奇跡なんて起きない


 私、堂島菜月にとって最高に幸せな10日間だった。

 経った10日間、あっという間に過ぎてしまう日数。


 私の大好きな優太と一緒にいられた時間。

 あの日から私の時間が止まってしまったように感じられた。


 学期も終わり、夏休みも終わり、普通の日常が過ぎていく。


 新しい学期が始まっても何も変化はない。

 教室はいつもどおり騒がしかった。


 少しだけ変化はあった。私に話しかけてくるクラスメイトが増えたんだ。




 でも、優太は――もうあの優太じゃない。

 登校してカバンを置くと、優太と目があった。

 優太は嬉しそうな顔をしながら私に近づいてくる。



「ねえ、堂島さん! 今日の部活帰りはエリたちとクレープ食べるけど、一緒に来る?」


「ううん、行かないし。てか後輩は?」


「後輩さんはなんか用があるんだってさ。まあいいや、堂島さん、また部活でね!」



 あの日、優太が血だらけで倒れた。

 私は優太が限界である事をしっていた。記憶消去を繰り返した人間は廃人となる。


 ……多分、優太は違う力もあったはず。それは人格を分裂させる能力かもしれない。


 浜辺で倒れて、病院のベッドから起きた優太は、小学校の頃の記憶も中学から現在の記憶を持っていた。

 きっとそれは奇跡と呼んでいいのだろう。


 ……あの時の優太が全部犠牲になったんだ。


 今の優太には唯一抜けている記憶がある。


 小学校の頃、私を火事から救ってくれた時と、あの10日間の記憶。


 あの時の優太がいなくても、優太は優太だ。

 自分のわがままだとわかっている。

 もう二度と会えないってわかっている。


 だから、私は遠くから優太を見守るだけ。

 それだけで十分だから。




 ****




 俺、日向優太は幼稚園の頃はいじめられていた。

 家では邪魔者扱いされていた。


 親に売られた俺は特殊な小学校へと通うことになった。


 地獄のような環境だったけど、そこで大切な仲間と出会った。

 何か重大な事故が起きた、俺は記憶を失い、またあの家へと戻ったんだ。


 一般常識が無かった俺は間違えてばかりだった。

 だけど、隣にエリがいてくれた。だから、俺は大丈夫だった。



 今の俺は一部の記憶以外、全てを思い出した存在だ。

 一部の記憶は絶対に戻らないと理解している。


 あの意識が俺を救ってくれたんだ。

 あいつがいなかったら俺は廃人になっていた。


 記憶と思い出によって人格が形成される。

 思えば、俺は記憶を失う度に性格が変わっていた。

 正確には変わっていたんじゃない、別の人格が生まれていたんだ。




「どうしたの、優太? 休み時間終わっちゃうよ」


「うん、ちょっと考え事をしててね」


「そっか、というか、無理して私に会いに来なくていいわよ」


 エリとは中学高校の時に付き合っていた。

 その後、エリはわがままになり、我慢の限界が来て俺が別れを告げたんだ。

 その時も記憶を消去して色々問題を起こしたけど、まあ、過去の話だ。


 小学校の記憶が無かった俺はエリに依存していたんだ。

 今の俺はあの時の優太とは違う。


 確かにエリは大切な人だが……、


「うん、それでもエリと話すと落ち着くからね」


「あははっ、私すっごく性格悪かったのにあんた変わってるわね」


「今はまともだからいいじゃん」


「はぁ、私はあんたと普通に話せるだけで満足よ。てか、堂島さんとうまくいってないんだって? あんた堂島さんの事好きなんでしょ?」


「うん、確かに初恋の人なんだけど……、うまくいかないや」


「はぁ、やっぱり今の優太はこの前とは違うわね」


「え、そんなに違うの?」


「そうよ、だってさ、すっごくがさつで冷たくてさ……まあ、優しいところもあったけど、今の方が優しいもん」


「はは、なんか別人の事を言ってるみたいだよ」


「うん、別人だったんだよね。……でもあいつがいなかったら私は自分の間違えに気が付かなかった。……感謝してるわよ」


 俺達の中であの時の優太は別人という共通認識を持っている。

 あの時の優太が犠牲になって俺を助けてくれた。

 だからエリもあいつの事を嫌っていない。


「うん、ありがとう、エリ。じゃあまた後でね! バイバイ!」


 エリに見送られながら教室を出る。

 後ろからエリの視線を感じる。

 それは愛情が伴っているけど、恋愛感情とは違う質だ。


 俺達は依存し合っていたんだ。間違ったまま付き合って、間違ったまま別れて……。


「ふう、よくわかんないな」


 俺は自分の教室へと戻ることにした。






