第九話 レオンハルトからの贈り物


 急に一人きりになると、いつも思い出す人がいる。

 ヒバリがまだハウンドドッグに成り立てで、世界に絶望していた頃。

 自分を絶望の淵から掬い上げてくれたのは、乱暴で子供っぽい同僚だった。


 でも、彼はもういない。

 昼下がりの人混みの中を、静寂に支配された夜の森を、いるはずのないあの人を探して視線が彷徨う。


 あの人が今の私を見たらどう思うだろうか。

 自分勝手に学生を捜査に巻き込んで危険に晒し、あまつさえサクヤが危ないときに自分は寝ていたのだ。


 ああ、どうしてあの人は、あんなことをしたんだろう。


「殺すなら、私を殺せばよかったのに・・・・・・」


 そのとき、《オズワルド》の着信がなった。

 ヒバリは一度廊下に出て、子供が全員寝静まってことを確認してから通話を繋げる。


 着信元は『レオンハルト』。

 記憶を失う前のサクヤがバーで待ち合わせたという人物──ヴィンセント・セレーについての連絡だろう。

 ヒバリはバーを出てすぐ、彼に関する調査を上司のレオンハルトに依頼していたのだ。

 《オズワルド》の機能によって、レオンハルトの声が鼓膜を介さずに脳内に響く。

 

『やあ。氷の街は楽しいかい?』


「夜中に聞くレオンハルトの声は心に良くないですね。悪夢を見そうです」


『相変わらず君の冗談は面白いな』


 本音である。


「・・・・・・それで、セレーはどうでした?」


『ヴィンセント・セレーはニューステラ警察学校の非常勤講師だ。教壇に立ちながらも仕事は続けていたようで、一昨日には所属ギルドの事務所に顔を出しているよ。しかし、その日の夜からの足取りは掴めていない』


 これでサクヤとセレーの接点が明らかになった。同じ学校の講師と生徒なら、顔を合わせることは多いだろう。

 それに、サクヤは進路について悩みを抱えていた。その相談ということなら、サクヤとセレーが『名誉信徒歓迎』のあの酒場で待ち合わせることも不思議ではない。


 しかし、セレーの足取りが掴めないというのが気になった。


「行方不明ということですか?」


『《オズワルド》の位置情報が途絶えているから、少なくとも遊びほうけているわけではなさそうだ。あれを外すと逃亡罪になるからね』


 街灯カメラやスカイネットにも姿を捕えられずに街を移動するのはほぼ不可能だ。ということは、行き先は海か森か、はたまた雪の中か・・・・・・


 ヒバリはため息をついた。

 バーテンダーは、何者かが薬に関わる人間を消していると言っていた。

 恐らくその人物とは、各地の拘置所から拘禁者を攫っている人物だ。攫われた拘禁者たちはみんな、薬を飲んだ副作用で暴行事件を起こしている。薬に関われば、例え相手が牢の中だろうと消すということだ。


