恋なんて、蚊帳の外だと思ってた
木下ふぐすけ
恋なんて、蚊帳の外だと思ってた
帰ろうとしたら、雨が降っていた。
市立図書館のエントランスで、私は立ち尽くす。
朝は晴れていた。
全員参加の夏季補習。その初日が終わって、午後から図書館の自習室に入っていた。
二、三時間くらい経っただろうか。課題は順調に進んだ。
が、これでは帰れない。
梅雨はもう明けたんじゃなかったっけ?
途方に暮れて、エントランスのベンチに座る。
傘立てはほとんど空いていた。
いま図書館にいる人はみんな帰りどうしようって悩むんだろうなぁ。
大きなため息が出た。
雨音はホワイトノイズで、集中するのにいいって聞いたことがあるけど、このエントランスでは蒸し暑さによる不快感のほうが強そうだ。
親は普通に仕事だから、迎えに来てもらうことはできないし……
雨雲レーダーを見るに、閉館時間までには止みそうもない。
雨降って図書館から帰れないってSNSに上げたけど、それで状況が変わるわけもない。
館内に戻って本を読む、という気分ではなかった。
集中して課題を進めていたから、脳は疲労のピークに達している。
エアコンの効いた部屋で寝っ転がって動画見ながらポテチでも食べたい欲求が巡る。
県内随一の進学校の制服着て市立図書館でそんなことしたら色んなところから怒られるだろうからやらないけど。
図書館併設のカフェに入る?
いや、7月分のお小遣いはもう残り少ない。ここで使ってしまえば、月末に出る新刊は買えなくなる。それは許容し難い。
いちおう、小遣いと別で昼食代ももらっているのだけど、今日の分はもうお昼ごはんに使っちゃったので、今追加で使うと補習最終日にお昼が食べられなくなる。
とはいえ自習室に戻るのも気分的な問題で難しい。
1人用の自習スペースのさっきまで使ってた席の使用権はカウンターで返却してしまったから、もう一度カウンターで借りるのは気まずいのだ。
というより、これらは根本的な解決になっていない。
閉館時間まで粘ったところで、雨は止まないのだから。
どれくらい経っただろうか。雨足が少し弱まってきた。
この「弱まってきた」はさっきの本降りに比べれば、という相対的な話であって、家まで十分前後も傘無しで歩けばずぶ濡れになることは間違いない程度には降り続けている。
とはいえそのずぶ濡れは、さっきの本降りの中を帰った場合のずぶ濡れとは違って、早足で帰ればかろうじて風邪は引かない程度に収まりそうではあった。
帰るか。無理やり。
覚悟を決めた私が自動ドアを抜けようとした時、
「あれ、外崎じゃん」
入れ替わりで入ってきた人物が、男の声で言った。
傘が畳まれて、顔が見える。
クラスメイトの茅野だった。
茅野は、一言でいえばスクールカースト最上位の男子だ。
ちょっと顔がよくて、ちょっと性格がよくて、ちょっと運動ができて、ちょっと成績がいい。どのクラスにも一人はいる、スーパーな男子って感じ。
まあ、成績では私が勝ってるんだけどね。成績では!
