家を出る
「優太、私は今日は自分で色々勉強するし。明日までちょっとまっててね!」
「へっ? ちょ、待てよ! 連絡先――」
あの後、俺たちはずっと語り合っていた。
と言っても俺の記憶は小学校で止まっているから堂島の話を聞く役割だ。
堂島は段々と空気が柔らかくなっていき、目をキラキラさせていた。
そして、突然別れを告げて走り去ってしまった。
まあ元気になったから良かった。
こんな俺でも役に立つ時があるんだな。……連絡先だけでも交換したかった。というか、あいつスマホって持ってるのかな?
なんにせよ俺も学校を転入する必要がなくなった。友達が一人いれば十分だ。
俺も学食を出ることにした。
***
街を一人で散策して時間を潰す。というか、次の生活に必要な物を買い揃えておく。
荷物はロッカーにでもしまえばいい。
大体のものを買い揃えて俺は家に戻ることにした。
アイスを食べながら頭の整理をする。
そういえばさっきからスマホがブルブル震えっぱなしだ。
「あー、やっぱ面倒だな……。家はすぐに出よう。スマホも新しいのに変えて……、あっ」
公園を通り過ぎた時、見たことがある女の子がベンチで座っているのが見えた。
「妹か……、名前なんだっけ? まあいいか」
妹の周りには男女の学生がいる。少し大人っぽいというかガラが悪いというか……。
「あっ、お兄ちゃん……」
記憶を取り戻した俺は、どうやら身体的な能力も取り戻したみたいだ。
遠くの声だけど聞こえる。
あいつ、なんで『お兄ちゃん』なんて言ってるんだ? 従兄弟とでも間違えてるんじゃね?
そもそも俺は妹に何も愛情を感じない。
クラスメイトも幼馴染のエリにも何も感じない。
……堂島は違ったな。
すごく懐かしい気持ちになれて、親愛というか友情というか、とにかく大切で守りたくて、よくわからない感情が込み上げてきた。
というか、俺ってエリと付き合ってたんだよな? 好きってどんな気持ちかわからねえよ……。多分妹の事もなんだかんだ言っても愛情を持っていたんだろ?
「ちょっと、兄貴ーー!! 一緒に帰ろうよ!」
俺は声を無視して公園を通り過ぎようとした。
後ろから追いかけてくる足音。
「まってよ、聞こえないの? 馬鹿なの? マジで止まれって!」
俺は言葉の通り止まった。
背中に衝撃が来た。
「いて……、きゅ、急に止まるんじゃねえよ、馬鹿!」
いや、愛情なんて一欠片も感じねえ。
「無理だな」
「え? な、何いってんの? 頭おかしいの? てかさ、なんでエリちゃんと別れたの? 下の学年まで噂広がってるよ。……あんたもエリも結構人気あったし、それにあんたはブレイキングアップに出たし」
「……え? お前、同じ高校?」
「え? ……ていうか質問に答えろよ。お前コミュ障かよ」
そういえば堂島と同じセーラー服を着ている。メモで妹の項目を確認すると、たしかに同じ高校であった。
ちなみに名前は『平塚すみれ』だ。名字は違うんだな。
俺はメモを閉じて妹……、平塚を観察する。
俺とは似ても似つかない顔。多分可愛い部類に入るんだろう。
俺にとって幼稚園の嫌な思い出しかない。エリと一緒に毎日いじめられた。
……メモの書いてある内容もひどかった。
「だからーーっ、あっ!? いったっ!?」
だから、いまここで妹が転んで足を擦りむいたとしても何も感情が湧いてこない。ただの不注意だろ。
「ちょ、ちょっと、あんた助けろよ! てか、手を貸せよ! お前のせいで転んだだろ!」
興味が湧かないんだ。
俺は家では居候のようなものだった。
家の手伝いは当たり前で、高校になると部屋の家賃を請求された。アルバイトをしてそれを全部家に入れていたみたいだ。
リビングとダイニングを勝手に使ってはいけない。
食事はお金を取られる。
なんだ、この家族は? 頭がおかしいのか?
俺はどんな気持ちであの家に住んでいたんだ?
すごく嫌な気持ちだったんだろうな……。
「はっ? あ、兄貴、なんで無視すんだよ。てか、女の子が転んだのに手も貸さないのかよ。……マジでクズじゃん」
俺にはわからない。誰がクズで何が優しさなのか。
妹はそれっきり黙ってしまった。
****
頭の中を整理していたら家の前に着いた。
玄関を開けて下駄箱を確認する。
俺の靴は今はいているのしか無かった。
穴が空いてボロボロの靴。
……おい、優太。自分が悲しくなってくるだろ。お前はどんな気持ちでこの靴を履いていたんだ?
服も最低限しかなかったぞ。
「あいつの気持ちをトレースしてみっか」
「あ、兄貴! なんで無視すんのよ! 兄貴のくせに生意気じゃん」
妹の靴を観察すると、とても良い素材の皮を使ったローファー。それに靴箱には沢山妹の靴がある。
居た堪れない気持ちになった。優太、お前はなんであのお金を使わなかったんだよ。
理由はわかっているが、そう思わずにはいられなかった。
俺はポケットからスマホを取り出して操作する。
瞬間記憶はできないけど、一般人よりも記憶力はいい。
覚えていた番号に電話をかける。
『――もしもし――ああ、久しぶりっす。……あははっ、記憶戻っちゃいましたよ。えっと、ちょっとお願いしてもいいっすか?』
***
湯船に浸かりながら優太の気持ちをトレースする。
日記とメモは全て記憶してある。
あいつが今まで生きてきた四年間を振り返り再構成する。
あいつの身体は限界だった。
精神的に追い詰められていて、それでも自分が家族に迷惑掛けていると思っていて、全部自分のせいだと思っていた。
弱音を吐かずに家族のためにアルバイトをして、同級生の嫌がらせにも耐えて、暴言を吐かれても笑って流す。
全てを諦めて、全部自分が背負い込めばいい。
それでも――綺麗な服を着て穴が空いてない靴を履きたくて、それを誰にも何も言えなくて――。
なんだ、これ、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じる。
「やめだ。記憶消去のきっかけは何であれ、俺は限界だったんだな」
***
「ちょっと、なんであんた勝手にお風呂使ってんのよ! 今日はお風呂の日じゃないでしょ? 金払ったの? ドライヤー使ってんじゃないわよ! それあたしのよ」
風呂上がりに自分で買ったポカリを飲みながら髪を乾かす。
なんと、風呂まで制限されていたのか……。すげえなこの家。
妹はそれに対してなんの疑問も思わず俺に罵声を浴びせる。多分この家では日常なんだろうな。
自分の感覚がおかしいと気がついていない。
気にせず身体を拭く。妹が立ち去る気配がない。
……おれ裸だぞ、なんでジロジロ見るんだよ。
「……ねえ、昨日からどうしたの? あんた変だよ。てか、そんなに筋肉なかったでしょ」
いや、変なのはこの家だろ。
ていうかこれって虐待じゃねえか? 鏡で見た俺の身体中は傷だらけだったぞ。……まあいいか、俺は今夜この家を出るし。
「てかさ、さっきあんたのバイト先から連絡あったじゃん。サボったの?」
「バイト……。ああ、だからスマホに着信があったのか」
メモによると俺は近所の飲食店でバイトをしている。もちろん几帳面な昔の俺は、バイト先の人間関係まで記載されている。
どうやら妹もそこでバイトしているみたいだ。
妹が俺のスマホを投げつけた。なぜ人のスマホを持っている? それは自分の部屋に置いてあったものだ。
「ん、謝ってバイト行きなよ。あっ、その前に風呂洗えよ。あんたの後なんて入りたくもないし」
受け取ったスマホはブルブルと震えていた。
……面倒だけど出てみるか。
『あっ、やっと繋がった! 優太君? 私、サエだけど体調大丈夫? もしかしたら一昨日のバイト帰りのときの怪我がひどいのかな……』
一昨日……。怪我?
