35 二番組の夕べー3

 村長の屋敷は、村を見下ろす小高い丘の斜面に沿うようにして建てられていた。

 だから、その端にある離れの軒先からは、ちょうど丘の下にある裏庭が見渡せた。


 年少のじゅうし士たちが、夕餉の支度をしている。何やら少し揉めていた様子だったが、それが収束すると、椎菜しいなと言葉を交わしていた二緒子におこがふと、梅の花が綻ぶような笑顔を見せた。


 その光景を、数馬かずまは、離れの濡れ縁から、見つめていた。


 五年前、勝者の息子と敗者の妹として対面して以来、真垣まがきでも『えき』の現場でも、いつも兄の傍らに小さく縮こまって、一般の人々が妖種ようしゅに向けるものと同じ眼差しでこちらを見ていた少女。

 鬼堂家も黒衆も居ないところではあんな風に笑うんだな、と気付いたのは、いつのことだっただろう。


 改めてその事実を想えば、胸奥に抱え続けている乾いた風の音が、一際大きく軋んだような気がした。


 二緒子に限らず、大半の八手やつで一族が自分に向ける眼差しは、五歳の夏まで暮らしていた花街の裏路地で、母や叔母たちを始めとする女たちが、目の前を行き交う男たちに向けていたものと同じだった。

 生きる為に目の前の男に傅きながら、いつ気まぐれに殴られるか、奪われるかと怯えている、そんな眼差しだ。


 幼かった頃の数馬は、母たちと共に、その眼差しを向ける側に居た。

 だが、今は、向けられる側に居る。あの頃は心底から恐怖し、それ以上に嫌悪していた、傲慢で理不尽な暴力を振るう側に居る……。


「お呼びと伺いましたが」


 どこからともなく現れた甲斐かい源七郎げんしちろうが、濡れ縁の脇の地面に片膝をついた。


 掛けられた声に、数馬は、つかの間沈んでいた思考の淵から、顔を上げた。


「足労をかけた、甲斐。こっちへ上がって、座ってくれ」

「は?」


 視線を転じて、濡れ縁の上を指すと、源七郎が戸惑った顔になる。

 当然だろう。黒衆と戎士が対峙する時は、人間は壇上、真那世は地面の上、が鉄則なのだから。


「少し長い話になる。そこでは冷えるだろう。構わないから、上がれ」

「はあ……。では、失礼して」


 ぽりぽりと後ろ髪を掻いて、源七郎はその場で戦草履いくさぞうりを脱ぐと、ひらりと跳ねて、濡れ縁に上がった。端の方に跪き、畏まる。


「それで、お話とは?」

「これから向かうことになる央城おうきの情勢について、私が知る限りのことを、お前たちにも話しておきたい」

「ほう?」


 自身もその場に腰を下ろし、正面から向かい合って返答すると、源七郎は軽く目を瞠り、顎先を撫でた。


「宜しいのですか? 主公しゅこうは常々、真那世まなせに余計な知識を与える必要はない、と仰いますが」


 余計な知識は、余計な考え――反抗や造反に繋がるから、と言うのが、鬼堂興国おきくにの持論だ。異形の手駒に自意識や自己判断など必要ない。『使』同様、ただ術者の命令に従ってさえいれば良いのだ、と。


「その結果が、斗和田とわだでの、あの惨禍だ」


 数馬は恬淡と言った。


「あの時、お前たちはただ『真神まがみを狩る』とだけ聞かされて、斗和田のほとりに、その真神を奉じる術者の一族が居ることを知らされていなかった」


 その結果、いきなり人の術者との戦闘に遭遇した八手一族は、混乱に陥ることになった。神和かんなぎ一族の想定外の抵抗と一也が振るってきた想像外の神力ちから以上に、その混乱状態が、犠牲者の拡大に拍車をかけたのだ。


『力と恐怖で支配し、屈服させることで利用できるものなど、そう大したものではない』


 真垣の一件で、九条ゆかりが浴びせてきた嘲弄を思い起こす。

 全く、その通りだ。

 だから、あの時、父に向って『戎士たちの扱いや鬼堂家の在り方を考え直してくれ』と言ったのは、数馬の紛れもない本心であり、心底からの願いだった。


 だが、父には伝わらなかった。

 あの時、水守家の兄弟と八手一族の二人が、力でも恐怖でもないものを理由に数馬の傍らに残り、真神の『使』を退けて、鬼堂家と黒衆を壊滅から救ってくれたというのに。

 未だに真那世たちを『化け物』と見下し、厳酷で高圧的な振る舞いを止めない。


 しかも、成人年齢に達して黒衆の列に並んだ異母弟の兵馬ひょうまが、そんな父親と全く同じ態度を取るようになっている。

 その上、数馬が戎士たちの立場や権利を擁護しようとすれば、必ずと言っていいほど反対し、父がもともと持っている真那世たちへの根深い恐怖や嫌悪、猜疑心を煽り立てるような発言ばかりを繰り返す。


 その根底に見えるのは、露骨な父親への媚びであり、数馬への反発心だった。

 現況、兵馬は、実力では全く数馬に歯が立たない。だからこそ、父に迎合して歓心を買うことで異母兄を抑え、鬼堂家後継の地位を確立させたいのだろう。

 だが、その結果、兵馬の発言は、『父を喜ばせる為』や『数馬への反対の為の反対』になっていることが多く、数馬としては頭の痛いことになっている。


 その最たるものが、今回、上洛と九条家との会談という一大事に万全を期す為という理由で、薫子かおるこ四輝しきを本陣に帯同させることにした一件だった。


 数馬には、そんな真似は、長十郎ちょうじゅうろう一也いちやの神経を逆撫でするだけで、何の意味もないとしか思えなかった。

 だからこそ、制止しきれず決定事項となった時、戎士たちの反発は必至だと暗澹たる気分にも襲われた。


 だが、まさか、その反発が恐怖にまで転換されて、長十郎たちが力ずくで四輝を水守家から奪取しようとするとは、夢にも思わなかった。

 挙げ句、八手一族の組長たちと水守家が危うく総出で殺し合いかけ、しかも、その事態を身体を張って止めた伊織いおりが大怪我を負ったと聞いた時は、つかの間とはいえ、呆然自失に陥った。