実は出身中学が同じなのだが、中学では同じクラスになったことはない。だから直接話したことは多くないんだけど、クラスメイトというだけでSNSでは相互フォロー。
茅野と私は、そのくらいの関係だ。
「あー、傘なくて帰れない感じか」
傘の水気を切りながら、茅野は一瞬で私の状況を察した。
「あ、うん、まあね」
どんぴしゃで言い当てられた気恥ずかしさで、しどろもどろな受け答えになる。
「んー……じゃあ、貸すよ。この傘」
「え、でも、それだと……」
茅野が帰る時困るんじゃ……と言う前に、茅野は傘を押し付けてきた。
「大丈夫。俺、折りたたみもあるし。その傘は明日学校持ってきてくれれば」
これ以上断るのは拒絶しすぎだろうか。ここは素直に受けておこう。
傘がなくて困っていたのは事実なのだから。
「なら、借りちゃおうかな」
「おう」
「あ、そうだ」
私が傘を開いて、今度こそエントランスを出ようとしたところで、茅野は思い出したように口を開く。
「貸し1、な?」
茅野は人差し指を立て、得意げに微笑んで言った。
反則でしょ、その笑顔。教室で遠くから見てる時とは威力が違いすぎる。
熱くなっていく顔を傘に隠して、私は雨へと駆け出した。
翌日。
夜に取り残された半月が、深い青空に浮かんでいた。
昨日の雨が嘘みたいに、朝から抜けるように晴れている。
晴れすぎて、まだ6時台だというのにもう蒸し暑い。
で、そんな快晴の中を男物の傘持って歩いてる私は傍から見れば変人なんだろうね。
天気予報も各社一日快晴だって言ってるのに。
当然この傘は昨日借りた茅野の傘で、返すために持っているわけだけど。
昨日は気づかなかったけど、傘をまとめて止めるマジックテープのところに小さく「カヤノ」とカタカナで書いてある。
茅野って自分のものにきっちり名前書くタイプなんだなぁ……ちょっと意外。
まさか教室まで傘持っていくわけにもいかないんで、生徒玄関のうちのクラスの列の傘立てに適当に入れておいた。
まだ早いのもあるけど、傘立てには誰かの置き傘が数本あるくらいだった。
私の登校は、手芸部所属で朝練と無縁なわりにはかなり早い部類に入る。
教室には基本一番乗りだ。
そんな早く来てなにしてるかといえば自習、というより課題や義務的予習だ。
家では気持ちが緩んで集中できないタイプなもんで、制服着て学校や図書館に行かないと全くはかどらない。気持ちが切り替わらないんだろうね。
とはいえ、それはいつもならの話。
学校に来たというのに、今日は全然進まない。
今日の補習までにやらなきゃいけない課題は昨日の図書館で済ませてあるから大きな問題ではないのだけれど。
原因はわかってる。茅野だ。
傘を借りたからには、茅野にお礼を言わないといけない。
できれば直接。でも他の人に知られないように。
ゴシップ好きのクラスメイトたちに見つかれば、変な詮索をされることは間違いない。
茅野には、可能なら他のクラスメイトたちが来る前に登校してほしいのだけれども。
そもそも茅野はいつもどれくらいの時間に来てたんだろうか。
全然意識したことなかったな。
結局、そんな都合良くは行かなかった。
茅野はチャイムが鳴る直前になって、仲がいいらしい男子数人とともに教室に入ってきた。
話しかけにくい。そうでなくても、もう話しかけるような時間はない。
茅野が席についた頃には、チャイムは鳴り始めていた。
補習はあっという間に一時間目、二時間目、三時間目と進み、その合間の休み時間にも茅野に話しかけるタイミングは見つからなかった。
四時間目を受けながら、もう、直接お礼を言うのは不可能だという結論に至った。
SNSの個人チャットで言おう。補習終わったらすぐに。
チャイムが鳴った。
スマホを取り出して、SNSのプロフィールから、茅野とのダイレクトメッセージを開く。
ログはまっさら。一度もメッセージを交わしたことがない。
本当にその程度の関係だった。昨日までは。
