第三話 ニューステラ警察学校①


 公園を出て、サクヤとヒバリは元の通り、記憶を失う前のサクヤの行動を真似ることにした。

 向かったのは、ニューステラ警察学校。

 サクヤは警察学校の学生だから、平日ならば当然学校にいる事になる。


「立派な学校だな」 


 ニューステラ警察学校の門前に立って、サクヤは感嘆の声を上げた。


 ニューステラ警察学校は、田舎にあるだけあって広大な敷地を持っていた。

 レンガ造りの塀の向こうに二つの大きな建物が見える。正面にある門も二つあり、『民間警察』、『公営警察』とそれぞれ看板が出ていた。

 二つの門の間に立つ街灯から、白いカラスがじっとサクヤたちを見ている。


「なんで門が二つあるんだ?」


「警察が二種類あるからですよ」


ヒバリは填めていた手袋を取って、真っ白な指を二本立てた。


「えー、ごほん。警察には二種類あります。一つは民間警察ハウンドドッグ、もう一つは公営警察パラディンです。見分ける方法はたくさんありますけど、困ったらこの《オズワルド》を見てください」


 ヒバリは『民間警察』と記された門をくぐりながら、左手首についている黒い情報端末オズワルドを示した。


「民間警察なら黒、公営警察なら白の《オズワルド》をつけています。民間警察は規則で《オズワルド》を外せないので、何もつけていない警官がいたら基本的にはパラディンです」


「俺のやつは? なんか緑色だけど」


「学生のは公営も民間も統一で緑色なんです」


 警察学校の敷地内は、レンガ造りの高い壁で二つの区画に二分されていた。民間警察と公営警察の敷地を分けているのだろう。


 ふと、レンガの壁にある大きな落書きにサクヤの目が止まった。


『犬小屋へようこそ』


「・・・・・・いい趣味してるよ」


 真っ白なスプレーの感情的な走り書きだった。

 名誉信徒がどう思われているかがよくわかる。


 少し遅れて落書きに気がついたヒバリが気まずそうに笑う。


「公営側のイタズラですね。私たちの仲は最悪ですから、サクヤさんも気を付けてください」


「そんな仲悪いのか?」


「二年前までは私達は協約側の兵士として戦っていたんですよ? 公営側から見れば元敵兵です。恨まれるのは当然ですよ」


「俺たちには改宗とやらでその記憶がないんだぞ。もう別人じゃん」


 まっさらな状態に生まれ変わって罪人扱いされても困る。


「うーん、そうですね・・・・・・例えばこう考えてみてください。

 冷蔵庫に入れておいたプリンを勝手に食べられて、その後『やっべえー、食べたっけ? よく憶えてねーわ』とか言われました。

 サクヤさんはどんな気分になります?」


「ぶち切れるな」


「そういうことですよ」


 なるほど。わかりやすい例えだ。


 校舎内に入ると、ヒバリは事務所に立ち寄って制服を二着借りてきた。

 可能な限り昨日の状況を再現するために、制服も手配したらしい。感心する徹底ぶりだ。

 しかし、ヒバリがはしゃいで見えるのは気のせいだろうか?


