五章 新しい人生

 そして、ローデの新しい人生ははじまった。

 愛する夫とふたり、人々を笑顔にするための人生が。

 危険極まりない過酷な大自然のなかを馬車で移動して、行く先々で人々を笑顔にする。

 それが、グロウの人生であり、ローデが新らしく手に入れた人生。

 中央から遠くはなれた辺境には巫女も、魔導士も、神官も不足している。魔法の恩恵を受けることが出来ない。もちろん、中央で使われているような最新の技術なんて届いていない。防壁の修理もままならず、巨大な恐竜や魔物たち、想像を絶する怪物たちに襲われても町を守るための戦力は不足している。

 そんなところにグロウとローデはやってくる。魔法を使って防壁を修理し、怪物たちがやってきたとなれば率先してその場に赴き、追い返す。それだけでも人々は感謝し、笑顔を向けてくれる。

 けれど、それはグロウとローデの本当にやりたいことではない。そんなのはただのついで。ふたりの本当にやりたいこと。それは、自分たちの芝居や手品で人々を楽しませ、笑顔にすること。

 「そりゃあ、怪物から救われたとなれば人々は笑顔を向けてくれる。でも、それはおれの見たい笑顔じゃない。それは『助かった』、『死なずにすんだ』という笑顔、言ってみれば生存欲求が満たされての笑顔だ。おれの見たい笑顔は生きる喜び、『こんな芝居が見れてよかった』、『こんな不思議な手品を見られるなんて人生は楽しい』、そう思ってくれているときの笑顔なんだ」

 グロウはいつもそう言う。道化のような珍妙な顔のなかの瞳を、まるで純真な少年のように輝かせて。そんな思いだからこそ、ローデも同じ道を歩みたいと思ったのだ。

 ふたりは今日も言葉通りに人々の前で芝居をし、手品を演じる。

 「さあさあ、よってらっしゃい、見てらっしゃい! まいどおなじみ、『笑顔座』の公演でございます!」

 町の広場のなかで大声を張りあげる。

 辺境の町に不足しているのは魔法使いや衛兵だけではない。娯楽もまた不足している。過酷な大自然との闘いに明け暮れるだけの毎日。そんななかにやってきた非日常の世界。現実の苦労を忘れさせ、一時だけでも喜びの世界に送ってくれる旅の一座。

 多くの人々が一夜の夢を求めてやってくる。入場料は取っていない。『笑顔座』の公演は誰でも無料で見ることが出来る。

 「ひとりでも多くの人に笑顔になってもらいたい」

 グロウのその思いによってだ。

 グロウにとって『金がないから芝居や手品を見ることは出来ない』というのはあってはならないことだった。人々を笑顔にする出来事は金のあるなしに関わらず、すべての人間が当たり前のこととして享受できなければならないのだ。

 だから、グロウは決して入場料や観劇料をとりはしない。収入となるのはグロウ自ら作った魔導薬。開演までの少しの時間、集まった人々の前に魔導薬を並べて口上を並べる。

 「……ここにある魔導薬は決して万能薬ではありません。すべの怪我や病気に効くわけではありませんし、皆さんの悩みやご苦労をなくすこともできません。ですが、説明したとおりの効果は確かにあり、どのご家庭にも必ず一セットは必要なものばかりです。もちろん、これらの魔導薬を買おうと買うまいと観劇はご自由です」

 グロウの作る魔導薬の効果は確かなもので中央に出回っている市販品と比べてもひけはとらない。とは言え、集まった人々の誰もが買っていくわけではやはり、ない。と言うより、実際に買っていくのはほんの一部。だから、グロウの稼ぎはほんの少し。

 それでもいい。それでたしかに笑顔になってくれる人がいるのだから。

 そして、開演の時間。芝居が演じられ、手品が披露される。人々は目の前で演じられる芝居に笑い転げ、披露される手品に目を丸くして驚く。そんな人々の様子を見るグロウは本当に嬉しそう。幸せそう。そんな姿を見てローデは思う。

 ――やっぱり、グロウと結婚してよかった。

 公演を終えたあとの馬車のなか。夕食を終えたあと、ローデはグロウに話しかけた。

 「ねえ、提案なんだけど。魔導薬の瓶のデザイン、かえてみない?」

 「瓶のデザインを?」

 「そう。せっかく、質は良いのに無骨な外見のせいで損してると思うのよ。もっとポップに、明るく可愛い感じにして、『子どもが喜ぶ薬!』って宣伝したら、もっと売れると思うの」

 「……そう言うのはどうもな。実際の価値以上に売りつけるようで気が引ける」

 「なに言ってるの。あなたの作る魔導薬はあなたが言っているとおり、辺境の〝丘〟では各家庭に一セットは必要なものよ。多く売れれば、それだけ多くの家庭が安心して毎日を過ごせるようになるんじゃない。そのために魔導薬の販売をしているんでしょう?」

 「それは、そうだけど……」

 「だったらぜひ、やるべきよ。母親としてさんざん経験してきたけど、子どもに薬を飲ませるって本当に大変なんだから。見た目がかわいくて子ども受けするものならそのハードルもずっとさがるわ。子どもの安全を保証できるし、親もよけいなストレスを抱え込まなくてすむ。いいことずくめじゃない」

