薄っぺらい悪意



「ぐずずっ……、別に泣いてないし。変な勘違いするなし優太」


「はいはい、勘違いしてねえよ。てか俺もお前も泣き上戸だよな」


「……違うし」


 俺、澤田、堂島の三人でサイゲリアというファミレスに入った。

 俺はファミレスが初めてだ。幼稚園の頃に行ったことがない。外食は妹だけの特権だ。


 堂島も初めてらしく周りをキョロキョロしていた。

 澤田が慣れた感じでオーダーをしてくれた。

 オーダーしたドリアを待つ間、ドリンクバーなるものへジュースを取りに行ったのであった。


「ドリンクバーすごい。ジュース飲み放題なんて初めてだし」


「なっ! すげえよな! 俺もこんなの初めてだっての。ていうか、記憶無いから甘いものも久しぶりだ。ジュースってすげえ甘えな、これ飛ぶな……」


「先輩たちどんな生活してたんすか……」


 俺たちはジュースを飲みながら自分たちの状況を後輩に話した。

 大体話し終えて空気が緩んだ瞬間である。





 後輩は難しい顔をしながら俺たちを見ている。


「……馬鹿だから頭がパンクしそうっす。先輩は小学校卒業までの記憶しかなくて、堂島さんとは同級生だった。消えた記憶は中学から一昨日までの四年間の記憶。で、特殊な小学校にいたって事っすね」


「ああ、消えたんじゃなくて消したんだがな」


「うっす、了解っす。てかそれにしては随分と落ち着いた雰囲気っすね。自分が記憶なくしたら泣き叫んで普通に生活できないっすよ」


「それは優太だし」


「ああ、あの小学校にいたら別に高校の受業は問題ないしな」


「えっと、意味分からないっす。そんな小学校は……、あれ? なんか同じような話を聞いた事あるような。隣の学区にいる藤堂君っていう男の子が人間離れしてるって。超イケメンでうちの学校でも話題になってて、芸能人とも知り合いで、特殊な学校を卒業してて……」


