第5話

 二度目の私小説を書く機会が訪れた。小説投稿サイトの企画で私小説を募集していたのだ。年始に書いたものとは方向性の違う内容を書きたいと思った。これを機に、いまだ断ち切れていない未練を捨ててしまいたかった。研究の道を諦めるのは必然的な流れであったということを、確かめようと思った。


 母から突然手紙が来るシーンから始まる。手紙には、母が入院したということが書かれている。わたしのためを思って、秘密にしていたのだけれども、もう堪えきれなくなったのだ。


 母の急病と、手術が控えていることに動揺し、間近に迫っていた学内での研究報告会の準備に身が入らず、本番では制限時間を超過するという失敗をしてしまう。質疑応答では一悶着あり、わたしの指導教員は、別の大学の研究室へ行くことを勧める。


 しかし、研究室を移るとなると準備期間を含めて時間がかかるし、行く当てがはっきりしているわけではない。術後も身体に後遺症の残る母、死への恐れのために鬱病になった祖母、単身赴任中の父、――作中では書ききれなかったが――老衰していくリク。家族のことを考えると、これからは、みんなのために生きなければならない。そう、決意する。


 この私小説の推敲をしながら、考えてしまう。創作活動も止めればいいじゃないかと。

 わたしは――お前は、お前のためにしかならないことを、まだしているじゃないか。なにが家族のためだ。

 架空の人物を登場させて、作中のわたしを叱りつけたくなる衝動に駆られた。


 投稿をする準備が整った。明日から連載することに決めた。最後に、もう一度通して読み返すことにした。書くことのできないことは、たくさんある。私小説の宿命だ。それでも、気持ちの整理にはなった。


「これから、一度でも目標を達成することができなかったら、小説を書くことも止めてしまおう」


 いままでしてこなかったこと、なにかを言い訳にしてやらなかったこと――そうしたことを目標として設定する。そして必ず成し遂げる。自分との約束事だ。


 わたしはいままで、原稿用紙50枚分以上の小説を書いたことがなかった。もし物書きとしての能力と技術を伸ばそうとするのならば、そして様々な形の小説を作っていこうとするのならば、もっと長い文字数の小説を書くことができなければならない。そう思ったわたしは、むかし考えていた物語の構想を頭のなかから引っ張り出して、一作に仕上げることに決めた。


 夏のお話だ。絶え間ない努力のすえに夢を叶えた姉と、そんな姉に対して劣等感と愛情を同時に抱いてしまい気持ちの調停ができない弟との、ひと夏の交流を描く。「交流」というところに入る、具体的な内容をどうするか。わたしの頭の中にあったのは、トレーディングカードゲームだった。ふたりは、カードゲームでの対戦を通して、抱えこんでしまった複雑な気持ちを解きほぐしていく。


 しかし、長ければいいというわけではない。ページ数は限られている。お金の問題がある。数百頁の同人誌を作るには、わたしには手に負えない金額を要することになる。いまの自分の財布事情に合うのは、おおよそ100ページ前後であろう。


 それでも、いままで書いてきた小説のなかで、一番長いものになることは間違いなかった。こうして、わたしの最初の闘いが始まったのだった。

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