 やはり、セレーは薬に関わって消されたのだろうか。いや、薬のせいで攻撃的になったサクヤが、セレーを手にかけたという可能性もある。

 ヒバリが考え込んでいると、レオンハルトが緊張感のない声で言った。


『これからどうするんだい?』


「近いうちにマフィアが立食会を開くそうなので、そこに潜入します。薬の関係者から何か聞き出せるかもしれません」


『あまり無茶はしてはいけないよ。・・・・・・君の相棒の件なら、君に責任はない』


 ヒバリの心臓が大きく跳ねた。

 レオンハルトは時々他人の心を見透かしたような言動をする。それが全く見当違いであれば愚痴を言って済むのだが、毎回ぴたりと当てるものだから油断できない。


「サイモンはまだ見つかってないんですか?」


 サイモンはかつての同僚だ。

 大きな図体をしているのに子供のように大人げなく、言動は荒っぽいのに根は優しい。

 ヒバリを含めみんなに慕われていたその人は、同僚を殺して消えた。


『見つかっていない。監視カメラだらけの世の中で、みんな隠れるのが得意だね』


「見つけてみせます。私がこの手で、絶対に」


『それは頼もしいことだ』


 サイモンは消えるまえ、ヒバリに伝言を残した。

 猟犬に対して挑戦的な響きを持ったその言葉は、今もヒバリの頭にこびり付いている。


 サイモンの逃亡は、各地で起こった記憶障害事件と同じタイミングで起こった。

 だからもしかするとサイモンは、記憶障害事件に巻き込まれ、薬の副作用のせいであんな事件を起こしたのかもしれない。

 もしそうであればサイモンは被害者。無罪となる可能性も出てくる。

 

 しかし、現段階ではそれは希望的観測だ。

 確かめるためには、記憶障害事件を解決し、薬がどのように、誰に流れたのかを明らかにしなければならない。

 

 そして、もしサイモンが薬を飲んでいないとわかったのなら。

 そのときは。

 

