第十話 海上の立食会
街灯が一つだけ灯る薄暗い港に、巨大な影が現れる。
海面を滑るようにゆっくりと近づいてきたそれを、船着き場にいる人々は無言で眺めていた。
ビルのようにそびえるそれは、戦時中に廃棄されたという巨大な客船だ。
真っ黒な海と夜空の間を音も無く滑り、わずかな光しか灯さずにやってきた豪華客船は、地図から抜け落ちた廃港に静かに到着する。
船内へ入っていく人々は今夜船の上で開催される立食会の参加者だ。だというのに、その誰もが地味な格好をしている。
彼らは表社会の人間では無い。船に乗るまでは目立つわけにはいかなかったのだ。
葬列のように厳かで静かな人の流れ。
しかし搭乗口を潜った先は、別世界だった。
「おお・・・・・・」
船内に入ったサクヤから感嘆の声が漏れる。
訪れる人たちを出迎えたのは、客船内を飾る煌びやかな装飾品たちだった。廊下には絵画などの美術品が、ホールには大きなシャンデリアが釣ってある。
船内に汚れは一つもなかった。
ガラスと金属の歓迎。
それに応えるように、人々も真っ暗なコートを脱ぎ、内装に合った華やか衣装を露わにした。
夜の沈黙が遠ざかり、談笑の声がぽつぽつと沸いてくる。既に船に乗っていた人も含め、客船内には二〇〇人は下らない数の人々がいた。
その全員が、裏社会の人間だ。
何せ、この立食会の主催は大陸北部でも最も影響力のあるマフィア──デットマンファミリーなのである。
周囲に合わせてサクヤも黒いコートを脱ぐ。それを、隣にいるヒバリがちらりと見た。
「サクヤさん、緊張してますね」
「してないって」
「手がブルブルしてますけど」
サクヤは震える手でコートを荷物係に預けた。
三六〇度どこを見ても悪人。これで緊張しない方がおかしい。
「大きな船ですね。こんなに大きな船に乗ったのは初めてです」
気の抜けたことを呟いて、ヒバリもコートを脱いだ。
コートの下に来ていたのは、月白色のドレス。
髪色も肌もドレスも白いから、サクヤにはヒバリが人間離れして見えた。お伽噺に出でくる月の精霊が目の前に現れたみたいだ。
《オズワルド》も白いシュシュで隠している。
「どうです? 似合ってますか?」
「ああ。めっちゃ近寄りがたい」
「それ褒めてます?」
べた褒めだ。神話的に美しいものに、人は安易に手を伸ばせないものだから。
「・・・・・・このホールに例の薬の話をしている人はいませんね」
ヒバリは目を瞑って耳を澄ませていた。
「みんなの会話が聞こえるのか?」
「耳がいいんです。《コスモス》の移植で半分人間やめてますからね」
記憶障害の原因であるPTSD治療薬。
それについて情報を集めることが今日の目的だ。
倉庫を襲撃したのは誰なのか。そのとき薬は奪われたのか。ニューステラに薬を集めている怪しい人物はいないか・・・・・・など、知りたいことは山ほどある。
マフィアの船に潜入するという危険に見合うだけの成果は持ち帰りたい。
情報を求めて次の広間へ歩きながら、サクヤが囁いた。
「そもそも二人だけで潜入するのが間違いなんじゃないのか? 応援とか呼べないのかよ」
「西の都からわざわざ呼ぶんですか?」
「この街にも猟犬はいるだろ」
「いても《ギルド》・・・・・・つまりチームが違うんです。同じ猟犬でも、所属ギルドが違えば滅多に協力はしません。基本的に獲物の奪い合いでギスギスしてるので」
「ギャングみたいだな。なんでギルドなんか作ったんだよ」
「民間警察の担当する仕事が多種多様だからです。交通整理、パトロール、災害救助、要人警護、鑑識・・・・・・こんなに沢山仕事があると、得意な仕事ごとに分担した方が効率がいいでしょう? 色んな仕事に手を出すギルドもありますけど、大体は専門が決まってるんです」
「警察っていうより探偵みたいだな。じゃあ、この事件を捜査してる別のギルドもいるのか?」
「もちろん。世界中のギルドが捜査しているはずです。噂によると公営警察も出張ってきているらしいですよ」
「なるほど──っ、すいません」
肩に衝撃を感じて、すぐに誰かにぶつかったのだと気がついた。
横で倒れそうになっていた女性を慌てて支える。
香ってきたのは、華やかなジャスミンの匂いだった
「あら、こちらこそごめんなさい」
女性が優雅に一礼する。美しい人だった。
