好きな人が突然いなくなった悲しみはわからない


「ねえあの人だよね? ブレイキンアップに出てた人」


「うん、ワイルド系で超かっこいいよね。確か彼女と別れたって聞いたよ」


「ちょっと前は知的な優しい雰囲気のイケメンだったのにイメチェンしたのかな。彼女いないのか……、でも隣にいる子、すごく美人だね」


「うわぁ……。お人形さんみたい」


 俺と堂島は中庭のベンチに座って、コンビニで買ったおにぎりとファッチキという物を食べている。

 この世界は素晴らしい、こんなに美味しいものが簡単に手に入るなんて……。


「うめえな」


「うん、ファッチキは最強だし」


「てかさ、堂島って俺に会うまで何回リセットしたんだ?」


 俺は記憶の消去ができる。堂島は嫌な感情をリセットできる。ただ、堂島も俺も不完全な存在だ。あの学校では真ん中のランクのクラスだからだ。


 完全に消し去ることはできない。


 俺はぼんやりとだが、嫌な気持ちが心の奥底にある。これは優太の記憶だ。

 それに、思い出した小学校の記憶の中であやふやな部分もある。


 堂島も感情を消したとしても心の奥底に残っているはずだ。


「8回。……これ以上消すと自分の精神に影響でちゃうし」


「だよな、むやみに使うなって言われてたもんな」


「優太も気をつけて欲しい。……記憶なくなった側は結構寂しいし、記憶を無くす方が負担が超重いし」


「そっか、俺は同じクラスだったけど堂島に気が付かなかったもんな。寂しかったよな……」


 堂島は首を振る。まるでその事じゃないとでも言いたげだった。


「…………なんでもないし。大丈夫だし」


「そっか、あのさ。――あっ、来たぞ」


 視線の先には後輩とエリ、妹の三人がいた。

 エリと妹と話す予定だが、俺と堂島だけではうまく行かないと思った。

 一般人で常識人である後輩の存在が必要だ。


 ……てか後輩って堂島と同じくらいの身体能力ってやばくねえか? 一応あいつはプロのアスリートに負けねえはずだぞ。


「こんちわっす! なんかいきなりやらかしたみたいっすね。……私は特に口出ししないので、好きに喋って下さいっす」


「ああ、あんがとな。とりあえず座ってくれ」


 こうして俺たちのミーティングが始まった。




 ***



 エリと妹の謝罪から話が始まった。


「今朝はごめんなさい。あれは私達が悪かったわ。いい訳はできないわ……」


「う、うん、私もごめんなさい。うちの光宙ぴちゅうにお兄ちゃんが冷たいって言ったら……」


「光宙ってすげえ名前だな……。えっと、それはもういい、もう忘れる事にした。本題に入ろうぜ。否定したり取り乱すのは無しだ。二人には軽く言ったかも知れねえが、俺には中学からこの前までの記憶がない」


 妹がポツリと呟いた。


「やっぱり……、あの時と一緒……」


「ん? 俺が小学校の記憶を無くした時の事か?」


「ううん、違うよ。中学三年の時……。私、その頃グレてて……、その、不良と一緒に遊んでて――」


 メモの記憶は消去した。俺は二人に対してフラットな精神で対応することができる。

 だが、俺にとって二人は幼稚園の頃の嫌な思い出しかない。


 それでも、ここに座っている二人はそんな嫌な人間には見えない。



 妹のたどたどしい話では、中学の時、妹の友人とトラブルがあったみたいだ。友人は裏で薬の売人をしていたヤバいヤツだった。

 妹が危険な目に合いそうになった時、俺が助けてやったらしい。

 その時の俺は人間離れした力でトラブルを解決したみたいだ。


「……でもね、お兄ちゃん、次の日には全部忘れちゃってたの。……あの時の大切な思い出も」


「なんだそれ? ……てか、話が脱線したな。じゃあ妹は俺が記憶を失くしたって事は理解できるんだな」


 妹はコクリと頷く。

 そしてエリの方を見る。


「……私、あんたの彼女だったのよ。ぶっちゃけ幼稚園の頃は好きでもなかったけど、離れてからあんたが大切だって気がついたのよ。……それであんたが行方不明から帰ってきて、病院のベッドで気がついて――」


