ハウンドドッグ ~記憶を奪われた敗残兵は警察になる~

峰ヶ原シアノ

プロローグ 猟犬の少女


 パトカーの上で点滅する警光灯が、一面の銀世界を真っ赤に染め上げた。

 

 粉雪が寂れた教会にしんしんと降り積もる。公営の警察官──クリフは、半分腐った教会のドアを注視しながら、焦れたように拳銃のグリップを握り直した。


 ──もう十五分だ。


 夜間の巡回をしていた同僚が狂った少年に襲われて、あの教会に引きずり込まれてから、既に十五分が経過している。少年は同僚の銃で武装しているだろう。早く助けなければ、同僚は死ぬ。


「ああ、唯一神様・・・・・・やっと大戦を生き残ったのに、こんなのあんまりだ」


 五十年も続いた神々の大戦──『宗教戦争』が終結したのはたった三年前だ。

 あの凄惨な戦争を命からがら生き残ったの同僚が、どうして反逆者の残党なんぞに殺されなければいけないんだ。


 さっき、上司は「弾よけに『猟犬』を送ってやる」と通信で言っていた。しかし、待てどもその応援は現れない。

 

「・・・・・・もう限界だ。突入するしかない」


 教会の中から同僚の断末魔が聞こえてくる。これ以上はもう保たないだろう。


 深く息を吐いて、教会の扉の前に立つ。意を決して扉を蹴破ろうとしたとき、背中から澄んだ声が掛かった。


「遅れました。民間警察です」

 

 振り返って、クリフは固まった。

 

 目の前にいたのは少女だった。肩上で切り揃えられた雪のような白髪と、猫のような瞳。レイドジャケットの袖から覗く手首も、触れれば折れてしまいそうなほど細い。


 動揺と困惑が混じったような表情で、クリフは少女に向き合った。


「お前が・・・・弾よけの猟犬なのか?」


「弾よけ? まぁ、そうかもしれませんね。多分あたりませんけど」


 少女の左手首には、真っ黒な情報端末が巻き付いていた。手錠の片割れのようなそれこそ、少女が民間警察ハウンドドッグであり、唯一神によって裁かれた罪人である証だ。


「仲間が少年に攫われた。この中だ」


「説得は?」


「話が通じない。実力行使しかないだろう」


「わかりました。唯一神の名に誓って人質は助け出します。あなたはここで待機してください」


 少女はそれだけ言うと、腰から空気銃を引き抜いた。


「待て! 単独で突入する気か⁉ 危険すぎる‼」


 少女がクリフに振り返る。氷の街よりも冷えた目をしていた。


「危険な場所に特攻させるための猟犬でしょう」


 クリフが押し黙る。それと同時に、少女は扉を開け放っていた。


 入り口から差し込んだ月光が薄暗い教会の中に月白色の道を作る。その月光の絨毯の先に、少年がいた。


 夜空のような黒髪をした少年だった。

 虚ろな瞳で床に転がった警官を見ている。倒れている警官は、まだ生きているようだった。頭から出血しているが、小さく胸が上下している。

 

 少年の銃口が警官に向く。とどめを刺す気だ。


「止まりなさい!」


 少女の叫び声に反応して、少年がゆっくりと入り口を見た。


「・・・・・・私の言葉がわかりますか?」

 

 銃口を少年に向けて、リアサイト越しに少女が尋ねる。少年は言葉の意味を咀嚼する素振りも見せずに、祭壇に置かれた十字架を見て、言った。


「唯一神は・・・・オズはただの簒奪者だ‼」


「宗教戦争は終わりましたよ。唯一神はオズです」


「マグノリアの裏切り者が・・・・」


 入り口で少年と少女の掛け合いを見ていてクリフの腕に鳥肌が立った。

 薬の作用のせいだとしても、少年はあまりに痛々しく、不気味だ。もう話の通じる相手ではない。


「──主よ、我が先の世の罪を許し給え」


 少女が唯一神へ懺悔の言葉──《マントラ》を唱える。すると、少女の瞳が紅い光を帯びた。

 唯一神から少女の体へ力が与えられ、少女の《コスモス》が起動したのだ。


「それは女神の力だ!」


 憎悪をむき出しにして、少年が少女に向けて発砲する。しかし、その射線上には、既に少女はいなかった。

 

