34 二番組の夕べ-2

「組長の私事にずけずけ口を出す暇があるなら、作業に集中しろ」


 いつの間にか、副長の伊吹いぶき椎菜しいながその場に来ていた。

 彫刻師が氷を使って彫り上げたような、と評される容貌は、相変わらず、冷たい印象を与えるほど整っている。

 だが今、その両眼には、一郎太いちろうた以上の怒りと苛立ちとが滲んでいた。


「ふ、副長」

「そ、そんな怒らなくても。すぐやりますよ」


 新人二人が、ぴょこりと飛び上がって、炉の方に屈み込んだ。

 ただ、ちらりと椎菜を見やった目つきには、微量だが不快の光があった。『女のくせに』という囁きが、二緒子におこと三朗の耳をかすめた。


「組長、数馬かずま様がお呼びです」


 そんな二人を一睨みしてから、椎菜は源七郎げんしちろうに視線を向けた。


「こちらは代わりますから、お出向きください」

「そうか。わかった」


 特に表情も口調も変えぬまま、源七郎が立ち上がる。

 手桶の水でざっと手を濯ぎ、使っていた小刀を椎菜に渡し、通り過ぎ様に一郎太の肩をぽんぽんと軽く叩いてから、踵を返す。


 一礼して見送った椎菜が、代わりにそこに腰を下ろし、芋を手に取った。一郎太も、憤りの残滓を残した顔つきで、腰を据え直す。

 その二人に挟まれる格好になった二緒子と三朗にとっては何とも気詰まりな空気だったが、そう長くは続かなかった。


「あっ、と」


 椎菜の小さな声が上がり、皮ごと切り飛ばされた芋の上半分が、空を飛んだ。

 自分の方に飛んできたそれを、二緒子は慌てて受け止め、勿体ないとばかりに皮の部分だけを薄く剥いて、実の方は鍋の中に入れた。

 ぴっ、ぴっ、ぴっ、と何度か同じことが繰り返されて、芋のかけらが四方八方へ舞う。その度に、二緒子は空中でそれらを捕まえては、鍋に戻した。


「――すまない」

「いえ……」


 二番組の副長だけあって、椎菜は、神力ちからはもとより、剣や体術の技量も、組内で一、二を争う実力者である。二緒子も三朗も、彼女が組の戎士たちに稽古をつけている様子を見たことがあるが、新人の若手たちはもとより、相手が一回り以上年上の男でも、容赦なくぼこぼこにしていた。

 だが、調理用の小刀は扱い慣れていないのか、その手つきは何とも覚束ない。一郎太といい勝負だった。


「――女のくせに、芋の皮もまともに剥けないんだ」


 そんな様子を見るともなく見ていた唐吉郎とうきちろう清策せいさくが、ぶふっ、と小さく息を吹いた。


「組長と副長がどうのこうのって噂を聞いたことがあったけど、やっぱり無いよな」

「無い無い。副長、顔はともかく、きついし愛想笑いの一つもしないし、平気で大の男を吹っ飛ばすし。あんなの女じゃねえって」

「組長も、実はうんざりしてんじゃないの? 女を部下にするなら、もっと気配りのできる優しい女なら良かったのに、ってさ」


 無視を決め込んでいた椎菜の手が、一瞬だけ止まった。


「お前ら、本当にいい加減に――」


 三朗の横で、一郎太が再び額に青筋を立てた時だった。


「痛えっ!」


 二人分の悲鳴が上がった。


「え?」

「お?」


 三朗と一郎太が、同時に目を丸くする。


「あ、ごめんなさい」


 その二人の視線の先で、二緒子は首だけを巡らせ、言葉だけで謝った。


「つい手が滑ってしまって」

「はあ⁉ 何が手が滑っただ。わざとだろ!」


 振り返った唐吉郎が、自分の足元に落ちている芋を見下ろして喚いた。


 確かにその通りだった。二緒子は、手の中に持っていた芋を真二つに割ると、立て続けに指先で弾いて、二人の後頭部にぶつけたのだった。

 正にその瞬間を目の当たりにした三朗と一郎太が唖然としている間に、二緒子は立ち上がり、礫代わりにした芋を回収すると、手桶の水で丁寧に洗った。


「どういうつもりだよ、化け物女!」

「唐吉郎さん、私は水守二緒子です。化け物女という名前ではありません」


 怒鳴りつけて来た相手に、二緒子は努めて冷静であろうとしているような視線と言葉を返した。


「伊吹様は、気配りのある優しい方です。真垣まがきを出発してから毎日、誰よりも早く起きて物資や武具の点検をなさったり、一番遅くまで見回りをなさったりしておられますし、いつだって黒衆や武士団の方々と私たちとの間に立って、余計な混乱が起きないよう細かく気を配って下さっています。以前、『えき』でご一緒した時もそうでした」


 椎菜が、驚いたように二緒子を見た。


「鍛錬で厳しくされるのも、あなた方を死なせたくないからです」


 八手やつで一族は、里の中に居る限り、命を脅かされるようなことは滅多にない。

 妖種が出現すれば手練れの戎士じゅうしたちがすぐ排除するし、黒衆くろしゅう以外の人間が入り込むことは不可能だから、真那世まなせであることを理由に襲われたり傷つけられたりする心配もない。