送る文面は授業中に考えてあった。
「昨日は傘ありがとう。生徒玄関の傘立てに入れてあるよ」
待つ。
既読はつかない。
視線を上げて、茅野を探す。が、見当たらない。もう帰ったらしい。
生徒玄関を出る前にメッセージを読んで貰わないと困るのだが。
急いで荷物をまとめて、中央階段を駆け降り、生徒玄関へ。
ちょうど茅野たちが出るところだった。
階段の上から、茅野が傘を持っていくのが見えた。
メッセージを見る。既読はまだついていない。
一瞬「なんで?」と思った。が、冷静に考えれば不思議なことはなにもない。
きっと、朝の段階で傘立てに返してあることに気づいていたんだろう。
なにせ「明日学校持ってきてくれれば」と言ったのは茅野自身なのだから。
気づかないほうがどうかしてる。
はあ。焦って損した。
茅野から返信があったのは、夕方になってからだった。
「ごめん返信遅れた。傘はちゃんと回収したから」
気づいたのはお風呂上がり。届いたのは17分前。
回収したから……なんなんだろう。
いつもなら気にも止めないような表現の意図が気になってしまう。
その「から」のあとにはなにが続くんだろう。
そして私はどう返信すれば良いんだろう。
昨日茅野は「貸し1な」と言った。
その借りはどうやったら返せるんだろう。
お礼はちゃんと言ったのに、茅野の返信が頭をぐるぐる巡って勉強が手につかない。
現代文は得意なはずなのに、難解な長文も読み解けるのに、クラスメイトの短いメッセージが読み解けなかった。
結局あの後返信できないまま、前期の夏季補習は最終日になった。
茅野にしてみれば、一週間以上も既読無視されていることになるわけで。
返信したいとは思っていても、一度凍りついたメッセージログはどうにも動かし難く。
「貸し1」って言われたからには、どうにかして返したいんだけど、このまま夏休み本番に突入してしまえば、後期夏季補習まで二週間は会うことがなくなってしまう。
茅野から「貸し1はこれで返して欲しい」って教えてくれれば話が早いのに。
どうしたもんかなぁ……
あの日から、補習の間ヒマさえあれば茅野の方を見てしまってる。
貸し1……貸し1かぁ……
休み時間、茅野と目が合った。
いつも通りカースト上位グループの中心にいた茅野は、あの雨の日に図書館で見せたのとおんなじ笑顔で、小さく手を振った。
私に、だと思う。教室には他の女子もたくさんいるから確信は持てないけど。
ここで笑い返したりできないのが私です。はい。
陰キャコミュ障な自分が疎ましい。
でも、今の一瞬のアイコンタクトが私に勇気をくれた。
茅野はまだ私を拒絶していない。きっと。
「貸し1って、どうやって返せばいいかな」
気づけば、メッセージが送信されていた。
次の休み時間、返信が来ていた。
「放課後、学校裏の公園で話すよ」
四時間目はあっという間に終わった。
茅野がまだグループの中心にいるうちに、急いで荷物をまとめて、教室を出る。
公園に向かう途中で鉢合わせたら気まずいからだ。
学校裏の公園といえば、うちのすぐ近くでもある。
保育園の頃から何回も遊んだし、小学生時代は夏休みのラジオ体操もやってた公園。
その公園の小さな東屋で、待つこと数分。
自転車に乗って、茅野が来た。茅野は自転車通学だったのか。
茅野は東屋の私に気づくと、きまりが悪そうに笑って、頭をかいた。
「先に来て待ってるつもりだったんだけどね」
東屋の私の隣に座って、茅野は言った。
どう答えようか。少し迷ったけれど、ここは単刀直入に行こう。
「それで、貸し1って、私はなにすればいいの?」
茅野は「んー……あー……」と数瞬悩んだ後、踏ん切りをつけるように咳払いをすると、
「一緒に遊んでくれないかな、今日、今から」
と、意外なほど緊張した口調で言った。
「えーっと、それは……」
「うん、つまり俺とデートしてほしい。放課後制服デート。いいでしょ、青春っぽくて」
