九章 下敷きになった少年

 馬車が進んでいくと嵐と落雷とで折れたのだろう。何十本という木がへし折れ、街道の上に積み重なっていた。

 「……子ども⁉」

 ローデがめざとくその姿を見つけた。

 まだ幼い子どもが倒れた木々の下敷きになっていた。ローデとグロウはあわてて駆けよった。子どもは少年だった。まだ、せいぜい一一、二と言ったところだろう。まだ生きてはいた。下敷きになった衝撃で気を失ったのだろう。ピクリとも動かない。

 ふたりは少年を木の下から引っ張り出した。

 「コースターだ」

 「コースター?」

 「これから向かう〝丘〟に住んでいる少年だ」

 「そんな子がどうしてこんな所に?」

 「……もしかして、だが。コースターの母親は体が弱くて病気がちだった。病気が悪化して助けを呼びに出たのかも」

 「大変じゃない! 早く行ってあげないと……」

 「ああ、しかし……」

 グロウは目の前のありさまを見た。

 樹齢何百年という巨木が何本も何十本も重なって倒れており、完全に道をふさいでいる。これをどかそうと思えば十数人がかりでも何日かかることか。まして、たったふたりでは……。

 「とにかく、コースターをこのままにしてはおけない。馬車のなかに運び込もう」

 馬車のなかに寝かしつけ、グロウがコースターを診察し、魔導法による治療を施す。ほどなくしてコースターは気がついた。開口一番、叫んだ。

 「グロウのおっちゃん!」

 助かった!

 幼い顔がそう叫んでいた。

 「なにがあったんだ、コースター。あんな所にひとりでいるなんて。もしかして、ペンジュラ……お母さんの身になにか?」

 「ああ、そうなんだよ、母ちゃんの具合が急に悪くなって、このままじゃ死んじまうって。だから、おれは……」

 「助けを求めて〝丘〟を飛び出した、か?」

 「そうだ。グロウのおっちゃんがそろそろ近くまで来てるはずだって聞いたから……」

 その言葉に――。

 怒りを露わにしたのはローデだった。

 「なんて無茶をしたの⁉ それがわかっているなら〝丘〟でまっていればよかったのに。わかってるの? 恐竜や魔物がウヨウヨいるラ・ド・バーンで、子どもがひとりでうろついていたら食べられちゃうのがオチよ。そんなことになったら、お母さんがどんなに悲しむかわからないの」

 両手を腰に当て、上半身を前に突き出し、思いきり眉をつりあげて叱りつける。その姿はまさに『子を叱る母』だった。

 「だ、だって……」

 コースターは口ごもった。半ば拗ねたような口調で言った。

 「……ただ、じっとしているなんて出来なかったんだよ」

 そう語るコースターを――。

 ローデは優しく抱きしめた。それから、じっと目を見つめて諭した。

 「その思いは立派だわ。でも、母親のために自分を犠牲にしようとしてはダメ。母親にとって、自分のために子どもが不幸になることほど苦しいことはないんだから。あたしも三人の子どもがいるからわかる。子どもが自分のために犠牲になるぐらいなら、自分を踏み台にして幸せになってほしい。そう思うのが母親というものなんだから。わかるわね?」

 「う、うん……」

 少年は頬を赤く染めてうなずいた。

 それまで黙っていたグロウが、顎に指を当てながら言った。

 「……ペンジュラの病気はわかっている。治療すること自体は可能だ」

 「本当⁉」

 コースターが顔中をキラキラさせながら叫んだ。しかし、それ以上に表情を輝かせ、コースター以上の大声で叫んだのがローデだった。

 妻と少年から期待に満ちた顔で見つめられ、グロウは思いきり苦虫を噛み潰した。

 「……間に合えば、の話だ。肝心の街道がすっかり倒れた木でふさがれてしまっている。たった三人でどうにか出来る量ではない。かと言って脇にそれる、などということもできない。街道の上を行くことさえ命懸けのラ・ド・バーンだ。街道をそれて自然のなかに踏み込むなど完全な自殺行為。そして――」

 とっておきの魔結晶は使い果たしてしまった。空を飛んで移動することはもうできない……。

 「でも、どうにかしなきゃ!」

 必死の叫びをあげたのはコースター……ではなく、ローデだった。

 「子どもがこんなに必死になってるのよ。お母さんだって『子どもを残して死ねない』って思ってるにちがいないわ。なんとかしてあげなきゃ」

 それが、『人を笑顔にする』って言うことでしょう。

 ローデの言葉に――。

 グロウはうなずいた。

 「……ひとつだけ、方法がある」

 「どんな⁉」

 ローデとコースターが同時に叫んだ。

 「おれが魔導法を使ってあの木々をすべて消す」

 「ええっ⁉」

 ローデは驚いて叫んだ。

 「あんな大量の木を消すなんて、魔力がもつの?」

 ある物体を別の物体にかえることができるのが魔導法。魔導士であれば街道を埋める木を別のもの――例えば、水や泥――にかえることで通れるようにすることは可能だ。しかし、それには膨大な魔力がいる。

 「たしかに。あれだけの量の木を魔導法を使って消せば、おれの魔力は尽きてしまう。間に合ったところで治療するだけの魔力は残っていないだろう」

 「それじゃ意味ないじゃない!」

 「そのために、お前がいる」

 「あたし⁉」

 「そうだ。おれの魔力が尽きてもお前がいる。お前がペンジュラを、コースターの母親を治療するんだ」

 「で、でも、あたしはまだひとりで病人を治療したことなんて……」

 「ひとりじゃない。おれがいる。魔力が尽きても魔力の操作を補助し、治療の手伝いをすることはできる」

 「で、でも、それなら、あたしが倒れている木を消した方が……」

 「おれだってあれだけの量の木を消すのはギリギリなんだ。お前の魔力では途中で途切れる。結局、おれが途中でかわらなくてはならなくなるから消耗することにかわりはない。よけいな時間もかかる。一刻を争う事態だというのによけいな時間をかけてはいられない」

 「で、でも……」

 「なんのために危険を冒してラ・ド・バーンの大地を旅することに決めた 人々を笑顔にするためだろう。その思いをここでぶつけないでどうする!」

 そう一喝してからグロウは妻を諭した。

 「大丈夫だ。自信をもて。お前は魔導法の基礎はきちんと身につけている。治療もちゃんと出来る」

 「なあ、姉ちゃん。頼むよ、母ちゃんを助けてくれよ」

 コースターが必死の願いを込めて言ってきた。ローデは少年を見た。少年はすがるような視線で自分を見つめている。

 コースターも苦しんでいる。しかし、自分のせいで子どもにこんな思いをさせてしまっている母親の苦しみはいかばかりか。同じ母親として『他人事』ですませることなどローデには出来なかった。

 「……わかったわ。たしかに、あたしは人を笑顔にするためにグロウと結婚したんだもの。いまこそ、その役割を果たすべきときよね」

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