第八話 蓬莱院



 次の日、サクヤ達は病院を出た。

 今日の目的は、昨日と同じく記憶を失う前のサクヤの足取りを追うことだ。昨日は予期せぬ事が起こって中断してしまったから、今日はその続きからスタートすることになる。


「ここから昨日の続きですね」


 サクヤたちは例のバーに行き、そこから郊外の森を目指した。

 記憶を失う前のサクヤの歩みをずっと辿ると、街を出て数十分かけて郊外まで出た後、森の中で位置情報が途絶えている。ヒバリ曰く、そこで《オズワルド》の電源が落とされているらしい。


 経過時間から察するに、サクヤは徒歩で森まで移動したようだ。

 中心街からずっと歩いて、建物がまばらになってきたあたりで坂道を上る。

 坂の上からは凍った湖がいくつも見えた。湖の周囲には簡易な作りの倉庫がいくつも並んでいる。切り出した氷をあそこに運ぶのかもしれない。


 

 坂の上から凍った湖を眺めながら進むと、針葉樹の森が見えてきた。サクヤの位置情報が途絶えているのは、この地点だ。


「怪しい物は何もないな」


「これでますます氷が怪しくなりましたね」


「でも、これでできることがなくなったぞ」


 昨晩、サクヤ達は氷を回収しただけで、後は何もせずに酒場を後にした。

 いや、何もせずにという言い方は卑怯かもしれない。正確には、何もできなかったのだ。


 氷に薬が入っているという客観的な証拠が提出できない以上、サクヤ達にバーの営業を止める権利はない。営業の妨害になる捜査もできないし、無力感を引きずりながら引き返す他なかった。


 氷は、警察病院に隣接している科学捜査研究所に提出した。提出した氷に薬が入っていることが証明されれば、あのバーの営業を一時停止させて、思う存分捜査することができるだろう。だが、その検査結果もいつになるかわからない。


 ヒバリが思い出したように言った。


「サクヤさんの孤児院がこの近くにありますね。見ていきますか? 何か思い出すかも知れませんよ」


 サクヤは少し悩んだ。孤児院はサクヤの家だ。

 しかし孤児院に帰って文月に会うことを考えると、他所の家に行くみたいな緊張を感じた。

 でも、蓬莱院は自分の家だ。毎晩病院に泊まるわけにはいかないし、やはり帰るしか無いのだろう。


「・・・・・・そうだな、見ていくか」


そう言えば、文月に昨日のお礼すら言っていなかった。



※※※※※



 針葉樹の林を切り開いた道をずっと進んだ。


「子供達はよくこんな山奥に住んでますね。危なくないんですか」


 雪道を歩きながらヒバリが呟く。

 孤児院があるのはこの道の先だ。


 雪道には、小さな靴跡がいくつも残っていた。学校のある子供達は既に孤児院を出たのかもしれない。

 数分歩いて、サクヤ達は蓬莱寺についた。蓬莱院は、蓬莱寺が運営する施設である。


 東方の建築様式で建立された寺院を見て、ヒバリは感嘆の声をあげた。


「これが寺院ですか。不思議な形の建物ですね」


 ニューステラの建物は、そのほとんどが石材やコンクリートを使って建てられている。木材と瓦屋根で作られた寺院建築は、ヒバリの目には新鮮に映ったようだ。

 確かに特徴的な造形をしている。傾斜がきつい屋根だが、中腹から縁にかけて急に傾きが緩やかになっていて不思議な形だった。木の柱がそのまま外に曝されているが、雪で木材が傷まないのだろうか。