 エリは深い溜息を吐いた。


「なんだろうね。あんたは雛鳥みたいに私に惚れちゃったし、まあいいかって気持ちで始めは付き合ったの。……ははっ、いつの間にか私の方がガチで惚れてたのよね」


「そっか、優太は優しかったんだな」


「うん、私はあんたが記憶を失くしたって理解できる。だって、今のあんたは優太じゃないもん。……でも不思議なんだ。私もあんたが記憶無くしたところを経験してるんだ。実はその時がきっかけであんたの事本気の本気で惚れちゃったのよ」


 頭の中でハテナマークが沢山出てきた。

 ちょいまて、俺、何回記憶なくしてんだ? メモを消すような局地的な記憶の消去は可能だ。


 一日以上の記憶を消すと身体に負担がかかる。

 今回の記憶消去はとてつもなくエネルギーを使ったはずだ。

 それに記憶を消すと、今回みたいに人格が変わってしまう場合もある。だから、記憶の消去は本当にヤバいときにしかやらない。


 なんのために記憶を消したんだ? 

 妹の話を聞く限り、嫌なことがあったから記憶を消したわけじゃなさそうだ。


「エリの時は何があったんだ?」


「……銀行強盗」


「はっ? 何いってんだ?」


「だから、強盗が銀行を占拠して、私と優太が巻き込まれたのよ……。優太がいなかったら全員死んでたよ。……でも優太は次の日には事件の事さえ忘れていたのよ。それにちょっと変な事件だったし、ニュースにも流れなくて、本当にあった事件かさえわからない……今でもちょっとトラウマだよ」


 俺は堂島と顔を見合わせた。


「なあ、あり得るか?」


「ちょっとわからないし……。ありえなくも……うーん」


「まあいいや、ちょっとその話は頭の片隅に止めておこう」


 この話は後で俺がトレースして思考構築をすればいい。何かしらの結論が出るだろう。思考構築には風呂かサウナに入る必要がある。落ち着いた場所が必要だ。


「とりあえず、二人が俺が記憶を失った事を理解したっていうのはわかった。で、今後だけど……」


 俺が言葉を続けようとすると、エリと妹が顔を見合わす。

 そして――


「……あんたが記憶を失くした期間、私はあんたに酷い事をしたんだ。わかったんだ、無くしてから大切なものに気がつくんだって。謝ってももう遅いんだよね……」


「うん、私も……家族もお兄ちゃんに酷い事をしたもん。それこそエリちゃんとは比べ物にならない。……どうやって償えばいいかわからないよ」





 俺は暗い雰囲気を吹き飛ばすように、コホンと咳払いをした。


「てかさ、俺その時の記憶ねえんだよ。なんだろうな、俺はお前たちが思っている優太とは違う存在なんだろうな」


 記憶と経験が人の人格を形成する。そして、過去の優太と俺は全く違う経験と記憶を持っていた。


 他人に等しい存在だ。



「だからさ、あーー、なんて言うんだろ。俺にとって『幼稚園ぶりだな』元気にしてたか? って感じなんだよ」



 何故か隣に座っている堂島が嬉しそうな顔をしている。堂島は優しい女の子だもんな。

 人と争うことよりも手を取り合う事を望む女の子だ。




「前の優太とは違うけど、また普通に話せる仲になれねえか? 特にエリ、俺たちは付き合っていたけど、それは違う優太だ。俺はお前に対して恋愛感情の一欠片もねえ。……記憶が無いから思い出もないんだ」



 俺は自分が何を言っているかわからなくなってきた。これで本当に正解なのか?