「学校長に話は通してあります。今日は、学生気分を楽しみますよ」


 ヒバリはサクヤに制服を押しつけて、弾む足取りで更衣室に入っていった。なるほど。ヒバリは学校にはしゃいでいるわけだ。

あの若さで警察官なのだ。きっと飛び級でもして、青春を謳歌しなかったに違いない。


 サクヤは更衣室に駆け込むヒバリへ叫んだ。


「テンションあがってもSNSにあげるなよ-」


「フォロワー二人の鍵アカがあるから大丈夫ですー」


「それもう直接話せよ」


 社会人とは悲しい生き物だと思いながら、サクヤも更衣室で着替えを済ませた。

 黒を基調とした制服に赤いネクタイ。牙がモチーフになった校章を胸につけ、拘置所から持ってきたリュックサックを背負い込む。

 準備万端。


 同級生に会った時に備えて前髪を整えてから廊下に出ると、制服姿のヒバリが既に待っていた。職業病なのか着替えが早い。


「凄い似合うな」


 一瞬この学校の女子生徒だと思い違うくらいに、ヒバリは制服が馴染んでいた。    

年齢層が合っているどころか、むしろ新入生のように見える。

 何というか初々しい。


「・・・・・・お前ほんとに卒業生か?」


「卒業したのは西都の学校で、しかも飛び級です。だから薬の捜索のついでに、思い出作りに制服姿で校内を回ろうと思いまして。ほら、今は休み時間ですし」


「青春できないのも考えものだな」


 ヒバリは廊下を歩きながら、目についた教室すべてに入ろうとした。

 しかし、防犯のためにほとんどの教室が施錠されており、扉が開かない。渡り廊下の先の体育館も施錠されていて、ヒバリは大きく肩を落とした。


「ぼ、防犯意識が高いですね……合格」


 自分たちのような輩を締め出すために閉めたのだろう。賢明だ。


「諦めて大人しくしてようぜ」


「でも、学校内に手がかりがあるかもしれませんよ……」


「被害者は学生だけじゃないんだろ。いくら何でも学校の中に薬物はないって」


 それもここは警察学校だ。セキュリティーの質的にも、こんなところに薬物を持ち込む馬鹿はいないだろう。


「……それを確かめるのが私の仕事です。やっぱり鍵を一式借りてきます!」


 「ここを動かないでください!」と言い残して、ヒバリは事務所まで走っていった。

 完全に放置されたサクヤは、体育館の扉を眺めて過ごした。

 自分の学校だというのに、何だか落ち着かない。他所の学校に迷い込んだようだ。


「お前、夜凪か?」


 後ろから声が掛かって、振り返る。

 渡り廊下の端に、男が二人立っていた。

 

 一人は金の長髪を後ろで結んだ美形の男。

 もう一人は茶髪で、顎までびっしりと肉がついた太った男だった。

 下は白いスラックスに上はパーカーと、二人ともかなり気楽な格好をしている。

 金髪の方は、手にスプレー缶を持っていた。

 自分のことを知っているようだが、この学校の生徒だろうか。


「同級生か?」


 サクヤが尋ねると、金髪の男は噴き出した。

 困惑するサクヤを放置して、金髪はひとしきり笑う。

 友好的な感じがしない、一方通行な感情の発露。何だか不快だった。


「お前、ほんとに記憶障害になったんだな。驚いたよ。優等生のお前が警官をぶちのめしたと聞いたときはよ」


「そうか? 夜凪ならやりかねねえだろ」


 茶髪の男が鼻を鳴らして金髪に同調した。

 随分失礼な奴らだ。あまりここにいない方がいいかもしれない。

 

