「女神の瞳」編

第一話 眠る少年


 この世界は唯一神オズを中心に回っている。

 オズは全知全能の存在で、人間よりも遙かに上位の存在だ。

 

 だから、人間はオズの言うことに従わなければならない。

 スーパーコンピューターの計算結果にケチをつける人がいないように、人間を超越した知性を持つオズの意向にケチをつける人もいない。


 それは、唯一神がまします聖地から遠く離れた田舎町、ニューステラでも同じ事だ。


「あーあ。観光したかったなぁ」


 民間警察ハウンドドッグの少女──淵瀬ヒバリは大きなため息を漏らした。


 大陸でも随一の寒冷地にあるこの街は、冬で無くても連日氷点下を下回る極寒の地だ。

 街の北側には霊峰と称されるドュエーリ山を有する山脈があり、その豊かな自然は、山間部に広がる広大な森と合わせて政府の保護地域に指定されている。


 壮大な自然と澄んだ水で作られる天然氷が売りの観光地。都会の喧噪を離れてはるばるそんな所に来たのに、ヒバリには観光する時間もなかった。

 なぜなら、彼女には唯一神に与えられた使命があるから。


「神さまぁ・・・・」


 ヒバリは事務室の机に突っ伏した。ここは拘置所。飾り気のないつまらないところだ。いや、面白いところだったら、それはそれで不謹慎だが。


『珍しいな。仕事熱心な君が愚痴を漏らすなんて』


 ヒバリの脳内に、上司の穏やかな声が届く。

 リストバンド型ウェアラブル端末オズワルドの通信機能により、音声が鼓膜を介さずに脳へ直接出力されたのだ。


「例の学生がなかなか目を覚まさないんです。ずっとここで待っているのが退屈で」


 ヒバリは昨晩の教会での出来事を思い出した。

 『男が警官を襲った』という緊急の応援要請を受けたのは、街に着いて宿に向かっている途中のことだった。

 そして現場に駆けつけてみれば、少年が銃を片手に警官を踏みつけにしている事態だ。なんて物騒な街なんだろう。いや、西の都も同じようなものか。


『君が頭を撃つからだろう。軽く気絶させるだけでよかったはずだ』


「ちゃんと空気銃で撃ったじゃないですか」


『頭を狙うな。世の中の少年は君と違って脆弱なんだ』


 ヒバリはふて腐れたように頬を膨らませた。


「あの人も《オズワルド》をつけてたんです。つまり元兵士ですよ? 油断したら危ないのは私じゃないですか」


『しかしあの少年が目覚めなければ、我々は別の意味で危うくなる。終戦から積み上げてきたハウンドドッグの信頼が地に落ちるのだから』


「私たちって信頼されてますかね?」


 ヒバリは左手首に付いている黒い《オズワルド》を見た。

 

 民間の警察官が装着を義務付けられているこの通信端末は、ヒバリたちの位置情報を絶えず政府へ送信している。表向きは便利なリストバンド型通信機として支給されているが、これは監視装置だ。

 統一政府は、ヒバリたちハウンドドッグから首輪を外すことが怖いらしい。


「信用されてるなら、こんなものつけないじゃないですか」


 レオンハルトは諭すように言った。


『なら、これから信頼を取り戻せばいい。また戦乱の時代に戻りたくはないだろう? 我々は何としてもこの社会の安寧を保たねばいけないよ』


 世界を二分する大乱宗教戦争にオズが勝利し、唯一神となったのはわずか二年前のことだ。あの戦争はこの世界に深い傷を残した。

 