 子供達の足跡を追うと、蓬莱院はすぐに見つかった。

 蓬莱院は蓬莱寺の本殿とは別の建物で、こちらはニューステラの建築様式だった。


 サクヤがドアノブに手をかける。鍵はかかっていないようで、開いたドアの隙間から木と洗剤の匂いが香ってきた。


「不用心だな」


 迷わず中に入るサクヤへ、ヒバリが慌てる。


「勝手に入っちゃうんですか⁉ 怒られますよ!」


「だって俺の家だろ。入るのに許可は要らないんじゃないか?」


「それは・・・・・・そうですけど」


「家に入れば記憶が戻るかもしれないぞ。外は寒いし」


「寒いのが本音ですよね」


 サクヤは玄関で雑に靴を脱いで、靴を下駄箱に突っ込んだ。ヒバリもサクヤの真似をして、靴を脱ぐ。家に入るのに靴を脱ぐのは新鮮だと、ヒバリは思った。


 孤児院の中は、木の匂いで満ちていた。


「なんだか落ち着く匂いだな」


 孤児院は横に長い二階建ての建物だった。

 玄関側の壁に沿って長い廊下があり、そこに各部屋に続くドアが並んでいる。玄関の正面には二階へと続く階段もあった。


 サクヤが廊下へ一歩足を踏み出す。すると、右側の廊下から憶えのある女の声が響いた。


「おかえり。サクヤ」


 「ただいま」の声が反射的に口から出て、サクヤは驚いた。

 染みついた習慣を自覚して実感する。記憶は無いが、ここは本当にサクヤの家なのだ。


 廊下から現れたのは長髪の女だった。

 夜空のように黒い髪と瞳。見た目は若く、二〇代前半くらい。しかし、声音は落ち着いていて、見た目の若さと相まって神秘的な雰囲気を醸し出している。


「あなたが──」


「文月だよ。よく無事に帰って来たな」


 文月のしなやかな手が伸びてきて、サクヤの体を抱きしめる。突然の出来事に、サクヤは目を白黒させて固まった。

 至近距離でこちらを見つめる瞳は、吸い込まれそうなほど黒かった。

 無意識に少し見つめてから、慌てて顔を背ける。


「怪我はないのか?」


「え、ああ。ちょっと死にかけたけど、平気」


「まったく。お前はいつもそうだ……」


 文月は安心したように微笑むと、サクヤの胸に顔を埋める。

 鼻先があたってくすぐったい。


「お前はいつも──」


 穏やかな声音が、突然冷水のように冷えた。


「──肝心なところで油断する」

 

 顔をあげた文月の瞳は、宵闇のような黒から、鮮やかな緑に変化していた。金髪が《コスモス》を使ったときと、同じ発色。


「へ?」


 文月の指がサクヤの腹部に伸びる。すると風がサクヤを包み、その体を持ち上げた。


「おわああああああああ⁉」


「サクヤさん⁉」


 文月が玄関の扉を開けると、風はサクヤを砲弾のように撃ち出した。背骨を軸に美しい姿勢で回転し、勢いそのまま頭から雪に突き刺さる。

 冷たい衝撃が顔を襲った。


「言ってわからないなら体で知れ。どんなに強力な《コスモス》を持っていようと、一時の油断がお前を殺すんだ」


 玄関の扉をぴしゃりと閉めた文月は、あきれ顔で頭を振った。


「やれやれ。あのバカは本当に学ばないな」


 廊下を引き返していく文月を、ヒバリは呆然と眺めた。

 さきほど文月はマントラを唱えずに《コスモス》を使用した。そして、《コスモス》を起動した時の瞳の輝き。あの鮮やかな新緑色は、マグノリア協約のどの兵士も持ち得ないものだ。

 リリーブレイドを運営していたのは、オズ率いる統一軍。


「リリーブレイド製の《コスモス》……文月さんは、統一軍の兵士だったんですか?」


「まあな。・・・・・・ジヒから話は聞いているよ。淵瀬ヒバリだな? 良い名前だ。私の故郷を思い出す」


「はぁ・・・・・」


 唯一神に記憶を奪われたせいか、生まれ持った自分の個性を褒められてもヒバリには他人事のように聞こえる。


「お茶を入れるよ。話は奥でしよう」


 文月は微笑んで手招きした。緑色の光はもう消えて、その瞳は宵闇色に戻っていた。



※※※※※



 ヒバリが通されたのは客間だった。そこかしこに子供達の写真や工作が飾ってある。

 ヒバリがこれまでのことを文月に話すと、文月は最初に頭を下げた。


「あいつが迷惑をかけてすまない。保護者としてとして謝罪させてくれ」


「そ、そんな! 私の方が役立たずで、サクヤさんを危険に曝してしまいました・・・・・・謝るのは私の方です」

 