俺は脱衣所に置いてあるメモを確認する。
バイトのページ、サエの項目。
……アルバイトの先輩大学生。仕事のミスを押し付けられたり、パワハラが酷い。嫌われ度高い。
なんか電話の雰囲気とメモの内容が随分と違うな。
『あ、あのさ、優太君、弱いのに不良から助けてくれてありがと……。すごくかっこよかったよ。それに配信見たよ。お礼に今度デートしてあげるからさ、バイト来なよ。もう意地悪しないから――』
「…………はっ? あんた誰だよ」
声が勝手に出ていた。
俺は気持ち悪くなって電話を即座に切った。
スマホの電源を落とす。
「ちょ、ちょっとあんた何切ってんのよ!? サエさんはあんたの事心配して――」
「俺バイトやめるわ。適当に店長に言っておいてくれ」
「なんで私がそんな事しなきゃいけないの!? ていうか、あんたバイトしなくてお金どうすんのよ!」
身体を拭いて自分の部屋に戻ろうとするが、妹が着いてくる。
「ねえあんた昨日からおかしいよ? ……あのさ……私の事、わかる? あんたシスコンで私の言う事聞いてくれる兄貴でしょ!」
俺は振り向いて妹と向き合う。
「な、なによ……、睨まないでよ」
「よくわかんねえけど、そんな記憶ねえよ。風呂入って早く寝ろ」
俺は妹の返事を待たずに部屋の扉をバタンと閉めた。
扉越しに妹の呟きが聞こえてきた。
「……え、え……、お兄ちゃん、おかしいよ。ひぐ、なんであんなに冷たいのかな。ブレイキングアップで有名になったから、わたし少し優しくしてあげようと思ったのに。……お兄ちゃんじゃないみたい、中学の頃ツンデレが好きって言ってたから……。本当のお兄ちゃん、どこ行ったの……。お兄ちゃん……」
そんな言葉を聞いても何も感情が浮かばなかった。
ただの雑音にしか聞こえない。
***
親父は比較的この家族の中でまともな部類らしい。
と言っても母親と妹の言いなりだ。
それでも家族の長であり、俺の母さんが再婚した人だ。
深夜、親父の書斎で二人だけで話し合いをした。
親父は俺の提案を全て受け入れてくれた。
――金に汚い男で助かった。
その後、俺は部屋をキレイに掃除した。
よくわからないものは全てゴミとしてまとめた。
小さなバッグを抱えて家を出た。もう二度と帰って来ないだろう。
俺は家を出た――
挨拶は必要ない。
****
「あれ? 兄貴は?」
「んん、優太は一人暮らしをする事になった。お母さんも了承済みだ」
「え、そんなの聞いてないよ!? てか兄貴どこ行ったの?」
「……すみれちゃん、もう優太は帰って来ないわよ。これでやっと家族三人で仲良く暮らせるわね。ふふっ、お赤飯たかなくちゃ!」
「そ、そんなのおかしいよ。優太は……、私のお兄ちゃんで……」
「すみれ、学校が一緒ならまた会えるだろ? あっ、こら、どこに行く! もう学校に行く時間だろ! ……全く、あいつの事は放っておけばいい」
階段を駆け上がり兄貴の部屋に押し入った。
ただのウォークインクローゼットを改造しただけの小さな部屋。
人が一人寝るのも窮屈な部屋。冷房もテレビも家具もない。
部屋の中はごみ袋が分別されて置いてあるだけだった。
「え……、なんで……」
ごみ袋から見えるものは――衣類と紙くず。
その横には写真立てが置かれてあった。
兄貴の部屋の棚に置かれていた私と兄貴の写真。
そこには中学を卒業した時の兄貴と……嫌そうな顔をしてる私が映っている。
本当はすごく嬉しかった。兄貴はかっこよくて優しくて大好きだった。
……エリちゃんと付き合っていたけど、兄貴は私にも好意を持っていたと思う。
エリちゃんはキツイ性格しているから絶対に別れると思っていた。
だから、いつか結婚するんだ、って思っていた。血が繋がってないもん。
写真立ての横には私が卒業祝いにプレゼントした……シルバーのネックレスと私の手紙が置かれてあった。
兄貴、すごく喜んでくれて、いつも着けてくれて……、
なのに、そのネックレスと手紙もゴミの横に置かれてあった。もう兄貴はここに帰ってこないのに……。
「あ、兄貴? どうして?」
誰もいない部屋に私の呟きだけ響く。
私は写真と手紙とネックレスを手に取る。
何も取り柄がなかった兄貴が超強いってわかってすごく嬉しかった。
家族が有名人の仲間入りをして友達に自慢できると思った。
兄貴と一緒にいれば優越感を得られると思った。
「いやだよ……、もういなくならないでよ……。あたし良い子になるからさ……。ブレイキンアップで有名になれたじゃん! やっと自慢の兄貴になったのにさ……。兄貴、兄貴!!!!」
自分があさましくて汚いってわかってる。
有名にならなくてもいい。嫌われてもいい。
ただ、一緒にいられるだけで幸せだったんだ。
もっと優しくすればよかった。
私だけ贔屓されてもそれが普通だと思っていた。
意地悪すれば構ってくれるかと思っていた。
ただの子供の我侭じゃない――
「そんなのわかってからじゃ遅いんだよ!!!!! 良い子になるからさ……、可愛い妹になるからさ……、お兄ちゃん……いなく、ならないで……」
私は写真を抱きしめながら後悔の涙を流した――
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