなった。
居場所を失ったイドイン伯爵夫人だが引き続き、王姉グルベーグの庇護を受けて、副都にとどまり、三年の喪に服した。
余談であるが、後年、伯爵夫人と腹違いの兄である碧眼の宰相ウル・ヴァンが、文を交わして相思相愛であることを王姉グルベーグが知ると、美麗な弟王に掛け合って、二人が結婚できるよう取り計らった。こうしてイドイン夫人は宰相ウル・ヴァンに再嫁する。
*
三年後、ヴァナン王国ユンリイ王の六年(ヴァナン大公即位から十四年)
最後まで臣従を拒んでいた、ケルムト河北岸のヨナーク大公国が、アスガルド王国亡命政府のリーグ王の逝去を機会に、講和を申し出て来た。大胆にも隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスング自らが、旧王族バルドルを伴って王都アスガルドに現れた。
二人に言わせると、
「シグルズ元帥がヨナークの宮廷にふらりとやって来て、悪いようにはしないと言ってくれた。元帥は約束を守る人だ」
ニグヴィでの戦いに敗北したヨナーク大公国は、ブラジ・スキルド元帥を宰相につける。すると、国内の犯罪者達は他国に逃げ出し、廷臣達も不正をしなくなった。そして、中津洲にこそ進出は来ないものの、北辺の魔族達を倒して移民を送り込み、いくつもの城邑を建設させ、堅実に版図を着実に拡げ、兵員も回復していた。
――白髭の爺はやっぱり食えない奴だ。敗戦直後に講和するのではなく、国力を回復してから講和のテーブルにつきやがった。
この講和でユンリイ王は、旧アスガルド王家のバルドルに、大公の爵位と捨扶持をくれてやり、後顧の憂いを断った。
王国志:設定書(人物・地図)
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049
主要登場人物イラスト:集合図
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966
図解:和解
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093077614911193
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます