第四話 ニューステラ警察学校②
演習場は民間警察と公営警察の共用らしく、警察学校の敷地を二分するレンガの壁のちょうど真下にあった。
共用にした理由はおそらく予算の不足だろう。
演習場はかなりの大型施設だった。
市街地を簡易的に再現した部屋や、屋内での戦闘を再現することができる部屋など、田舎町の学校にしては設備が充実している。
いくら仲の悪い生徒たちを切り離したくても、こんな施設を二つ作るのは無理だろう。
ヒバリはいくつかある部屋の中から『多目的演習室』を選んだ。
目立った設備のない、ただ広いだけの室内だった。入り口正面には大きなスクリーンがあり、左右の壁には真っ黒な箱が山積している。
しかし、あるのはそれだけだ。何というか、面白みに欠ける。
「どうせならセットがあるところに入りたかったなぁ」
「ここより面白い部屋はありませんよ。えーと、どれにしようかな」
ヒバリは山積みになった黒い箱を眺めて散々唸ると、その中の一つを引っ張り出した。小柄なヒバリも抱えることができる、通学鞄サイズの箱だった。
部屋の中央に置かれた黒い箱を見る。
蓋には炎をモチーフにした紋章。その紋章の下にはテープが貼られていて、上から『サルパ・ヴィーラ』と書かれていた。
「さ、離れてください」
ヒバリに促されてサクヤは箱から離れた。
サクヤが十分離れたことを確認すると、ヒバリは箱に手を当て、呟く。
「サルパ・ヴィーラ」
瞬間、箱から何かが飛び出した。
飛び出したそれを見て、サクヤの目が見開く。
「な──」
それは何かの集合体だった。
中心に赤いコアを持った、半透明の楕円体。空気を入れたビニール袋、あるいは黄身を赤くした生卵のようにも見える。
クラゲのように宙を漂うそれらは、呼吸をするように収縮と拡張を繰り返し、幾つも連鎖的につながってサクヤたちを囲っていた。
つながった全長は30メートル……いや、もっとありそうだ。
「なんだこれ・・・・・・生き物か?」
ヒバリは頷いた。
「サルパ・ヴィーラという生き物です。《コスモス》を宿した生き物で、安全に改造してあるので今の形態だと人は襲いません。何も考えていなければ、触っても大丈夫ですよ」
「無茶を言うな。これを無心で触るのは無理だ。というか、これの何が『コスモス』の説明になるんだ」
ヒバリはわざとらしく咳払いをした。
「神様の体の一部を複製し、それを物体に移植することで、その物体は神様じゃなくても神の異能を宿すようになります。その再現された神様の力のことを、『コスモス』と言うんです」
ここで言う物体とは、単純な「物」以外にも、人体や動物の体など生物も含むようだ。
だから、ヒバリも金髪も超能力のような力を使うことができるのだろう。
あれが神の力だったのなら、サクヤが手も足も出なかった事に納得がいく。
「《コスモス》は二年前に終結した宗教戦争の主力武器でした。いまは、便利な道具としていろんな所に普及してますけどね」
「あの眼が赤く光るやつ?」
「そうです。人に搭載する《コスモス》は、起動すると瞳を発光させます。マグノリア製なら赤系統、リリーブレイド製なら緑系統の色ですね」
「マグノリア製? 《コスモス》には製造会社がいくつかあるのか?」
ヒバリは頷いた。
「マグノリアとリリーブレイドは軍主導ですけど、レディフレアとかジャックローズは会社ですね。このサルパ・ヴィーラをよく見ながら、こめかみのあたりを二本の指で触ってみてください」
なんでそんな不可解なポーズを取らないといけないんだ。
「え、なんで?」
「いいから、早く」
せかされて、サクヤは仕方がなしに「サルパなんたら」を注視する。そして、人差し指と中指でこめかみに触れた。
サクヤの頭の中に無機質な女の声が響いたのは、その時だった。
『識別……ジャックローズ
ひどく人工的で抑揚のない声に驚いて、サクヤは少し飛び跳ねた。
「驚きましたか? 《鑑定眼》と言って、コスモスを自動で識別してくれるんですよ」
「ジャックローズ製とか言ってたけど」
「動物に搭載する《コスモス》は、ジャックローズという会社が作ってるんです。このサルパ・ヴィーラもそうです」
ヒバリはサルパ・ヴィーラに触れた。
