第46話_北条さんと長尾さん
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046_北条さんと長尾さん
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お義兄さんに呼ばれ、俺は金山城に入った。
その理由は北条家からの使者だった。
「拙僧は幻庵宗哲と申しまする。主、北条左京大夫よりの使者としてまかり越しましてご座いまする」
剃髪した初老の男性は、幻庵宗哲と名乗った。柔和な表情をして、お義兄さんを見つめている。
「ようこられた。左京大夫殿はご健勝かな」
お義兄さんは余所行きのキリッとした表情で、幻庵宗哲さんに質問した。
「最近は少し体調がすぐれないようですな」
新田家の家臣たちが少しざわめく。どうしたのかな?
「それはいかんの。体を厭うように伝えてくれ」
「はっ。新田様のお言葉、しかと主にお伝えいたしまする」
世間話が終わり、ようやく本題になるようだ。
「当家としては、先の古河公方様を新田家に引き渡す用意がございまする」
「ほう。
気を抜くと、シリアスお義兄さんを見て笑いそうになる。最近ようやく慣れてきたが、まだまだだな。
などと考えていてはいけないな。真面目に使者の口上を聞こう。
「はい。左京大夫様は新田家との和睦を望まれておられまする」
幻庵宗哲さんは気負わず、自然体で話をしている。
お義兄さんはそうでもないが、家臣の中には敵意のこもった視線を向けている人は多い。
上野や武蔵の国人は、今は滅んだ関東管領や扇谷上杉家などに従っていた家が多いらしい。だから北条家のことを嫌っている人が多いんだとか。それでも家を残すために北条家に従っていた人もいる。
色々我慢していたけど、今は新田家に従っているから北条に敵意を剥き出しにしているという感じかな。
関東管領さんを殺した俺も恨まれているのかな? 新田家中の人からは、あまり敵意を向けられないから、分からないや。
俺も北条家のことは色々勉強したんだ。
その結果、武家はともかく、領民にしてみたら関東管領やなんやかんやよりも、北条家のほうがいいというものだった。
北条家はこの時代では珍しい民に優しい統治を行っているんだよね。税は四割で安いし、不作などになると減税までしてくれる家なんだよ。
他の家なら平素は六割から七割の税を取り、不作になったら民から搾れるだけ搾り取る感じだから正反対だよ。
農民からしたら、統治してほしいと思う内政の家が北条家なんだ。
「和睦の条件が左兵衛督殿の返還などとふざけているのか!」
あれは下小林城主の
「五郎衛門尉殿。控えられよ」
横瀬さんが林さんを嗜めると、むすっとして黙った。
日頃横瀬さんと林さんの仲はいい。おそらくだけど、これは予め口裏合わせをしていたものだと思う。
林さんはいかにも血気に逸る感じの容姿だから、幻庵宗哲さんを威嚇するのに丁度いい人材だよね。
ただ、幻庵宗哲さんはどこ吹く風という感じだ。
「たしかに五郎衛門尉の申すように、北条にとって都合のいい条件であるな」
お義兄さんが突っ込むと、幻庵宗哲さんは少し困った顔をした。でも本当は困ってないよね。そんなことを顔に出すような人じゃないと思うんだよ、幻庵宗哲さんは。
「しからば上野介様のお考えになっておられる和睦の条件をお聞きしたく存じまする」
「武蔵と相模の割譲」
お義兄さんの要求を聞き、幻庵宗哲さんの表情が険しくなる。さすがにこれには本気で顔を強張らせたようだ。
そりゃそうだね。武蔵の他に本領ともいえる相模を寄こせと言われたら、表情が険しくもなるのも当然だ。
「恐れながら、その条件を受け入れるわけにはまいりません。それは新田様も分かっておいでではありませぬかな?」
新田の家臣たちが騒ぐ中、幻庵宗哲さんは堂々と交渉をしていった。なかなかの腹の座りようだね。
一カ月の間に幻庵宗哲さんは何度も金山城を訪問し、何度も交渉の場がもたれた。
「さすがは音に聞こえた北条幻庵殿ですよ。北条にはよい人材が揃っているようですね」
お義兄さんは幻庵宗哲さんのことが気に入ったようだね。北条には北条
新田家には関東管領の家臣だった人が多いけど、武将の質は北条とどちらが上なのかな?