 昨晩の出来事を思い出し、ヒバリはぐっと歯を噛みしめた。

 あれは失態だった。いざという時に戦えないのなら、自分に一体何の存在価値があるんだ。この身を盾にしてでも市民を守ることが、自分の使命であるはずなのに。

 それだけが自分が社会に存在する理由なのに。


「だが、サクヤが馬鹿をやらかしたのも事実だ。その分は最初に謝っておきたい」


 ヒバリは絶句して目の前の光景を見た。

 統一軍の関係者が名誉信徒に謝ることなんて、見たことも聞いたこともない。

 戦勝国側の人間は、自分のした活躍に関わらず一様に名誉信徒を馬鹿にし、恨んでいる事が多かった。


「・・・・文月さんは私たちのことが憎くないんですか?」


 ヒバリは思わず聞いてしまってから後悔した。

 仇敵同士が壁一枚で共同生活を送っているような不安定な戦後社会では、こういう話題はタブーだ。


「憎んでいないさ」


 しかし、文月は何でもないように首を横に振った。

 湯飲みから立ち上る茶葉の香りがヒバリの鼻をくすぐる。


「もちろん、憎い敵も協約にはいる。でも、お前たちは子供だ。子供のうちに罪を犯したなら、それは周囲の大人の責任だろう。君らを唆した女神マギは封じられた。私はお前達の宿罪を否定する」


 サクヤに対する態度を見ても、文月はとても厳しい人のようだ。

 しかし同時に、文月の話し方や雰囲気からは、彼女の子供に対する暖かな感情が見え隠れする。


「オズの信奉者には度を超した猟犬嫌いが多い。もし外の世界が嫌になったら、ここに顔を出せ。幸い部屋は余っている。アクセスは少し悪いがな」


「ありがとうこざいます」


 ヒバリはもう文月とこの孤児院の事が気に入っていた。

 ティーカップから立ち上る湯気。暖炉の薪が爆ぜる音。時々聞こえてくる知らない鳥の鳴き声。子供達の描いた絵。文月の持つ静謐な雰囲気。

 ここにいると何だか静かな気持ちになる。


 ヒバリは照れたように文月から視線を外した。文月の後ろにはたくさんの写真が飾ってある。

 すると文月はヒバリが後ろの写真を見ているのと勘違いしたのか、話題を写真に移した。


「たくさんあるだろう。奮発して良いカメラを買ってね」


 写真立ての中では、小さな子供達が太陽のような笑顔を咲かせていた。しかし、サクヤが写っている写真はあまりない。


「サクヤさんの写っている写真はあまりないですね」


「あいつはいつも撮影係だよ。写真嫌いなんだ。興味があるなら、アルバムを持ってこようか?」


 思わぬ方向に話が飛んでしまった。ここには世間話をしに来たんじゃ無い。軌道修正を図らないと。


「い、いえ。それより聞きたいことがあるんです。・・・・記憶障害が起こる前、サクヤさんの変わった様子はありませんでしたか?」


「いつも通りだったよ。ああ、でも、進路について悩んでいたな」


 それを聞いて思い浮かんだのは、あのくしゃくしゃの退学届だ。


「サクヤさんは民間警察に入るんじゃないんですか?」


「そのつもりだったけれど、気が変わったらしい。『俺は専業主婦になる』とか言い出したから、凍った川に投げ入れてやった」


 それは、さぞ寒かったことだろう。

 『コスモス』を宿した人間は神の組織を移植したせいで多少頑丈になっているからいいが、相手が生身なら死んでいるのではないだろうか。


「未成年の名誉信徒は、警察学校に入るか一般の教育課程に入るかを選択できるだろう? サクヤは警察学校を中退して、一般の教育課程に編入するつもりだったんだ。あいつは勉強ができたしね」


