ドリームハラスメント

近藤銀竹

夢に向かって

『昨夜八時頃、扶桑ふそう大学医学部研修棟前で、この大学に通う医学部一年、間宮まみや良太りょうたさんが倒れているのが発見され、病院に運ばれましたが、頭を強く打っており、死亡が確認されました……』


 テレビの夕方の情報番組で、医大生自殺のニュース。


「あら〜、そんな賢い人がどうしたのかしら」


 病院で会計待ちをしながら視聴していた老婆が独りごちた。


「うわ、やべえ。勿体ねえ」


 ネット版ニュースを読んでいた金髪の青年が恋人にスマホの画面を見せた。


 衝撃的な事件に、大学内は混乱した。職員は学生の混乱を鎮めるのに苦慮しているようだった。

 混乱に乗じて、テレビ局のスタッフが学内に忍び込みインタビューを敢行する。


「同じ学部でした。学ぶことに真摯な感じでした。わからないところとか一緒に調べてくれて、気遣ってくれました」

「高校、一緒で……学部違うんですけど、同じ大学だって一緒に喜んで……凄い真面目なんですけど、図書館とかで勉強してると息抜きに画集とか持ってきて……面白いところもあって……」

「(良太さんが)いつも『親みたいな医者になる』って言ってて……叶えられる大学に入って……『親を安心させられた』って教えてくれて……」


 テロップの向こうで号泣しそうな茶髪の女子大生のアップが、急にスタジオに切り替わる。

   

『ここで学部長の記者会見の様子をお送りします』


 キャスターの言葉をきっかけに画面が切り替わる。

 白い壁に長机。その上には雑草のようにたくさんのマイクが生えている。その中央にどっかり腰を掛けて迷惑そうに眉を潜めているのが学部長か。


『間宮さんは講義などでの態度も大変真面目であり、また理解も深く優秀な学生でした。なぜこのようなことになったのか、残念でなりません』

『無理な課題や行き過ぎた指導などはなかったのでしょうか?』

 記者の質問に一瞬だけむっとした学部長だったが、すぐに悲壮な表情を作り直して答え始めた。

『そういったことはないと信じたいですが、これから学内で調査委員会を設置し、原因の究明に全力を尽くすと供に、カウンセラーなどを配置して学生達の心のケアに努めたいと考えております』


 中継が終わった。


『悩みなどがあったら、無料相談ダイヤルに気軽に相談してください』


 テレビ画面にいくつかの電話番号か表示される。専門家が情報を整理して、解決策の相談に乗ってくれるらしい。


「数字が小さくて見えねえ。そもそもひとに相談するのがハードル高すぎだっての」


 居酒屋で夕方から出来上がっている酔客がコップ酒を呷った。



   ●●●●



「……この間宮良太って子……」


 とある小学校の職員室。

 偶然つけてあった消音のテレビに、頭の薄くなった老境の教師が反応した。


「ウチの卒業生じゃないか?」

「あ……ホントですね」


 テストの丸付けをしていた痩せぎすの女性教師が反応する。


「良太くんですよね。五年のとき、担任してました。すっごい勉強ができた」

「俺、六年で持ったわ。修学旅行でもリーダーとか、やってたよね」

「真面目で、みんなのお手本でした」

「ずっと、『将来の夢は医師』って書いてたよね」

「そうなんですよ。勉強が大好きって感じで。きっとなれると思っていましたけど……」


 職員室は暫し、卒業生の訃報に騒然となる。


「角野先生も担任してましたよね?」


 一人の教師が、デスクでひとことも発せずテレビをぼうっと見ていた茶髪の教師――角野に声を掛けた。この角野という教師、茶髪なだけでなく、結婚指輪以外のアクセサリーを身に着けたり、男性であるにも関わらず耳にはピアス穴があったりと、あまり管理職受けがよくない。

 角野は、声の主に顔を向ける。


「ええ、受け持っていました。ボクは四年のときですね」

「やっぱり勉強大好きなみんなの手本だったのか?」

「勉強はほぼパーフェクトだったと思いますけど……どうですかね」


 角野はデスクから角4サイズの封筒を取り出した。中からB5版のイラストボードを取り出す。

 そこには、アルコールマーカーで彩色された鮮やかなイラストが描かれていた。湖畔の景色と微笑む少女の絵だ。

 五年生時代の女性教師が露骨に軽蔑の色を浮かべる。


「なんですか、急に?」

「これですか? もらったんですよ……良太君に。進級の直前に」

「え……」


 女性教師は一瞬で軽蔑の表情を消し去る。

 角野は奇異の視線に晒してしまったイラストを、再び封筒の中へ避難させた。


「良太君、四年生のときの『将来の夢』シートを二枚書いてるの、知ってますか?」

「ずっと医者になりたかったんじゃないのか?」


 老境の教師に、角野は頷きを返した。


「ええ。ボクが『夢だからね。でっかく、勉強や運動の得意不得意じゃなく、おうちの人の勧めでもなく、思ったとおりに書いてごらん』って指導して、良太君もその通りにしました。次の日、くしゃくしゃになったシートを持ってきました。お医者さんのご両親に酷く怒られたそうで、『もう一枚ください』と言ってきたんです。渡したシートに、良太くんはその場で『将来の夢は医師』と書き、それはもう立派な、まるで面接の模範解答のような理由をよどみなく書いた。そのあとはずっと、先生方のご存知の通り、完全無欠の優等生良太君ですよ」


 職員室は静まり返っていた。


「……そのあと、彼は将来の夢を書く機会があるたびに『医師』『医師』『医師』、と書き続けて……」


 言いながら角野はテレビに映された高校の卒業アルバムの写真を指さす。


「……あれ、です」


 老境の教師は写真に凝視されたかのようにしどろもどろになっていた。


「いや……確かに……しかし……親御さんとの相談が……」


 その姿を見て、角野は寂しげに微笑んだ


「『夢』って、なんですかね……」


 テレビの中の良太は、彼に医師になることを強いた全ての人間の内心を焼こうとするかのように、じっと正面を見つめていた。





「彼ね……本当は、絵師になりたかったんです」

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