青いドレスを身に纏った大人の女性。所作がゆったりとしていて、場慣れした感じが──
「──あ」
サクヤは女性のドレスを見て顔を青くした。
美しい青のドレスに、紫の染みがくっきりとついている。ぶつかった拍子に女性のグラスからワインがこぼれてしまったようだ。
サクヤは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい・・・・・・せっかくのドレスが」
「あら、いいのよ。別に私のお金で買った物じゃないし」
社交辞令ではなく、女性は本当にドレスのことなど少しも気にしていなさそうに見えた。
しかしそれでも罪悪感はある。買う機会がないから正確な値段はわからないが、ドレスというのはかなり高価なものではないのだろうか。
「いや、そういう問題じゃ・・・・・・」
女性の目が少し細められた。
「随分張り詰めているのね? まるでスパイみたい」
背中に冷や汗が滲んだ。
嫌な指摘だ。微妙に的を得ている。
サクヤは動揺を悟られないように控えめに笑った。
下手に話すと墓穴を掘るかもしれない。こんなところで警察学校の生徒だとバレれば、間違いなく命はないのだ。言葉は慎重に選ぶべきだ。
しかし、サクヤがそうやって必死になっていることも見抜かれたのかもしれない。
女性はクスリと上品に笑った。
「ふふ、もう少し肩の力を抜きなさいな。貴方の恋人みたいにね?」
女性がサクヤの背後をちらりと見る。
視線の先には、皿一杯に料理を盛り付けているヒバリの姿があった。
──おい。人がピンチの時に一人で楽しむな。助けろよ。上司だろ。
「あの子は恋人じゃないですし、気を抜きすぎです」
「まだまだねぇ。あれは余裕と言うのよ」
「ただの食い意地じゃね?」という感想は胸の中に留めた。
「──あ、そうだ。ドレスのお詫びに、少しお使いを頼まれてはくれない?」
「お使いですか?」
「ええ。八階の甲板デッキにある荷物を、304号室に移して欲しいの。本当は私が行くつもりだったのだけれど、慣れない靴で足を痛めてしまって」
女性は踵の高いハイヒールを履いていた。確かにこれで八階まで移動するのは難しいかもしれない。
サクヤは頷いた。
「わかりました。どんな荷物ですか?」
「黒いゴルフバッグよ。中身は絶対に見ないで。きっと後悔するから」
サクヤはあからさまに嫌そうな顔をした。
「いかにもな荷物ですね。大丈夫です絶対に見ないので」
危ない物はすぐに手放すが吉だ。
「じゃあ行ってきます」
ヒバリに一声掛けてから八階に行こうとしたサクヤの背中に、女性の声がかかった。
「『人狼』に気をつけなさい」
「・・・・・・人狼?」
振り返ると、女性は神妙な顔をしていた。
「近頃、この付近で警官やマフィアを殺している狂人よ。奴に血溜まりにされないように気をつけなさい、可愛い坊や」
ニコリと微笑んで、女性は隣のホールへ歩いて行った。
※※※※※
ヒバリに少しトイレに行くと嘘をついて、サクヤは八階の展望デッキまでやってきた。「ちょっと怪しい荷物を運ぶ手伝いをしてきます」なんて馬鹿正直に警官に言うわけにはいかない。
ちょっと荷物を運ぶだけだし、すぐに戻れば問題ないだろう。
展望デッキには売店やプールも併設されていたが、水も張っていないし電気もついていなかった。全くの無人だし、ここは使っていないのかもしれない。
何でこんな所に荷物なんてあるのだろう。ますます怪しい。
「これか」
黒いゴルフバッグはすぐに見つかった。売店のカウンターの隅に立てかけるように置いてある。
担いでみるが、かなり重かった。なるほど、ヒールの女性がこれを運ぶのは難しいだろう。
「感触的には銃器じゃ無いな・・・・・・ゴツゴツしないし、人の体か麻薬かな」
背中の中身を想像してすぐに後悔する。こんな人気のない場所ですることじゃない。とっとと帰ろう。
甲板デッキから出て、明かりのついた廊下まで進む。
そこで、サクヤはしゃがみ込んだ。
「これは・・・・・・毛?」
廊下のカーペットに毛が落ちていた。
色は白で、あまり長くない。人間のものには見えなかった。人間の毛はこれほど硬くない。
これは・・・・・・
「狼?」
狼。
しかし、こんな所に狼がいる訳がない。船に乗るのは人間だ。
なら、この毛の持ち主は人狼だろうか。
まさか、ここに誰かを殺しに来たのか?
