あとがき

 2023年9月、小野篁が主人公の小説「TAKAMURA」の続編である「YAKYO」の連載を開始した。

 このあとがきを読んでくださっている方々は、すでに物語本編を読んでいると思うので、色々な説明は書く必要はないだろうが一応書いておく。

 このYAKYOは、平安時代初期に実在した小野篁という人物を中心に描いた和風ファンタジー小説である。


 野狂やきょう。それは篁のあだ名だった。

 この野狂には諸説あり、篁の持つ反骨精神から野狂と呼ばれるようになったというものや、変わった振る舞いが多かったことから野狂と呼ばれるようになったというものもある。

 野狂のは、いわば狂っているということなのだ。

 では、野狂のは何なのか?

 それは簡単なことである。小野のなのだ。

 当時は、唐風の名前として苗字の一文字と名前を組み合わせて名乗るというものが流行っていたらしい。そのため、小野篁であればとなる。野は「や」とも読める。

 そして篁という文字は「きょう」とも読める。

 もう、ここまで書けば勘の良い皆様ならおわかりだろう。

 野篁は「やきょう」なのである。

 そこに言葉遊びで、篁の人柄を現して野狂としたのではないだろうか。

 人に「狂う」という文字を当てはめたあだ名を付けるというのも、なかなかのものだが。

 篁には野狂以外にもあだ名がいくつかあったようで、「野相公やしょうこう」や「野宰相」といったものもあったりする。野相公の相公というのは、中国の役職のひとつであり、日本でいうところの参議にあたる。そう、後の篁の役職となる参議なのである。宰相というのは、現代でいうところの内閣総理大臣というわけだが、まあ参議もそれに近いものといえるだろう。


 以前、女性の名前のところで書いたが、当時の人は自分の本名を呼ばれることを嫌っていた。なぜならば、しゅに掛けられてしまう恐れがあるからだ。名前というものは、そのもの自体が呪いであるのだそうだ。だから、女性は家族以外に自分の本当の名前を教えることはなく、家族も外で女性の名前を呼んだりはしなかったそうだ。

 では女性はどう呼ばれていたのか。そこで出てくるのが、役職や官位である。例として平安時代の作家である「清少納言」をあげる。前出の文を読めば、ピンと来るだろう。清少納言の父親は清原元輔という人物であった。すなわち、清少納言の清という文字は苗字の清原から来ているのである。そして、残りの少納言とは何か。役職名である。ただ、この清少納言の少納言には色々と説がある。近親者に少納言の役についていた人間がいないのだ。

 ああ、例として出した相手が悪かった。

 では同年代に活躍した紫式部を……と思ったが、こちらも何故に「紫」なのかが諸説あって面倒だ。

 と、いった感じで当時の女性たちは本名を隠していた。これは男性も例外ではない。公卿などのおおやけの立場にある人間は、尊卑そんぴ分脈ぶんみゃくしょく日本後紀にほんこうきなどといった朝廷の正式な書物によって名前が書き記されているため本名がわかるが、それ以外の人々に関しては何もわかってはない。そもそも、書物に名前が出てこないのだから、名前がわからないのは仕方のないことなのだが。


 百人一首では、小野篁は参議篁の名前で書かれている。この参議は、役職である。ちなみに、百人一首には参議篁以外にも参議がいる。参議等と参議雅経である。参議等はみなもとのひとしであり、参議雅経は飛鳥井あすかい雅経まさつねである。共に役職は参議であった。


 閑話休題。


 小野篁という人物の生涯は、野狂と呼ばれていただけあってとても面白い。

 今回のメインとなった遣唐使の話も、ほぼ史実に基づいて書いている。


 そして、遣唐大使である藤原常嗣という人物もなかなかの曲者だ。藤原常嗣は名門藤原家の出身でありながら一度左遷されたり、帰りの遣唐使船の航路で判官と喧嘩になったりしているので、かなりの曲者だったということが想像できる。

 だから、篁が遣唐使船に乗らなかった問題も、全部が全部篁のせいとは言えない気がしている。


 史実では、三度目の航海前に常嗣の乗る予定だった船が壊れていることを知り、篁の乗る予定だった船と交換しろと言い出したことから、篁がブチギレて遣唐使船に乗らなかったという説が有力視されている。

 船が壊れているから、壊れていない船と交換しろと言ってくる時点で頭がおかしいとしか思えないし、その壊れた船で篁に唐へ向かえというのだから、常嗣もかなりぶっ飛んだ人物だったのだろう。

 ただ、残念でならないのは常嗣は唐から帰国後1年で死去してしまうことだ。きっと遣唐使という無理が身体にたたったのだろう。


 この遣唐使問題のおかげで篁は流罪となり、隠岐へと流される。

 隠岐については、伝承話しか残されていないのでなんともいえないのだが、今回はその伝承話をベースに阿古那あこなという人物を登場させ、物語を書いてみた。

 正直に言えば隠岐の話は書くのに苦労した。いままでは歴史ベースで書いていたのである程度の道筋があったわけだが、急にその道筋が無くなってしまうのである。それは、「小野篁、空白のニ年間」といえよう。

 ただ、逆に自由に書くことができたので、それはそれで楽しかった。


 この小説を書くために、平安時代や小野篁について調べるために、購入した本は、かなりの数である。

 ただでさえ、専門書は高い。それに、何を読んだらピンポイントで篁の話に繋がるのかがわからない。そんな状態で書いていた。

 インターネットもかなり活用した。しかし、インターネットの情報は完全とはいえず、サイトによって情報が違っていたりするから、結局は自分で色々と調べなければならなかった。

 時代物を書くということは、まずはその時代について調べなければならないのだ。


 現代では当たり前の外来語は使わない(使えない)。

 ここも苦労した点だろう。

 特にバトルシーンは、色々とカタカナで書きたくなる。

 そこをぐっと我慢して、日本語に置き換える。

 また、私は小説を書く際になるべく、擬音を使わないようにしている。

 別の日本語の言葉を探して当てはめるのだ。

 それが文学だと、私は自分で思っている。

 ただ、なかなか擬音に当てはまる言葉が見つからずに、苦しんだこともあった。

 表現の難しさというものも知った。


 こういったことは、自分の糧となるはずだ。そう信じて書き続けた。

 物語を書くということを続ける限りは、これから先も、きっと同じだろう。

 

 この作品を通して、小野篁は私に「物語を書け」と道筋を見せてくれているような気がする。


 小野篁の小説は「TAKAMURA」に始まり「YAKYO」と続いた。

 予定では篁三部作として、あと一作、小野篁に関する長編小説を書きたいと思っている。

 読者の皆様には大変申し訳ないが、あともう一作お付き合い願えればと思う。


 ここまで本作を読んでいただき、ありがとうございました。



 2023年12月末日 作者

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YAKYO 野狂・小野篁伝 ~続TAKAMURA~ 大隅 スミヲ @smee

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