残滓



「花火までもうちょい時間があるな。どうする?」


「……砂浜行きたいかも」




 この土地に着いた時、潮に匂いに驚いた。

 海を初めて見てその大きさに驚いた。


 小さい島の中に沢山の観光客がいて更に驚いた。


 神社の参道を寄り道しながら楽しんで、お金を払わないと乗れないエスカレーターに乗って、頂上の展望台から景色を見渡して――


 植物園があったり、お猿さんがいたり、ゴーカートやレトロなゲームセンターがあった。


 何もかもが初めての経験で俺と堂島は驚きの連続であった。


 お互い笑い合い、時には食い物を奪い合ったり、時間が過ぎるのがあっという間だった。




 多分、これが幸せな時間っていうんだろう。




 俺も堂島も日常生活を経験した事がなかった。もっとも、記憶を失くした優太は知らねえけど。


 そんな俺達は今まさに青春している、と心から思えたんだ。




 島を出て海沿いを歩く。

 国道にはサーフショップや居酒屋、それに俺達が大好きなサイゲリアがある。


「サイゲがあんぞ! すげえな」


「……ドリア、食べたいけど我慢」


 屋台で色々食べすぎたからお腹が一杯だ。

 島から離れて海を歩くと、また雰囲気が違ってくる。

 たしかここから歩いて三十分のところが花火会場だ。


「ここから砂浜に降りてみるか」


「う、うん。……うわ、本当に砂だ」


 夕暮れ時の浜辺は人が少なかった。それでも、遠くから浜辺に向かっている人が見える。


 きっと花火になったらここも一杯になるんだろうな。


 堂島が俺のシャツの袖を引っ張る。


「ちょいちょい、ここに座って夕日観るし」


「そうだな、ていうかすげえキレイだな……」


 それっきり俺達は言葉を失う。


 失ったものが多すぎた人生だった。

 ただただ夕日を観ることなんて人生でものすごく贅沢な時間なんだ。


 ……そっか、これが思い出なんだな。


 俺と堂島が確かにここで過ごした思い出。

 一生消したくない。


「なあ、堂島。小学校の頃の事覚えてるか?」


「いつ?」


「卒業一ヶ月前かな? 堂島がみんなと別れたくないって言って大泣きしてさ」


 堂島がただ俺の顔を見ていた。


「それで……、あれ? 俺達どうしたんだっけ? やっぱそこらへんの記憶がねえんだよな」


 堂島が何か言おうとしているが、胸が上下するだけで言葉を発さない。


 なんか俺変な事言ったか?

 そろそろ移動した方がいいか、混んじまうよな。


 俺は立ち上がってお尻についた砂を落とす。

 堂島はなぜか立ち上がらなかった。







「……やっぱり、あの時……、優太。あのさ、私達が一緒のクラスになったのって何年生の頃?」


「えっとな、それは……、わりい覚えてねえわ」


「私達……、一緒にいろんな事したよね? 合同試験で他のクラスと対戦したり。ねえ、どんな試験だった?」


「そりゃ……。あれだよ、みんなで……」


「ねえ、他のクラスメイト六人の名前思い出せる? 学校の関係者の事わかる?」


「……堂島あやめ、藤堂剛……、堂島菜月……」




 俺は立ち尽くしてしまった。

 今まであまり深く考えたこともなかった。


 俺は、雰囲気でしか小学校の事を覚えていない。


 あそこで苦しい記憶がある。――何をしたか答えられない。


 大切なクラスメイトたちがいたんだ。――名前も覚えていない。顔も堂島しかわからない。

 そもそも藤堂の事も堂島あやめのふんわりとしか覚えていない。


 俺は知っていて喋っていたのか? それとも……この短期間で記憶が消えたのか?


 高速思考で自分の身体をスキャンするように調べる。



 ……なんだこれ? 俺、今日、どうやってここに来たんだ?



 ――感覚で理解した。俺は虫に食われたかのように、記憶に歯抜けが生じていた。




 ***




 だが、まだ大丈夫だ。

 堂島に心配かけちゃ駄目だ。今日は花火大会なんだ。

 この一週間楽しみにして待っていた日なんだ。


 後輩と堂島と三人で……、『何か』をした後、ドリアとカルボナーラを食べながら……、そう、花火だ。花火のチケットをもらったんだ。


 ……は、ははっ。んだよ、記憶が消えるって、なんだよ。俺、こんなのを何度も経験してんのかよ。これは違うんだ。記憶を消去しているんじゃなくて、消えていくんだ。



 記憶が人の人格を作り上げる。

 俺はこの前意識を取り戻したばかりだ。小学校からずっと眠り続けて、いきなり高校生になっていた。



 もしも、俺がここで完全に記憶が消えたら――


 堂島への気持ちはどうなるんだよ……。



「……エリさんも同じ経験したし。……てか、私、優太の身体が限界って知ってるし。……だって、だって、堂島あやめがわざわざ優太のところに来たんだよ? あいつが来ると誰かが『出荷』されるんだし……」


「ちげえよ。俺はまだ限界じゃねえよ。ほら、立ち上がって一緒に花火行こうぜ」


 堂島の口が震えていた……、どうしたんだ?



「……昨日、学校で話したし。今日、花火大会、延期になったって」


「えっ、嘘だろ? だってこんなに人がいるし、後輩だって堂島だって楽しみにしてただろ? 」


 堂島は言いづらそうしながらも俺の本当の事を言ってくれた。


「……あっちのお寺で今日夏祭りやってるし。……昨日はそれに行こうって話で」


「え?」


 今までの記憶消去とは違う。

 自分が覚えていた記憶と周りの記憶が違う。


 それはまるで自分がこの世界から取り残された気分であった。


 それでも――


「後輩も私も、どうすればいいかわからなかったし。だって、だって、優太、忘れてて、すごく楽しみにしてるんだもん! ――でもね」


 俺はどんな顔をしているんだろう? 

 そういえば、なんで堂島の事を意識し始めたか覚えていない。

 恋なんてきっと突然するものだと思っていたんだ。




「私は大丈夫、だって感情破壊リセットすれば痛くないし」




 俺はここで堂島の事を否定できるのだろうか?

 それはとても無責任な事なんじゃないか。


「あやめが言ってた。本当はあやめが来た日はもう限界のはずだった。『出荷』送りを報告するために来たのに普通だったから驚いていたみたい」


「そっか……」


 もしかしたら、優太が記憶を消去した時はもう限界だたのかも知れないな。


 なら今の俺はただの残り滓じゃねえか。

 こんな俺が堂島の隣にいられるわけない。


 俺はストンと砂の上に再び座った。






「……俺さ、なんか知らねえけど、堂島の事気になってたんだよな」


「うん」


「きっと小学校の頃から気になってて、やっとあの教室で出会えて、なんか感じたんだろうな」


「う、ん」


「確かに記憶がどんどんなくなって行くのがわかるわ。昨日食べた飯が思い出せねえよ」


「……この世界は奇跡なんて起きないし。……私は感情が薄いから、別に、優太が記憶なくなっても、困らないし……」


「そっか」


 バレバレの嘘だろ。

 じゃあなんで泣いているんだよ。俺もなんか涙が止まらねえよ。


 俺達、泣いてばかりだな。



 ――俺、堂島の事忘れたくねえんだ。堂島の事大好きなんだ……。



「…………っ」



 想いを伝えられない。記憶を失う俺はただの重荷になるだけだ。

 堂島には後輩がいる。それに友達だってできたんだ。



「あーー、俺がもっと強ければよかったんだな。全部覚えていて、記憶消去なんてしなくても良くてさ……」




 堂島が泣きながら立ち上がった。

 抱きしめたい衝動を抑える。


「……もう無理だし。帰ろ」


 その瞬間、俺は何かを思い出した――




 ***




 遠い記憶、モヤが掛かっているようでうまく見えない。

 精神を集中させる。


 脳裏にはっきりと浮かぶ映像。

 血だらけの堂島を背負う小学校の頃の俺。

 俺も血だらけだった。


 周りには火が燃え盛っている。建物が倒壊して行く手が塞がれている。


『やっぱさ、俺って堂島の事大好きなんだよな。ここから生きて戻ったら結婚しようぜ』


『馬鹿、なんで、来たの。……もう脱出できないし』


 思いもよらない事故。それがこの火事だ。

 堂島が一人取り残されていると聞いて、俺は生まれて初めて焦りというものを覚えて駆けつけたんだ。


 記憶がトレースされる。

 感覚が共有される。


 淡い初恋が徐々に成長していき、恋に変わる。

 そんな大切な人が命を落としそうになった時――

 



