子育てが終わったので、結婚して道化魔導士になります

藍条森也

一章 卒業、おめでとう!

 ――今日はあたしの人生で一番、幸せな日だわ。

 マザーローデ、愛称ローデはともすれば涙がこぼれそうになる目にハンカチを押し当てながらそう思った。

 かのの前ではいま、三子のナナが大勢の友だちに囲まれてバースデイケーキのロウソクの火を消すことに挑戦しようとしている。ケーキの上に立てられているロウソクは七本。女の子の誕生日らしい細くてかわいいロウソクの上に小さな炎が揺らめいている。

 それを一気に吹き消すのはおとなにしてみればそう難しくはないだろう。それでも、七歳の女の子にとっては大きな挑戦。胸のなかの空気を空っぽにするかのような必死の表情。ナナの両脇には兄のホプシーと姉のメイリーがいて、『がんばれ、がんばれ』、『しっかり!』と妹を励ましている。

 ナナは大きく口を開けた。胸をそらし、思いきり息を吸い込んだ。ロウソク目がけて吸い込んだ息を思いきり吹きかける。あまりの必死さに両目はキツく閉ざされ、ほっぺたはリンゴのように真っ赤になっている。

 なんともいじらしく、可愛らしいその姿。

 ――ああ、かわいい。やっぱり、あたしの子どもは世界一だわ。

 ローデは親バカ丸出しでそう思った。

 ――たいていの親はそう思っている。

 などという無粋なツッコみは、いまのローデには刺さる余地もない。

 幼いナナの必死さは報われた。ロウソクの火は一息で一気に消えた。まわりから歓声があがり、拍手が巻き起こる。もちろん、一番はしゃいでいるのは母たるローデである。その姿は子どもたちが見れば恥ずかしなるほどのものだった。

 ナナは歓声に包まれて得意満面。両脇のホプシーとメイリーも嬉しさ全開でかわいい妹をもちあげている。仲のいい三きょうだい。いままでずっと一緒で三人で協力して暮らしてきた。きっと、これからも三人一緒に協力しあって生きていってくれる。

 ――そう。あの子たちならだいじょうぶ。あたしがいなくなっても三人で力を合わせて生きていってくれる。

 ローデは万感の思いを込めてそう思った。大粒の涙がこぼれそうになり、あわててハンカチを押しつける。

 「皆、良い子に育ったわね」

 と、ルテアがこちらも目にいっぱいのうれし涙をためながら言った。

 「三人もの子をきちんと育てあげるなんて。尊敬するわ」

 ルテアは二〇代前半の若い母親だ。子どもはまだひとりしか産んでいない。しかし、子を産む前からローデの後輩として母親業を学び、自分の子どもが出来たときの訓練としてホプシーたちの世話を手伝ってきた。ホプシーたち三きょうだいにしてみれば『第二の母親』と言ったところだ。

 「いいえ、ちがうわ。ルテア」

 ローデは信頼する後輩に向かってかぶりを振って見せた。

 「親に出来ることなんてたかが知れているもの。あの子たちは自分自身で、自分の資質で育った。むしろ、親が手を出せば手を出すほど子どもは本来の自然な成長からはなれていってしまう。いかに邪魔をせずにその子本来の自然な成長を促せるか。それが、親の務めよ」

 「そうね。あたしもそう教えられてきたし、あなたの子育てする姿を見てそう学んできた。クリプシーに対してもそういう態度でいられるといいんだけど……」

 ルテアは不安そうにそう言った。クリプシーは今年、二歳になるかのの息子。少々、かんの強いところはあるが、よく食べ、よく泣き、よく眠り、健康に育っている。それでもやはり、はじめての実子と言うことで不安なのだろう。表情にその思いが滲み出ている。