 水守家が入ってくるまで、里の中に居るのは、皆気心の知れた同胞だけだったから、異なる背景を持つ他者とぶつかり、否定し合ったり肯定し合ったりといった葛藤を重ねる、といった経験すらも無い。


『質』と戎士組という贄を鬼堂家に差し出すことで、それ以外の者たちは、衣食住だけは保証された檻の中で、安寧を享受している。

 この四十余年、八手一族を取り巻いていたのは、そんな環境だった。


 だから、中には、外の世界での出来事を、我が事として捉えられない者が少なくないのだ。

 特に、祖父や父など、近しい身内に戦死者が居なかったりすると、『自分も大丈夫』と根拠もなく信じてしまい、『外へ出たら無事に戻って来られる保証は無い』という現実が中々理解できない者も居たりする。


 それで、実戦を見据えた鍛錬の厳しさに不平不満を垂れたり、その相手が女性であることを理由に文句を言ったりするのだろうが、二緒子にとっては信じられない話だった。


 二緒子自身、の国に連れて来られた日から、一也いちやに神剣や神力の使い方の特訓を受け、それこそ、毎日足腰が立たなくなるまで打ち据えられていた。

 平和な村の平和な暮らししか知らなかった二緒子にとっては辛いなどというものではなかったが、一也の厳しさは、自分を生き延びさせる為のものだとわかっていたから、苦痛に涙することはあっても、不満や文句などは考えたこともなかった。


「妖種も人間の敵も、年齢だの性別だので、手控えてなどくれません。戎士には、投降の権利も逃げる自由もないから、力が及ばなければ殺されるだけなんですよ」


 既に嫌というほどその現実を知ればこその言葉だったが、唐吉郎と清策の顔に、忠告を受け入れて恥じ入る表情は浮かばなかった。

 逆に、それこそ『女のくせに生意気な』という雰囲気だけが膨れ上がった。


「二緒子、もういい」


 二人が何かを言い出すより早く、椎菜の声が割って入った。


「唐吉郎、清策、女に指示されるのが嫌なら、さっさと一人前になって、お前たち自身が組長や副長を張れるようになればいい。その為の早道は、一々無駄に反発せず、やるべきことをやりこなすことだ」


 唐吉郎と清策はむっと眉根を寄せたが、流石に、直に声を掛けられたからには、『これ以上はまずい』という判断が働いたのか、ようやく口をつぐんだ。

 ただ、謝罪の言葉は一切なく、無言で背を向けただけではあったが。


「すまなかった」


 その様子に一つ肩を竦めてから、椎菜が二緒子に視線を移した。


「あの程度の雑言、私には日常茶飯事だから、つい無視する癖がついていたんだけど、気を遣わせたな」

「――余計なことを申し上げました」

「いや、有り難かった」


 小さくなった二緒子に、椎菜が首を左右に振る。


「女であることを褒められたいなら、親が決めた誰かの妻になればいいだけだ。でも、私は嫌だった。戎士になりたかった。だから、あんたがあんな風に言ってくれたことは、その、嬉しかった」


 氷のような容貌が、僅かに動く。


「そのあんたには、選ぶ自由なんて無かったのにな……」

「え?」

「いや――」


 幽かな声で呟いてから、細く深く息を吐いて、椎菜は身体ごと二緒子に向き合った。そして、頭を下げた。


「今更だけど、あの時は、すまなかった」

「? 御館でのことなら、もう」

「そっちじゃなくて。いや、そっちもだけど、以前、あんたと水守一也が二番組に入った時だ。組長を助けてくれようとしていたのに、私は疑って、随分と酷いことを言った」


 そういえばそんなこともあった――と、二緒子は思い出し、そして、首を振った。


「いいんです。斗和田とわだのことがあったばかりで、私や兄様を信用できなかったのは当たり前ですし。何より、伊吹様は、甲斐様のことがとても大事だから心配なさっていただけだって、わかっていますから」

「だ、大事って――それは、副長として、当然のことだから」

「はい」


 一瞬、焦り顔になった椎菜に、二緒子は、にこ、と淡く透明な微笑だけを返す。


「だから、伊吹様は立派な副長でいらっしゃるし、女性としても素敵な方だと思います」


 ぼふん、と音を立てて、椎菜の顔が赤くなった。


「――副長が照れてる」

「――初めて見た」


 思わずといった様子で、三朗と一郎太が囁き合う。

 そちらを軽く睨んでから、椎菜は、ごほん、と咳ばらいを響かせた。


「じゃあ、その、何だ、副長としては、組長がお戻りになった時に夕餉の支度が終わっていないという事態だけは、何としても避けたい」

「はい」

「だから、その――芋の皮剥きのコツ、教えてくれる?」

「え? あ、はい!」


 一瞬、きょとんとした二緒子が慌てて頷くと、氷のような顔がちょっと揺れる。

 笑ったのだと、一拍遅れて気付いた。


「――二緒子殿って、いつも水守殿やお前の後ろで俯いてる印象で、大人しいばかりの人かと思っていたけど、実はそうでもないな?」

「ああ」


 少し角が取れた椎菜が、少し緊張が解けた二緒子に教わりながら、真剣な表情で芋の皮剥きを開始する。

 その様子を見ながら、一郎太がこっそりと囁きかけてきたので、三朗は頷いた。


「姉上は、戦いや暴力が嫌いなだけで、心の芯はとっても強いんだ」

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