 ……関わらなければ簡単だ。でも、それは違うんだ。だって、こいつらは俺の思い出を持っているんだ。

 突き放すのは簡単だ。それじゃあ前に進めないんだよ。


 下を向いて返事を待っていた。

 いつまで経っても返事が返ってこない……。


 ふと、二人に足元の地面が濡れているのに気がついた。

 顔を上げると、二人は顔をぐしゃぐしゃにして嗚咽をこらえていた。





「ゆ、優太、馬鹿……、優しすぎるのよ。……大好きだったの。すごく好きだったの。ずっと一緒にいられると思っていたの。好きで好きで仕方なかったの……。で、でも、わたし、優太を傷つけて……、優太は、あの優太は、二度と戻らなくて……ひっぐ、ひっぐ……、私のせいで……」




 すげえな、優太。そんなに愛されてたんだな。



 ……記憶を失くす、か――



「な、泣いちゃって、ご、ごめん。……優太、ありがとう。本当にありがとう。ちゃんと理解してる、あの優太と違うって。私、もう二度と間違わない。……少し時間が必要だけど、今の優太とも普通に話したい。……それだけで、私は幸せだもん」



 妹が支えるようにエリを抱きしめる。


「うん、お兄ちゃん、許してくれなくてもいい。私、家族がおかしいって何も疑問に思わなかった。……ちゃんと現実を見て、もっと色々勉強して成長したら……お兄ちゃんと話したい」



 人ってすげえな。成長する生き物なんだな。

 環境と言葉によっては善にも悪にもなれる。



「ああ、待ってるぞ」



 いくらでも待つさ。……時間ならあるしな。




 *****




 三人の後ろ姿を堂島と一緒に見送る。


 なんだかしんみりした気分になった。色々と感情を整理したい。


 隣にいる堂島も疲れた顔をしていた。

 付き合わせて悪かったな。




「……あっ、机の理由聞けなかったし。まいっか。……ん? あの人うちの制服じゃないし、あっ、なんであいつがここにいるの?」


「ん?」


 堂島の視線の先にはキレイな女性がこっちに向かって歩いていた。

 ……あれって……俺の記憶が正しければ……。


 周りの生徒たちの反応がおかしい。小声で彼女を事を噂しているが、誰も近づこうともしない。



「――はぁ、面倒ね、なんだって私がこんな役割しなきゃいけないのよ。――あっ、その生意気そうな顔覚えてるわよ! あんたが日向優太でしょ?」


 凄まじいまでの美の威圧感。……ちょっと苦手なタイプだ。


「優太、優太、堂島あやめだし……。むぅ、私、後輩のところで時間潰す。関わるの面倒……。というか、優太見惚れすぎ……、ふん」


「や、違えよ!? こいつは俺と全然関わりがなかった女だ! ていうか、こいつは藤堂に惚れてたはずだぞ!!!!」


「はっ!? ば、馬鹿な事言わないでよ!! ちょっとあんたお仕置きよ! このクソガキ!!」


「ちょ、待ってよ!! 俺になんか用があるんだろ! 他の生徒が見てんだろ、あっ、堂島、ちょっと待てよ! 行っちゃったよ……、なんで怒ってんだ?」


 堂島菜月は走り去っていった……。


 俺の目の前にいるキレイな女の子。こいつは堂島あやめ。俺たちと同い年で同じ小学校の卒業生だ。

 『大人』に一番気に入られていた女の子だ。

 なんだか芸能人みたいなオーラしてんな。


 なんだってこんなところいる? 突然現れて何がしたいんだ?



「あっそうね、さっさと用件言うわ。……あんた、記憶消去やり過ぎよ。別に私達側は困らないけど……、あと数回であんたの頭はおかしくなるわよ」


「え? 俺一回しかしてねえけど……多分」


「はっ? こっちの観測では12回はしてるわよ」



 ――えっ?


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