一度口にしたことで吹っ切れたのか、茅野は余裕が出てきたようだった。
あるいは、言ってしまったからにはもうどうにでもなれと思っているのかもしれない。
茅野と、デート。デート? 男子と、二人で?そんなのしたことないんだけど。
でも、借りがあるのは私の方だから断るわけにもいかないよね。
混乱した私はなにを思ったか、
「あんまりお金ないんだけど、大丈夫?」
と、行くことは前提で金銭面の心配をしてしまっていた。
実際、昼食代と小遣いを合わせて1000円ちょっとしか残ってない。
デートにいくらかかるのかは経験がないからよくわからないけど、割り勘だとしても1000円じゃ足りなさそうじゃない?どうなんだろう。
「そこは大丈夫、今日の分は全部俺が出すから」
「でも――――」
借りを返す側なのにお金出してもらうなんて。と私が言う前に、
「いいの。外崎とデートってだけで、俺すごい楽しみだから」
茅野は、相変わらずの眩しい笑顔で言った。
「それで、どこ行くの?」
借りを返すのは私だ。行き先の決定権は茅野にある。
「ラウンドツー……ってわかる?」
「カラオケとかボウリングとかゲームセンターとかいろいろあるやつ?」
「そうそれ」
場所はどこだったか。脳内地図を検索する。ふむ。
「歩きだとちょっと遠そうだね」
「まあ、俺の自転車の後ろに外崎が乗れば」
茅野は冗談めかして言った。
「できるわけないでしょ、そんな危ないこと」
というか、もし危なくなかったとしても私の情緒が持たないから乗らないよ。
「私も自転車取ってくるからちょっと待ってて。家そこだし」
東屋からも見える一軒家を指差す。
「へぇ!じゃあ、待ってるよ」
茅野はちょっと驚いたような顔で言った。
家に駆け込んで、学校用のカバンをベッドの上に放り投げ、遊び用のリュックと自転車の鍵を取って家を出た。
自転車、久しぶりに乗る気がする。
大丈夫、乗り方は忘れてない。
東屋を離れてから戻るまで、全部ひっくるめても五分かかってないくらいだろうか。
お昼ごはんは途中のコンビニで買って食べた。
昆布のおにぎりとお茶だ。
茅野は奢ると強硬に主張したけれど、そこまでしてもらうと借りを返したことにならないという私の反論に、ついには茅野も屈し、私はきっちり自分の昼食代からこれらを買った。
茅野はおにぎりがシャケな以外は私と同じセットに、フライドチキンを足していた。
コンビニからラウツーまでは長い下り坂だ。
適度にブレーキをかけながらも、それなりにスピードを出していく。
夏の快晴だけあって、向かい風もほとんど熱風だけど、それでも無風よりはマシだ。
猛暑の町の中、二人並んで自転車を転がしていく。
この「並んで」は横並びではなく縦並びだ。
交通ルールはしっかり守りますよ。私たち、進学校のいい子なんで。
まあ、縦並びだと全然話せないんだけど、それでも数メートル先を走る茅野が「あちぃーーーー!!!!」って叫んだりするのはしっかり聞こえて。茅野がそんな事言うたびに自分の口角が上がってるのに気づいたりして。
茅野見てると、もう無意識に笑顔になっちゃうんだな、私。
なんとか熱中症にならずにラウツーに着いた。
直前の信号で引っかかって少しだけ遅れた私に、茅野はスポーツドリンクを渡してきた。
「なにか飲む?」なんて聞いたら奢らせてもらえないと悟って、先回りで買ったのか。
もう買っちゃったものはしょうがないし、喉も乾いていたので受け取って飲む。
少し甘い液体が喉を抜けていく。全身に染み渡る感覚が気持ちいい。
飲みながら駐輪場に自転車を押していき、茅野と二台並べて停めた。
駐輪場はもう、ぎっちぎち。
私達と同じような夏休みの中高生が、これでもか!と来ているようだった。
カラになったペットボトルを自販機横のゴミ箱に捨てて、二人で自動ドアをくぐる。
ラウツーがどういうところか、知識としては知っていたけれど、実際に入るのは初めてだ。
