第六話 蛇の道


 十分ほどでバーを出てしまい、サクヤとヒバリは微妙に手持ち無沙汰になった。

 昨日のサクヤの歩みを正確になぞるなら、もう少し滞在したいところだった。


 とりあえず、昨日のサクヤがバーを出る時刻まで暇を潰さなければならない。

 路地を抜けて大通りに出ると、ニューステラのメインストリートはもう街灯がついていた。

 空の暗さが増し、車の流れにヘッドライトの光がちらつき始めている。

 もう夜は近い。


「何かお腹が空きましたね。どうです、露店もありますし、食べ歩きでもしませんか?」


 ニューステラは冬の大自然を売りにした観光名所であり、今の時期に最も観光客が集まる。儲け時と意気込んで、大通りには出店も多く出ていた。


「いいけど、昨日と同じ事をするなら買い食いはまずくないか?」


「大丈夫ですよそれくらい。ほら、甘い物って口の中に入れてもすぐに消えるじゃないですか。誤差です誤差」


「それ、お前が食べるの早いだけじゃね?」


 クレープ屋の列の最後尾に並ぶと、ヒバリは《オズワルド》の画面を開いた。メールでも確認するようだ。隙間時間をこうやって活用する辺り、目の前の少女は真面目な社会人なのかもしれない。


 ヒバリは出店を三店舗ほど回った。手にはメロンパンの紙袋とドーナツの紙箱。

 時間がないから目についた店に考え無しに入ったが、既に小腹を満たすには十分すぎる食べ物を手に入れた気がする。


「サクヤさんはここから郊外に移動してますね。蓬莱院の近くです」


「学校帰りだし、一旦荷物を置きに行ったんだろ」


「ありえますね。それか、孤児院で待ち合わせたか。あ、ちょっとこれ持っててください」


 ヒバリはサクヤにドーナツの紙箱を預けて、空いた片手でメロンパンにパクつき始めた。


「そんなに食べて夕飯食えるのか?」


コスモスは燃費が悪くて、すぐお腹がすくんです。さっきから頭がぼーっとするし、糖分を補給しないと」


「疲れてるんだな」


「新人の教育は大変ですよ」


 やれやれとヒバリは肩を竦めた。もう一個目のメロンパンを食べ終えている。

 ・・・・・・早くない? もうそれ飲んでない?


「まあまあ、甘いものを食べて機嫌を直してくれよ。俺の分もあげるから」


「あなたの罪を許します」


「……ガキめ」


「あ?」


 ヒバリがメロンパンにかぶりついたまま青筋を立てる。サクヤはどこ吹く風で口笛を吹いて、車道を挟んで反対側の歩道を見た。


 タイルの明るい部分だけを踏みながら、対岸の歩道をちょこちょこと駆けていく小さな人影がある。

 見覚えのある子だった。カラフルな手袋が印象に残っている。確か今日の午前中に公園で会った──


「ジヒだ」


 少女はヒバリが風船を取ってあげた子だった。

 ヒバリも反対の歩道に目を移し、すぐにジヒを見つけたようだった。


「え、ほんとですね。もう暗いのに、何してるんでしょう」


 ジヒは一人だった。

 少し先の地面を見て、黙々と道を進んでいる。そのまま真っ直ぐ行けば駅があるため駅のバス停を目指しているのかと思ったが、ジヒは急に曲がって薄暗い裏路地へ入っていってしまった。


「様子が変だ」


「追いますよ」


 相手は少女だ。追い付くのは簡単だった。

 点滅した信号を走り抜け、サクヤがぎりぎり通ることができる細い路地を通る。その先はもう一本の路地とT字に繋がっていたようで、サクヤはまた薄暗い路地に出た。

 

 ジヒは路地の真ん中で、通路の奥をじっと見ていた。

 メロンパンを飲み込み終えたヒバリが、ジヒに声をかける。


「こんばんは。また会いましたね」


「えっ。白いお姉ちゃんとサクヤだ。デート中?」


「断じて違います」


 質問から返答までの間がコンマ一秒だった。そんな必死に指定しなくてもいいだろうに。


「ジヒちゃんは何をしてるんですか?」


 ジヒは路地の先を指さした。


「あのヘビを捕まえるの」


 ジヒが指さした路地の先には、異形の存在がいた。

 縄のように細長い体躯に、逆三角形の小さな頭。

 皮膚も肉もついていない骨だけの全身は、廃ビルの壁に伸びた鉄パイプのようなさび色をしている。肉眼が入っているはずの頭蓋の空洞には何もなく、血色の光だけが輝いていた。


「蛇の骨? 骨の蛇?」

 

 サクヤの声が届いたのだろう。

 骨の蛇は、ぐるりとその頭をサクヤに向けた。釘のように鋭い牙を覗かせて、顎でカチカチと音を鳴らす。

 寒々とした通路に、金槌で釘を打ったような金属音が響いた。


「あいつ動いたぞ。模型じゃない」


 蛇の頭が横を向く。蛇は細い体躯をしならせて、ここからは見えない奥に消えてしまった。

 どうやら、路地は蛇のいる地点で直角に折れているようだ。蛇はさらに奥に進んだのだろう。


 ジヒがサクヤの袖を引いた。目を輝かせてこちらを見上げている。


「ねえ、あのヘビ飼いたい」


 サクヤは困惑した。なにを言ってるんだ。


「もう骨になってたぞ。なんか錆びてたし、もっと健康そうなヘビにしようよ」


「あれがいい。それに入れて帰ろ。サクヤ、捕まえられる?」


 ジヒはドーナツの紙箱を指さした。

 中のドーナツをメロンパンの袋に移せば、これは空き箱になる。


「まあ、この箱なら入るか」


 趣味は人それぞれだ。

 サクヤとしてはあの蛇はちょっとどうかと思うが、ジヒくらいの少女にとっては可愛く見えるのかもしれない。飼うまではしなくても、ちょっと捕まえて遊ぶくらいはしていいだろう。