 ――かわいい。

 ローデは後輩のその姿を見てそう思った。自分がホプシーを生んだばかりの頃のことを思い出して懐かしさを覚えた。

 「あなたならだいじょうぶよ、ルテア。ホプシーたちにも本当にいい母親でいてくれたじゃない」

 「ええ……そうね。あの子たちには本当に母親として育ててもらったわ」

 ルテアはそう言うと、なにかを思い出した表情になった。

 「そう言えば、ローデ。あなたはここにいるのは今日が最後なのよね?」

 「ええ。あの子たちはもう『あたし』という母親からは卒業した。すでに親よりも自分たちの社会の方が大切な時期に入っている。あたしも母親を卒業してひとりの人間として生きるとき。あの人と結婚して自分の人生を満喫するわ」


賑やかなパーティーが終わった後、ローデはひとり、三人の子どもと相対していた。

 「……ママ。いっちゃうの?」

 ナナがさびしそうな表情で言った。

 一〇歳のホプシー、九歳のメイリーとちがい、まだ七歳のナナはやはり、母親がいなくなることへの不安とさびしさがあるようだった。

 「ばかだなあ。母さんには母さんの人生があるんだぞ。いつまでもおれたちの世話ばっかりさせてられないだろ」

 ホプシーが妹相手にそう言った。まだ一〇歳のくせしてやけにおとなぶった口を効きたがるのはホプシーの癖だ。でも、それが『兄として妹たちの面倒を見なければ……!』という使命感からだと言うことをローデは知っている。

 「そうよ、ナナ。ママにはもう婚約者がいるんだから」

 メイリーもお姉さんぶって妹を諭した。

 「それに、もう二度と会えなくなるわけじゃないわ。ちょくちょく会いに来てくれるわよ。ね、そうでしょ、ママ」

 「ええ。もちろんよ、メイリー、それに、ナナ。結婚してもあなたたちのことは忘れないわ。必ず、会いに来るから」

 「……約束だよ、ママ」

 ナナは小さな指をおずおずと差しだした。ローデはニッコリ笑ってその小さな指に自分の指を絡ませた。

 「ええ、約束よ、ナナ。はい、指切りげんまん」

 「指切りげんまん、うそついたら針千本のーまーす」

 ローデと三人の子どもは声をそろえてそう歌いあげた。

 ――本当に三人とも良い子に育ってくれた。

 ローデはそう思い、胸に迫るものを感じた。

 一子のホプシーはヤンチャで生意気だけどでも、『お兄ちゃん』としての責任感の強い芯の強い子だ。二子のメイリーは本を読むのが好きで研究好きな真面目な子。そして、三子のナナはちょっと泣き虫で甘えん坊だけど誰からも愛される素直な子。

 ――あたしはなんて良い子たちに恵まれたの。

 心からそう思う。

 ――親子なんて相性次第。どんなに一所懸命育てようとしても相性が悪かったらどうにもならない。でも、この子たちは皆あたしとの相性がうまく行った。おかげでこんな良い子たちに育ってくれた。あたしは本当に幸せものだわ。

 その愛する子どもたちを置いてローデは今夜、この場所を出て行く。かねてからの婚約者と結婚し、自分の人生をはじめるために。

 まだ幼い子どもたちを置いて出て行くことに不安はない。ルテアにも言ったとおり、子どもたちはすでに母親の自分よりも自分自身の社会の方が大切な年齢になっている。ここには大勢の友だちがいるし、ルテアをはじめ、第二、第三の母親となってくれる人たちもいる。

 なにより、ローデ自身、そうやって育ってきた。一〇歳にもならないうちに母親がいなくなったことはさびしいと言えばさびしかった。でも、その分、たまに会いに来てくれるときがとても嬉しかった。

 ――そう。この子たちはだいじょうぶ。ここには大勢の友だちがいて、ルテアたち、あたし以外の母親もいる。この子たちの母親があたしひとりである必要はない……。

 その夜遅く。

 ローデは簡単な荷物だけを手に『母の家』をあとにした。

 「三人の子どもを育てて責任は果たした。もう母親は卒業。まっていて、あなた。ムーングロウ。これからはあなたとふたり、人生を送るわ」

 マザーローデ、三二歳。

 いよいよ自分の人生のはじまりだった。


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