第10話

 反対側のホームの人だかりを見ていると、進むべきところに逆行していく自分への比喩を見出してしまう。わたしたちは、一時のポリフォニーを終えて「居場所」へと戻っていく。それは、一緒のはずだ。それなのに、この寂寞は一体どこからくるのだろうか?


 この駅を裂くように斜めに走っている陽にはもう、熱のようなものは残っていない。指で氷を何度もこするときに感じる、あの痛みのようなものが、わたしの心の中にある。疲労がどっと押し寄せてきて眠くなる、というところを通り越して、癒えない傷を心身のどこかに作ってしまったという喪失感のようなものが強調されて、眼が冴えようとしている。


「新刊を手に取ってくれた方に、最後まで読んでいただけたなら……」

 肌にまとわりつくような、手触りのある風が吹き抜けていった。


     *     *     *


 コンテストは惨敗続きだった。自信を持って送り出した小説は、どの賞にも輝くことはなく、場合によっては「0PV」のこともあった。SNSをしていない弊害といえば、他責になってしまうだろう。しかし、それがひとつのファクターとなっていることも事実に違いない。SNSの宣伝力はあなどれないのだ。


 が、どれだけ書いても結果が伴わないのは、自分の実力のせいに他ならない。もしかすると、わたしには才能がないだけではなく、才能を涵養かんようする入れ物のようなものもないのではないか?


 だとするならば、書き続けることが一体なにに……いや、そもそもわたしは、なにを目的にして小説を書いているのだ? プロの作家になりたいと思っているのか?


 トイレに駆け込んで、胃液をはきだした。怪獣の手で締め付けられるような頭痛は、止むことがない。一カ月に一度、必ず、この発作に襲われる。予兆はない。突然、動くことが苦しくなるほどの頭痛と吐き気がき起こる。ストレスに起因しているものだから、精神的な負担が減らない限り治ることはないだろう、そう医師からは診断されていた。

 

 しばらくして、リクの呼ぶ声が一階から聞こえてきた。喘ぎ喘ぎ階段を下りていくと、うつろな目をした祖母が椅子に座っていて、ずっと冷蔵庫の方を見ていた。

「どうした……リク? 足か?」

 リクのれた黒い鼻が、わたしのすねに押し付けられて、後ろ向きに押し倒された。尻もちをついたまま、ももの間にリクを迎え入れて、「かわいいなあ、リクは、え子さんや」と声をかけて、首をでた。寂しかったのだろう。


 鬱病の祖母の前だけに、体調の悪さを押し隠して、昼食の準備をはじめた。食べ物を見るだけで、フライパンのなかに胃液を吐き出しそうになる。


ようちゃん、お母さんは、わたしのことを見捨てて、どこかへ行ってしまうんやろか」

 祖母の口から繰り返される不安の言葉は、もう聞き慣れてしまった。それでも、何度聞いても悲しくなる言葉だ。


「なんでお母さんは、仕事に行ってしまうんやろか。あんな身体やのに」

 母は、昔から続けてきたバイトを、いまも辞めずにいた。それは母がまだ、少しは働くことができるということの証左であった。が、そこには、祖母と毎日一緒にいることに対する、息苦しさから逃れたいという気持ちもあるらしかった。


「急に辞めることは、できひんから……そんな理由やと思うで」

 実家に帰ると、わたしの言葉はすっかり方言に置きかわってしまう。この変化は、いまのわたしの心境を映す鏡のようなものに思えなくもなかった。


「先に食べてて」と言い残して、喘ぎながら二階へと上がり、トイレのなかに胃液をいた。頭の痛みが、さらに激しくなってきた。

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