 いったん、言葉を切ってさらにつづける。

 「経験者として言うけど育児ストレスって本当にヤバいわよ。泣き叫ぶばかりで言うことを聞かない子どもに苛々が募って、憎くなって、ついバチーン! そんなのが癖になったら大変よ。殺しちゃうまでやめられなくなるんだから。そんなことにならないよう親のストレスは少しでも減らすようになくっちゃ」

 「バチーンって……子どもを叩くってことか? 君がそんなことをしたのか?」

 「……何度か」

 ローデはわざとらしく目をそらしながら答えた。

 ローデが子どもを叩くなんて考えたこともなかったのだろう。グロウは目を丸くして驚いている。

 「それだけ育児は大変ってことよ。実際、子どもを一度も殴らずに育てることの出来る恵まれた親なんてそうそういるものじゃないわ。誰だって、一度や二度や三度や四度は子どもに手をあげちゃって、そのあとで思いっきり自己嫌悪に陥るんだから。

 それでも、あたしは『母の家』にいられたから子どもをしばらく外の母親に預けて冷却期間をおいたり、経験豊富なベテランに相談したり、愚痴をこぼしたり、泣きついたりっていうことが出来た。だから、なんとか大事にならずに三人の子どもを育てられた。

 でも、辺境の〝丘〟に『母の家』はない。閉ざされた家庭のなかで自分だけで育てていかなくちゃならない。そのストレスは想像を絶するもののはずよ。少しでも楽にさせてあげられるなら、そうしてあげなくちゃ」

 ローデは熱心にかき口説いた。いろいろ言ってはいるが要するに、愛する夫の作る魔導薬が売れないのが悔しくしてたまらないのだ。

 あんなに一所懸命、作っているのに。

 質は確かなのに。

 だから、もっともっとたくさん売って、愛する夫の価値と実力を知らしめたい!

 その思いがある。

 その一心で説得をつづける。なにしろ、てんで本気にしていなかったグロウを口説きにくどいてついに結婚を承知させた身。根比べなら負けはしない。とうとう、グロウが折れた。

 「……わかった。たしかに、育児ストレスというのは意識になかったな。そういう事情があるなら子ども受けする薬を作る必要がある。瓶のデザインは頼めるか?」

 子育て経験のないおれより、実際に母親として子どもに接してきたお前の方が適切なデザインが出来るだろう。

 グロウにそう言われ、ローデは『やったね!』とばかりに破顔した。

 「もちろんよ、デザインは任せて。こう見えても『母の家』でちゃんと、デザインの勉強もしてきたんだから」

 要するに、最初からの計画通りというわけである。なかなかに用意周到なローデであった。

 「それと、もうひとつ。いままではあなたひとりでお芝居をしてきたわけだけど、これからはあたしもできるわけでしょう? だから、新しいお芝居の筋を考えてみたの」

 「新しい芝居の筋?」

 「そう。あなたがいままで演じてきたお芝居はどちらかと言うとおとな向きでしょう? だから、子どもが喜んでくれそうなお芝居を考えてみたの」

 「子ども向けか。たしかに、それはおれの苦手分野だからな」

 グロウは妻から渡された台本を読みふけった。

 「ふむ、なるほど。正直、おれにはよくわからないが……おとなのおれと子どもとでは感性がちがうのは当たり前だからな。よし。ここは母親の経験を信じよう。ローデ。いまから練習だ!」

 「はい!」

 そして、ふたりは一緒になって芝居の稽古に打ち込む。練習を重ね、観客たちの前で披露する。子どもたちは――。

 大喜びだった。

 「驚いたな。まさか、あんなに喜んでもらえるなんて。子どもたちがあんなに大声で笑うのを見るのははじめてだよ」

 「でしょう? あのお芝居の筋は『母の家』で子どもたち相手に聞かせてあげていたものなの。そのなかでもとくに喜んでくれたものばかりを選んだんだから受けて当然よ」

 「なるほど。さすが、母親だ。子どもの喜ぶことは心得ているというわけだな」

 「もちろんよ。母親以上に子どものことを知っている人間なんていないわ」

 「うん。まさにその通りだ。子育てをしたことのないおれには決してわからなかったことだ。お前が来てくれたおかげで芝居の幅もずっと広がったし、子どもたちに喜んでもらえるようになった。おまけに――」

 グロウはイタズラっぽく笑って見せた。そんな表情をすると生来の珍妙な顔立ちと相まってなんともおかしみのある顔になる。

 「魔導薬の売れ行きも増えた。おかげで、いままでよりちょっとは贅沢な暮らしが出来そうだ」

 ローデは思いきり吹き出した。グロウの表情と言葉と、その両方の理由で。

 グロウは真顔に戻った。真摯しんしな瞳で妻を見た。

 「お前と結婚できてよかった。愛しているよ、ローデ」

 「あたしもよ、グロウ。あなたがあたしにこの人生をくれた。愛しているわ、グロウ」

 そして、ふたりは存分に愛しあう。決して裕福にはなれないささやかな日々。それでも――。

 満ち足りた日々だった。

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