一〇章 死なせない
〝丘〟につくとグロウはさっそくペンジュラの家に向かった。そこには近所の人たちが何人か集まってペンジュラの様態を見ていた。
「おっちゃん!」
「おお、コースター、無事だったか。よかった。いくら、母さんが心配だからって無茶をするもんじゃない。お前にもしものことがあったら……」
「そんなことより! 母ちゃんは無事なのか、まだ生きているのか⁉」
「う、うむ、まあ……」
その中年の男は露骨に言葉を濁した。視線をそらした。その態度からすぐにふたつのことが見てとれた。
ひとつはコースターの母、ペンジュラはまだ生きていると言うこと。
そして、もうひとつは――。
もはや、素人目にも先はないとわかること。
となれば、グズクズしている暇はない。グロウはベッドに寝かしつけられているペンジュラのもとに飛んでいった。
「失礼。すぐに診察させていただきます」
「おお、グロウさん。来てくださったのか」
「見たか! おれはちゃんと、グロウのおっちゃんをここまで連れてきたぜ」
コースターが胸を張ってそう主張した。そこには、死にかけている人間を前になにもしようとしないおとなたちへの当てつけが含まれていたのだろう。その場に居合わせたおとなたちはますます居心地悪そうにコースターから視線をそらした。
ペンジュラを診察するグロウの表情が見るみる険しくなっていく。その表情を見ればどんな状態かは明らかだった。それでも、ローデは尋ねた。聞かずにはいられなかった。
「グロウ。様子はどうなの? 助かるの?」
「……思っていた以上に悪い状態だ」
まだほんの少年の息子の前だというのにグロウははっきりとそう言った。子ども相手の芸を生業とする身としてグロウにはひとつの信条がある。
『子ども相手に嘘とごまかしはしない』
だからこそ、他のおとなたちが言葉を濁すことでもグロウははっきりと言う。
子ども相手だからこそ、本当のことを言わなければならない。
グロウはそう信じてきたし、その通りに行動してきた。
「持病そのものが悪化した上に他の病気も併発している。そのせいで生命力そのものがひどく衰弱している。いっそ、未だに生きているのが不思議なほどだ」
これでは、ここに来るまでに考えていた治療法では助からない。
グロウは苦渋に満ちた表情でそう言った。それなのに――。
生まれつきの珍妙な顔立ちでは笑っているようにしか見えない。
それこそがグロウの人生を不遇なものにしていた理由だった。
「そんな! なんとかしてくれよ、グロウのおっちゃん! 魔法使いなんだろ、なんだってできるはずだろ! 母ちゃんを助けるためならおれ、なんでもするからさ!」
「しかし……」
コースターはグロウの体にしがみついて必死に揺さぶった。その必死さにグロウも言葉を濁すしかなかった。
「グロウ! あたしはなにをすればいいの⁉」
ローデが叫んだ。その双眸が『どうすれば助けられるか教えて!』と叫んでいる。
「この人はまだ死んでいない。同じ母としてあたしにはわかる。母親として小さな子どもを残したまま死ねない。その思いで必死に生命を繋いでいるのよ。その執念があるならまだ助けられるはずよ。お願い、あたしがなにをすればいいのか指示して!」
「……手はある」
「どんな⁉」
ローデとコースターが同時に叫んだ。
「生命力の融合だ」
「生命力の融合?」
「そうだ。ペンジュラの生命力と他の健康な人間の生命力を融合し、混ぜ合わせることでペンジュラの生命力を回復させる。言ってみれば、グラスいっぱいの水と、一割しか入っていない水とを混ぜ合わせ、改めてふたつのグラスに注ぐようなものだ。
ふたつのグラスの水を混ぜ合わせることで半分ちょっとの量に平均化される。それで、当面の危機は脱することが出来る。あとは普通に薬で治療できる」
「だったら、おれを使ってくれよ!」
コースターが迷うことなく叫んだ。
「よくわからないけど、おれの生命をわければ母ちゃんは助かるってことだろ? だったら、使ってくれよ」
「生命力をわけた方はどうなるの?」
ローデがそう尋ねた。
例え、ペンジュラが助かったところでそのためにコースターが犠牲になっては意味がない。そんな結果になればペンジュラは一生、自分たちを恨むだろう。
『子どもを犠牲にするぐらいなら、死んでいた方がよかった!』
そう叫ぶにちがいない。
一足飛びに解決法に飛びつかず、その点を気に懸けるあたりはさすが、同じ『母』だった。
「一時的に弱りはするが、もともと健康な人間なら自然と回復する」
「じゃあ、コースターも無事なのね?」
ローデはそう言って胸をなでおろした。
「ああ。だが、ペンジュラの生命力が弱りすぎている。コースターひとりでは負担が多すぎる。せめて、他にあとふたりはいないと……」
だったら、あたしが……!