「あっ、多分それ同じ学校だわ。てかあいつは上位教室だったけどな」


「藤堂、化け物……。トラウマが……」


 藤堂はあの学校で一番上の存在だ。頭脳も身体能力も敵うやつは誰もいない。

 感情を一切排除したあいつは恐ろしい男だった。


「藤堂の話は置いといて、お前って変な女だな」


「わぁ、超失礼っすよ! お前じゃないっす! 澤田瞳子っす! 私は普通っす! というか、二人が超変わってるっす。……学校大丈夫っすか? 普通に通えますか?」


 俺と堂島は顔をあわせる。堂島は苦い笑みを浮かべていた。


「も、問題ないし。わ、私はこれからリア充目指すし」


「そっか、だから髪も切って雰囲気も変わったんだな。超可愛いじゃねえかよ」


「ちょっと先輩、気がついていたんならもっと早く褒るっすよ!」


「べ、別にいつも通りだしゅ。ゆ、優太の隣にいて変に思われたくないなんて思ってないし」


「えぇ……、堂島さんってツンデレなんすか。語尾間違えてるっすよ。超面倒っすね」


「ツンデレってなんだ?」


「あーー、先輩、少し黙ってて欲しいっす。てかどうしよ……。絶対この二人問題起こすよ……。いいですか、私の話をよ〜く聞いて下さい!!」


 そこから後輩の説教が始まった。


 どうやら後輩いわく、俺たちは普通じゃないみたいだ。

 後輩の話術により、堂島の数々の失敗を聞き出され、俺たちの常識をチェックされ、いかに普通とかけ離れているか熱弁される。


 そもそも記憶を消す人間なんていない。いたとしてももっと違う振る舞いをする。


 そして、後輩は俺の……優太の辛い状況をわかっていたようだ。

 後輩ではどうにもできなくて、ジレンマを起こしている時に俺の記憶喪失が起こった。


「あれっすね。せっかく堂島さんに再会できたんすから青春しましょうよ! 堂島さんだってそうっすよね?」


「……うん、普通の青春したいし。そ、その恋だってしてみたいし。でも、私には無理だし……。陰キャだし、コミュ障だし……」


 堂島の過去は暗いものであった。小学校時代とはまた違う辛さがある。

 というか、堂島の口から恋愛してみたいっていう言葉を聞けるなんて……。


 俺が不思議そうな顔で堂島を見つめると、堂島はほっぺたを赤くしてそっぽを向いた。


「わ、悪い? 一人ぼっちの間に少女漫画一杯見たし」


「悪くねえよ。なんか俺にできる事あるか? 好きな人でもいるのか?」


「べ、別に優太には関係ないし!」


 そう言いながらも何故か堂島はお尻をあげて俺と距離詰める。密着である。

 そして手を繋いできた。

 まあ、久しぶりで寂しかったんだろ? 俺も手を握り返した。


 何故か後輩が白い目で俺たちを見ている。


「……なんすかその甘い雰囲気は!? 見ててムカつくっす! 私は仲間はずれっすか!」


 正直、後輩には感謝している。多分、俺はこの子と今日会わなければピーキーな性格のまま過ごしていたと思う。


 人を簡単に殴ってはいけない。

 ある程度空気を読んで集団に紛れ込まなきゃいけない。

 そういう基礎的な事がわかった。


 ……俺は小学校の時から時間が止まったままだ。


 そっか、普通に生活をする。憧れていたよな。


「お前は大切な後輩だよ。これからもよろしくな」


 後輩が飲んでいたジュースを吹き出した。


「けほけほ……、ちょ、先輩、自分の事もっと理解して欲しいっす。今の先輩はモテオーラがやばいっすよ。気軽に変な事言っちゃ駄目っす」


「や、気軽になんて言わねえよ。お前だから言うんだよ」


「うん、私も後輩好きだし。これからもよろしく」


 後輩は口をモゴモゴさせてなんだか恥ずかしそうであった。


「ううぅ……、なら私達友達っすね! あっ、連絡先交換するっすよ! ――ああ! ドリア来たっす! とりあえず食べてからにしましょ!」


「……後輩、ドリアってなに?」


「え? ドリアはドリアっす……、てか、私、澤田瞳子……。名前で呼んでほしいっす」


 俺はカトラリーからフォークを取り出して二人に渡す。


「別に気にすんなって。お前は後輩だろ? てか、ドリアってなんだ? これうまいのか?」


 匂いを嗅ぐととても美味しそうな香りがする。

 そういや、お母さんがいた時は和食をよく食べていたよな。子供の頃すぎてあんまり記憶がねえけど、にぎやかな食卓だったのを覚えている。


 家族3人で仲良く食べていた。

 ……お母さんが亡くなって、新しい母親と妹ができてからは俺はまともな物を食べた覚えがない。


 家での食事はいつも菓子パンだった。


 あの小学校では食事はただの栄養補給だ。甘いケーキや料理の種類はテレビで見たことがあるだけだ。


 ――俺はドリアにフォークを入れた。


 昔、妹が食べていた美味しそうなハンバーグをこっそり食べようとしたら、ものすごく怒られて殴られて押し入れに閉じ込められて……、痛みよりも食べられない事が悲しくて。


 美味しそうなものを見るとと思い出してしまう。


 カレーってどんな味なんだろう? ハンバーグってどんな味なんだろう? チャーシュー麺と餃子は知ってる。

 お母さんが『龍砲』に連れてってくれてよく食べたんだ。


 フォークで取ったドリアを口に運んだ。


「あっ……うま……」


 声が勝手に出ていた。うまいという感覚を忘れていた。今、初めて覚えた感覚みたいだ。

 なんだかよくわからないけど、すごくうまい……。


 うまいのに、なんで変なものが込み上げてくるんだ?


 泣きたくないのに、涙が勝手に出ていた。

 なんでガキの頃、俺だけ食えなかったんだ。なんで、俺はあの小学校に行かなきゃならなかったんだ。


 感情がドリアと一緒に爆発する。一口、二口、三口、食べる手が止まらない。


 ふと隣を見ると、堂島も泣きながら食べていた。

 ……俺たちマジで泣き上戸だな。


「……はいはい、先輩たちお茶もってきてあげるっすね。……またくればいいっす。サイゲリアはいつでも先輩たちを待ってます」


 今は後輩の気遣いが少し嬉しかった。こんな俺達を見ても驚いたりしない。


 俺たちはただひたすらドリアに感情をぶつけながら食べ尽くすのであった。



 *****



「いやー、昨日のドリアはマジですごかった」


「うん、未体験のゾーンだし。あれは今日の放課後も行かなきゃ。私はジュース飲み放題に驚き」


「だよな〜、甘いものって食ったことなかったもんな。でも後輩は今日はボクシングの部活があるぜ」


 連絡先の交換をした俺たちは一緒に登校することにした。住所もお互い教えあったし、これでトラブルがあっても大丈夫だ。


 登校していると生徒たちからの視線が妙に多い。

 あれだ、配信に出たからだ。

 ……やっぱ断ればよかったな。まあ記憶消去のすぐあとだから判断が難しかったな。


「優太への視線がすごい」


「でも、ほとんどが変な噂だな。てか、お前の噂もあるぞ」


「うん、私にも聞こえるし」


 どうやら俺は悪者にされているらしい。噂では二年で一番可愛い女の子と付き合っていたのに、浮気をしてこっぴどく振った男。

 ブレイキングアップも八百長で、みんなわざと負けてくれたって。



 すげえな、この世界。悪意が満載じゃねえかよ。

 ……なあ、後輩。俺たちって本当に普通の青春できるのか?