『俺たちは、獣でも妖種でもない』


 その事実を、月番で真垣に居た為に、数馬と共に後から知ることになった七尾ななお清十郎せいじゅうろうは、そう言って声を震わせた。


『だから、九条家が真那世を見つけ次第処分するという方針を掲げているなら、現況では、鬼堂家の下につく方が一族全体の利益になると、その程度の算盤を弾く頭は持っている。『質』のことがなくとも、だ』


 鬼堂式部が真垣に根を下ろして以来、鬼堂家の傘下に入った人間の豪族たちや武士団たちも、同じように、戦力や労力を提供することによって、領地の保証や庇護を得ている。


 ただ、人間の場合は、互いの損得勘定による主従関係で収まるが、真那世のそれは、飴と鞭による隷従関係に押さえつけられている。


 それは偏に、鬼堂興国や黒衆の幹部たちが、根源的に異なる生き物に対する根深い恐怖や不信、嫌悪や忌避の感情を払拭できないからだ。


『俺たちに怨まれている自覚がおありなのは結構だ。だが、だからと言って、従順に振る舞えば振る舞うほど嵩にかかって抑えつけ、如何に犠牲を払っても、大切な者たちを救うどころか、無為に傷つけるばかりというなら、俺たちの我慢にも限度がある。主公は、それをこそお望みなのか』


 放たれた怒りに、悲憤に、返す言葉は無かった。

 造反の兆しと受け取られかねない言葉が父の耳に入らないよう、ただその激昂を受け止めるだけで精一杯だった。


 その直後のことだ。


 今度は、水守家の監視役として羽黒はぐろの里目付の役邸と里内を行ったり来たりしている黒衆の下人、綿貫わたぬき惣五郎そうごろうが、一也からの書状を携えて、数馬のところへやって来た。


 内容は、鬼堂家に対する批判と陳情――要約すれば、七尾清十郎の叫びと同じ、『九条家への対抗策として我々を利用したいなら、いい加減に対応を考え直せ』というものだったが、手蹟も文章もそんじょそこらの文官顔負けの見事さだったことに、数馬はまず驚いた。

 これほどの文章が書ける者は、黒衆にもそうは居ない。

 おまけに、最後まで読み終えると同時に紙面から文字が浮き上がり、四散してしまったのには、度肝を抜かれた。

 鬼堂興国や嶽川朧月に目に触れると、また余計な癇癪を起されかねない内容だから、自分と数馬の立場の両方に配慮したのだろうが。


『相変わらず、大したものだ……』


 一也が事あるごとに示す教養も見識も技術も、彼を育てた神和一族の術者たちの高邁な精神性と高度な技量とを顕すものだった。


 だからこそ、何度も突き付けられる。

 先祖の偉業を誇るあまり、神狩一族の知識や技のみを神聖視し、他の系統の術者たちを全て格下と見下していた父や朧月たちの傲慢さが、結局は井の中の蛙でしかなかったという事実を。

 そして、真那世という存在は、決して、父たちが言うような『化け物』などではない、ということを。


 だから、これまで何度、自らの胸中でのみ繰り返したかわからない繰り言が、また零れ落ちた。八手一族に出会った時、祖父がもっと別のことを考え、もっと他のやり方を選んでさえいたら――と。


「数馬様? どうかなさいましたか?」


 訝し気な呼びかけが耳に届いて、数馬はハッと我に返った。

 滲みかけたものを、いつもの無表情の裏に押し込め直して、ゆるりと首を振る。


「何でもない。とにかく、父の許可は取っているから、心配は要らない」


 清十郎の悲憤と一也の書状に促されて、数馬は、『万全を期すどころか、上洛前に戎士組の体制を崩壊させるところだったではないか』と、今からでも薫子と四輝を里に残すようにと翻意を願った。


 だが、鬼堂興国は、これまた相変わらず、危うく同士討ちを演じるところだった真那世たちを無能だ何だと罵るばかりで、自らの過ちは認めなかった。

 辛うじて、『斗和田の轍を踏まぬ為に』という理屈を展開して戎士たちへの情報開示に許可を求めた数馬に、了承を与えただけだった。


「央城の情勢や、事と次第によっては対峙するかもしれない九条家のことなら、私だけではなく、他の組の者たちも知りたいと思いますが」

「それも心配は要らない。お前に話す内容は、出立前に書簡にして、一也と長十郎にも送っておいた」


 七尾清十郎や萩原はぎわら征八せいはちを始め、本陣や後陣に付くことになっている戎士組には、長十郎から話が回るだろう。

 先陣の源七郎には、自分が直接話をする。

 それで、黒衆と戎士組全員に、情報の共有が為されることになる。


「その上で、この先、もし私が間違っていると思うことがあったら、指摘して欲しいと思っている」

「そういうことならば、謹んで拝聴いたしましょう」


 そう言った数馬の顔をつくづくと眺めて、源七郎が居住まいを正した。


「数馬様は、以前から、我らを化け物でも道具でもなく、知性と意志を持つ麾下として扱って下さっていた。そのあなたが、一方的に従えるのではなく、共に事に当たって欲しいと願われるなら、我らとしても望むところです」

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万有の天 相克の大地 佐々木凪子 @sasanagi

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