第37話 掃討
一騎打ちの勝敗は案外早かった。シグルズが突きを入れようとした長剣を、ブラジ・スキルドが両手剣で、上からへし折ろうとするのだが、長剣はミスリル製で折れない。そのままシグルズは宙で流す。突きはフェイントだ。次の瞬間、長剣の切っ先が、白髭の元帥に刺さった。――わずかに急所を外しているものの、重傷であることには変わりない。
そこで――
「
その
白狼が、負傷した老元帥をくわえたとき、白狼の背に乗っていた〈黒衣の貴紳〉が、
「悪いですね、ブラジ元帥がお亡くなりになると、後始末が面倒なんですよ」
白狼は、失神している元帥をくわえて、自らの背に乗せる。すぐさま隻眼大公麾下の後衛五千が、後詰となり、前衛に合流しだした。
「反則だ――」灰色猫の俺・ヨルムンガンドが言うと、やはり
俺は、無詠唱術式で中空に魔法陣を生じさせ、閃光を放出させた。
――だが、予想はしていたが、敵側の術者である白狼が、〈障壁の奇跡〉で、俺の攻撃を防いだ。
このときの状況は――
ヨナーク大公国勢の主力二個軍団のうち、前衛軍団五千が三割の消耗、後衛軍団五千が無傷。別動隊のレオノイズ四千が二割の消耗だったと推察される。
対して我らがヴァナン王国勢は、前衛三個軍団各三千の消耗はそれぞれ一割程度で、代わらず敵の前衛を半包囲している。
だが後衛は、背後に廻った敵別動隊のレオノイズ軍によって、ユンリイ王の中央軍が三割の消耗。左右両軍をなすニグヴィとイエータがパニックを起こし、一度潰走するも、王姉グルベーグによって四千の軍団に再編され、もう一度戦線復帰する。
左右の騎士隊千五百は敵後衛を挟撃している。消耗は二割というところか。
王の軍団と、王姉の軍団が左右に展開していた騎士隊の後詰に入り、敵の後衛を叩く。
仕上げは別動隊・エルヘイム軍一千が、敵後衛の背後を衝く。――これで〈包囲殲滅陣形〉が完成した……はずだった。
「またも反則技かよ――」
白狼が、精神操作の魔法術式をしやがった。
緒戦で突撃をやって、ヨナーク勢に肩透かしされた戦象隊四十頭がUターンして来て、エルヘイム勢一千の背後を襲ったのだ。堪らず、エルヘイムの隊伍は蹴散らされ、半壊してしまった。
――戦象は知能が高い。俺の術式が効くかどうかは五分といったところだったが、上手くかかったぜ。
俺に念話してきた白狼が、ドヤ顔をしていたことは、容易に想像出来る。
包囲殲滅陣形の〈蓋〉が壊れた。ヨナーク勢は、白狼が
*
シグルズの後ろに、ピッタリついて走る徒士の肩に乗った俺が、
「シグルズ、いつもながらヨナークは逃げ足が速いな――」
「基本だ」
ヨナーク勢は陣形を保ったまま、撤退を開始した。前衛軍団は半壊したものの、軍師ホーコンが指揮を継いでいたため、辛うじて全滅せずにいた。
ヴァナン勢が追撃する。
ヨナーク勢が、ケムルト河南岸丘陵地帯に逃げ込んだそのとき――
伏兵が追撃するヴァナン大公国軍に襲いかかる。――思わぬ反撃で、ヴァナン勢は混乱し、足止めを食らった。
伏兵による足止め逆襲で混乱していたヴァナン勢が、陣容を建て直し、渡し場に迫って来た。
ヨナーク勢は川を背にしていたので、ヴァナン勢は三方に展開して、再び包囲殲滅陣形を組んだ。
魔道人形頭部コクピットのブリュンヒルドが、
「ヨナーク勢が一斉撤退するのに必要な渡し船は、十分じゃありんせんなあ」
渡河の順番を待っていたヨナーク勢の兵士達が、パニックを起こして川に飛び込み、今しがた桟橋を出た渡し船にすがりつく。――このままでは船が転覆してしまう。――先に渡し船に乗っていた兵士達が弓矢を射かけ、すがりついて来る友軍兵士を追い払う。それでもなお、舟縁に手をかけてよじ登ろうとする者がいたので、帯剣でその手を斬った。このため舟底が、「斬指舟に満つ」有様となったのである。
他方――
渡し場の前面には戦車が横に並べられ、矢避けにされていた。当然、牽引の馬が、流れ矢に当たって死傷し、突っ伏している。
敗戦の責任を痛感し、近習とともに、渡し場に最後まで踏みとどまった隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングだが、近くで諫める者があった。
ブラジ・スキルド元帥の長きにわたる盟友である老軍師ホーコンだ。