 総犠牲者は世界人口の約四割。

 兵力の消耗も凄まじく、オズの率いた《統一軍》の兵力は開戦時から半減した。

 そんな人手不足の状態で、不安定な戦後社会の混乱を治め、秩序を維持するために導入されたのが、ヒバリたち民間警察ハウンドドッグだ。


『戦後社会の混乱を抑えたのは、我々の大きな功績だ。しかし、我々の安全性が保障できないならば、政府はハウンドドッグ制度を廃止にせざるを得なくなるだろう』


 ヒバリは、デスクの上に設置された監視モニターを見た。


 夜空のような黒髪をした中肉中背の少年が寝息を立てている。ヒバリに銃を向けた少年だ。教会での戦闘が嘘のように思えるくらい、穏やかな寝顔だった。


 あの大人しそうな顔立ちの彼は、何と警察学校の生徒らしい。そんな人が警官を襲うなんて、やはりこれも例の薬物事件に関わっているのかもしれない。



『《名誉信徒》を狙った薬物投与事件は、我々に対する挑戦だ。信用回復のためにも、我々の手で真犯人を捕えねばならない』


「わかってますよ。私たちは罪人ですからね。償いはしますとも」


 ヒバリたちハウンドドッグは、その全員が唯一神の元敵兵──つまり捕虜だ。

 宗教戦争において神に牙を剥いた大罪人がこうして社会に出ることができたのは、唯一神オズの慈悲のおかげだった。

 彼は、異教徒だったヒバリたちを《名誉信徒》として社会に加え、捕虜達に《ハウンドドッグ》という職を与えたのだ。

 

 だから、この仕事は償いだ。

 大戦の最中に身に付けた人殺しの技術で、社会に潜む悪を狩る。そうやって社会の安寧を守ることが、自分のしてしまったことへのせめてもの償いになる。


 記憶を奪った神様に恨みはない。

 失った物が何かすら、もう思い出すことができないのだ。

 なら、今は自分に残った使命だけを──


「あ! 起きた!」 


 モニターの中の少年が、体をゆっくりと起こした。それを見て、ヒバリが席を立つ。


「彼が起きました。結果は今日の夜に報告します」


『後輩には優しく頼むよ』


 世話焼きな上司のお言葉をありがたく受け取って、ヒバリは通信を切断した。



※※※

    


 指紋認証やら網膜認証やらを手際よく済ませると、重々しい鉄製の扉が開いた。


 窓がなく、換気口が一つだけある殺風景な部屋。

 その壁際に設置されているベッドに、黒髪の少年が腰掛けている。宵闇のような黒をした双眸に、ヒバリは努めて柔らかい表情で微笑んだ。


「よく眠れましたか?」


 少年がまだ眠そうに目をこすって、少し枯れた声で言った。


「今日の朝ご飯なに?」


「私はお母さんじゃありません。自分の名前は言えますか?」


 問われて、少年の瞳が虚空を向く。考えること数秒。

 少年の口がたどたどしく動いた。


「えっと・・・・サクヤ。夜凪、サクヤ」


「初めまして、サクヤさん。私は淵瀬ヒバリ。民間の警察官です」


「警察?」


 サクヤは首を傾げた。頭が痛むのか、こめかみのあたりを手で押さえている。


「俺、何かしたっけ」


 嘘をついている感じはしなかった。

 ──思った通りだ。

 彼は、昨晩の出来事を憶えていない。いや、今までのケースに照らせば、忘れているのは昨晩の出来事だけじゃないはず。


 今のサクヤは記憶障害を起こし、かなりの量の記憶を思い出すことができなくなっている。

 

「あなたは事件に巻き込まれて、意図せずに警官に暴行を加えました。だから、一時的にここに拘束しているんです」


「そんなことはしてない」


 サクヤは毅然として否定した。

 まあ、記憶がないのだから、そう答えるだろう。


「記憶がないのは、記憶を消す薬を飲まされたからです。近頃、何者かが私たち名誉信徒に、記憶障害を起こす薬を投与する事件が多発しています。あなたはその被害者なんです」