 少女は常人離れした速さで教会内を駆ける。《コスモス》によって身体能力を強化された少女は、霞んで見えるほど速かった。


 理性を失った少年では、とてもその姿を捉えることなどできない。


 上下左右に緩急を付けて跳ね回る少女が、その双眸で暗闇に紅い線を引いていく。銃弾をくぐり抜けながら、線は瞬く間に少年の元へ近づいた。


「──死ね。死ね・・・・・死ねえええええ‼」


 少年が呪いの言葉を唱えながら引き金を引く。


 しかし、少女には擦りもしなかった。


 それもそのはず。

 伝承曰く、『人はみな神の子である』と言う。ならば、数世紀続いてきた人類の血脈を遡れば、人は限りなく神に近づく。

 そうして神の血を最も濃く継ぐマグノリア家の血筋を遡って手にした「力」が、《コスモス》だ。生身の人間が対抗しうる力ではない。


 故に、少女が少年の元にたどり着くのは必然だった。


「──ぐぁ⁉」

 

 少女の拳がみぞおちに突き刺さり、少年の体がくの字に折れる。

 常人なら必ず膝をつく一撃。しかし、少年の中で燃えさかる憎悪が、それを許さなかった。

 

 少年が空いている腕で少女を掴み、彼女の狭い額に銃口を添えた。

 標的はゼロ距離。ここまで来れば少女の素早さは関係ない。


「──死ね」

 

 少年がトリガーを押し込んだ。


 銃声。衝撃。

 雪玉を蹴飛ばしたみたいに、少女の真っ白な髪が乱れる。少年の手に伝わる確かな手応え。──殺った。


 しかし、少年の視界に映る、少女の見開かれた真っ赤な瞳は。


「死んで欲しいんですか?」


 ゆっくりと細められ、笑みを作った。

 並の人間なら確実に意識を失う頭部への銃撃。しかし、《コスモス》を持った少女に、人の理は通じない。

 腹部に蓄積したダメージで、少年が膝を折る。今度は、少年の額に銃口が据えられた。


「自分が誰だか、わかりますか?」


 少女の問いかけに、少年は呆然と顔をあげた。


「俺は・・・・誰だろう?」


 揺れるロウソクの灯火に合わせて、少年の瞳も揺れる。

 淡く照らされた十字架。それを背にして、真っ赤な瞳の少女が笑った。その姿が、少年の中で女神の姿に重なる。


「──■■」


 少年が、かつて自分たちを率いて戦った今は亡き女神の名前を呟く。少女は微笑みながら引き金を引いた。


 額に空気銃の銃撃を受けて、少年の体が倒れる。少女は腰から手錠を取り出して、少年の両手にかけた。


「この人の身柄は私たちが引き受けます」

 

 入り口で一部始終を見ていたクリフは、言葉を失っていた。

 

 知識として知ってはいた。

 宗教戦争に勝利した統一政府が得た、二〇〇〇万人の戦争捕虜。唯一神オズはその捕虜達の記憶を消し、従順な警察官に変えた。


 記憶を消されながらも、戦場で育んだ殺しの本能を頼りに獲物を狩る、首輪のついた猟犬──『ハウンドドッグ』

 クリフは、その戦い様を見るのが初めてだった。


「よいしょっと」


 少女が少年を引きずって教会を出て行く。クリフは、その背中を思わず呼び止めた。


「待て。・・・・お前、唯一神が憎くないのか」


 唯一神によって記憶を奪われ、これからも治安維持のために飼い殺しにされるであろう捕虜の少女。

 振り返って彼女の真っ赤な瞳が、クリフを見た。その顔には、薄い笑みが張りついていた。


「憎悪なんて、とっくに神様が持って行きましたよ」


街頭のない真っ暗な道へ少女が進んでいく。クリフはその小さな背中が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くしていた。


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