『堂島、バイバイ――』

『え?』



 自分勝手な言葉だとわかっている。

 だけど――


 頭の中のスイッチを切り替えた。脳裏に浮かぶ小学校の頃の思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消え。


 大切な人を助けたい。ただそれだけが願いだった。


 頭の中の線がぶちりっ、と切れた音が聞こえた。

 全身の血液が熱湯のように熱く燃えたぎる。

 身体中から血液が流れ落ちる。




 限界を越えろ――




 記憶と一緒に自分の限界を消去しろ。


 俺の意識が初めてこの世界で生まれた瞬間だ。そして、すぐに消えていく運命。

 この危機を乗り越えるためだけの存在。



 そうだ、俺はあの時とっくに限界を超えていたんだ……



 俺は、最後の残り残滓を引き受けた、消えるための優太だ――





 ****





 大好きな人の存在がわからなくなってしまうのが怖い。


 それ以上に大好きな人が悲しむ顔を見たくない。


 突然人を好きになるわけない。

 優太は堂島と心を通わせて想いが昇華していったんだ。


 俺の心臓の鼓動が早くなる。



「――結婚の約束、したんだろ? 優太と」



 堂島がハッとした表情で俺を見つめる。


「なんで、それ……」


 心の奥底で眠っている2つの意識。

 中学から現在まで過ごした優太。

 小学校の頃の完全な記憶を持つ優太。


 そして生まれて数日の残滓で



 ――なあ、お前らも限界越えろよ。



「はぁはぁ、先輩たち大丈夫っすか!!!」


「ちょっとなんで泣いてるのよ!? あんた堂島さんの事幸せにするって言ったでしょ!!」


「お兄ちゃん……、どっか痛いの? 病院行く?」


 ……ふんわりとだが、まだ覚えている。後輩、エリ、妹だ。多分。


 なんだ、近くにいたんだな。

 ……じゃあ後は任せるか。


 俺は最後に堂島の事を見つめる。

 小学校の頃の俺の意識に引っ張られただけじゃねえ。


 俺、堂島の事好きになったんだよ。それだけが俺のものだ。



「……堂島、安心しろ。俺が気合でなんとかしてやる。だからさ、泣くなよ。……花火、また今度見に行こうぜ」


「ゆ、優太?」



 すべての記憶消去の負荷を俺の意識に背負わせればいい。

 俺の意識が死んだとしてもそれは残り滓だ。


 記憶と共に消去されたはずの優太たちの意識を復活させればいいんだよ。



 ――あとは任せたぞ。



 俺は大きく深呼吸して、精神を集中させる。

 すでに血管ははち切れそうになっていた。

 ところどころ服が濡れてきた。


 懐かしい血の匂い。


 経った数日の思い出を自分の手で破壊する。

 それはとても痛くて悲しくて、辛い作業。


 堂島が好きなのは俺であって、俺じゃない。

 小学校の頃のあいつだ。





 頭じゃねえ、心で感じるんだ。


 全身に激痛が走る。だが、記憶を失くした優太の周りの痛みはこんなものじゃねえ。


 心の中にある糸をぶちりと断ち切る。

 俺の意識と記憶の紐づけ――


 ――妹を守っている俺がそこにいた。


 ――エリを守っている俺がそこにいた。


 ――堂島と笑いながらドリアを食べている俺がいた……。





 最後に目に入ったのは―ぬいぐるみを抱きかかえながら、砂浜で泣いている堂島の姿だった。




『バイバイ――』




 俺は自分の意識を殺して心の奥底に沈むのであった――




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