 勇気を出して堂島さんに話しかける。


「堂島さん、今日もまた部活サボろうとしてるの? 駄目だよちゃんと出ないと」


「……リア充おつ。私は帰るし。後輩によろしく」


 放課後になり、帰宅する生徒、部活に行く生徒、教室でだべる生徒。

 堂島さんはバッグを持って帰ろうとしていた。


 この前から部活をサボりがちだ。

 というか、俺がボクシング部に入っているとは思わなかった。

 あの10日間で色々あったんだろうな。


「堂島さん。ちゃんと俺の告白、ちゃんと考えてくれてた?」


「や、あれは……」


 夏休み、俺は堂島さんを呼び出して告白をした。

 初恋の時の想いを伝えたかったんだ。


 きっとうまくいく、そう思っていた。

 でも、結果は『……ごめん、付き合うってよくわからないし』と言われただけだ。


 返事は保留になっている。

 ……何がいけなかっただろう。


「うん、いつまでも待つからさ。ゆっくり考えてね」


 堂島さんは俺を見るたびに苦しそうな顔をする。

 俺を通して違うを俺を見ているみたいだ。


 理由はわかっている。


 あの消えてしまった意識の優太を見ているんだ。


「じゃあ、今日は俺も部活サボって堂島さんに付き合いよ。エリたちとのクレープは別の日に変更になったんだ。エリが妹と一緒にテスト勉強するんだって」


「……来なくていいし」


「や、そんな事言わないでよ。ちょっと待ってよ!」


 走り去っていく堂島さんを追いかける。


 廊下を抜けて、階段を下り、そこで後輩とぶつかりそうになった。


「うわぁ、ごめん、大丈夫?」


「ちょ、先輩! 廊下は走っちゃ駄目っすよ! ……はぁ、また堂島さんっすか」


「そう、今日こそは一緒に帰ろうと思ってね」


 駆け出そうとした俺は後輩に襟首を掴まれた。


「先輩、少し時間いいっすか?」


「え、なにこれ? 後輩ちゃんってこんなに力強かったっけ……」


 俺はそのまま空き教室へと連れて行かれたのであった。





 誰もいないと思っていた空き教室にはエリと妹がいた。


「流石後輩ね。優太が速攻帰ろうとしたから焦ったわよ」


「……お兄ちゃん、少し話しよ」


 俺は困惑する。話をする? 特にトラブルが起きた記憶もない。平穏な毎日を送っている。

 なんの問題もないじゃないか。


「あーー、先輩、ちょっといいっすか。いい加減イライラしてるっすよ」


「後輩ちゃん?」


 後輩ちゃんが俺の胸ぐらをつかんできた。

 その力はすごく強い。


「マジでどうしたんすか? 記憶戻ったのわかりますけど、今のあんたは超軽いっすよ。なんか芯がないっす」


「い、いや、そんな事言われても困るよ。俺は平穏に生きたいだけだし」


「堂島さんの事好きなんすよね?」


「う、うん」


「じゃあ、エリの事は? 惚れて付き合ってたんでしょ!?」


「もちろんエリも愛情がある。後輩ちゃんも好きだし、妹も大切な人だ。みんな大好きだよ」


「違う、そんな事聞きたいわけじゃないっす! もっと自分にわがままになって下さいよ! 堂島さんに本気でぶつかって下さいよ! じゃないと……、見てられないっす」


 妹が俺達に近づく。そして、泣いている後輩の背中をさする。


「よしよし……、私はお兄ちゃんが幸せになるなら何でもいいよ。ひどい事してきたから。でも、今のお兄ちゃんは空気みたい」


 エリもその言葉に頷く。


 心の中で何かの言葉が浮かんできたような気がした。

『じゃあどうすればいいだっての。こっちは大変だったんだよ』


 そんな事を口に出せない。

 俺はこの場を収めるための言葉しか発せない。


「うん、気をつけるね。じゃあ俺行くよ」


 俺が教室を出ようとした時――


「銀行強盗の時はあんたすごかったんだよ」

「半グレから私を守ってくれたんだ」

「……実は私も……、車に轢かれそうになった時、先輩が……」


 ……ごめん、それは覚えていないんだ。他の事は全部覚えているから許して。


 三人が俺を見つめる。


「先輩……」







「……悪いな、澤田瞳子。少し時間をくれねえか?」



「え……?」


 俺は自分の口が勝手に動いた気がした。

 後輩が驚きの表情を浮かべている。


 特に気にせず俺は教室を出ていくのであった。





 ***




 なんだろう、胸の奥にしこりが大きくなった気分だ。

 あの三人とさっきみたいなやり取りは何度もした。

 何回目でしこりができたんだ?


 その後もしこりが段々と大きくなっていったような気がする。


 ……今の俺はそんなに魅力がないのかな? 平穏に生きたいって思うだけじゃ駄目なのかな?


