第7話
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何がなんだかわからない、と朱莉は思った。
そもそも、バイクに跨ったのも初めてなら、そのバイクが人混みの中を突っ切り、人間用エレベーターに入って階を降りるのも初めてだ。排気ガスがこもって臭かったが、階下まではすぐだったからそれほどきつくはなかった。
ノンヘルで疾走するバイクの後ろは、恐ろしいと思う一方で、頬を撫で、髪を揺らす風が、これでもかというくらいに清々しかった。
掲示板のアイツが本当にこの人なら、本当に、らしいと思う。
他人の目など一切気にしない姿、破天荒だが鋭く本質をつく姿。全て私にはないものだ、と思うとなんだか切なくなる。
そうこうする内にバイクは駐車場と思しき地下空間に入っていった。
エンジンが止まり、手を貸してもらって、バイクから降りた。
「あの……」まさかと思うが、二の舞は困る。
無機質な鋭い瞳、髪は今風の眼が隠れんばかりの、真っ黒な艶やかな長髪で、やや細身のフェイスラインの上を七三に流れている。
紫色のサテンのシャツといい、髪型と言い、特に髪型はカツラじゃないかと思うくらいに合っていない。目の野性的な鋭さとおしゃれ臭い髪型が一致しないのだ。
「私は、どうしてここへ?」
「……服が破れている。俺の新しい服を貸す。通常、誰かが着用した服を着るのは嫌がると理解している」
「……えっと、服を貸してくれると?」
「そうだ」
機械と話しているのかと一瞬勘違いしそうだ。そもそも、どっかで買えばいいのではないかとも思うが、確かに破れた制服でその辺をウロウロするのもどうかと思う。
「そ、そうですか。あの……」
襲ったりしませんよね、と間抜けな質問をしようとしていたが、もじもじと下を向いた隙にその男はさっさと歩いて行ってしまった。
男に付いて行くと、どうやら、もとはビジネスホテルか何かだったような建物に入っていった。廊下はゴミだらけ。たまに焦点の定まらない視線を虚空に向けた人間がうずくまっていて、とてつもなく恐ろしい。
男は無言で歩いて行くが、やたらと早くておいて行かれそうになる。
こんな所でおいて行かれたら、それこそ死んでしまう。
朱莉は必死で後を追いかけた。ある一画、やたらとキレイな廊下にたどり着くと、男は無言でドアを開け、中に入っていく。
「……」
玄関で立ち止まって躊躇していると男が冷たい視線を向けてきた。
「どうした? そこで待ちたいのか?」
いやいや。ここに一人は恐ろしすぎる。
「わかった。そこで待ってろ」
「ちょっと待って!」
朱莉は閉まろうとするドアを手で止めると、玄関に飛び込んだ。
男の人の部屋、初めて入った。朱莉はそう思うと物珍し気に辺りを見回す。殺風景な部屋。絨毯が敷かれているが掃除が行き届いていてとてもキレイだ。タダでさえ狭い居間に巨大なボックスが置かれていて、ごみと一緒に沢山の、同じ種類の服が捨てられているのが見える。
「君が着用しているジャケットはボックスに捨てろ。必要なら元から着用している破れた服も捨てていい」
「え?」
ガラガラっと開けたクローゼットの中には、同じ黒のジャケットと紫色のシャツがずらりと、引っかかっていた。
「他人が着た服は、着ない。そうだろ? だからそのジャケットは捨てろ」
「えっとー」
――私は、ばい菌扱いされてるのか? いや、潔癖症、なのかな……。
「これを着ていけ」
彼とおそろいの紫色のサテンのシャツを差し出された。
「あ、ありがとうございます……」
「……」「……」
じっと、冷たい視線が離れない。
ブラは、バイクに乗っているときに何とか元に戻したので丸出しにはならないが、さすがにじろっと見られているときに上着は脱ぎたくない。
「あの……」
「なんだ?」
朱莉は、だぼだぼの、男が被せてくれたジャケットに通した腕を引き上げて、自分と反対側の窓を指さした。
「あっち、向いててくれます?」
「……」
「だめ、ですかね」
「君に背中を向けることになる。君が〈俺〉を刺そうとした場合、対処できない」
……自分を助けた相手、刺さないだろ、普通。
「刺しませんよ。そもそも、何も持ってないし」
「……」
しぶしぶといった表情を浮かべて男は反対を向いた。
「あの……」
朱莉は言われた通り、だぼだぼのジャケットをゴミボックスに捨ててつぶやいた。
なんだ、と言いいながら振り向こうとした男を大声で制止するお約束。
「分かった。向き続ける」
「はい。お願いしますよ。……お名前、聞いてなかったかと」