「しかしよく武蔵を明け渡すと言いましたね、幻庵宗哲さんは」
幻庵宗哲さんは前古河公方を引き渡し、武蔵を新田家に割譲することで決着させた。
お義兄さんも最初から北条家の本拠地である小田原のある相模は考えていなかった。
交渉を重ねることで歩み寄って、新田家に武蔵を割譲ということになったんだ。
これで戦することなく武蔵が手に入る。新田家としては悪くない話だと思うが、国人たちは武功を立てる機会がなくなったと愚痴っていた。
「段階的に明け渡しが行われ、今年中には完了することになるでしょう。忠治殿はどこが欲しいですか」
「できるだけ新田家の直轄地にされるほうがいいです。俺は厩橋城だけで構いませんから」
胡蝶が言っていたけど、主家の直轄地が少ないと家臣たちを率いるのに支障が出るのだとか。
家臣のほうが裕福になる。そういう話もあるようで、あの織田信長さんところが正にそれらしい。
信長さんところは、守護代の家臣でしかない。それが祖父の代で津島湊を手に入れ、経済力を背景に勢力を伸ばして守護代家を凌ぐ勢力になっている。
そういえば、江戸幕府は初期には四百万石あったけど、末期には二百万石もなかったとかなんとか?
その例でいえば直轄領が多ければ多い程、国主としてお義兄さんの地位が盤石になるのかな?
▽▽▽ Side 長尾景虎(上杉謙信) ▽▽▽
そろそろ冬が終わる。雪解けの季節がやってくる。
春日山城周辺は血が雪に染み込み、そのまま凍りついて朱に染まっている。
体が不自由になった儂を追い落とそうという者たちの血だ。
古志長尾家と上田長尾家、そして揚北衆どもの血で染まった雪もまた一興よ。
これで儂がまだやれると分かったであろう。あの赤鬼に敵対しなければ、越後一国くらいは治めて余りあるわ。
今や新田は上野をまとめ上げ、信濃と武蔵にも勢力があると聞く。
以前は城さえも保てなかった岩松だが、今や押しも押されぬ大名として地盤を築いている。今年は武蔵を攻めると思われることから、かつての関東管領殿の領地を超えるのも時間の問題であろう。
新田は元々源氏の名門で、出自は足利将軍家と同じだ。血筋だけは将軍家と同格と言ってもいい。関東管領になる家格は十分にあるだろう。
だがそれでいいのか? 新田が関東管領になるのを儂は認められるのか?
それに鬼に負けたまま生き恥を晒して何が毘沙門天の生まれ変わりだ。
だが、あの赤鬼にどうやって勝つ? あの者にどうすれば勝てるのだ?
「………」
そもそも儂はなぜあの者に勝たなければいけないのだ?
分からぬ。
「御実城様。用意が整いましてございます」
直江大和守の声に振り向く。
これから謀反人たちの処遇を言い渡さねばならぬ。
愚かな者たちよ。儂を殺せば越後が手に入ると思うたか。
剣が触れなくとも軍を操るのは儂の最も得意としするところだ。本質を見誤った者たちの末路は惨めなものになる。そう、今の儂のようにな。
新田に捕縛され、生かされた。屈辱だ。
それでも儂は生きた。一時は出家し高野山に入ろうと思うたが、家臣らの説得を受けて諦めた。彼らの必死さを前に、出家してお前たちを見放すとは言えなんだ。
そして反乱だ。
儂を説得した者たちは、儂を支えてくれた。そうでない者は、儂を裏切った。
赤鬼にいいようにあしらわれた儂では頼りないと思うたのだろう。たしかに儂は負けた。大きな負けだ。体も不自由になり、まともに喋ることさえできぬ。頼りないと思うても仕方がないが、変わり身が早すぎるわ。
降伏した者は基本的に許す。それがこれまでの儂であった。
この者たちには儂や家臣たちと血で繋がっている。苛烈な対応をすれば、儂に従ってくれている家臣さえも背くことになりかねぬ。
だが許しても許しても、この者たちは儂に反旗を翻す。以前許してやった者が多い。今回許してもまた背くであろう。まったく困ったものよ。
直江大和守が処分を読み上げていく。
今回は許さぬ。少なくとも謀反人本人は死罪、軽くても隠居だ。家も半分は潰す。残った半分も大きく所領を削る。
儂の苦しい時に支えるのが家臣というもの。それをするどころか、反旗を翻した以上は許さぬ。他の国人に儂の意志を示す厳しい処分にした。
「上田長尾家、長尾越前守。この度の乱を起こしこと、不届き千万。よって隠居を命じる。上田長尾家は養子を迎えて存続させるが、坂戸城周辺五百貫のみ継承させるものとする」
「なっ!? 待ってくれ!」
「黙られよ! 御実城様の情けにより、隠居と知行召し上げで済ませたのである。異議を申し立てる立場にないことを理解されよ」
長尾越前守には我が姉が嫁いでいる。殺せば姉に恨まれる。儂の兄は皆鬼籍に入った。残ったのは姉だけだ。越前守を殺しては、姉に会わす顔がないわ。
儂の血縁者はもはや姉だけ。いずれは姉の子を養子にと思うておったが、それも難しくなった。愚かなことをしおって……。
このままでは長尾家が絶える。このまま絶えさせていいのか? どうすればいいのか?
生涯不犯を誓った儂だが、子を残すべきではないか。分からぬ。何もかもが分からぬ。
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