ローデはそう言おうとしたが、グロウの方が先に釘を刺した。
「言っておくが、ローデ。おれとお前は駄目だぞ。お前は魔導法を使わなければいけないし、おれはその操作を補助しなければならない。自分たちの生命力をわけている余裕はない」
「そんな、それじゃ……」
「あのう……」
と、それまで黙って事態を見つめていた近所のおとなたちが恥ずかしそうに言った。
「……それなら、おれたちを使ってくれ。なにもせずにペンジュラを死なせちまったんじゃさすがに目覚めが悪いからな」
「……おっちゃん」
「わかりました。では、ローデ」
「はい!」
グロウはローデをペンジュラの隣に座らせた。それから、生命力を提供する人間たちをその場に並べた。
「いいか、ローデ。まずは意識を集中して、それぞれの生命力を感じとるんだ。生命力を感じること自体は魔導法でいつもやっている
グロウにそう言われて――。
ローデは意識を集中した。意識のなかにいくつかの塊が感じられた。ひとつはいかにも元気な少年のものらしく大きく赤々と燃えている。他の三つは暖かく広がっている。だが、もうひとつ、その塊はひどく小さく、しかも、冷え切っていた。
――これがペンジュラさんの生命力。
そのあまりの小ささ、熱のなさにローデは心が冷えるのを感じた。これほどまでに弱ってしまった生命力を蘇らせることが本当に出来るのだろうか……。
――死なせないわ。
ローデは唇を噛みしめながら誓った。
――同じ母親として小さな子どもを残して死なせるなんてさせられない。必ず、生かしてみせる。
そう自分に誓った。
「……つかんだわ、グロウ。それぞれの生命力」
「よし。では、それぞれの生命力に意識を集中して。少しずつ形をかえて、繋ぎあわせるんだ。それぞれの生命力を横に伸ばして、ひとつにつなげるんだ。少しずつだぞ。いきなりやるとバランスがとれなくなる」
「……ええ」
ローデはうなずいた。
それぞれの生命力の塊を意識のなかでゆっくりと横に伸ばし、つなげていく。人間の生命力そのものに干渉し、操る。それはきわめて精緻で微妙な制御を必要とする。いくら『母の家』で魔導法を習ってきたとは言え、ローデ程度の経験では手に余ることのはずだった。それなのに、ローデは不安も迷いもなかった。
はっきりと感じていたからだ。
グロウが、愛する夫が自分を助け、制御しやすくしてくれていることを。
――だいじょうぶ。あたしはこのためにグロウと結婚したんだから。グロウとなら絶対、やり遂げられる。
その思いで操作をつづける。
「生命力はつながったか?」
「ええ」
「よし。では、次にそれぞれの生命力の大きさを合わせるんだ。大きい生命力は小さく、小さい生命力は大きく。できるな?」
「ええ」
あなたがいれば。
ローデはその思いを込めて微笑む。
「それぞれの生命力の大きさが同じになるまでつづけるんだ。同じ大きさになったらそこでいったんストップ。安定するまでその状態を維持」
「安定したかどうかは、どうすればわかるの?」
「安定すればそれぞれの生命力が脈動をはじめる。脈動するのを感じるまで、そのままを維持するんだ」
「……ああ。感じるわ。ビクビク言ってる。それぞれの生命力が。まるで、心臓みたいに脈動している」
「よし、いいぞ。それぞれの生命力は同じぐらいの大きさか? どれかひとつだけ大きすぎるとか、小さすぎるとか、そんなことはないか?」
「……大丈夫。だいじょうぶよ。生命力の大きさも脈動の早さと強さも皆、同じくらい。その状態で安定しているわ」
「よし。ここまでは成功だ。では、仕上げだ。さっきとは逆にゆっくりと生命力のつながりを絶っていく。ゆっくり、ゆっくりだぞ。決してあわてちゃいけない。あわてて切り放せばよくない影響が残る。どんなに時間をかけてもいい。できる限りゆっくり切りはなすんだ」
「……はい」
ローデは言われるままにゆっくり、ゆっくり、慎重に操作した。自分ひとりならその緊張感に耐えきれず、乱暴に切りはなしていたかも知れない。しかし、グロウが補助してくれている。支えてくれている。
その思いを感じながら、ゆっくりと、根気よく操作をつづける。
一本のロープのようだった生命力同士のつながりがどんどん細くなり、糸となり、髪の毛になる。それぐらいゆっくりと慎重に操作をつづけた。
プツン。
そんな音がした。いや、した気がした。そして、それぞれの生命力のつながりは断ち切られた。
「よし、目を開けて」
グロウのひときわ優しい声がした。
ローデは恐るおそる目を開けた。目の前に眠るペンジュラの様子を見た。結果は一目でわかった。やつれていた頬は丸みを取り戻し、肌の色艶も増している。途切れとぎれだった息もしっかり、力強くなされている。
ローデはグロウを見た。その表情は喜びに輝いていた。
「やった、やったのね、あたし! 成功したのね、ペンジュラさんは助かるのね⁉」
「ああ、そうだ。これで助かる。よくやったな、ローデ。誇りに思うよ。我が愛する妻」
その言葉に――。
ローデは思いきりグロウに抱きつきキスをした。
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