 男たちの横を通り抜けようと、サクヤが廊下へ引き返す。

 しかし、金髪が腕を伸ばし、サクヤの肩を抱くようにして止めた。


「つれないな、サクヤ。名前も思い出さずに行っちまうのか?」


 金髪の顔を至近距離で見て、サクヤは気が付いた。

 金髪の片耳が大きく欠けている。上部が千切られたような欠損の仕方だった。もう傷は塞がっているようだが、目を覆いたくなるような痛々しさだ。


 サクヤの視線に気が付いたのか、金髪は欠けた耳を撫でた。感傷に浸るような声音で、金髪が微笑む。


「なぁ、サクヤ。俺たち相性最悪だったんだぜ。この耳はお前が吹っ飛ばしたんだ」


「・・・・・・嘘だ」


 心臓が跳ねる。冷や汗が出て、思わず否定した。

 自分が同級生の耳を吹っ飛ばしただと? そんなの、冗談じゃない。


「俺はそんな人でなしじゃない」


「ハッ。記憶がないのに何故わかる」

 金髪は短く笑った。しかし、その目に感情の揺らぎはなかった。


 サクヤのリュックが強引に引かれる。

 パーカー越しでもわかるくらい金髪は体格がいい。体重で劣るサクヤは軽々とリュックをはぎ取られ、地面に尻餅をついた。


 鈍い痛みを感じながら周囲を見る。監視カメラも人の気配もない。

 助けは来なさそうだし、一か八か叫んでみようか。


 金髪からリュックを受け取った茶髪が、その中身を床にばらまいた。

 財布。イヤホン。しわしわになった文庫本。携帯。筆記用具。しわだらけの封筒。

 自分で言うのもなんだが、あまり良いものは持っていない。


 金髪が封筒を拾い上げ封を破く。中に入っていた紙に目を通して、金髪は鼻を鳴らした。


「お前には本当にがっかりだよ、夜凪」


 紙は金髪の手によって紙くずに変えられて、床を転がった。

 同級生にも環境に優しくない奴だ。ほんとに同じ学生かこいつ。


「俺はいじめられてたのか?」


「いじめられるタマじゃねえさ。お前は王様だよ。お前が目を真っ赤にして暴れれば、誰も口を挟まねえ」


 金髪の印象では、サクヤはかなり暴力的な性格だったらしい。

 信じたくないが、もし本当に耳を欠損させたのが自分だったのなら、金髪の態度も理解できる。

 ヒバリの言うとおり、恨まれて当然かもしれない。


 サクヤは床に手をついて頭を下げた。

 一度歯をぐっと噛みしめたあと、深呼吸をしてから謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさい。酷いことしたなら、謝る」


 正直、こんな奴に微塵も謝罪なんかしたくなかった。でも、もし自分がこの最低な奴の言う通り最低な奴だったら、そっちの方が気分が悪い。

 清い心を取り戻している内に。自分の行いが醜いと気がついている内に謝って一刻も早く、目の前の奴らと同じ土俵から降りたかった。

 