中は冷房が効いていた。外との気温差が大きくて、風邪を引きそうなくらい。
エスカレーターを登ったところにあった小さな休憩スペースの椅子に座った。
まずは作戦会議。
「それで、なにするの?さっきも言った通り、お金はあんまりないんだけど」
「んー……」
「まさかノープランだったの? 自分から誘ったのに」
すこし茶化してみる。冗談だって伝わるように、意識的に微笑んで。
「んなっ……!ワケ、ねぇ、だろ……」
図星だったらしい。
余裕があったように見えて、意外と茅野も慣れてないのかな、こういうシチュエーション。
そう気づいたおかげか、初デートって状況への緊張も、いつのまにかほぐれてきていた。
「借りを返すのは私の方なんだから。茅野に着いてくよ。ちゃんとリードしてよね?」
私の言葉を聞いた茅野は「カラオケ……いやいきなりサシで個室は攻めすぎか?対戦ゲーはいきなり女子連れてくにはハードすぎる?音ゲーは二人で来た意味が……いや、太鼓なら……しかし……」などと早口で呟いた後、カバンから財布を取り出して中身を確認し、
「クレーンゲーム、行こうか」
と結論を出した。
クレーンゲーム。
筐体の中に並んだ景品をアームで捉えて落とし、その獲得を狙うゲームだという基本的知識はある。
家族と買い物に行くショッピングセンターのゲームコーナーにもずらりと並んでいた。
けれども、小学校時代の教えが高校生になった今でも抜けないのか、ゲームセンターに入った事自体がこれまでなかったから、当然クレーンゲームに触ったこともなかった。
クレーンゲームのエリアに着いてすぐ、
「ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくる。その辺好きに見てて」
と、一人にされてしまった。
まあ、トイレはねぇ……生理現象だからどうしようもないよ。
お菓子、フィギュア、ぬいぐるみ。そのほか私の語彙ではうまく説明できないグッズ。
透明な筐体の中には、様々な景品が並んでいた。
っていうかどこまであるのこれ。クレーンゲームエリアが思いのほか広い。
ゆっくり見てるからっていうのはあるだろうけど。
欲しくなるような景品がないか探し回っていると、大小たくさんのぬいぐるみがひしめきあった筐体を見つけた。
目を引くのは、中央にヌシのように鎮座するひときわ大きなぬいぐるみ。
私がやってるスマホゲームのマスコットキャラクターだ。
白くてふわふわで、大きなお耳。かわいい。とても。
このぬいぐるみを抱っこして眠れば、疲れなんか吹き飛んじゃいそうなかわいさだ。
「お、いいの見つかった?」
私がぬいぐるみを眺めている間に、茅野が戻ってきていた。
茅野は、筐体の種類や景品の配置を確かめると、
「うん、取れるよこれ。ちょっと見てて」
と言って、財布から500円玉を取り出した。
料金設定は1回100円、500円で6回。
6回以内に取るつもりらしい。
茅野が真剣な表情でボタンを操作すると、アームは陽気で間の抜けた電子音を放ちながら動き始めた。
アームがぬいぐるみを捉えた。が、アームは少し動いただけで、すぐに力なくぬいぐるみを取りこぼしてしまった。
茅野が悔しがっていないのを見るに、これも6回でぬいぐるみを取る戦略の一部なのだろう。
続く2,3,4回目でも、ぬいぐるみはわずかずつ位置を変えただけで、素人目には、あと2回で取れるようには思えなかった。
5回目で、茅野は動いた。
4回目までとは違い、頭を狙ったのだ。
アームはぬいぐるみの頭部を掴み……またもや力なく取りこぼした。
が、ぬいぐるみはそのまま前転するようにして、筐体手前の穴に落ちた。
「よっしゃ!」
「やったあ!」
茅野が大きなぬいぐるみを取り出して、渡してきた。
「ほら、やるよ」
思ったより大きい。持つ、というより抱きかかえる感じになる。
手触りは最高。もふもふしている。一生もふれる。
「ありがとう!大切にするよ! でも……」