「捕まえよ? 世話はちゃんと手伝うから」


「おい、なんで俺がメインで世話する前提なんだ。俺はやらないぞ」


 ジヒがずんずん路地の奥に進んでいく。ヒバリは、蛇がいた地点をただじっと見ていた。


「ヒバリ?」


 ヒバリの前に手をかざすと、ヒバリは我に返ったように瞬きした。サクヤとジヒを見て、困ったように微笑む。


「あれ、何してるんでしたっけ?」


「おいおい、しっかりしれくれよ。今からヘビを捕まえるんだ」


「ああ、なるほど……え、あれ? 捜査は?」


 サクヤが歩き出すと、ヒバリは首を傾げながらもついてきてくれた。

 ちょろい。


 人通りが少ない路地は明かりが少なく、踏み固められていない新雪が積もっている。

 柔らかい雪を踏みしめながら路地を進み、つきあたりの角を曲がった。

 その時、大きな何かが、ジヒに向かって倒れかかってきた。


「ジヒッ!」


 幸いなことに驚きながらも勝手に体が動いてくれた。

 倒れてきた何かを、ジヒを庇うように受け止める。その瞬間に手の中に生暖かい感触がして、サクヤは目を見開いた。


 受け止めたそれは、人だった。

 「公営側」の警察学校の制服に、後ろで束ねられた長い金髪。記憶障害のサクヤにも、見覚えのある顔。

 

「お前は・・・・・」


 休み時間に絡んできた、金髪の生徒だった。

 鋭かった眼光が薄れて、今はひどく虚ろになっている。


「に、げ・・・・ろ」


「は?」


 金髪が静かに瞼を閉じる。通路に寝かせると、腹部に真っ赤な染みが広がっていた。サクヤの掌にもべったりと血がついている。酷い出血だった。


 サクヤは心臓が跳ね上がるのを感じながら、ハンカチを取り出して金髪の腹部に当てた。

 ──何だこの傷。刃物で付けられたような鋭い傷じゃない。


 何かに引きちぎられた様に皮膚が破れている。腹に穴が空いているみたいだ。早く止血しなければ、こいつはここで死ぬ。


「おい! しっかりしろ!」


 サクヤの叫び声が路地にこだまする。

 ジヒは声も出せずに、呆然と金髪の青白い顔を見ていた。

 子供には刺激が強い。ジヒは遠ざけた方がいいだろう。


「ジヒ、引き返して——」


 ──安全な所に行け。

 そう言うつもりだったのに、サクヤの口はそこで固まった。


 背後から、新雪を踏みしめる音が近づいて来ている。金髪が歩いてきた方だ。

 胸騒ぎがした。何かヤバい奴が近づいてくる。


 路地を満たすのは、雪を踏みしめる音と、遠くの大通りで鳴っているクラクション。そして──


「・・・・死ね・・・・死ね・・・・マグノリアの敵はと如く死ね・・・・・」


 何故か耳馴染みのある、呪いの言葉だった。

 サクヤはゆっくりと振り返った。

 

 紅く光る瞳をこちらに向けて、警官服の男がゆっくりと歩いてくる。男の首には、血塗れになった骨の蛇が巻き付いていた。

 間違いない。あの蛇が金髪を襲ったのだ。


 サクヤは蛇男の手首を見た。太い手首には黒い《オズワルド》が巻いてある。


「おい、大丈夫か? あんたハウンドドッグだろ?」


 男の口がぎこちなく動く。


「・・・・聞こえる。女の・・・・声が」


「女の声?」


「殺せ・・・・殺せって・・・・」


 サクヤは眉を寄せた。話が通じない。まさか、あれが記憶障害の副作用だろうか。

 ヒバリの言う珍しい副作用で凶暴になっていると考えれば、あの蛇男が金髪を襲ったことに納得できる。


 だとしたら、この場は危ない。サクヤの学生であるため銃を持っていないし、ここはヒバリに任せてすぐに退避した方が良いだろう。

 男の瞳を見ると、薄紅の光が宿っている。


「《マントラ》も詠唱済み……俺の手には余るな。ヒバリ!」


 相手が《マントラ》を忘れていたのなら、サクヤにもできることはあった。

 しかし、《コスモス》を発動されたのなら話は別だ。同学年の生徒にすら一方的にやられたのに、現職の警官に勝てるわけもない。


 サクヤはヒバリが動くのをじっと待った。しかし。返事が返ってこなかった。


「さ、サクヤ! 白いお姉ちゃんが……」


 ジヒの震え声を聞いて、振り返る。

 ヒバリは、焦点の定まらない目で虚空を見て、ただ立っていた。


「・・・・・・・ヒバリ?」


 サクヤが呼びかけると、ヒバリは崩れ落ちるように雪面に倒れた。虚ろな瞳でサクヤを見ながら、ヒバリの口がかすかに動く。


「……ひ、ばり……ひばり……」


 ヒバリはまるで機械のように、自分の名前を数回復唱した。ジヒに何度も肩を揺すられても、視線こそジヒを追うが、意識に反応がない。まるで目を開けたまま魂が抜けたようだった。

 サクヤは呆然とヒバリを見た。


「・・・・・・まさか」


 ヒバリは、記憶障害を発症していた。


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