第二話 公園の少女


 ニューステラ中心街まで移動したところで、駐車場に車が止まった。

 サクヤは車外に出て、落ち着きを取り戻すために深く息を吸い込んだ。

 

 移動中にヒバリが説明してくれた事を思い出す。

 二柱の神による《宗教戦争》、敗戦と同時に女神マギからオズへと改宗を命じられた《名誉信徒》、捕虜にされ兵士だった頃の記憶を消された警察官ハウンドドッグ・・・・・・

 サクヤには、それを心穏やかに語ることができるヒバリの気持ちが理解できなかった。


 『信仰とは生き方である』だと?

 そんな言葉、敗残兵を都合良く利用するためにオズが用意した言い訳だ。

 何が改宗だ。何が猟犬だ。こんなものは非人道的な強制労働じゃないか。


 抜けるような群青の下、サクヤは舌打ちをして歩く。

 白髪を弾ませながらサクヤの前を行くヒバリは、仕事中だと言うのに無邪気だった。何故か変な歌まで口ずさんでいる。


「雪は白♪ 雲も白♪ 私も白で、あなた黒♪ はい逮捕~」 


 ヒバリはどうしてあんなにも普通にしていられるのだろう。自分の記憶を消した政府が憎くないのだろうか。それとも、おかしいのはこちらの方か?


 薬の副作用で忘れているだけで、世界の常識に近いのはヒバリの方なのかもしれない。でも、その常識が絶対的に正しい感覚とも限らないし。


 混乱してきて、サクヤは頭を軽く振った。

 ──駄目だ。複雑な事を考えるのは後にしよう。今は命に関わる任務中だ。考え事をしながら過ごす余裕なんて無い。


サクヤは気持ちを切り替える為にヒバリに声をかけた。

 