「被害者・・・・・・」


 サクヤは、その言葉をよく咀嚼した。


「ということは、俺は出られるのか?」


 不安げなサクヤに、ヒバリは頷いた。むしろ、出て貰わないと困る。


「もちろんです。但し、当分は私と一緒に行動して貰います」


 サクヤは眉を寄せた。


「どうして? 監視が必要なのか?」


「薬物を投与した犯人を捕まえる為です。サクヤさんが失った記憶に、手がかりがあるはずなんです」


「なら事情聴取でいいだろ。なんで一緒に行動するんだよ」


「あなたもこっち側だからですよ」


 ヒバリはポケットから一枚のカードを取り出し、それをサクヤに手渡した。眉を寄せながらカードを受け取ったサクヤは、そこに記載されている情報を見て固まった。


『学生証 ニューステラ警察学校 No.0000204 夜凪サクヤ』


「何だこれ・・・・・・学生証? 警察学校って・・・・・・」


「あなたは、警察学校の生徒なんです。そしてなんと、サクヤさんは今日から、私の元で現場実習をすることになっています!」


 パチパチパチ~とハイテンションで手を叩くヒバリ。サクヤは呆然とその姿を見ていた。流れについていけていない。


「警察学校は、基礎過程と応用課程を修了した生徒に一ヶ月間の現場実習を実施するんです。実際の現場で現役の警官と一緒に仕事をして、経験を積むわけですね」

 

 サクヤの現場実習はもう少し先に、しかも別の所で実施される予定だった。

 しかし、ヒバリの上司であるレオンハルトの裏工作によって今日から行われることになった。実に頼りになる悪党──じゃなくて上司である。


「捜査のためにサクヤさんを連れ回したいので、現場実習を利用することにしたんです」


「ちょっと待ってくれ・・・・・・違法薬物だろ? 学生には危険な捜査じゃないのか?」


「追い詰められてこそ人は成長できるのです」


ヒバリはサクヤの手を取った。


「猟犬の世界へようこそ、サクヤさん」



※※※



 ヒバリはサクヤを連れてすぐに拘置所から出た。昨日の晩からここに詰め込まれていたのだ。いい加減飽き飽きである。


 拘置所に置いていた車に乗り込む。エンジンは昨日の夜から切っていない。一度切ってしまうと寒さで車が動かなくなると拘置所のスタッフに言われたのだ。


 サクヤは運転席に乗り込んだヒバリを意外そうに見た。中学生くらいの少女がハンドルを握っているのは違和感のある光景だ。


「運転できるんだな」


「元兵士ですからね。車も銃も使えますよ。サクヤさんも乗れるんじゃないですか?」


「まあ、運転の仕方はわかるけど」


 ヒバリはアクセルを踏み込んだ。

 何かに突き飛ばされたかのような急加速で車が発進し、慌ててブレーキを踏みしめる。

 跳ねるように車が急制動したあと、ヒバリはぎこちない笑顔で手汗を拭った。


「う、運転できるんですよ? ペーパーなだけで」


「今すぐ運転を代われ」


 サクヤが引きつった顔で心臓を押さえている。びっくりさせてしまったようだ。でもその点ならヒバリも一緒だった。今も心臓が飛び出そうだ。


 それからのヒバリの運転はジェットコースターのようだった。急加速・急停止・急速旋回。

 車内ではサクヤの悲鳴がたまにあがったけれど、ヒバリはあまり気にしない。ほら、事故っても死なないし。


 ヒバリは笑った。


「なんか、免許取り立ての学生みたいで楽しいですね」


「そうか? 俺はお前に捕まったことを後悔してるよ」


 サクヤは天を仰いだ。


「何で警官なんて襲ったんだろ・・・・・・」


「記憶障害を起こす薬の副作用で、かなり攻撃的になっていたんです。サクヤさんのせいじゃありませんよ」


 上司から聞いた話によると、サクヤが飲んだ違法薬物には攻撃性を増す副作用があるらしい。

 しかし、副作用の発現率はかなり低いという。なにせ薬の開発からその副作用が確認されるまで二十年も経っているのだ。

 発症したサクヤは運が悪かったのだろう。


「俺に薬を飲ませた犯人には目星がついてるのか?」


「全く。どうやってサクヤさん達に薬を飲ませているかもわかってません」


 被害者は記憶を失い、自分が何者かもわからずに街を彷徨っているところを保護される。民間警察も公営警察も被害者達の行動履歴を洗っているが、怪しい共通点は何もないようだ。