 謝罪を受けた金髪は、目からどんどん温度をなくしていった。

 力が抜けたように、金髪が呟く。


「・・・・・・つまんねえな。つまんねぇよ、夜凪」


 金髪の透き通るような青の目が、緑色の光を帯び始めた。

 色こそ違うが、風船を取ったときのヒバリと同じような現象。


 嫌な予感がした。

 サクヤは急いで立ち上がり、この場から走り去ろうとする。

 しかし、体が動かない。ヘビに睨まれカエルのように、金髪の前で強制的に動きを止められた。


「な、なんだこれ。手足が……」


 サクヤの体が宙に浮かんでいく。まるで空間に縛られたみたいに、首から下がぴくりとも動かなかった。


「どうした? さっさと《マントラ》を詠唱しろよ。《コスモス》を使わねえなら、そのまま雑巾みたいにてめえの体を絞ってやるぞ」


 物騒な言葉が聞こえて、心臓が跳ねた。


「なに言ってんだ・・・・・・妙な手品はやめろ」


「はっ。てめえ、《コスモス》のことも忘れたのか」 


 金髪の瞳が強く見開かれる。

 その瞬間、サクヤは体育館の扉まで吹っ飛ばされた。


 鉄製のドアに背中を強かに打ち、鐘を鳴らしたかのような音が響く。

 衝撃で肺の空気がすべて出されて、激しくむせ返った。

 扉の前に力なく転がったサクヤを、金髪は不快そうに見下ろしていた。


「この街はな。強ければなんでも許されるんだ。まして相手が名誉信徒なら、何をしたって構わねえ」


 金髪が胸倉をつかみ、片手でサクヤの体を持ち上げる。

 その時、サクヤは気付いた。

 サクヤの黒いスラックスと対照的な、金髪達の白いスラックス。そして、持っていたスプレー缶。

 あの壁の落書きを思い出せば、その用途は明らかだろう。


 こいつらは、同学年だが、同じ校舎の人間じゃない。

 壁の向こう側から来たのだ。


「おまえ、公営側の生徒か」


 金髪は薄く笑った。


「なんだ。いまさら気づいたのか。なあ、サクヤ。お前はまだ免罪符を持っているか? お前が弱いなら、俺はお前を罰しなきゃならないんだ」


 金髪の筋肉質な腕が振り上げられる。

 サクヤは反射的に右こぶしを出した。


 恐怖で思考力を根こそぎ奪われた末の、防衛本能のみに突き動かされた一撃。

 しかし、昇るように放たれた拳は、鋭く、素早く、小さな挙動で金髪の顎の先を捕えた。

 拳の表面に衝撃が伝わる。


「──チッ」


 不安定な姿勢からのアッパーカット。体重は乗っていないが、金髪を後退させるには十分の威力だった。

 金髪の手が胸ぐらから離れる。サクヤはすぐに距離を取った。


 初めて実感する。

 自分の体は、戦い方を知っている。記憶は無くとも、従軍時代の積み重ねが残っているのだ。


 ──これが民間警察の戦い方か。     


 サクヤの拳が届いたのを見て、茶髪の方も臨戦態勢を取った。

 自分が多少は戦えることがわかったが、それでも窮地に変わりは無い。

 人数差的な問題もあるが、一番のネックはあの得体のしれない力だ。あれがある限り、戦うことは疎か逃げることもできそうにない。


「いいぜ。そうこなくちゃな」


 金髪が口角を吊り上げて、間合いを詰めてくる。

 その時、鈴のような声が響き渡った。


「そこまでです!」


 金髪が弾かれたように振り返る。渡り廊下の入り口で、ヒバリが腕を組んで立っていた。

 「バーン!」という効果音が聞こえてきそうな、堂々たる表情。

 泣きそうなくらい頼もしい。


 紅い光を帯びた瞳を細めて、ヒバリは金髪を睨んだ。


「スカイネット》の前で暴行とはいい度胸ですね。退学処分になりたいんですか?」


 金髪が、視線だけを渡り廊下の外へ向けた。レンガの壁に隣接して設置された倉庫。その屋根の上で、白いカラスが赤い瞳をこちらに向けている。

 ただのカラスに見えるが、それを見てからの金髪の表情は明らかに変わった。


「くそ・・・・次は殺してやるよ、夜凪」


 不可解なほどあっさりと退却を決めて、金髪の姿が体育館裏へと消えていく。

 危機が去ったのを確認して、サクヤは気の抜けたようにへたり込んだ。


「いったい何だったんだ。なんかやけにあっさり帰ったけど」


「スカイネットがいましたからね。不利を悟ったんです」


「ネット? そんなもの見えないけど」


 ヒバリは倉庫の上の白いカラスを指さした。


「監視の役目を担っている鳥たちのことを、スカイネットと言うんです。彼らが見た光景はすべて、公営警察の情報分析捜査課に共有されます。生きた監視カメラだと思ってください」


 サクヤは首を傾げた。

 精巧なロボットではなく、生きたカメラ。


 ただの動物が、どうやって映像を警察と共有しているのだろう。

 というか、そもそもカラスは人間の命令を理解するほどの知能を持っているのだろうか。


「そんなに賢いカラスには見えないけど」


「あのカラスは視覚情報を共有する《コスモス》を持っているだけで、

あまり賢くないですよ。細かい指示は、動物を操る《コスモス》を持った

調教師が出してるんです」


「《コスモス》? さっきからちょくちょく出てくるけど、その何なんだそれ」

 

 知らないことが多すぎて、さっきから混乱してばかりだ。


「実物を見てみますか? ちょうど演習場の近くです。面白いですよ」


 体育館の横には地下に通じる道があった。その先が演習場らしい。


「そうだな。とりあえずここから離れたい」


 荷物が散乱したこの状況は、酷く目立った。サクヤにとってここはまだ知らない学校だ。視線が気になるし、あまり悪目立ちしたくなかった。


 荷物を拾うとき、金髪が丸めた紙を開いて中身を見た。


「何ですか、それ」


 ヒバリが横からひょこりと現れて、紙面を覗く。

 そして、目を見開いて固まった。


 しわだらけになったプリントの一番上。

 そこには、『退学届け』と記されていた。下には、『サクヤ夜凪』と肉筆のサインが書いてある。


「学校長は俺について何も言ってたか?」


 もしサクヤが学校に退学の意思を伝えていたのなら、決定している現場実習先に何かしらの連絡が行ってもおかしくはない。

 しかし、ヒバリは首を横に振った。


「何の話もありませんでした。きっと何かの間違いですよ。例えば、その……あ、本当は提出する気がなかったとか! ほら、日付のところは空欄ですよ」


 確かにそういう可能性もある。

 しかし、校章を見る限り、これは正式な書類のようだった。学校側が軽い気持ちでこれを発行することがあるだろうか。


「さあ、行きましょ!」


 ヒバリはその場の空気を変えるように手を打ち鳴らすと、サクヤの背中を軽く押した。

 体育館の横を抜けて、地下へと続く階段を降りていく。


「この星を回す神の力──《コスモス》をお見せしますよ」

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