「堂島さんを見失っちゃったよ。……うん、家に帰るならこの方向だと思う」


 駆け足で通りを進むと、公園のベンチに座っている堂島さんが見えた。


 俺は駆け寄ろうとしたが、堂島さんの様子がおかしいのに気がついた。



 空を見上げ、目を閉じて、集中している。


 俺は全身に鳥肌が立った。あれは……感情を壊そうとしている――



 ****



 ……暗い闇の中で彷徨っているような気がした。


 虚無の中で永遠に過ごす、これが俺の定めだと思っていた。

 なのに時折誰かの顔が浮かぶんだ。


 それは後輩であったり、エリであったり、妹であった。


 その度にほんの少しだけ力が湧いてくるような気がした。


 でも、堂島の顔は浮かばねえんだよな。


 ……なんで俺、意識が残ってんだろ? ていうか、あいつらが何度も何度も優太に同じ話を聞かせたからか。


 ドSだな……。何も知らない優太に、俺の話をずっとする。優太が嫌そうな顔をしても止めない。

 ははっ、すげえなあいつら。


 んじゃま、最後の仕事をすっか。



『堂島さん!!! 駄目だよ、リセットしないで! 思い出を消さないで!』


 優太が堂島に駆け寄り、困惑するだけで何もできない。

 そりゃそうだ。藤堂のリセット以外は自己暗示みたいなもんだから止められるわけねえ。


 これが本当の最後、あいつらがほんの少しだけ作ってくれた俺の時間。


 ――おい、優太。俺と代われや。




 急速に覚醒する意識。めまいがしそうになるが、俺は気にせず堂島の身体を抱きしめる。

 リセットを止めるのはこれが一番いいんだよ。



「おい、堂島菜月、おまえ何してんだよ。勝手にリセットしてんじゃねえよ、馬鹿!」



「ゆ、うた?」



「俺が優太に決まってんだろ。ていうかさ、リセットは駄目だぞ。約束しただろ」


「な、なんで……、絶対消えたはずなのに……」


「奇跡なんて信じねえ、だよな。いいんだよ、たまには奇跡ってやつを信じてさ」


 俺は堂島の身体を強く抱きしめる。

 一番大好きで大切な人。


「てかさ、小学校の頃、優太に惚れていたんだろ? なんでコイツじゃ駄目なんだよ」


「……優太は鈍感。あのね、一目惚れってあるんだし。あの教室で再会して、一目惚れしたんだよ……」


「あーー、マジ?」


「うん、マジ」


 なんだよ、俺と一緒じゃねえかよ。なんか嬉しくなってくんな。


 俺達は少し身体を離して、顔を見合わせる。


「また泣いてる」


「優太も泣いてるし」


「いいんだよ、俺は」


「ずるだし。……てか、優太、限界だよね? もう会えないよね」


 そうだな……、人格って難しいな。ほんの少しの経験で変わってしまう。

 それが周りに影響を及ぼしてしまう。


「ああ、あと数十秒だ。それが俺の限界だ。あの三人のおかげだぜ。後でお礼言っておいてくれや」


「うん。優太――」



 堂島は俺の名前を呼びながら、俺に口づけをした。それは軽く触れあう程度だけど、想いが込められていて、熱い感情が湧き上がる――



「大好きだよ」



 堂島は吹っ切れた顔をしていた。

 そうだな、ちゃんと別れができなかったもんな。別れは重要だ。

 ……だから、優太、二度と記憶を失うんじゃねえぞ。



「俺も大好きだ。――バイバイ」



 繋いだ手をそっと外す。



「バイバイ――」



 その瞬間、俺の意識が何かに覆われた。最後に見た堂島は泣いている笑顔だった――




 ***



 これは恋人に何度も別れを告げられたて、記憶を消して、新しい青春を送った俺の物語だ。


 たった10日間だったのに、素晴らしい日々だった。


 もう俺はこの世界には存在しない。


 ……それは俺に意識が無いだけだ。


 俺の意識は完全に優太と融合した。


 いつか身体に影響が出るかもしれねえ。寿命が半分になっていてもおかしくねえ。


 でも、大切な人が笑っているのが一番なんだよ。


 だから優太――後は頼む。今度は俺も一緒だ。




 ***



 あの優太が完全に消えてしまった。

 ……お別れできたから大丈夫。


 すごく悲しいけど、気持ちは伝えられた。


 眼の前にいる優太が困惑した表情であった。

 困惑はすぐに笑顔に変わり、私の手を繋いできた。



「あーー、よくわかんねえけど、まいっか。堂島、とりあえずドリアでも食いに行くか! てか、今度花火行こうぜ! 俺の心がなんか行きたがってんだよ! お、おい!? なんで泣いてんだよ! 堂島しっかりしろ!!」




 うん、あなたは優太の中にいるんだね。


 ありがとう。


 私の大好きな人――



(完)








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恋人に何度も冗談で別れを告げられて限界に達した俺は記憶を消去した。 うさこ @usako09

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