 隣で大きなため息をついたサクヤに、ヒバリは笑いかけた。

 記憶にない自分の過去で苦しむ気持ちは、ヒバリが誰よりも理解できる。


「心配しなくても、記憶障害は半月くらいで回復します。そしたら、元の生活に戻れますよ」


「それまで無事ならな」


「私の側にいれば大丈夫です。私にかかればどんな敵でも、ドカッ、バキッ、ブシャアです」


「あんまグロいこともしないでくれ」


 サクヤは肩を落とした。


「どうしてこんな危険な任務なんだ。もっとスロースタートでいいだろ・・・・」


「元兵士の《名誉信徒》に安全なんてありませんよ。どんなに頑張っても、私たちはこの仕事から逃げられません」


 名誉信徒とは、宗教戦争後に異教から改宗し、唯一神オズの信奉者になった者のことを言う。


 戦前、世界にはオズの他にもう一柱の神がいた。

 その神の名は《マギ》。人類で最も神の血を濃く引くと言われる《マグノリア家》の当主である彼女は、その神秘の力で以て世界を治めていた。

 その支配に反旗を翻したのが《オズ》である。


 つまり宗教戦争とは、唯一神の座をかけて行われたオズとマギの争いの事だ。

 長きにわたる戦いの末、オズ率いる《統一軍》が勝利し、マギ率いる《マグノリア協約軍》が敗北。マグノリア協約軍のほとんどが捕虜になった。

 

 戦後。

 唯一神となったオズは、自分とその信徒たちに牙を向けた協約側の咎人を裁くため、異端審問会を開いた。


 この異端審問会において、マグノリア協約側の多数の兵士、技術者、研究員、その他要人が裁かれることになる。

 そして、ほとんどの被告人が『改宗』を言い渡された。

 ここで言う改宗とは、マギの教典を燃やすとか、オズの教会で洗礼を受けるとか、そんな生ぬるい「改宗」ではない。


 唯一神は言った。


『信仰とは生き方である』


 これに則るならば、信仰を改めるとは、それまでの人生を捨てることだ。

 幼い頃に読み聞かせられた教典。教会で聞いた話。家族の食卓で捧げた祈り。


 女神の宗教は生活の中心にあった。その信仰を濯ぐなら、異端の思想に染まった生活の記憶そのものを捨ててしまえばいい。

 女神を信じて生きてきたこれまでの人生を頭の中から綺麗さっぱり消し去って、本当の「改宗」は成される。


 こうして、オズは『改宗』を実行した。

 神の力で以て被告人達の記憶を消し、マギへの信仰と忠義、そして女神と共に過ごした人生を綺麗さっぱり消し去った。


 そして、記憶の消えた被告人達を従順な《名誉信徒》として、人員不足の各機関に派遣したのだ。

 

 マグノリア協約兵は捕虜になった後、ほとんとがこの『改宗』を受け、民間警察に派遣された。

 淵瀬ヒバリもその一人である。


「どんな任務も危険はつきものです。この世界で暮していれば、サクヤさんもすぐにわかりますよ」


ヒバリたちは狩りのための家畜──猟犬だ。


人間の生活のために飼い慣らされた野性は権利を持たない。

与えられるのは狩りという使命と最低限の休息だけ。


猟犬の身分で人並みの幸せを望めば、社会はその思い上がりを地に落とすだろう。記憶が戻れば、サクヤもいずれそのことを思い出すはずだ。

      

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