「サイモンは、私がこの手で捕えます」


 責任を取るのは、元相棒のヒバリの仕事だ。



※※※※※




 次の日の朝、宿から荷物を取り寄せたヒバリが、サクヤに小さな小包を渡した。


「なにこれ?」


「私の上司からサクヤさんに贈り物です。歓迎の印だそうですよ」


 サクヤは小包を開けてみた。

 中には、『クロスリング』と記された紅い小箱が入っていた。高級感の漂う丁寧な包装だ。本当に貰ってもいいのだろうか。

 慎重に小箱を開いてみると、中身は銀色の指輪だった。二つの輪が平たく交差するように重ねられ、一つの指輪になっている。


「実習生に指輪? 変わったチョイスだな」


 首を傾げるサクヤの横で、ヒバリが声をあげた。


「あっ、知ってますそれ! 自分と他の物の位置を入れ替える指輪ですよ!」


 位置を入れ替える。

 そんな芸当ができるのは、《コスモス》だけだろう。

 サクヤは鑑定眼を起動して、クロスリングを見た。


『識別……レディフレアコスモス———No. 200《位置交換》』


 本当だ。確かにこの指輪には《コスモス》が搭載されている。


「へー。何に使うんだろ」


「レディフレアのサイトに使い方が書いてありますよ。後で私にも使わせてください」


「おう」


 ヒバリは荷物を抱えて階段を上がっていった。

 《オズワルド》からホログラムを呼び出し、レディフレアのウェブサイトを開く。『製品』の欄を探すと、すぐに『クロスリング』の説明が見つかった。

 説明の内容はこうである。


『過去五分以内に触れた任意の物体と、指輪の使用者の位置を入れ替えます。入れ替えることができる対象の大きさと両者の距離は、出力によって変化します』


 なるほど。シンプルな機能だ。ちょっと使ってみたくなった。

 サクヤは指輪をはめて、リビングに繰り出した。何と位置を交換しようかと、あたりを見回す。すると、頭を軽い衝撃が襲った。


「いて」


 振り返ると、文月が立っていた。サクヤを叩くのに使った文庫本を、そのままキッチンの壁に向ける。そこには、家事の分担表が張られていた。


「遊んでいないで仕事をしろ。これは集団生活だぞ」


 確認すると、今日のサクヤの仕事は乾いた洗濯物を畳んで、箪笥にしまうことだった。それくらいなら、急いで終わらせれば五分もかからない。

 サクヤは部屋干しをしている部屋に行って、男物の衣類とタオル類を回収した。女物の衣類は既にない。女子側の担当者が回収したのだろう。

 洗濯物のためだけに稼働していたヒーターの電源を足で切って、リビングまで戻った。洗濯物を畳み終えて、はたと手が止まる。


 ソファーで読書に耽っている文月に、サクヤは声をかけた。『世界のトマト』と書かれた文庫本の横から、文月が顔を出す。トマトが好きなのだろうか。


「文月、これは誰の服だ?」


「ああ、それはアレックスだよ」


 アレックスの部屋まで行って、ベッドの上に服を置く。

 戻ってくると、サクヤはまた文月に声をかけた。文月が本の横から顔を出す。


「文月、これは?」


「それはお前の靴下だ。破れているな、もう捨てろ」


 サクヤは部屋を見回した。


「ゴミ箱はどこだ?」


 読書に戻りかけていた文月は、少し引きつった顔をあげて、部屋の隅を指さした。サクヤは、ゴミ箱に靴下を投げ入れた。

 文月が再び読書に戻る。すると、サクヤはまた声をかけた。


「このタオルはどこにしまえばいい?」


「ええいっ、しつこい! 何でいっぺんに聞かないんだ!」


 読書を邪魔されてフラストレーションが溜まった文月は、文庫本をソファに叩きつけた。本がソファで跳ねて、文月の頭に直撃する。文月は涙目になった。

 何というか不憫だ。


「記憶がないんだからしょうがないだろ。で、タオルはどこだ?」


「脱衣所の箪笥だ! そのハンカチもな!」


「ういー」


 タオルを山ほど抱えて脱衣所に行く。箪笥にタオルを押し込み終えると、洗濯機の前に男の子が走ってきた。

 確か名前はアレックスだ。


「どうした? アレックス」


「これ、あげるよ」


 何やらニヤついているアレックスが、丸めた右手を差し出してくる。

 サクヤは目を細めた。

 ははーん。さてはイタズラだな。


「・・・・虫だろ。ダンゴムシとか」


「怖いの?」


「まさか」


 くだらない子供のいたずらと知っていても、乗ってやるのが大人の美学である。

 サクヤはアレックスの手の中の物を受け取った。それを見届けると、アレックスは走り去ってしまう。


「やれやれ」


 誰もいなくなった脱衣所で、サクヤは苦笑しながら手の中の物を見て──そして固まった。


 それは衣類だった。

 薄い生地で、逆三角の形状。

 ついでに言うと、色は黒。


「あのガキ!」


 どうみても女物のパンツが、手の中にあった。

 一体どこから持ってきたんだ。元の場所がわからないと戻しようがないぞ

 ああ。頭痛がする。


 手の中のパンツはどう見ても子供用ではない。ということは、持ち主の候補はヒバリと文月だ。

 本人達からすれば、これはサクヤには触れられたくないものだろう。

 だから正直にこれを受け取ってしまったことを話せば、彼女達から嫌われるかもしれない。果てにはあらぬ誤解をされてサクヤが殺されるかもしれない。


「・・・・無かったことにするか」


 面倒な物はさっさと手放した方が良い。きっと文月かヒバリが見つけてくれるだろう。そう思って床にパンツを置こうとしたとき、廊下の方から声がした。


「サクヤさーん、どこですかー?」


 肩が大きく跳ねる。ヒバリの声だった。

 ──まずい!

 