「なに?また、奢られたら借りを返したことにならないって?」
「そう」
さっきのスポーツドリンクはともかく、このぬいぐるみは500円もする。
私のお小遣いの感覚から言えば、そこまで大きくはないけど、無視もできない金額だ。
このまま奢られっぱなしというのは……
「ま、そこは考えてあるから」
と、茅野は6回目の操作に入った。
狙ったのは、同じキャラクターの小さなぬいぐるみ。
茅野が操作するアームは正確にぬいぐるみをとらえ、軽いからか取りこぼしたりもせず、茅野はあっさりぬいぐるみをゲットした。
「これで対等っしょ?奢ったんじゃなくて、二つ取ったのを分けただけ。な?」
茅野は小さなぬいぐるみを誇らしげに見せて言った。
ぬいぐるみの大きさはぜんぜん違うけれど、そこまで言われてしまうと奢りだと考えてしまうのも悪い気がしてくる。
なにより、ぬいぐるみを取ってもらえたのが嬉しくてしょうがないのだから。
「じゃあ、そういうことにしとくね」
「おう」
私がもらったぬいぐるみは、そのままでは両手が塞がってしまうし、私のリュックにも入らなかったので、カウンターで大きめのレジ袋を買った。9円。これは流石に私が出した。
だんだんゲームセンターの雰囲気にも慣れてきて、二人プレイ用のゲームをいくつかやってみたり、記念のプリを撮ったりしているうちに、時間はあっという間に過ぎた。
夕方、と言うにはまだまだ夏の日は高いけれど、茅野の予算に限界が来たらしいので、切り上げて帰ることになった。
ラウツーへの道が下り坂だったということは、つまり帰りは上り坂であるということであって、私と茅野は、きつい西日の中をひーひー言いながら自転車を押していた。
一足先に坂を登りきった茅野は、自分の自転車を上に停めると、わざわざ私のところまで戻ってきた。
「自転車、俺が押すから」
「あ、ありがとうぅ~~」
申し訳なく思う気持ちもあるものの、実際めちゃくちゃ助かる。
こういうところだよね。茅野がみんなに人気な理由。
「あの公園まで送るよ」
坂を登りきって、茅野は言った。
とはいえ、坂を登りきってしまえば、公園まではあっという間だ。
実際、数分もしないうちに公園前に着いた。
ここで解散しても良かったはずなのだけど、私達の足は自然と東屋に向かっていた。
「これで、傘の借りは返せたってことでいい……のかな」
戦利品のぬいぐるみの耳を触りながら、私は言った。
「そう……なる、かな」
茅野の返答。
気まずい沈黙。どこかでヒグラシが鳴き始めた。
「あのさ!」
先に口を開いたのは茅野だった。
「えっと、なんていうか……その、貸し借りとか関係なく、また今日みたいに遊んでくれると嬉しいんだけど……俺は」
「うん、私も、茅野くんともっと遊びたいよ。でも、それだと……その……」
誰かに見られると誤解されるんじゃないか。とは、自分からは言えなかった。
このフェーズに至っても、自分の考えが自意識過剰の産物なのではないかという恐れを振り切ることができなかった。
「そこは大丈夫。誤解じゃなくしてしまえばいい」
「それって……」
「待って、俺が言うから」
茅野は、ゆっくりと深呼吸をして、
「外崎、俺と付き合ってくれ。ずっと好きだった」
と、言った。
期待はしていた。予想もしていた。
それでも、真剣な顔で正面から言われると、胸に来るものがある。
鼓動が早まる。茅野を直視できない。
「はい。うん。えっと……こちらこそ、よろしくオネガイシマス。フツツカモノですが……」
ぎこちなく、先走った言い方になってしまった。
茅野も限界だったようで、
「ありがとう」
とだけ言うと、自転車に飛び乗って行ってしまった。
茅野の耳は、後ろ姿でもはっきりわかるほど、真っ赤に染まっていた。
恋なんて、蚊帳の外だと思ってた 木下ふぐすけ @torafugu
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