「もしもーし、おにーさん?」
「おわあ⁉」
びっくりして飛び退く。
見れば、背後にヒバリと同じ年くらいの少女が立っていた。
──頼むから気配を消さないでくれ。
青い髪に青い瞳。生命力と好奇心に満ちた表情で、少女はサクヤへ笑いかける。
「暇ならちょっと付き合ってよ」
「暇じゃねえって。今運び屋してるんだから」
「うわぁ凄い。自分から運び屋を名乗る運び屋なんて初めて見たよ。誰かにチクっていい感じ?」
「いいわけないだろ殺す気か」
中の荷物がなんであれ、絶対にろくな事にならない。
「じゃあ少しだけ私の相手をして? 歩いてる間に話すだけでいいからさ。マフィアに挽肉にされるのは嫌でしょ?」
花のような笑みで物騒なことを言う少女に、サクヤはため息をついた。
正直関わりたくないが、仕事を邪魔されるのは面倒だ。話すだけで済むのなら安いものかもしれない。
「・・・・・・あんまり騒ぐなよ」
背中のバッグを背負い直して、サクヤがエレベーターを待つ。少女は満面の笑みでサクヤについてきた。
「そのバッグの中身は何? ライフルとか?」
「さあ? 知りたくもないし中身は聞かなかった」
適当に少女の相手をしながら、ぼんやりとエレベーターのメーターを見る。
一階のエレベーターが八階まで登ってくるのがランプの点灯でわかった。
「ふーん。お兄さんただのパシリか。どこの傘下なの?」
「別にただのチンピラだよ。一匹狼だ」
あまり騒がないで貰いたいのに、少女はからからと大きな声で笑った。
「あはは狼かぁー。おにーさん度胸あるねぇ。それ、ホールで言ったら大変な事になるよ?」
「やっぱ人狼の話題は不謹慎か?」
「うん。仲間が大勢殺されてるからね。おにーさんも狼ってことは、マフィアの敵?」
サクヤは薄く笑った。
自分は警察官だ。本当は敵だが、正直にそれを言う理由は無い。
「味方だよ。そういう意味で言ったんじゃ無い。ていうかその質問意味あるか? 敵だったら正直に答えないだろ」
エレベーターが八階につき、ドアが静かに開いた。
少女と二人して中に乗り込む。すると、少女がサクヤに寄りかかった。
「おい。ひっつくなって」
「答えなくてもわかるよ。私の《コスモス》ならね」
チクリと、脇腹に痛みが走った。
「え──」
視界が急に真っ白になり、サクヤがエレベーターの床に倒れる。
急に倒れたサクヤに、しかし少女は動揺しなかった。
踏み潰された枯れ葉でも見るように、興味無さげサクヤを見下ろしている。
その感情の抜け落ちた瞳は、深い緑の光を帯びていた。
「あなた警官? この船で私の顔を知らない間抜けがいるなんて思わなかったわ」
「さっきと雰囲気が随分違うじゃねえか。俺に何打ち込んだんだ?」
「毒よ。苦しまずに一時間で逝けるやつ」
サクヤは唾を飲み込んだ。
息はできる。声も出る。でも、手足に全く力が入らない。
まずい。ヒバリにはトイレに行くとしか言っていないし、助けは来ないぞ。
「最近のガキは物騒なの持ってるんだな。お前誰だよ」
「ニコラ・デットマン。お飾りだけど、この立食会の主催者よ」
ニコラは三階のボタンを押して、エレベーターの扉を閉めた。
エレベーターが落ちていく。
床のすぐ下でエレベーターのワイヤーがまかれて不気味に音を立ててる中、ニコラは手に持った注射器を逆手に構えた。
ハウンドドッグ ~記憶を奪われた敗残兵は警察になる~ 峰ヶ原シアノ @cyano0495
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