するとサルパ・ヴィーラの連結が解け、コアを持った半透明の物体が宙の一点へ向けて殺到する。
半透明の物体は一点で混ざり合って渦を巻き、黒く変色。
やがて真っ黒な人影へと姿を変えて、床へ下りた。
サクヤは呼吸を忘れてそれを見ていた。これが《コスモス》か。
「サルパ・ヴィーラは、触れた人間が思い浮かべた人物に変身します。あくまで触れた人の記憶を読み取って変身するので、かなり主観が入った変身になりますけど」
人影は、絶えず黒い炎のようなものを纏っていた。真っ黒でシルエットしか見えないが、かなり筋肉質だ。手には銃のようなものを持っている。
「なんか真っ黒だけど」
「そういう仕様ですよ。プロトタイプは見た目も完全に再現したので、人に変身するときは『影』になるように改造したらしいです。嫌じゃないですか、知らないところで自分の体を再現されるのは」
「それはそうだ」
生み出された人影はヒバリをしばらく見つめると、同じく影でできた銃を構えた。銃口は、ヒバリの頭に向いている。
「おい、なんか様子が」
「サルパ・ヴィーラは変身すると狂暴性を増します。オリジナルを殺して成り替わろうとしているとか、鉄板の都市伝説ですね」
「言ってる場合か! 何とかしないと──」
「慌てないでください。《コスモス》を持っているのはこちらも同じです」
呑気に解説するヒバリへ向けて、人影は引き金を引いた。
真っ黒なマズルフラッシュ。銃口が跳ね上がり、影の弾丸が闇の尾を引いて飛んでいく。
ヒバリは横に転がって射線から逃れ、呟いた。
「──主よ、我が先の世の罪を許し給え」
ヒバリの瞳が赤く発光する。
サクヤは起動したままの《鑑定眼》でヒバリを見た。一本調子の女性の声が、脳内に響く。
『識別……マグノリア
──身体強化
ヒバリが細い手足で超人的な動きができたのは、この力のおかげか。
ヒバリは銃弾の雨を縫って影の懐に入り込むと、後ろ回し蹴りを一閃。空間を鉈で割ったような凄まじい風切り音が鳴り、影の頭部が吹っ飛ぶ。
「い、一撃・・・・・・・」
頭を失った影は、後ろ向きに倒れた。
死んだかと思ったその刹那、影が四方へ爆散し、破片たちが半透明の物体に変わる。物体たちは再び連結し 変身前と同じくように宙を浮遊し始めた。
汗一滴かかいていないヒバリが爽やかに解説を続ける。
「この袋みたいなもの一つ一つがサルパ・ヴィーラなんです。サルパたちは連結してコロニーを作って、コロニー全体で一つの生き物に変身します。だから変身後の生き物に衝撃を与えても、元の個体に分裂するだけです」
「戦闘訓練向けの生き物ってことか」
ヒバリは満足そうに頷くと、箱の前に立って「サルパ・ヴィーラ」と唱えた。
すると、サルパのコロニーは瞬く間に箱の中に吸い込まれてしまう。
不思議な箱だと思って鑑定眼を使うと、どうやらあの箱も《コスモス》を搭載しているようだった。
ヒバリは部屋を注意深く見渡した。
「ちゃんと全員入りましたか? 繁殖力がすごいので、暖かい部屋だと一匹逃がしただけで大惨事になりますよ」
大部屋いっぱいにサルパたちが詰まっている様を想像してみる。なかなかグロテスクな光景だ。ゼラチン質の膜が床にこびりついて足の踏み場も無さそうである。
説明が一段落して、サクヤは左手首の《オズワルド》を見た。表示されている時刻を見ると、授業開始までまだ時間がある。
「なぁ、俺も《コスモス》を使ってみたいんだけど」
金髪との会話で、サクヤも《コスモス》を持っていることは確定している。
どうせなら、ここで練習してみたかった。自分に魔法のような力があるなら、ぜひ試してみたいのだ。
しかし、ヒバリの返答は残酷だった。
「・・・・使えるわけないでしょ」
「なんでえ」
サクヤは愕然とした。
「《コスモス》は兵器なんです。記憶がないとは言え、元敵兵の私たちが何の制限もなく使えませんよ」
それはそうだが、しかし実際にヒバリは使っているじゃないか。
「どうすればその制限を解けるんだ?」
ヒバリは湿った視線でサクヤを見た。
「……もしかして、コスモスで遊ぼうとしてます?」
「あ、あくまで自衛の手段として知っておきたいんだ」