 俺は昨日、後輩が『青春するっす!』と言った時、胸がトクンとしたんだ。

 青春っていう抽象的概念がよく分からねえが、目標ができたような気がした。


 俺と堂島は青春なんて送った事がない。

 いや、無くした記憶の中にはあったのかも知れないが、それはもう無いんだ。


『そんなのまた作ればいいっす! みんなで海行くっすよ!』


 そうだな、作ればいいんだよな。


 堂島も心なしか浮足立っているように見えた。


「……花火、忘れてないし」


「ああ、祭り行って花火見ような。放課後に色々調べようぜ」


「うん! ていうか、浴衣着たいし」


 そんな事を話しているとすぐに教室に着いた。

 扉を開けると――






 なんだろうな……、挫けそうになるな。

 別にどうでもいいことなのにな。そっか、堂島や優太はいつもこんな気持ちだったんだな。


 俺の机が無かった。場所は間違えていない。

 教室の隅を見ると俺の机だったものが転がっている。


 堂島の机も似たようなものだ。見るに堪えない落書きをされて、ゴミで溢れている。


 そして、周りにはクラスメイト以外に、幼馴染のエリや妹、昨日公園で見たガラの悪い男女がいた。


「違うから! そういう事してほしくないから! 雪、こんなのただのおせっかいだよ」


「でもあんただって悔しいんでしょ? ならやり返せばいいじゃん。てかさ、斎藤くんも振っちゃったし、あんた何したいの?」


「……エリちゃん、机片づけようよ。兄貴たちが来ちゃうよ。ねえ、あんたたちさ、私はこんな事望んでないの。こんな事したら、あっ――」


 妹と目があった。

 その妹の表情は俺にはうまく読み取れない。悲しそうで怒っていて、恥ずかしそうで罪悪感が浮かんでいて……。わからない。


 思考を加速させる。

 瞬時に状況を把握する。


 後輩に会うまでの俺だったら全員ぶちのめしていただろう、男も女も関係なく。拳で解決するのが小学校時代の俺だった。

 だが、この世界はそんな単純なものではない。


 そっか、人と触れ合う事で人は成長できるんだな。もしかしたらほんの少しだけ俺は一歩前に進んだのかも知れない。


 妹とエリは慌てて俺たちの机を掃除しようとする。


 一人の男が俺に近づいてきた。

 昨日、妹と公園にいた男だ。


「うっす、先輩。あんたすみれの事泣かしたんだってな。……ブレイキンアップ出たからって調子乗ってるのか? どうせ八百長だろ。おい、なんとか言えやこら!!」


 隣にいる堂島は涼しい顔をしていた。

 昨日までの堂島だったら多分泣いていただろう。

 俺はこいつを窓から突き落としていただろう。一切のためらいもなく。


「お前も片付けろ」


「はっ? てめえ――」


 俺は拳を振り上げた。

 向かう先は近くにあった机。


 激しい衝撃音と共に机が破壊される。

 堂島が俺の拳を心配そうな顔で見るが、大丈夫だ。

 あの教室で俺は力だけが一番強かった。


「え……、う、嘘だろ……」


「俺も片付けるからお前も手伝ってくれや。妹の友達なんだろ?」


「う、うっす……。すげえ、パイセン、マジすげえ……。すぐ片付けます!!」


 エリと妹が率先して掃除をして、妹の友達たちが新しい机を他の教室から運んできた。小西雪は苦々しい顔をして突っ立っている。

 ……どうせ掃除するならこんな事しなきゃいいのにな。


 程なくしてすべてが元通りになり、妹とエリを残して他の生徒たちは教室を出ていった。


 微妙な空気が教室を包む。

 エリと妹は俺に『ごめんなさい』と謝って教室を出ていこうとした。


 それはそのまま見送ろうとしたが――


「ちょっと待つし。……私の机をあんな風にした理由が知りたい」


 確かに俺達には理由がわからない。前からあるただの嫌がらせ程度にしか思っていなかった。


「はっ、そんなの決まってんでしょ? あんたが人の彼氏取ったから」

「雪は黙ってよ! これは私の話でしょ」


 小西雪が割り込んで来ようとしたが、エリがそれを止める。


「や、ちゃんと言ってくれないとわかんないし」


 ……確かに俺は記憶を失って以来この二人とまともに話していない。

 負の連鎖が起こっても仕方ない事だった。


 メモに書いてあるのは悪意だけだ。俺もその悪意に引っ張られていたんだ。

 ……一回、メモの記憶を捨ててみるか。


 俺はポッケに入れてあったメモを机の奥に入れる。

 そして、自分のメモの記憶部分だけを――



 ――消去した。



 これで優太の影響がない俺の出来上がりだ。

 優太が酷い嫌がらせを受けていたっていうのは漠然と覚えている。その細かい関係性までは覚えていない。

 だからちゃんとこの二人と話してみようと思う。

 仮にも優太と関係があった人間なんだ。俺たちはまだ学生で17歳だ。間違えることなんて沢山ある。

 あっ、これって青春っぽいのか?




「昼休み、中庭で待ってるぞ」




 二人はなぜか泣いてしまった。……わかんねえな。何が正解か。

 だが、堂島が俺の手を握ってきて、笑顔を見せてくれた。

 ならきっと間違えてねえだろ。

 

 俺も堂島に笑顔を返すのであった――







 


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