「これからどうするんだ?」


「昨日のサクヤさんの行動を真似しようと思います」


「そんなことしたら、また記憶障害の発作が出るかもしれないだろ」


 昨日と全く同じ事をすれば、昨日と全く同じことが起こる可能性が高くなる。サクヤの場合、それは記憶障害と暴行事件だ。


「それが狙いです。記憶障害が起こる現場を押さえるんです」


「なるほどな。犯人が誰なのか、どうやって薬を飲ませているのか、現場を押さえて確かめるってことか」


 ヒバリ曰く、犯人がどうやって名誉信徒たちに薬を盛っているのかも不明らしい。 

 ここまで不明な点が多いと、確かに直接犯行現場を押さえるのが速い気もする。

 しかし、この作戦は危険ではないだろうか。


「また俺が暴れたらどうするんだよ」


「うーん。それが起きるのは凄く珍しいケースですけど……もし起きたら」


 ヒバリは腰に下げている銃を軽く叩いた。


「ぶち抜きます」


「ぶち抜くな」


 ヒバリは笑った。


「冗談です。この《アレイスター》は空気銃だから、頭に当てても死にませんよ」


「なぜ頭に当てる全体なんだ。胴体を狙え」


 サクヤがげんなりしながらため息をつく。


「なあ、ヒバリはなんでこんな事に命を掛けられるんだ。こんな強制労働させられて、唯一神を恨んでないのか?」


「今は別に。使命があるのなら、生きる意味はありますからね。その為に戦うだけです」


 言って、ヒバリが足を止めた。サクヤの後ろにある公園をじっと見ている。

 サクヤはにやりと笑った。

 はーん。何が使命だ。そんな大人ぶったこと言って、公園にくぎづけのお子ちゃまじゃないか。


「遊びたいのか?」


「違います! どうしてそんな思考になるんですか!」


 顔を赤くして怒りながら、ヒバリが公園の中を指さす。

 その先では、少女が一人で空を見上げていた。

 小学生ぐらいだろうか。ピンクの手袋が印象的な子だ。


 少女は踵を精一杯に持ち上げて、空へ向かって手を伸ばしていた。

 少女の小さな手の先では、青い風船が空を昇っている。風船で遊んでいたところ、誤って手を離してしまったのかもしれない。


「もう四メートルくらい登ってるな。もう取れないだろ」


 少女がいくら手を伸ばそうと、晴れ渡る空は無慈悲に風船を上げていく。

 ヒバリが何かを呟いたのは、その時だった。


「主よ、我が先の世の罪を許し給え」


 隣を見て、サクヤは目を見張る。

 ヒバリの瞳は、紅い光を帯びていた。


「お前、それ──」


 サクヤの呼びかけは置き去りにされた。

 ヒバリが弾かれたような急加速で公園へ駆け出す。アスファルトを蹴る音と風を切る音が同時に聞こえて、サクヤは息をのんだ。


 一歩目からなんて加速だ。ヒバリより体格で勝る自分も、あんな真似はとてもできない。


 ヒバリは公園までの数十メートルをあっという間に駆けて、その勢いのまま跳躍。

 空を上っていく風船の紐を、その手の中に収めた。


 呆けたように空を見上げていた少女の隣にヒバリが着地する。

 ヒバリを見る少女の表情は不安げだった。いきなり年上の人が現れて、五メートルはジャンプできて、しかもその人は警察官なのだ。脅えるのは当然だった。


 ヒバリの方も少女の脅えっぷりに気づいたのだろう。

 少女の警戒を解くように、ヒバリは雪を溶かす暖かな春光のような笑顔を浮かべて風船を差し出した。


「もう、離しちゃダメですよ?」


 風船が少女の元へと戻される。もう戻るはずの無かった風船を、少女は優しく抱きしめた。


「ありがと、猟犬のお姉ちゃん」


「どういたしまして」


 サクヤはしばらくヒバリの笑顔を見ていた。その笑顔は、不当な強制労働をさせられている人間のものとは思えない、あまりに純度の高い喜びの表情だった。

 正直、見惚れた。


「あー! サクヤだ! どこ行ってたの⁉」


 風船の少女があげた甲高い声で、サクヤは我に返った。

 少女がまっすぐにサクヤの元へ駆け寄ってくる。子供の声の高さと勢いに押され、反射的に数歩下がってしまった。


「サクヤどこ行ってたの? 文月がかんかんだったよ‼」


 少女が非難がましい視線をサクヤに向けてくる。

 友達のイタズラを責めるような態度だ。やけに打ち解けている。記憶がないからわからないが、知り合いだろうか。


「え、えーと。君、だれ?」


 誤魔化しても傷つけると思って、正直に尋ねた。だが、それが悪手だった。

 少女は呆然とサクヤを見て、段々と目に涙を溜めていく。


「ひどい・・・・なんでそんなこと言うの・・・・」


 ──しまった。記憶障害の事を言わなかったから、ただの暴言みたいになった。


「ち、違う! 俺はいま、えーと、頭の調子が少し悪くて!」


 サクヤは幼い子供にもわかるように、記憶障害を説明しようとした。しかし、それでもやはり言葉は足りなくて、それが更なる誤解を招いた。


「サクヤはいつだって頭悪いじゃん!」


「なんてこと言うんだこのガキ」


 記憶を取り戻した末に馬鹿になるなら、何を活力に記憶障害を乗り切れば良いのだ。


「ばかサクヤ! 文月に言いつけるからね!」


「文月? その人も俺の知り合いか?」


「文月のことも忘れたの⁉」


 とうとう、少女の目から一筋の涙が落ちる。

 ──ああ、もう!


 公園から少女を追ってきたヒバリは、少女の涙を見て困惑したようだった。サクヤと少女の顔を交互に見る。


「知り合いですか?」


「たぶん。でも思い出せない」


「しょーがないですね」


 納得がいったように、ヒバリはため息を吐いた。

 それから、優しい笑みを作って少女に向き直る。


「サクヤさんは、ちょっと病気で今までのことを忘れちゃっているんです」


「・・・・・・そうなの?」


ヒバリの言葉を数秒かけて咀嚼して、少女が赤くなった目元をあげる。

サクヤは無我夢中で頷いた。


「この病気は必ず治ります。サクヤさんは、ちゃんとあなたのことを思い出しますよ」


「・・・・・・ほんと? サクヤ、帰ってくる?」


 サクヤは再び頷いた。年下に語彙力を合わせたつもりが、気づけば頷くだけになっている。情けない話だ。


「そっか。じゃあ、文月にそう言っておくね」


 ヒバリが泣き止んだ少女の頭を撫でた。


「お名前は?」


「ジヒ」


「ジヒ。その・・・・・・ふづきという人は誰ですか?」


「ほうらい院の院長だよ。サクヤはね、文月のことが大好きなの」 


 そう言って、ジヒは笑った。まるで、自分の好きな人の事を話しているみたいな笑みだった。


 友達に会いに行くというジヒを見送った後、サクヤとヒバリは検索エンジンに「ほうらい院」と打ち込んだ。


 出てきたのは、『蓬莱院』。

 調べると、サクヤが所属している孤児院だった。






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る