ヒバリの真っ赤な眼光がサクヤを射る。目が泳いでしまうからやめてほしい。
数秒の間があって、ヒバリは大きなため息をついた。
「《マントラ》の詠唱です。《コスモス》を持つ民間の警官には、一人一人に《コスモス》のロックを解くためのパスワードが発行されます。それを思い出すことができれば、能力を使えますよ」
ヒバリは《コスモス》を使用する際に、不思議な言い回しで何かを言っていた。恐らくあれがマントラだろう。
「あの詠唱って格好つけじゃなかったのか。そういう年頃かと思った」
「あれ格好いいですよね!」
訂正。そういう年頃だった。
しかし、あれを思い出すのは至難の業だろう。
記憶障害のせいで今のサクヤは記憶のほとんどを参照することができない。
記憶が存在していることはわかるのだ。でも、濃い霧に包まれたみたいに記憶の姿が見えないから、その記憶を手繰り寄せることができない。何かを思い出そうとすると、一気に頭が重くなってしまう。
「思い出す以外に俺のマントラを知る方法はないのか……」
「ありますよ。マントラは聖典の一節を古代語に訳したものです。だから古代語訳の聖典を全部音読すれば、たぶん能力のロックは外れます」
「たぶん? 確証はないのか?」
「やる人が誰もいないからです。そもそもこの方法は違法ですし、聖典は4000ページもあるんです。それを正しい発音を意識して古代語で読むなんて、まる一日使っても終わりませんよ」
サクヤは肩を落とした。
仮にも自分は実習中だ。そんな膨大な作業を実行する時間的余裕はない。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。ヒバリは苦笑して、部屋のドアを開けた。
「休み時間が終わっちゃいましたね」
「ああ……俺の異能無双生活がぁ……」
「ゆっくり思い出せばいいんです。たぶん無双は無理ですけど」
「そうは言ってもさぁ」
影を一撃で倒したヒバリの常人離れした動き。
今思い出しても身震いがする。かっこいい。できれば自分もあんな風に活躍したいものだ。だって男のだもん。
「そういえば、あの影は誰だったんだ? サルパは人の記憶を読み取るんだろ」
それは大した意味のない、興味本位の質問だった。
しかし、ヒバリは足を止めた。おかげで、おかしな間が空く。
「ヒバリ……?」
不安になってサクヤが声をかけると、ヒバリは振り返らずに答えた。
「元同僚です。たまたま思い浮かんだので」
明るい声だった。けれど、それからしばらくの間、ヒバリは振り向いてくれなかった。
※※※※※
休み時間が終わり、三限の授業が始まった。
講義内容は神学。
授業開始の時間から五分が過ぎた頃に、髪の毛の薄い教官がやってきて、一本調子な声で淡々と神様について説明した。
「終戦と同時、統一軍を率いる《オズ》は旧世界の
聞いていると絶望的な眠気が襲ってくる授業だった。全部聞くことは諦めて、サクヤは開始五分で寝た。
授業が終わると、ヒバリがサクヤの額を指で弾いて起こした。机によだれが垂れているのに気づいて、慌てて袖でふき取る。
前を向くと、ヒバリがあきれ顔でこちらを見ていた。
「授業はちゃんと受けてください。じゃないと、昨日の再現にならないじゃないですか」
仮に昨日の自分があの授業を聞いても、絶対に寝る自信がサクヤにはあった。
「昨日のこの時間は法学だろ。神学受けても意味ないって」
「でも、サクヤさん為にはなるでしょ」
「・・・・・・・」
それは一理ある。ここは専門学校だから、そもそも就職後に必要になる知識しか教えていない。次の時間は起きていた方がいいかもしれない。
心を入れ替えようとしたそのとき、ヒバリの顔によだれの跡がついていることに気がついた。
「ヒバリ、口元。よだれの跡ついてる」
数秒の沈黙。ヒバリは口を開いた。
「……放課後は街の中心街に戻ります」
「え、なんで無視すんの」
「サクヤさんの『オズワルド』が記録した位置情報を見ると、昨日のサクヤさんは中心街で夕方まで過ごしたみたいです」
「おい。よだれの線がぴーって。伸びちゃってるって」
「今日は天気も昨日と同じですし。ちゃんと再現しましょう」