「大公殿下がお亡くなりあそばしたらヨナークは滅ぶ。どのような非難を受けたとしても、ここは撤退すべきです」
北岸に味方兵士を送り届け、南岸に戻って来た渡し船に隻眼大公が乗り込むと、天を仰いだ。
大公が乗った船の離岸を見届けた〈黒い貴紳〉ロキは、座乗する白狼をケルムトに渡河を命じた。白狼は〈黒衣の貴紳〉と失神しているブラジ元帥を背に乗せ、北岸に向かって泳ぎ出す。
渡し場には、ヨナークの老軍師に付き合い、いまだにバルドル王子麾下の旧アスガルド王国兵百名ほどが残っていた。――老軍師とともに、なおも残ろうとしていたが、北岸から最後の渡し船が戻って来ると、部下達に縄を掛けられ、引きずられるように、乗せられ、南岸を発った。
直後、最後に残った老軍師ホーコン麾下の決死隊五百が、降伏を報せる旗を掲げた。
執政シグルズが、
「もう矢を射かけるな。見事な勇士達だ」
矢が止んだ。
ヨナーク大公国は、ニグヴィにおける会戦で、自国兵一万のうちの七千を失い、同盟者の旧アスガルド王国軍一千はほぼ壊滅していた。
レオノイズ勢のエイリミ将軍は、遠巻きに状況を見て、ユグドラ大陸を東西に横断する街道〈王者の道〉を東に進み、故国に撤退した。――途中、負傷者や体力に余裕のなくなった者達が脱落したため、故郷にたどり着いたのは当初の半分である兵員二千になっていたという。
*
渡河の際、ヨナーク勢将兵五千の遺体が、岸辺に打ち揚げられていた。
勝利に酔ったヴァナンの将兵達が、
「大王よ、ヨナーク兵の遺体で塚を築き、祝杯の宴をいたしませんか? ケルムト川の対岸に逃げて行ったヨナークの者どもは、歯ぎしりして悔しがり、二度と中津洲にちょっかいを出す事がなくなることでしょう」
ところがユンリイ王は天啓を受けた様子で、
「本来、多数の死者を出す戦いとは、忌むべきものである。確かに我々は勝った。卿らの奮闘を称賛したい。されども国家の興亡は神命によるもので、奢ってはならぬ。神の前では謙虚にひざまずき、敵味方を問わず、死者に黙祷を奉げるべきだ」
ユンリイ王が麾下の大軍を前に、率先してひざまずき黙祷すると、麾下の将兵もそれに倣った。
丁重な扱いで捕虜となったホーコン軍師は、涙を流し、
「我らの完敗だ。――あの方は、ただ喧嘩が強いだけのお人ではない」
この瞬間、大鳥が羽ばたいて起こす風というべきか、中津洲のみならずユグドラ大陸の誰もが、聖王による新王朝の到来を実感した。
魔法猫である俺が扱う魔法攻撃は、無数にある星幽界由来の元素型アストラル・レイをいくつか選んで、組み合わせたものである。実を言うと神官の回復術式〈奇跡〉も、ちょっと系統が違うだけで、原理は同じだったりする。
剣に生きる男と誤解されがちなシグルズだが、奴の本質は、死者を送る神官にこそ向いているのだ。――それも大常卿ウル・ヴァンどころではない、規格外の〈奇跡〉が扱える。
シグルズは星幽界の船〈フリングホルニ〉を多数呼ぶと、死者達の魂魄を乗せ、次々と送り出してやった。
*
ニグヴィ都城に戻ったヴァナン王国軍は、広間に主要な関係者を集めて、再び会議を行った。
多くの将領達が、
「物事には勢いというものがあります。ケルムト河の北岸に渡たって、ヨナークを滅ぼしてしまいましょうぞ」
だがシグルズ執政は、
「ヨナーク大公国のブラジ・スキルド元帥は健在だ。渡河は厄介なもので、侮ってはいけない」
この意見には、紅毛碧眼の宰相ウル・ヴァンも賛成した。
「まずは中津洲制覇だ――」
輜重は十分ある。ユンリイ王はシグルズの案を採択するとともに、再編した軍団一万一千の兵士達に、三日の休暇を与えた後、レオノイズ攻略を布告した。
王国志:設定書(人物・地図)
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049
主要登場人物イラスト:集合図
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966
図解:
https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093077549223661
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