朱莉は破れたブラウスを脱ぐと、サテンのシャツに腕を通した。
「名前。バリソンと呼ばれている」
「バリソンさんですが。本名は教えてくれないんですね」
朱莉はちょっと寂しくなった。勝手に勘違いしていたのは自分なのだが。
「本名というのは、シリアルナンバーの事か? それともOSのバージョンの事か?」
けっこうヤバい人なのかな、と服のボタンを留めながら朱莉は思った。
「私、藤堂朱莉といいます。そういう名前です」
「フジドウアカリ。登録した」
クスっと朱莉は笑った。完全にDQNなギークね。
「今日はありがとうございました」
「着替え終わったか? 聞きたいことがある」
「あ、はい」
どっちに対する返事になったかわからない。だが、朱莉には思い当たる節があった。
「DQNギーク集まれで、人造強化兵のAIを介して人間の脳にアクセスできる方法があると言っていた。本当か?」
朱莉は掲示板での振舞を見られていたのかと思うと、とてつもなく恥ずかしくなった。
「……顔が赤い。病気か?」
「いえ、病気では……」
人造強化兵。肉体強化をした兵士のことだ。
脳にAIが接続されていて、神経パルスをAIがトレースして各種のデバイスを操作、人間を上回る反射速度と筋力を発揮する兵士。
スレッド上で、バリソンに対して口を滑らせたのは、ついつい感情的になってしまったからだ。理論的には可能である。しかし、そう簡単にできるものではない。
否、現状では不可能なのだ。
「教えて欲しい」
真っ直ぐな瞳。怖いとか、そういう事ではなく、酷く純粋に思える視線だった。
「えっと……、なんでそんなに知りたいんですか?」
「……植物状態の人造強化兵士がいる。AIを介して、その人間の脳にアクセスしてデータを修復し蘇らせたい。だからその情報が必要だ」
よどみのない言葉。嘘や飾りが感じられない、純粋な言葉。
「……」
もし、発言が嘘だと言ったらどうなるだろうか。殴られる? 殺される? 嫌われる?
――本当の事を言うべきなんだろうけど、でも……。
「もし、言えないっていたら、どうします?」
朱莉は、本当の事を話せば、この不確かな『接続(コネクト)』が途切れてしまうのではないかと思い、本当の事を言うことができなかった。
だが、バリソンはそんなこと、一切気にかけていない明朗な回答を口にした。
「……言ってくれるまで待つ」
「え? こ、ここでですか?」
「ここには一人分の食事しか来ない。寝る場所も一つだ。ここで君は待つことができない」
……どういう事だ? と朱莉は思う。何を言いたいのかさっぱりだ。
「待つって、どういうことですか?」
「拷問では正確な情報はえられない。薬物はここにない。最も正確な情報は君が、君の意志で喋ることだ。だから、話すまで待つ」
「……帰っても、いいってことですか?」
「連絡手段は教えてもらいたい。連絡が取れればそれでいい。君は帰るしかない」
……超絶、変わってる。だけど、と朱莉は思った。
「いい人なんですね、バリソンさん」
「俺はいい人じゃない。悪人だ。で、教えてくれるのか?」
「……い、今は言えません」
チクリと胸を痛める朱莉。
「分かった。では帰れ」
「え?」
冷たい瞳がじっと、朱莉の瞳を見つめる。ピンチを救った男と、窮地を救われた女のロマンチックな何かは、欠片すら感じられない。
「あの、外まで送ってってくれませんか?」
ずうずうしい要望。だが、バリソンの返事は素早かった。
「分かった」
さっさと歩くバリソンに、朱莉は清々しさを感じた。何の駆け引きもない。人間特有の曖昧さがないのだ。ダメならダメ。OKならOK。ゼロかイチ。何を言っても感情的な理由で怒ったり、自分の知らない所で陰口を叩かれてシカトされたりしない。そんな気がするのだ。
だが、もし仮に自分が嘘をついていると知ったらどう思うのだろうか。
相変わらずの速足で歩くバリソンの背中を見ながら思う。
――嫌われちゃう、かな。
そう思うと、朱莉は胸が締め付けられるように感じた。
二人は、いつの間にかロビーの外に出ていた。
湿気をはらんだ初夏の夜風が、頬を撫でる。
振り向いた彼が、唐突に朱莉の口元に指先を当てた。
「出血している。処置は必要ないか?」
「え、あ、大丈夫です」
「そうか」
なんのしがらみのない会話。わずかな温かみを感じた彼の指先。
朱莉はテレを隠すように、業務的に連絡先を交換して、終電に間に合わせるべく駅に向かって走り出した。
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