 それは珍しいケースだ。


 サクヤの逆……つまり一般の教育課程に入ってから警察学校に編入する人はよくいる。この世界では捕虜に対する差別意識が強く、それは学校内でも例外ではない。  

 教師や同級生から嫌がらせやいじめを受けて、追い出されるように警察学校に転校してくるのだ。

 だから、転入試験がない警察学校は、一般教育課程に耐えられなかった名誉信徒たちの良い受け皿になっている。


 逆に、警察学校から一般の学校に編入する人間は珍しい。

 一般教養以上のことを教えない警察学校では一般校の転入試験を突破するほどの学力は身につかないし、なにより警察学校には同じ境遇の仲間がいる。

 改宗で記憶を無くし、家族もいない名誉信徒は、同じような仲間の存在を強く求めるものだ。警察学校で仲間ができれば、一人になってまで他所に転校しようなどという思いは消えていく。


「どうしてサクヤさんは、転校を決めたんでしょう」


「奴には一を知ると十を知った気になるような迂闊さがある。お得意の早とちりで決めたんだろう」


 どうにも主観的な意見だった。本当のところは記憶を取り戻したサクヤに聞くしかないだろう。

 文月はカレンダーをちらりと見た。


「現場実習は月末までだったな?」


「えーと・・・・そうですね」


「薬の件を追うなら長丁場になる。ヒバリもこの孤児院に滞在すると良い」


「え、いいんですか?」


 願ってもない申し出だった。

 遠く離れた西都を拠点にしているヒバリは、この街の事情に疎い。この街に潜んで薬を各地にばら撒いている黒幕を探すなら、文月のように街をよく知っている人は頼りになる。


「ジヒがお前をひどく気に入っているし、子供達だって貴重な情報源だろう。ゆっくり調べればいい」


 文月は席を立った。客間のドアを開けて、廊下に出る。ついていくと、文月が

客間の隣の部屋に向けて声をかけたところだった。


「面白い話は聞けたか?」


 ドアが開いて、苦笑いのサクヤが出てくる。盗み聞きしていたようだ。


「雪に顔を突っ込んで、少し思い出したよ。俺は一度だって文月を出し抜けなかった。悪巧みは全部バレて、そのたび雪か川に投げられた」


「お前が脱衣所に入ってきたときは殺そうと思ったよ」


 サクヤの顔が蒼白になった。


「俺、そんなことしたの?」


「さあ? 思い出して確かめてみるんだな」


 にやりと笑って、文月は階段を上っていった。しばらくすると上から声が降ってくる。


「サクヤ、話は聞いていたんだろ。空き部屋を掃除するから手伝え」


 サクヤとヒバリは顔を見合わせると、階段を駆け上った。



※※※※※



 孤児院の子供達は、すぐにヒバリに懐いてくれた。

 孤児達の全員が協約側の出身だった事がうまくいった原因かもしれない。「自分がこの子供を孤児にしたのかもしれない」と思いながら子供達と生活するのは、ヒバリには耐えがたいことだ。


 その点、文月は強いのだろう。

 戦争で協約兵を殺したこともあるだろうに、立派に院長を務めている。この孤児院は、彼女なりの罪滅ぼしの形なのかもしれない。

 

 蓬莱院には、空いている部屋が一部屋だけあった。ヒバリが寝泊まりすることになる部屋はそこだ。

 掃除が終わると、文月は孤児院の規則について話してくれた。


「いいか、ヒバリ。この孤児院で生活する以上、可能な限りここの規則を守ってくれ。サクヤのような自由人がさらに増えると、子供達に示しがつかん」


「わかりました」


「門限は十八時、消灯時間は二十一時だ。過ぎる場合は私に一報を入れること。あと、三食ちゃんと食べて、睡眠時間を削るな。睡眠を削ってまで子供がすべきことなんて、この世には存在しない」


 ヒバリは社会人だから、場合によっては睡眠時間を削らなければならない。けれど、とりあえず頷いておいた。きっと文月から見ればヒバリも子供なのだ。


「ああ、そうだ。水辺には近づくな。森の奥にある湖は冬でも子供が溺れ死ぬ。あそこに子供達を近づけたくない」


 ヒバリは素直に頷いた。《身体強化》のおかげで体が丈夫なヒバリでも、寒い思いはしたくない。



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