 ここから逃げたい。

 サクヤのその切実な願いに、クロスリングは答える。


 リングがぼんやりと黄金色に発光し、少し重くなる。次の瞬間、サクヤは脱衣所から消えた。


「おわっ⁉」


 景色が一瞬で脱衣所からリビングに切り替わる。少しの浮遊感の後、サクヤはソファーの上に落ちた。

 突然現れたサクヤを見て、文月が言葉を失っている。その横で、サクヤは目を輝かせて周りを見ていた。

 これが位置交換。何て便利な力だ。


「すげえ・・・・瞬間移動じゃん。あの本と入れ替わったのか」


 ついさっき、サクヤはあの本で小突かれた。

 できるだけ遠くに逃げたいと願ったから、五分以内に触れたもので、且つ最も脱衣所から離れている物をリングが自動で選んだのだろう。

 瞬発的な意思も読み取ってくれるのなら、いざという時の退避にも役立ちそうだ。


 リングの性能に興奮するサクヤを、文月が温度のない瞳で見ている。

 しまった。また読書を邪魔してしまった。


「ごめん。今すぐ本を取ってくるから」


 脱衣場に本を取りに行こうとしたサクヤの肩を、文月が掴んだ。


「どこに行くんだ? 私の下着を握りしめて」


「──へ?」


 壊れかけた機械のようなぎこちなさで、サクヤは自分の手の中の下着を見た。

 しまった。こいつの存在を完全に忘れていた。


「違う! これはアレックスので!」


 アレックスが取ってきたもので、と言いたかった。


「アレックスがそんな下着を履くか。どう見ても私の物だろうが・・・・・・!」


 文月の瞳が新緑色に光る。

 いつの間にかリビングに来ていたアレックスが慣れた様子で窓を開けると、サクヤは外に向かって投げ出された。


 

※※※※※



「へぶしっ」


 サクヤはヒーターの前で毛布に包まり、豪快にくしゃみを飛ばした。鼻を啜っていると、ちり紙が差し出される。

 ティッシュ箱を片手に、ヒバリが不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。文月のせいで雪に埋もれていたサクヤを助け出したのはヒバリだった。ありがたや。


「なんで雪に飛び込んだんです?」


「イタズラ少年の策略にハマったんだよ」


 言いながら、背後を睨む。ソファーで本を読んでいたアレックスが目をそらした。


「そう言えば、さっき俺のこと呼んでなかった?」


「はい。これを渡したくて」


 ヒバリはポケットからカードを取り出すと、サクヤに渡した。

 カードは写真付きの学生証で、サクヤの顔写真が貼ってある。しかし、問題はその内容だった。


「『ニューステラ工業高校 2年 森野太郎』・・・・・・何だ、これ。偽物の身分証?」


「マフィア主催のパーティーに参加することになったので、偽の個人情報を作ってもらいました」


「マフィア? それって、PTSD治療薬を密売して倉庫に襲撃を受けたマフィアか?」


「そうです。デットマン・ファミリーという、大陸の北で一番力のある組織らしいですよ。今回、そこを探ってみようと思います」


 ヒバリは得意げに自分の身分証を掲げた。


『ニューステラ工業高校 3年 森野花子』


 ・・・・・・なるほど、兄弟設定か。


「ニューステラの不良チームを従えている、異常に喧嘩が強い兄弟という設定で行こうと思います」


「兄弟なのはいいけど、なんでヒバリが年上設定なんだ?」


 見た目的には、サクヤを兄にした方が無難に思える。

 ヒバリは照れたように目を背けた。


「子供達を見ていたら弟に憧れたんです」


「私情かよ。そもそもこんな身分証一つで飛び入り参加できるのか?」


 情報漏洩や密偵の侵入を防ぐために、会場の警備は盤石のはずだ。いきなり会場に来たチンピラをマフィアが歓迎するとは思えない。


「それは大丈夫です。あの不良の人がパイプを持っているそうなので」


「不良?」


「ほら、あの金髪の学生ですよ。公営警察の訓練生で、体育館前でサクヤさんに絡んできた」


 サクヤは手を打ち鳴らした。

 ああ、あのいけ好かない奴か。


「『これで借りは返した』って言ってましたよ」


 あのワルめ、警察学校の生徒のくせに、何でマフィアにつてがあるんだ。あんなのが警察になれるなら世も末だ。


「ということで、パーティー用の服を用意してください」


 ヒバリは街に出るつもりなのか、ラックからダウンジャケットを掴んでリビングを出て行く。その背中に、サクヤは叫んだ。


「で、そのパーティーはどこでやるんだ?」


「海の上ですー」


 ぴしゃり、と玄関が閉まる音が聞こえた。サクヤはヒーターの前で、一人首を傾げた。


 『海の上』と聞こえたが、今のは聞き間違いだろうか。



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