「おい、いま窓を見るふりして口元拭いただろ。わかってんだからなぁ!」
「次の授業は寝ないでくださいね」
「寝れるか射撃訓練だぞ」
予鈴がなった。
四限は移動教室だった。
射撃訓練は学校内の射撃場で行う。地下にある射撃場も、やはり民間と公営で共用だった。
射撃場は演習場の大部屋に比べて天井は低いが、広さは負けず劣らずだろう。
射撃レーンは二〇レーンほどあり、各レーンを区切る壁には液晶が埋め込まれている。
液晶に的までの距離を入力すると、その地点にホログラムで的が現れる仕組みだ。
射撃訓練は二人一組で行うようで、サクヤの相方は当然のことながらヒバリだった。
「大事なのは何も考えないことです。本能で撃ってください」
そう言うと、ヒバリは民間警察の制式銃の一つ《アレイスター》を構え、数発撃った。
空気で作られた弾は、ホログラムでできた的の真ん中を通過していく。その弾道をセンサーが読み取ると、液晶にスコアが表示された。
ほとんど満点に近い点数だ。
「このくらいの距離が空気弾が拡散せずに届く限界の距離です。はい、サクヤさんの番」
サクヤはヒバリの構えを真似して、よく狙って引き金を引いた。弾は的の端をわずかにかすめて、レーンの奥へ飛んで行った。
液晶に無残なスコアが表示される。こちらの怒りを煽るように、ヒバリが「やれやれ」と首を振った。
「考えながら撃つからです。経験に頼ってください」
「記憶喪失の人間に経験とか言うかね」
「頭じゃなくて、体に刻まれた経験を使うんです。オズは私達の体に刻まれた戦闘経験を評価して、ハウンドドッグ制度を作ったんですよ」
サクヤは再び射撃レーンに立った。
的を体の正面で捉えて、目を瞑る。こうすれば的をよく狙うことはない。目を開いたとき、見えた的へ直感で銃を向ければいいのだ。
深呼吸を一つ。サクヤは発砲した。
弾は、的の横を素通りした。
「ダメじゃん」
「射撃は苦手なんですね」
「たぶん銃が悪いんだな」
「いや、悪いのはセン──」
ヒバリは続きを飲み込んで、優しく笑った。
「うん、銃が悪いですね!」
「悪いのは俺だよバーカバーカ」
涙で視界がぼやけた。
「それより、さっきから誰も話しかけて来ませんね。サクヤさん友達います?」
「ヒバリ。大事なのは何も考えないことだ」
「真理ですね」
銃を構えて、サクヤは引き金を引いた。弾は、やはり的を掠っただけだった。
「・・・・・・弱いままじゃ駄目ですよ、サクヤさん」
サクヤのスコアを見ながらヒバリが言う。
しかし、ヒバリはスコアを見ていると言うよりも、もっと遠くの景色を見ているように見えた。
「どうして私がサクヤさんを連れ出したかわかりますか?」
「合法的に学校を観光するためだろ?」
ヒバリが半目でサクヤを見た。
「これは真面目な話です。・・・・・・サクヤさんの様に、記憶障害を起こして暴れた人は少なからず今した。でも、いま所在がわかるのはサクヤさんだけです」
「──は?」
どうようで、サクヤは銃を落としそうになった。落ち着きたくて、銃を壁のホルダーにしまう。
「サクヤさんのような拘禁者は、全国の拘置所に数人居ました。でも、その全員が拘置所から跡形もなく姿を消しています。ただ一つ、夥しい量の血溜まりを残して」
サクヤは拘置所の事を思い出した。
窓がない真っ白な壁と分厚い鉄の扉に閉ざされた空間。鼠一匹逃さぬように監視カメラが並んでいるあの拘置所から、一体どうやって人が消えるのだ。
真っ白に殺菌された空間に浸食する、得体の知れない悪意。それが残した血の海を想像して、サクヤは体の芯が震えるのを感じた。
「普通に考えて、厳重警戒の拘置所からそんなに何人も脱走者が出るわけないよな」
「そうですね。つまり、拘置所の中から拘禁者を消している人間がいるんです。恐らく、《コスモス》を使って」
だとすれば、そいつが次に狙うのは──
ヒバリはサクヤが置いた銃を手に取って、もう一度サクヤに渡した。
「サクヤさんは私が守ります。でも、いざという時のために、強くなってください」
チャイムが鳴る。
四限はそれでお終いだった。
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